うちで設計する住宅の家具や建具、またオリジナルスツールのmuniは、新潟県長岡市に工場を置く藤沢木工所というところに多くの製作をお願いしてきました。またこの秋からは長岡造形大学でも非常勤講師を務めることになり、長岡にはいろんなご縁がつながってきました。
そんな長岡といえばなんといっても長岡花火。かねてからその素晴らしさは人づてに聞いてはいたものの、大変な混雑ぶりが頭をよぎり、なんとなく「花火はテレビでいいや」くらいに思っていました。地元で花火大会と聞いても、子どもも大きくなった今、わざわざ行こうとも思わなくなっていました。
そんな私ですが、先の藤沢木工所の藤沢さんから「もしいらっしゃるなら場所取りますよ!」と言って頂いたこともあり、一度は見ておかないとと思い立ち、昨日ははじめての長岡花火に足を運んで来ました。
もう本当にすごい迫力でした!あの音と、衝撃を体で受ける感覚。地元では最後のクライマックスに打ち上げられるクラスの大花火が、2時間半くらいずっと続くような感覚と言えば良いでしょうか。
過去に見た友人からは「あれはすごい。泣けるよ」と吹き込まれ、また花火の前にも藤沢さんから「涙出てくるんですよ」と言われ、全米が泣いたという映画に泣いたことは一度もない私としては「そんなこと言われたら泣けるわけないじゃん」と思っていましたが、普通に泣けましたね。びっくりでした。花火見ながら涙が出るという体験は生まれてはじめてでした。
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長岡花火の歴史は古く、今から150年前にも遡るそうですが、今のような象徴的な存在になったのは空襲で焼け野原になった長岡で戦後復興の象徴として花火大会が復活し、それが市民の希望として深く心に刻まれたことが大きかったようです。
また2004年の長岡を震源とする中越大地震では、市内は壊滅的な被害を受け、その復興を願って翌年に打ち上げられたのが名物の「フェニックス」と呼ばれる大花火だったそう。
終盤で打ち上げられるこのフェニックス。本当に見たことのないような規模の花火が、平原綾香さんのジュピターに合わせて約5分間ものあいだ上がり続けます。それは挫折をしても何度でも立ち上がるのだという長岡のシンボルそのものなのだと思うと、自然と涙が出てくるのです。今見ても泣ける。本当に素晴らしい花火でした。
ほかにも正三尺とよばれる花火玉が直径90cmもあるような巨大花火も。こちらも見たことのないくらい大きな花火にとても驚きました。これも長岡花火の名物のようです。
今回はご手配から当日のアテンドまで、家族一同藤沢木工所の藤沢さん、品田さんに大変お世話になりました。おかげで一生刻まれるようなすばらしい思い出になりました。お二人には心から感謝します。ありがとうございました!
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■長岡花火フェニックス(5分)
https://youtu.be/TuA9XQ1hC4U?si=GC19KWDCwIwjDQ-G
日芸デザイン学科2年スペースデザインI、第2課題「NEST」は先週月曜日に最終日を迎えました。この課題ではクラス内コンペで選ばれた案をモデルに、最終的に原寸製作まで行うというもので、製作はグループワークで行い、試行錯誤を重ねて学食前の屋外階段の下に無事セッティングを完了させました。
材は20x30の角材を用いて、クロスジョイントはジャンボ輪ゴムで束ねるというJIAの子どもワークショップで使われているノウハウを参考にさせて頂きました。私はなるべく口出しや手出しをしないで見守りに徹しましたが、どうなることかと思っていると、最後は集中力でまとめ上げるところは本当にすごい。
この半期は彼らひとりひとりをアーチストとして扱ってきましたが、同じく自由人の息子と接しているかのようでとても楽しかったです。
こちらは先週末のオープンキャンパスでも、途中のスタディ模型と併せてそのまま展示して頂きました。
オープンキャンパスは私も様子見に足を運んで来ましたが、学生達の力作に足を止めてくださっている方も多かったです。来年に向けての改善点もいくつかありましたので、またこれを材料により発展した課題にしてゆきたいと思います。学生の皆さん。お疲れさまでした!
26. 08 / 01
2026夏のオープンデスク~鈴木凌くん
author
sekimoto
category
> オープンデスク
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この夏のオープンデスクは、中央工学校より鈴木凌くんがやってきました。中央工学校からは過去数人やってきていますが、夏のオープンデスクは学校でも必修として位置づけているようで、必ず自分でどこか見つけてこなくてはいけないのだそう。
鈴木くんは事務所の近所に住んでいて、以前バイトの通り道で見つけたうちの事務所を気になっていたとのこと。鈴木くんにはいつものように設計課題を出して、毎日設計アドバイスをするという研修を行ってもらいました。
この週はたまたま複数の現場に足を運ぶ週でもあり、酷暑の中ほぼ毎日のように現場に連れて行っていました。現場を見るのははじめてとのことで、最初は緊張していたようですが、線を描くだけでなく実際に職人さんが作業しているところを見れたのは貴重な体験だったと思います。隙間なくぴったりと木材を納めている姿に驚いていました。
最後はスタッフにもプレゼンをしてもらいました。この夏には韓国に旅行に行くという鈴木くん、この夏も充実した夏休みになると良いですね!お疲れさまでした。
過去事務所のスタッフには新卒もいれば転職組もいる。ただ私の経験上、新卒に比べて転職組の定着率は低いという傾向がある。これは私の偏った考えかもしれないけれど、構わず進める。
新卒に比べて転職組は前職の積み上げた経験が活かせるので、即戦力としてカウントできるのは採用者にとっては大きなメリットだ。一方の新卒は右も左もわからないところから地道に仕事を教えていかないといけないので、バリバリ仕事をこなしてくれるまでには1~2年の育成期間が必要になる。根気も必要だ。
ところがそのあと実力が伸びて、長く事務所に貢献してくれるのは圧倒的に新卒の場合が多い。転職組も、新卒で入った会社を1年以内に辞めて来た人は新卒と同じ傾向を見せるけれど、3年以上勤めて転職してくる人はちょっと厳しい。
もちろん仕事は一通りできるし、社会人としての常識も備えているのでその点は問題ないのだけれど、あえて言うなら「思想が違う」と感じてしまう。
それくらい、大学を出て初めて勤める会社の影響というのは大きい。とてつもなく大きい。人はそこで社会を教え込まれる。
同じ業界であればどこに行っても同じような慣例はある。けれど会社が変われば思想が変わる。昨日の当たり前が、今日から非常識になる。サッカーがバスケになるくらい変わる。多くの場合、そのパラダイムシフトに苦しむ。
ある程度個人に裁量が与えられた組織系の会社なら、転職してもあまりギャップはないと思う。でも我々のようなアトリエ事務所は違う。主宰者が個人で積み重ねた仕事観や価値観が、思想の前提にあるからだ。
大学を出て最初の会社に勤めようというとき、人はすごく考えると思う。自分の得意分野や、やりたいこと、将来の夢など。それを踏まえて選んだ会社に入社する。
つまりその時点でその人は「思想」を選んでいるのだ。それが数年経ったら思想が変わるなんてあり得ない。よく分からずに入ってしまったとしても、その環境に3年以上もいたということはそれなりに居心地が良かったからで、つまりその職場選択は間違っていなかったとも言える。あるいは相当に鈍感だったかのいずれかだ。
だからその人が転職するとしたら、その思想の延長線上にあるものを選ばないと後悔する。人の好みは変わっても、思想はなかなか変わらないからだ。
何が言いたいかというと、転職の話ではなく、最初に選ぶ仕事がいかに大切であるかということ。
嫌だったら辞めれば良いなんて絶対に思わない方がいい。終身雇用の時代ではないとしても、一生その会社に骨を埋めるくらいの覚悟で仕事や会社を選ばないと後悔する。人生何度でもやり直しは利くけれど、最初に良い選択をした人には敵わない。それは私が人生で学んだことだ。
転職で失敗する人を見ながら、ちゃんと最初に良い会社選ぼうよって思う。会社の規模とかお金じゃなくて、思想が大事。学生さんにはそう言ってあげたい。
新卒に比べて転職組は前職の積み上げた経験が活かせるので、即戦力としてカウントできるのは採用者にとっては大きなメリットだ。一方の新卒は右も左もわからないところから地道に仕事を教えていかないといけないので、バリバリ仕事をこなしてくれるまでには1~2年の育成期間が必要になる。根気も必要だ。
ところがそのあと実力が伸びて、長く事務所に貢献してくれるのは圧倒的に新卒の場合が多い。転職組も、新卒で入った会社を1年以内に辞めて来た人は新卒と同じ傾向を見せるけれど、3年以上勤めて転職してくる人はちょっと厳しい。
もちろん仕事は一通りできるし、社会人としての常識も備えているのでその点は問題ないのだけれど、あえて言うなら「思想が違う」と感じてしまう。
それくらい、大学を出て初めて勤める会社の影響というのは大きい。とてつもなく大きい。人はそこで社会を教え込まれる。
同じ業界であればどこに行っても同じような慣例はある。けれど会社が変われば思想が変わる。昨日の当たり前が、今日から非常識になる。サッカーがバスケになるくらい変わる。多くの場合、そのパラダイムシフトに苦しむ。
ある程度個人に裁量が与えられた組織系の会社なら、転職してもあまりギャップはないと思う。でも我々のようなアトリエ事務所は違う。主宰者が個人で積み重ねた仕事観や価値観が、思想の前提にあるからだ。
大学を出て最初の会社に勤めようというとき、人はすごく考えると思う。自分の得意分野や、やりたいこと、将来の夢など。それを踏まえて選んだ会社に入社する。
つまりその時点でその人は「思想」を選んでいるのだ。それが数年経ったら思想が変わるなんてあり得ない。よく分からずに入ってしまったとしても、その環境に3年以上もいたということはそれなりに居心地が良かったからで、つまりその職場選択は間違っていなかったとも言える。あるいは相当に鈍感だったかのいずれかだ。
だからその人が転職するとしたら、その思想の延長線上にあるものを選ばないと後悔する。人の好みは変わっても、思想はなかなか変わらないからだ。
何が言いたいかというと、転職の話ではなく、最初に選ぶ仕事がいかに大切であるかということ。
嫌だったら辞めれば良いなんて絶対に思わない方がいい。終身雇用の時代ではないとしても、一生その会社に骨を埋めるくらいの覚悟で仕事や会社を選ばないと後悔する。人生何度でもやり直しは利くけれど、最初に良い選択をした人には敵わない。それは私が人生で学んだことだ。
転職で失敗する人を見ながら、ちゃんと最初に良い会社選ぼうよって思う。会社の規模とかお金じゃなくて、思想が大事。学生さんにはそう言ってあげたい。
韓国の釜山でひらかれていたユネスコ世界遺産委員会は、AALTO WORKS(アルヴァ・アールト設計による13の建築群)をユネスコ世界遺産に認定する決定をしました。
このニュースは、アールト財団をはじめ、アールト関連アカウントやアールト建築を擁する各行政のオフィシャルアカウントでも一斉に配信され、昨日のインスタグラムはこれ一色で埋まりました。まさに打ち上げ花火のような「アールト祭り」状態!フィンランド人にとってこれがどれほど誇らしいことかが伝わってきて、胸が熱くなりました。
アールトの建築は、これまでも世界遺産の登録に関わらず行政やアールト財団の献身的な活動によって手厚く守られてきました。今回登録されなかったとしても、それは変わらなかったと思います。その上で今回の世界遺産登録の意味を考えると、
・コルビュジェ、F.L.ライトと肩を並べて、アールトの建築群が近代建築の傑作として世界遺産として認められたこと。
・世界遺産に指定されることで、単に建物を維持するだけでなく、将来の世代へ継承するための国際的な保存基準と保護体制がより確固たるものになること。
・これまで個別に評価されてきたアールトの単体の建築が「AALTO WORKS」という群として、つまり「アールトの建築」として包括的に認知され評価されたこと。
といったことがあると思います。
つまりアールトの建築が「フィンランドが守るべき財産」から「人類全体で守るべき財産」になったことで、商業主義や政治力から建築が半永久的に守られることも同時に意味します。建築団体や市民の声を無視して解体が決行されてしまった丹下健三氏の旧香川県立体育館の例を考えれば、これほど強い保存への意思表示はないと思います。
以下に、昨晩配信されたアールト財団からの声明文の要約(翻訳)を添付します。
https://www.alvaraalto.fi/en/news/aalto-works-series-inscribed-on-the-unesco-world-heritage-list/
◇
【アールト作品群(AALTO WORKS)がユネスコ世界遺産リストに登録】
人間味あふれるデザイン・アプローチを特徴とし、アルヴァ、アイノ、エリッサ・アールトによる近代建築の決定的な役割を示す13の建築群「アールト作品群」が、ユネスコの世界遺産リストに登録されました。この決定は、韓国・釜山で開催されたユネスコ世界遺産委員会において2026年7月26日になされたもので、フィンランドで8番目の世界遺産となります。
登録された13の建築・建築群は、モダニズム、フィンランドの福祉国家の発展、そして人間的な視点を象徴しています。現地に出席していたアルヴァ・アールト財団のCEOトンミ・リンダ氏は「ユネスコ世界遺産への登録は、アールト夫妻の生涯の仕事が国内のみならず国際的な建築・デザイン史においても重要であると認められた明白な証であり、フィンランド人として誇りに思います」と喜びを語りました。
登録されたアールト作品群:
1. パイミオのサナトリウム(1929–33、パイミオ)
2. アールト自邸(1935–36、ヘルシンキ)
3. スニラ製紙工場・住宅街(1936–38、1947、1951–54、コトカ)
4. マイレア邸(1938–39、ポリ)
5. セイナッツァロの町役場(1949–52、ユヴァスキュラ)
6. ユヴァスキュラ大学 アールト・キャンパス(1951–71、ユヴァスキュラ)
7. セイナヨキ・シヴィックセンター(1951–87、セイナヨキ)
8. ムーラッツァロの実験住宅(1952–54、ユヴァスキュラ)
9. 文化の家(1952–58、ヘルシンキ)
10. 国民年金局(KELA)(1953–57、ヘルシンキ)
11. スタジオ・アールト(1954–55、1962–63、ヘルシンキ)
12. 3つの十字架の教会(1956–58、イマトラ)
13. フィンランディア・ホール(1962/1967–75、ヘルシンキ)
「長年にわたる準備作業が実を結びました。アールトの遺産は、建築が獲得し得る最も権威あるグローバルな評価を受けました」とリンダ氏は述べています。
◼️デザインの核心にある人間的アプローチ
建築家アルヴァ・アールト(1898–1976)の偉大な業績には、最も身近な協力者であったアイノ・アールト(1894–1949)やエリッサ・アールト(1922–1994)、そして事務所のスタッフたちが不可欠な役割を果たしました。
1920〜80年代に設計されたこれら13の建築は7つの地域に点在し、住宅、コミュニティ、労働、家庭生活のニーズに応えてきました。教育、地方自治、行政、福祉、精神生活、余暇といった課題を建築の力で解決しようとしたものです。
20世紀のモダニズム精神に基づき、身分や富、健康、年齢、性別に関わらず、すべての人の快適で機能的な日常環境を追求しました。市民のウェルビーイング(幸福)は社会発展の核心であり、近代建築はフィンランドのアイデンティティの一部となりました。
◼️長年にわたる準備の背景
今回の登録は40年に及ぶ準備の成果です。1986年のスニラ地区の提案や、2004年のパイミオのサナトリウムの暫定リスト入りなどを経て、複数の建築をセットにした「アールト作品群」構想が浮上。2021年に暫定リストへ掲載され、2025年2月1日に正式提案されました。
今回の登録は、ル・コルビュジエ(2016年)やフランク・ロイド・ライト(2019年)の作品群に続くものであり、20世紀のフィンランド近代建築として世界遺産リストを補完することになります。
◼️世界遺産登録の意義
アルヴァ・アールト財団のミュージアム・ディレクターであるユッカ・サヴォライネンは、「この登録によりフィンランド・デザインへの国際的評価が高まり、デザイン先進国としての地位がより強固になります。また、保全、教育、文化観光など多様な分野での新たな協力の機会が生まれます」と強調しています。
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