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金曜日は、昨年11月に竣工した川越の「越屋根の家」にお招き頂き、約3年にも及んだ大プロジェクトが、二期工事の納屋改修工事も含めて完了したことを祝って打上げをさせて頂きました。

越屋根の家は、川越の芋掘り農家さんの母屋の建替え計画として2021年に始まりました。敷地も広く、同じ敷地内に複数の建物が建つことから申請もこれらを含めて整理して進める必要がありました。また建て替えのため、建て主さんもいったん脇に建つ事務棟に住まいを移して仮住まいにしたり、歴史ある母屋の解体にあたってもその整理など、建て主さんにとっても大変な作業があったことと思います。

ひとつひとつ整理しながら進めた計画は、気づけば二度の芋掘りシーズンをまたぎ、途中弊社の担当者も三回も変わり、三度目の芋掘りシーズンにようやく母屋が完成しました。その完成のオープンハウスのことは昨年のブログに書いたとおりです。


建物が竣工してしばらくしてからこのようにお招き頂くと、実際の空間がどのように使われているのか、どのような使用感であるかがよくわかってとても勉強になります。

我々はコンセントの配置ひとつとっても、所内で生活のシミュレーションを尽くして設置しているのですが、すべてのコンセントが欲しいところにあるのに驚いたといったコメントや、各所の寸法が緻密な計算と想定によって決められているのですが、それを実感することが日々あってまだまだ発見がありそうとのこと。

家にいらっしゃる方や、通りすがりの方、近所の方にとにかく家を褒められまくるということで、これも毎回とても嬉しいのだそうです。そんなお話をお聞きし、設計者としてもこの上なく嬉しく幸せな気分になりました。


食事後に場所を移してラウンジでくつろぐも、こちらもなかなか立てなくなる快適さ!特注で作ったローテーブルもイイ感じのサイズで、空間にフィットしていました。猫もご機嫌で歩き回っています。

いろんな場所に居場所があるというのは、やっぱりとても良いものですね!意識して設計をしていましたが、やはり検証してみると実感に落ちていきます。



中庭のライトアップも最高でどこかの高級旅館に来ているみたいでした。お風呂上がりにくつろいでみたい!またこのデッキテーブルでも、夜お酒が呑みたくなりました。次はビアガーデンか!?

大工造作で作りましたが、ベンチの造りも含めて良くできています。自画自賛です。また同様にバスガーデン付きの浴室も最高でした!


夜道を歩いていたら、こんな家があらわれたら二度見しちゃいますよね。夜はなんだかとっても不思議で、幻想的な佇まいになる家です。

スタッフ共々、夜遅くまで根っこが生えて居座ってしまいました。建て主のAさま、このような機会を設けて下さり本当にありがとうございました!本当に幸せな時間でした。

そんな越屋根の家も、来月には竣工撮影の予定です。また違った表情を納めたいと思います。こちらも楽しみです!!

昨日は午後から高野保光さんのオープンハウスへ。高野さんは私が憧れを持つ建築家の一人。実作を見せて頂くのは今回が2回目でしたが、本当に素晴らしく、深く感動した住宅でした。

高野さんのお仕事で自分には到底真似ができないと思うのは、そのディテールに向けられた繊細なまなざしです。

私は設計者の技量のひとつに「見えないものが見えているか」ということがあるように思っています。

たとえば霊能者に霊が見えるように、建築家には建築が見える。しかし建築は霊とちがって物理的に存在している訳だから、誰の目にも見えるはずなのに、実はごく限られた人にしか見えていない。

見える人にははっきり見えているので、どうしてそれが見えていないのか理解が出来ない。建築とは本来そういうものかもしれません。

高野さんの空間にあるのはグラデーションなのだと思います。それも無段階のグラデーション。

設計は抽象化することで合理性を獲得します。寸法をわかりやすく切りの良い数字にしたり、色や素材を統一したりと、最小限の要素で建築を作っていこうとする考え方が支配的です。

けれど、自然界にモジュールが存在しないように、その場その場の空間のあり方を最適化していけば、本来は統一の原理はそこには存在し得ないのだともいえます。

高野さんの空間に存在する無段階のグラデーションは、まるで水彩画の世界を見ているかのようです。隣り合う微妙な“色”のコントラストを決定的に見分ける高野さんの感覚は、私にとってはアールトのそれに近いものです。

自分の今登っている山は富士山の五号目くらいかと思っていたら、まだ高尾山だったみたいな…。まだまだ先は長そうです。高野さん、ご案内をありがとうございました!



今日は建主さんを連れて、国立のこいずみ道具店へ。

いろいろ見せて頂いて建主さんのお好みの椅子も張り地も決まり、小泉さんにもお会いできて建主さんも大喜び!こちらはご案内ありがとうございました。


私は小泉さんの近著を持参。小泉さんにサインをお願いすると快くお引受けくださいました。ちょっと待ってて!と奥でサインして「はい」と渡された本をお店を出てから開いてみたのですが、表紙をめくってもあるべき所にサインがありません。あれれ!??


いや待てよ。一筋縄に行かない小泉さんのこと、これは絶対何かのメッセージだとカバーを外してみたり、帯の裏側を見たりしてもやっぱりサインはありません。

もしかしたら、どっかページの余白に書いていたりして!と思って、本のページを全部めくって探していくも、やっぱりどこにもありません。というか、普通に考えてサイン頼まれてそんなところに書く人なんていないわけなんですが、小泉さんはそういうことする人なんです!

そうか、つまりこれはあれか。サインお願いして、わかったよと言っておきながら実はサインしてないという、裏のまた裏をついたやつか!そうかそうなのか!?だとしたらこれはこれでショックだぞ。それとか、別の本に間違ってサインしちゃって、私の本にサインするのは忘れたとか。流石にそれはないか。いや小泉さんならありうる!?と思考回路がぐるぐる…。

無限考察地獄ののち、ちょっと悔しかったけど小泉さんに「あの、、どこにサインしたんですか?」とSOSのメッセージをすると、しばらくして「ヒントはこいずみ道具店」と返信が。

え、どこを見落としたんだろう?と再び本の森へ。いくつか登場するこいずみ道具店関連の記事をよく見ていくと、あった、ありました!


なにこれ、サイン?サインなのか!?こういう図版なのかと思った。まるで暗号じゃないか~~!!!

と、サイン探しで半日潰れるという。もう最高です!小泉さん。ありがとうございます。宝物にします。

24. 04 / 08

矢嶋くんの仕事

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元スタッフの矢嶋くんによるマンションリノベーションを見せて頂いた。

ひとつ前の戸建てリノベーションでは、独立間もなかったこともあってリオタデザイン色を強く感じたけれど、熊澤さんとの仕事も彼にとって良いアク抜きになったようだ。素材の丁寧な使い方や外部との繋げ方に彼らしさを感じた。それがとても良かった。

どんなに上手く納まっていても、オリジナリティのない空間には価値がない。その人でなくてはできない空間をやらなかったら独立した意味がないと思う。彼のこれからが楽しみだ。

矢嶋宏紀|ヒロヤジマ・デザイン
https://hiroyajima-design.com/

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先だって某所でセミナーを行ったときのこと、とある工務店さんから納まりについての質問を受けた。うちでは一般の工務店さんがやらないような素材の納め方をすることも多いので興味を持って下さったようだ。

しかしうちの納まりは手が込んでいるようでいて、実はほとんど図面指示はしておらず、現場で職人さんと筆談のようにスケッチを交わしたり、過去の写真を見せながらイメージ共有をしていることが多い。だからどうやって納めたのかと訊ねられても、その施工の詳細については正確に答えられないことがほとんどだ。

だからより良いものをつくるためには、現場で職人さんのハートに火を付けるような言葉をかけながら作るんだという話をすると、「うちではそういうことはできないんです」という答えが返ってきた。効率重視の設計施工型ビルダーでは、理不尽に手間がかかるような納め方は職人さんに露骨に嫌がられてしまうのだそうだ。

確かに素地として、決まりきった素材や納まりで手早く作ることを良しとしてきた職人さんにとって、思いつきでいきなり時間のかかる面倒くさいことを言われたら拒みたくなるのも人情だろうと思う。そんな場面に触れると、我々が日頃向き合っている建築のつくりかたは、いかに純粋にもの作りと向き合った取り組みであるかがよく分かる。

そんな風に向き合ってくれる工務店や職人は時代と共に減る一方だけれど、我々とチームを組んで下さる工務店さんはどこもそんな気概に溢れ、それを思うといかに我々は恵まれた環境で仕事をしていることかと感じる。




我々のような設計事務所は施工部隊を持たない。純粋に設計と現場監理だけを行い、施工は工務店に請け負ってもらうことになる。

一般的に言われる設計専業事務所のメリットは、設計と施工を分離させることで建築主の立場や利益をまもり、第三者の視点で適切な現場監理が行えることなどが挙げられる。しかし、どうもそれだけじゃなさそうだ。

我々が施工を行わない専業の設計者であるということは、現場においても一定のアドバンテージを持つことになる。それは立場だけではなく、その言葉が現場でもとても強い影響力を持つのだ。

設計者の意志ある言葉やこだわりは、時に「わがまま」とも受け止められることもあるかもしれないけれど、それが心に届けば現場の職人を発奮させる起爆剤にもなる。実際現場に行くと、私がそうしてくれと頼んだわけではないのに、先回りしてより繊細な納まりにしてくれていることも多々ある。

そんな部分に気づいて職人さんに声をかけると「関本さんの現場なので」という言葉が返ってくる。私がどんな反応を示すか思い浮かべながら作っているとも。自分ではそんなに難しいことを言っているつもりはないのだけれど、どうも現場の受け止め方は違うようだ。


我々の現場の神施工の職人さんたちは、大変そうだけどいつも楽しそうだ。自分の持てる技術を惜しげもなく使い、それを超える納まりを模索し、乗り越えてまたひとつスキルアップする。これこそが仕事の醍醐味であり、ものづくりの本懐ではないかと思う。

これはもしかしたら私が設計専業でずっとやってきていることとも無縁ではないのかもしれない。施工部隊を持たないことが施工に対する自由度を生み、施工者にとっても自社案件にはない飛躍の機会と捉えてくれるとしたら、ものづくりにとって、また設計者施工者双方にとって、この上ない幸せのかたちではないだろうか。

それはもちろん設計施工型のつくりかたを否定するものではない。コスト高や設計施工型ビルダーの勢いに押されている我々設計事務所にとって、これは大きな希望になる生き残りの道ではないかと思えるのだ。