26. 08 / 11

切り戻し

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sekimoto

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家のパキラが徒長してヒョロヒョロと天井に達して久しくなりました。上の方だけ少し剪定してまた伸びてというのを繰り返していたのですが、根本的に半分くらいの丈に切り戻したくて、祈るような気持ちで幹の半分くらいの成長点でバッサリ切り落としました。

束の間殺風景な姿になり、このまま芽が出なかったらどうしようかと思っていましたが、1〜2週間で新芽がついてまた元の生命力を吹き返しました。こんなことならもう少し早く切り戻せばよかった!樹形もフレッシュですっきりした気がします。

今は植物が一番元気な時期なので、徒長した家中の観葉植物を切り戻すことに。切ったそばからどんどん芽が出てきてなかなか楽しいです。




テオ・ヤンセンはオランダの造形作家。物理学を専攻していた彼の作り出す「ストランド・ビースト」と呼ばれる“生物”は、風だけを唯一の動力にして動き出す。海岸を本物の生き物のように歩き回るその姿はまるでSF映画を観ているようで、一度実物を見てみたかった。

そんなテオ・ヤンセン展が富山県美術館で開催されるということで富山まで。事前に映像等で見てはいたけれど、目の前で動く姿は圧巻というか凄すぎて笑うしかなかった。

ディテールがどうなっているのかが一番興味があったのだけれど、塩ビパイプを結束バンドなどで簡単に束ねただけの簡単なジョイントで、それらは一冬をかけてヤンセン自身が作り出すという。




建築で言えばまさにトラス構造が動き出すみたいなものだけれど、その動きはまさに生き物そのもので、帆を魚のエラのように動かし、各部がそれと連動して関節のように動く様は、身近で見ても仕掛けが理解できないくらいに複雑で、その滑らかな動きに感動する。

何より「風を食べる」という表現がぴったりで、現代文明が滅びた後に生まれた自然と共生する生物、もしくは人間が文明を築く数万年前も前に存在した高度文明の遺物、そんな説明をされた方がしっくりくる。まさにジブリのハウルの動く城とかナウシカの世界観。是非実物を見て欲しい!

会期は9月23日まで。内藤廣さん設計の富山県美術館にて。

■こちらは会場のストランドビーストのリール動画です。
https://www.instagram.com/reel/DbBARHdpINQ/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==

FIFAサッカーワールドカップもあと残すところ3位決定戦と決勝戦を残すのみ。とても寂しい。

当初はワールドカップも日本戦くらいしか観ないだろうと思っていたのに、DAZNに1ヶ月限定で入ったらどハマりしてしまい、気づけば(ハイライトベースではあるものの)ほぼ全試合観たんじゃないだろうか。仕事が終わってから、その日の試合のハイライトをチェックをするのが日課になっていたし、そこまで注目されていなかった対戦カードの試合にもちゃんとドラマがあり、見終わった後は一編の短編映画を観たような気分にもなった。

私自身はそこまでサッカーに詳しくないし、一部のスター選手しか知らないにわかファンだという前提で書くのだけれど、私にとってサッカーの魅力は自身の仕事観や人生とつい重ね合わせてしまう点にある。

豪快なシュートも良いけれど、私はチームのグルーヴ感が感じられる華麗なパス回しや連携プレーにより引き込まれる。

それは言葉ではなく、皆が同じ目的を共有したときに阿吽の呼吸で繰り出されるプレーであるということ。常に2手3手先の展開を読んで、味方がボールを奪った瞬間にはほかの選手はもう走り出している。シュートを放った瞬間には、次の展開を予測して二の矢、三の矢が放たれている。

この連動なきところにはゴールは生まれないということなのだけれど、この流れるような歯車が噛み合った時の一体感はなんともたまらない。

それは建築はけして一人ではできないということと似ている。長年プロジェクトを共にしているスタッフは、私が動き出したときにはアイコンタクトひとつですでに次の段取りに手を掛けている。我々と現場を共にする工務店もまた、図面の行間を読んで我々が気づいていないリスクに先回りして対処してくれている。

これは言葉ではないのだ。仕事で最も大切なのはグルーヴ感。これは教えられない。わかる人はわかる。

サッカーの神がかったプレーにはそれがある。たとえばメッシのように。20日の決勝戦が今から楽しみでならない。

以前投稿した写真家・高橋恭司さんによるアールト自邸オリジナルプリントが届きました。元は私がコーディネーターを務めた2002年のエクスナレッジホーム創刊号[Who's Alvar Aalto]のために撮り下ろして頂いた写真を、先日の個展で購入したもの。

展示で眺めていたよりも、手に取って間近に眺めると光の妙が際立って見えます。8x10と呼ばれる大判カメラによる撮影。デジカメには到底再現出来ない質感だとあらためて感じます。

これまで数多のメディアで撮り下ろされてきたアールト自邸ですが、この写真には圧倒的な異質さがあって、構図を眺めているとピアノの上のアイノの肖像写真が亡霊のように浮かび上がってきます。

そうか、恭司さんはアルヴァではなくアイノの影をこの空間に感じて切り取ったのかもしれない。真の意図はわかりませんが、スピリチャルカメラマンと呼ばれる高橋恭司さんらしいカットと言えそうです。

この写真のネガは焼き捨ててしまったそうなので、世界で一枚だけのオリジナルプリントになります。一生の宝物として、事務所に大切に飾りたいと思います!


26. 04 / 12

さっちゃん

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sekimoto

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むかし赤坂にある事務所に勤めていた頃、たまに所長に連れていってもらった広島焼きのお店があった。目の前の大きな鉄板で焼いて、そのまま食べさせてくれるお店。私は広島焼きというものをそこではじめて食べたのだけれど、当時そのおいしさがとにかく衝撃的だった。

その後いろんなところで“広島焼き的なもの”を食べてきたものの、どこか違う。おいしいけどこれじゃない。あの時の衝撃は一体なんだったんだろう?あれから30年経った今でも、あの味が忘れられなかった。

ある日、ふと端末で赤坂のたしかこの辺りだったよなとマップを辿っていたら、あった。びっくりした。お店の名前は「さっちゃん」とあった。たしかに言われるとそんなお店だったような気がする。

あの時のマスターはたしか40〜50代くらいに見えたから、今はすでに70〜80代?これは早く行かないと!

久しぶりに歩く赤坂はいろんな部分で変わっていた。あの頃よく通った定食屋やお店はすでになく、その中に昔のビルがところどころに取り残されている。そこを抜けた先にそのお店はあった。時空に迷い込んだような感覚だった。

お店の中も時間が止まっていた。けれどオーナー夫婦だけは健在だった。30年前によく来ていたことを話すととても喜んでくれた。お店は40 年続けているのだそう。目の前で焼いてくれる手つきは、40年間目の前の鉄板だけに向き合ってきた人の手つきだった。

ほんとうにおいしかった。これだ!と思った。30年間この味を忘れていなかったことに驚いたし、お店の味が変わらないことにも感動した。これはいったい広島焼きなのだろうか?ここでしか食べられない何か別の食べ物のようにも思える。

振り返ったらもうそのお店は煙のように消えているかもしれない。もう二度と食べられなくなる前にもう一度足を運びたい。