家のパキラが徒長してヒョロヒョロと天井に達して久しくなりました。上の方だけ少し剪定してまた伸びてというのを繰り返していたのですが、根本的に半分くらいの丈に切り戻したくて、祈るような気持ちで幹の半分くらいの成長点でバッサリ切り落としました。
束の間殺風景な姿になり、このまま芽が出なかったらどうしようかと思っていましたが、1〜2週間で新芽がついてまた元の生命力を吹き返しました。こんなことならもう少し早く切り戻せばよかった!樹形もフレッシュですっきりした気がします。
今は植物が一番元気な時期なので、徒長した家中の観葉植物を切り戻すことに。切ったそばからどんどん芽が出てきてなかなか楽しいです。
うちで設計する住宅の家具や建具、またオリジナルスツールのmuniは、新潟県長岡市に工場を置く藤沢木工所というところに多くの製作をお願いしてきました。またこの秋からは長岡造形大学でも非常勤講師を務めることになり、長岡にはいろんなご縁がつながってきました。
そんな長岡といえばなんといっても長岡花火。かねてからその素晴らしさは人づてに聞いてはいたものの、大変な混雑ぶりが頭をよぎり、なんとなく「花火はテレビでいいや」くらいに思っていました。地元で花火大会と聞いても、子どもも大きくなった今、わざわざ行こうとも思わなくなっていました。
そんな私ですが、先の藤沢木工所の藤沢さんから「もしいらっしゃるなら場所取りますよ!」と言って頂いたこともあり、一度は見ておかないとと思い立ち、昨日ははじめての長岡花火に足を運んで来ました。
もう本当にすごい迫力でした!あの音と、衝撃を体で受ける感覚。地元では最後のクライマックスに打ち上げられるクラスの大花火が、2時間半くらいずっと続くような感覚と言えば良いでしょうか。
過去に見た友人からは「あれはすごい。泣けるよ」と吹き込まれ、また花火の前にも藤沢さんから「涙出てくるんですよ」と言われ、全米が泣いたという映画に泣いたことは一度もない私としては「そんなこと言われたら泣けるわけないじゃん」と思っていましたが、普通に泣けましたね。びっくりでした。花火見ながら涙が出るという体験は生まれてはじめてでした。
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長岡花火の歴史は古く、今から150年前にも遡るそうですが、今のような象徴的な存在になったのは空襲で焼け野原になった長岡で戦後復興の象徴として花火大会が復活し、それが市民の希望として深く心に刻まれたことが大きかったようです。
また2004年の長岡を震源とする中越大地震では、市内は壊滅的な被害を受け、その復興を願って翌年に打ち上げられたのが名物の「フェニックス」と呼ばれる大花火だったそう。
終盤で打ち上げられるこのフェニックス。本当に見たことのないような規模の花火が、平原綾香さんのジュピターに合わせて約5分間ものあいだ上がり続けます。それは挫折をしても何度でも立ち上がるのだという長岡のシンボルそのものなのだと思うと、自然と涙が出てくるのです。今見ても泣ける。本当に素晴らしい花火でした。
ほかにも正三尺とよばれる花火玉が直径90cmもあるような巨大花火も。こちらも見たことのないくらい大きな花火にとても驚きました。これも長岡花火の名物のようです。
今回はご手配から当日のアテンドまで、家族一同藤沢木工所の藤沢さん、品田さんに大変お世話になりました。おかげで一生刻まれるようなすばらしい思い出になりました。お二人には心から感謝します。ありがとうございました!
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■長岡花火フェニックス(5分)
https://youtu.be/TuA9XQ1hC4U?si=GC19KWDCwIwjDQ-G
FIFAサッカーワールドカップもあと残すところ3位決定戦と決勝戦を残すのみ。とても寂しい。
当初はワールドカップも日本戦くらいしか観ないだろうと思っていたのに、DAZNに1ヶ月限定で入ったらどハマりしてしまい、気づけば(ハイライトベースではあるものの)ほぼ全試合観たんじゃないだろうか。仕事が終わってから、その日の試合のハイライトをチェックをするのが日課になっていたし、そこまで注目されていなかった対戦カードの試合にもちゃんとドラマがあり、見終わった後は一編の短編映画を観たような気分にもなった。
私自身はそこまでサッカーに詳しくないし、一部のスター選手しか知らないにわかファンだという前提で書くのだけれど、私にとってサッカーの魅力は自身の仕事観や人生とつい重ね合わせてしまう点にある。
豪快なシュートも良いけれど、私はチームのグルーヴ感が感じられる華麗なパス回しや連携プレーにより引き込まれる。
それは言葉ではなく、皆が同じ目的を共有したときに阿吽の呼吸で繰り出されるプレーであるということ。常に2手3手先の展開を読んで、味方がボールを奪った瞬間にはほかの選手はもう走り出している。シュートを放った瞬間には、次の展開を予測して二の矢、三の矢が放たれている。
この連動なきところにはゴールは生まれないということなのだけれど、この流れるような歯車が噛み合った時の一体感はなんともたまらない。
それは建築はけして一人ではできないということと似ている。長年プロジェクトを共にしているスタッフは、私が動き出したときにはアイコンタクトひとつですでに次の段取りに手を掛けている。我々と現場を共にする工務店もまた、図面の行間を読んで我々が気づいていないリスクに先回りして対処してくれている。
これは言葉ではないのだ。仕事で最も大切なのはグルーヴ感。これは教えられない。わかる人はわかる。
サッカーの神がかったプレーにはそれがある。たとえばメッシのように。20日の決勝戦が今から楽しみでならない。
当初はワールドカップも日本戦くらいしか観ないだろうと思っていたのに、DAZNに1ヶ月限定で入ったらどハマりしてしまい、気づけば(ハイライトベースではあるものの)ほぼ全試合観たんじゃないだろうか。仕事が終わってから、その日の試合のハイライトをチェックをするのが日課になっていたし、そこまで注目されていなかった対戦カードの試合にもちゃんとドラマがあり、見終わった後は一編の短編映画を観たような気分にもなった。
私自身はそこまでサッカーに詳しくないし、一部のスター選手しか知らないにわかファンだという前提で書くのだけれど、私にとってサッカーの魅力は自身の仕事観や人生とつい重ね合わせてしまう点にある。
豪快なシュートも良いけれど、私はチームのグルーヴ感が感じられる華麗なパス回しや連携プレーにより引き込まれる。
それは言葉ではなく、皆が同じ目的を共有したときに阿吽の呼吸で繰り出されるプレーであるということ。常に2手3手先の展開を読んで、味方がボールを奪った瞬間にはほかの選手はもう走り出している。シュートを放った瞬間には、次の展開を予測して二の矢、三の矢が放たれている。
この連動なきところにはゴールは生まれないということなのだけれど、この流れるような歯車が噛み合った時の一体感はなんともたまらない。
それは建築はけして一人ではできないということと似ている。長年プロジェクトを共にしているスタッフは、私が動き出したときにはアイコンタクトひとつですでに次の段取りに手を掛けている。我々と現場を共にする工務店もまた、図面の行間を読んで我々が気づいていないリスクに先回りして対処してくれている。
これは言葉ではないのだ。仕事で最も大切なのはグルーヴ感。これは教えられない。わかる人はわかる。
サッカーの神がかったプレーにはそれがある。たとえばメッシのように。20日の決勝戦が今から楽しみでならない。
今から25年前、フィンランド留学中に現地コーディネートを担当した「エクスナレッジHOME創刊号/アールト特集」。建築知識社はこの時エクスナレッジ社になり、編集長はのちに社長になる澤井聖一さんが就任、アートディレクターに角田純一さんを起用という、当時超保守系出版社だった建築知識社が社運をかけて、攻めに攻めて出した雑誌がこの「エクスナレッジHOME」だった。
どのくらい攻めたかというと、日本から連れてきた写真家の一人が高橋恭司さんだったということがそれを象徴していた。
高橋恭司さんは90年代を代表するカルト写真家。けして雑誌の取材で編集者の指示で写真を撮るような人ではない。エイトバイテン(8x10)という大型写真機を使って、一日数枚しかシャッターを切らないというカリスマがアールトを撮る。それが逆に創刊号の目玉の一つにもなっていた。
そんな恭司さんの行く先々で当時どんな事件(ハプニング)が起こったのか、それはことあるごとに話しているのでここでは書かない。
そんな高橋恭司さんがこの雑誌のために撮った2001年のアールト写真が現在、新井薬師前の「スタジオ35分」にて展示されていて、今日ようやく足を運ぶことができた。
ギャラリーは隣のバーと繋がっていて、来場者は必ずバーでワンドリンク頼むというシステム。これ初めてきた人は、もしかしたら扉開けた瞬間に閉じちゃうかもしれない。
恭司さん、あろうことか当時のネガを全部燃やしちゃったそうで、ここに飾られているのは恭司さん自身が当時暗室で焼いたオリジナルプリントで、この世にこれしかもう残っていないという。すごく欲しかったのだけれど値段見たら心折れる金額で、流石に写真一枚にそこまで出せないと潔く諦めもついた。
最後ワンドリンク飲んで帰ろうと思っていたのに、一人バーカウンターで飲んでいると酔いが回ったのか「このまま帰っていいのか?」とぐるぐるしはじめ、、
結局買ってしまった!
高橋恭司さんによるアールト自邸のオリジナルカット。いい写真だ。25年前の私から、今の私にタイムスリップして届いた一枚。遠い昔の忘れ物をいま取り戻したような不思議な体験だった。
バーの店主も写真家で恭司さんと親しいらしく、私が25年前に現地コーディネーターを務めたのだと伝えるとすごくびっくりしていた。スピリチャルカメラマン高橋恭司さんのまわりでは今も不思議な事件が起こり続けている。
仕事をはじめた息子も連日終電帰りのような日々。勤め先のご厚意で、勤務先の近くに安い部屋を用意して頂けることになり、今日はそんな息子の引越し手伝い。彼にとっても念願の一人暮らしとなります。
寂しくなるか?と人から聞かれるのですが、同じ家に住んでいても生活の時間帯が違いすぎてたまにしか顔を合わせないので、出ていっても何も変わらない気がしています。でもよく考えると、これは22年間の子育てがここで一区切りしたことを意味するんですよね。彼が幼かった頃、またほんの10年前であっても今日のことは想像できませんでした。
社会に出た彼は夢中になって日々を生きています。自分の居場所と世界を見つけた彼は覚醒したように表情が明るくなり、言葉は自信に満ち、親としてこれほど嬉しいことはありません。かつて私も彼の歳で建築に向かう長い旅の帳に立ったように、彼にも自由にクリエイティブに生きてもらいたい思います。
今日は大きなレンタカーに荷物をいっぱいにして車を走らせました。でもこれが家族3人でドライブをする最後になるかもしれないことには途中で気づきました。部屋に壁掛け時計を買ってやろうと思っていたら、自分のお金で買いたいと言って彼が選んだ光るデジタル時計。新生活の時とともに思い出も刻んでいくのでしょうね。
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