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数年前に買ったグリーンネックレス。乾燥気味が良いとはいえ、チランジアをすぐにミイラにしてしまう我が家の環境でも、奇跡的にキレイな状態を保ち続けています。

この日も霧吹きをかけながら、そういえば買ってから全く伸びていないな、そういう種類なのかな?と思ってよく見ると、なんとフェイクグリーンでした!

3年くらいずっと騙されていました。そのくらい良くできているんですよ!だって買った時にも、手に取っていながら全く気づいていないんですから。

ずっと同居してた家族をよく見たら、そっくりさんの別人だったみたいな。これSFの世界ですよ。最近のフェイク技術の高さにびっくりすると共に、水のいらないフェイクグリーンが席巻する時代がすぐそこまで来ていることを確信したのでした。

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コインパーキングで出庫する際、お金を払って領収書を取ろうとすると、別の人の領収書が残っていることがある。イラッとする。領収書は必ず出るものではなく、自分で領収書ボタンを押して出すものだ。だからこの人はわざわざ領収書ボタンを押しておきながら、領収書を取らずに去った人ということになる。

なぜ押した?そしてなぜ取らない!?

私が手を伸ばした時にあるその領収書、自分のだけ取って去るのも忍びなく、仕方なくその取り残された領収書は丸めてポケットにツッコむ。やはりイラッとする。なぜ他人のゴミを自分のポケットにしまわなくてはならないのか!

ちょっと待て。必要ないのにそこは押すな!領収書ボタンのピンポンダッシュは取り締まりの対象にして頂きたいのである。

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> 仕事



リオタデザインとしては珍しく住宅の部分改修の計画を進めさせて頂いていたのですが、ようやく完成し、本日一部の方を対象に内覧会を実施させて頂きました。

既存の空間は、ダイニング側と奥の和室との間に襖戸があり、2室に仕切られていました。この状態で改修を進めても、ダイニングの中心が据わらずソファも置けないなどの問題もありました。要は中途半端に空間を仕切ったことによって、空間が「狭い」+「狭い」=「とても狭い」になっていたんですね。

こちらが現況の空間です。



こちらの2室をつなげて1室にし、キッチンとダイニングをシームレスにつなげた家具を中心に挿入することで、ダイニングと家族が中心に据わったプランに生まれ変わりました。


設計はキッチンまわりを重点的に。ほかにも目立たないところに収納を可能な限り造り付けることで、ちょっとしたことで家が雑多にならないように工夫を凝らしています。和室だった部分の障子もそのまま活かしています。なかなかイイ感じです。

本当はもっと収納を作り込んでいたのですが、最後に予算の壁に拒まれてだいぶ削りました。ですが、おそらく今日見て頂いた方は、どこが削られたのか見ていてわからなかったかもしれません。



この日は昨今のコロナ感染拡大のことや、空間が小さいこともあり、内覧会は現在進行中の一部の建て主さんなどに声をかけて実施させて頂きました。

おそらくここ数年で一番小さな計画でしたが、密度の詰まった良い空間になったと思います。施工を担当下さった、エークラフトさんにもこの場をお借りして御礼申し上げます。いつもながらに、精度の高い仕事でした。



建て主さんのご配慮で、こんな可愛らしいメッセージ付きのお菓子も置いて下さいました。Mさん、ご配慮をどうもありがとうございました!

20. 11 / 22

code kurkku

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> 生活



今年いっぱいでクローズする代々木Villageのcode kurkkuに、結婚記念日の食事を兼ねて。

kurkku(クルック)はフィンランド語で「きゅうり」という意味。なんできゅうりなんだ?という疑問を持ち続けて数年、最後だからと行ってみることにしました。

しかし、吹抜けに下がるこの照明の手法はレイヴィスカだよなとか、波打つレンガに漆喰塗りってこれってアールトだよなとか、カーテンやパーティションの波波なんてもろにアールトじゃん!とか。だからフィンランド語なのか?でもなぜにきゅうり??とか、多分家族とは全然違うところ見ていたと思います。

設計者は確実にそこ狙っていたと思うんですが、今この空間でそこ気づいてるの自分だけだなあ、というのがおかしくて、やっぱり家族とは全然違うところでニヤけていたと思います。

あぁこれでまたひとつ東京のお気に入りスポットがなくなります、、未体験の方は年内に是非!そして、きゅうりの謎は解けず。

code kurkku
http://www.kurkku.jp/codekurkku/

20. 11 / 21

コロナと共に

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コロナが第三波。それがどうした、としか言えない。これ以上どうすれば良いかわからないから、結局私の暮らしはいつも通りだ。

我々の暮らしはすでにコロナと共にある。ウィズコロナというやつだ。夜の街を呑み歩くこともないし、会合やセミナーだってオンラインだ。外出の時にはマスクを着用。帰宅したら手洗いか消毒。すでにそれが日常の一部になっている。

そんなコロナ禍のローカルルールがある。たとえば「家族は大丈夫」というルール。家族は大丈夫だから家の中ではマスクを外して良い、みたいな。家族だって毎日通勤や通学しているわけだから、感染リスクは他人と変わらないはずなのに。

たまには旅行にも出かける。食事にも行く。十分に注意しながら、といってもマスクを付けて移動する以外にできることはないわけで。近頃では、お店側で先回りをして感染対策もしてくれている。そこで我々は「家族」と「感染対策を行われているお店」に行くから大丈夫だと、ここでも心の中にローカルルールを作るわけだ。

我々のような設計事務所も、「スタッフは大丈夫」というローカルルールを暗黙に心の中に持っていなければ成立しない。もし感染者がいたら、マスクをしていたってこの狭い密室ではアウトなわけだし。事務所の中ではみんなマスクをしているが、それも「マスクをしているから大丈夫」という自己暗示によって、お互いのローカルルールを確認しあっているだけにすぎない。

身も蓋もないことを言えば、マスクをしていても感染するときは感染する。すべては確率論の話で、たとえば東京都で一日に500人感染したといっても、確率論で言うと0.00005%の感染率ということになる。逆に言うと99.99995%の人は一日に感染していないともいえる。

だから大丈夫だと言いたいのではない。
コロナが第三波。それがどうした。私はこれまで通り、コロナと共に生きる。それしかないではないか。