
今日午後は、浦和の埼玉会館で開催された松隈洋さんご登壇の前川國男氏の建築セミナーへ。
松隈さんのお話はいつもわかりやすくて、前川國男という建築家の人となりのようなものが自分の中に身体化されるようで、とても興味深いお話でした。
先週までアールト建築にどっぷり浸かっていたこともあり、前川さんの言葉はまるでアールトの言葉のようで「コルビュジェ≒前川國男≒アールト」という図式があたまの中をぐるぐる、、。


公共性の考え、平凡な素材構法から非凡な結果を導くという普遍性への思い、とても心に響きました。埼玉会館の打込みタイルが、まるでアールトの「文化の家」の曲面レンガのように見えてきます。
ほかのパネリストのお話や、最後の会場を交えてのトークセッションまでとても楽しく素晴らしい企画でした。
松隈さんが配付資料に加えてくださっていたのは、今年3月に発刊したJIAの支部広報誌 Bulletin春号の特集記事。私の編集長時代、最後に異例の4P寄稿をして頂いたものです。松隈さんのお役に少しは立てていたようで良かったです!


一部の方にはお話ししていましたが、9月2日~9日までの間フィンランドに行っていました。今はもうすでに帰国して仕事の波にすっかり呑み込まれ、あの夢のような日々はすでに遠い昔のことのようです。
その旅行の一部始終については、以下のJIA関東甲信越支部のサイトにレポート記事を上げさせて頂きました。ご興味ありましたら是非お読みください。
■JIA住宅部会『北欧アルヴァ・アールトを巡る旅』レポート
https://www.jia-kanto.org/kanto/activity_event/tour/13148.html
◇
今回は個人旅行ではなく、日本建築家協会(JIA)の住宅部会で主催したアールト旅行の、一応私が主査ということで企画した旅行でした。
参加者はJIA会員のみならず、SADI北欧建築・デザイン協会や一般の方もご参加下さいました。その人数実に30名、、多かった(汗)最後はキャンセル待ちまで出る事態でさすがのアールト人気を実感しました。
早くも来年も、、なんて声もかけて頂いていますが、とてもとても。たぶん私死んじゃう。あと数年はいいかな、、。ゆっくり今回のごちそうを消化していきたいと思います。




2023年に竣工した「双庭の家」について、リビングデザインセンターOZONEさんのサイトで取り上げて頂きました。
■OZONE|これからをもっと楽しむ終の棲家 ~双庭の家~
https://www.iedesign.ozone.co.jp/case/house/detail/post-55.html
「双庭の家」はOZONEコンペで選んでいただき、設計させていただいた住宅です。とても熱心で温かな建て主さんで、小林賢二さんによる庭もとても美しく映えています。住宅についてとても丁寧に解説をしていただきましたので、どうかご覧下さい!
これまでの仕事|双庭の家
https://www.riotadesign.com/works/23_futaba/#wttl

昨年より細々と?はじめているmuni stoolですが、これまではインスタグラムのページはありましたが、統合的なウェブサイトがなく、それがどんなスツールなのか、どんなバリエーションがあるのかなどわかりにくいなと思っていました。
そこで、デザイナーの鈴木一太郎さんにお願いして、muniのロゴやパッケージ、リーフレットなどの製作を水面下で進めていたのですが、このたび公開の運びとなりましたのでご報告です。
[muni stool] https://www.munistool.com/
一太郎さんらしい、ポップで楽しいフレンドリーなサイトになったと思います。一太郎さん、ありがとうございました!
ちなみにサイトに書かれたコピーや文章などもすべて一太郎さんによるもの。こんな素敵な言葉、私が逆立ちしたって出てきやしません笑
スツールのラインナップは、ナラ・スギ座面のmoku muni/kakapoさんの生地を張り込んだnuno muni/自由な生地を張ってご提供するorder muni の3種類です。1脚からでもご注文をお受け致します。どうかあなたらしい一脚を見つけてみてください。
リオタデザインとあわせて[muni stool]もどうかよろしくお願いします!インスタブラムのページも、どうかフォロー下さいませ。
■ muni instagram
https://www.instagram.com/munistool/
PS.
実は今日は私の誕生日でして、あえて誕生日に合わせて公開しました。
おめでとう~>muni
学生に設計指導したり本を書いていたり、いろんなセミナーや設計塾などで講師を務めていたりするので、さも私は設計を教えるのが上手くて体系だった教え方ができるのだろうと誤解されるのだけれど、そんなことはない。つまるところ私は設計を教えるのがとっても苦手だ。
設計はとっても感覚的な領域だといえる。論理的に説明できる部分も多いけれど、論理ですべて説明できる空間なんてつまらない。建築の一番大切な部分は個人のゆらぎの部分にあって、自分でもどうして良いかわからないという迷いがあることがとても大切なのだと思う。
だから私は、人の建築については饒舌に説明できるけれど、自分の設計した建築についてはうまく説明できた試しがない。
もちろんプロなので、建て主さんへのプレゼンには自信がある。でもそれって表向きのエクスキューズみたいなもので、使い勝手で語れるほど建築は底浅くないし、それはけして建築の本質ではないのだとも思う。その深い階層の部分をうまく言語化できずにいつも悶々とする。
音楽の旋律は、指揮者がタクトを振るように全体を繊細にコントロールするものであるとすれば、私の感覚はこれに近いかもしれない。建築家の内藤廣さんは、アルヴァ・アールトの建築空間を評して「音楽を写真で見てもわからない」と言った。さすが上手いことを言うもんだと感心する。
見えない霊が見える人は霊感があると言われる。音感がある人は、日常の音をすべて音階に置き換えられるという。私はそのどちらの能力もないけれど、その空間をどうすれば居心地の良い場所にできるかというのはわかる。
だからそれがわからない人には、私はそれを教えることはできないのだと思う。音感のない人に音感を教えることができないのと同じように。こんなこと書くと身も蓋もないかもしれないけれど、最近つくづくそう思う。
できるとすれば、同じ感覚を持った人同士が共感し合うこと。人が幸せになれる状態って、それしかないんじゃないかと思う。だから教えるって難しい。とっても悩ましい。
設計はとっても感覚的な領域だといえる。論理的に説明できる部分も多いけれど、論理ですべて説明できる空間なんてつまらない。建築の一番大切な部分は個人のゆらぎの部分にあって、自分でもどうして良いかわからないという迷いがあることがとても大切なのだと思う。
だから私は、人の建築については饒舌に説明できるけれど、自分の設計した建築についてはうまく説明できた試しがない。
もちろんプロなので、建て主さんへのプレゼンには自信がある。でもそれって表向きのエクスキューズみたいなもので、使い勝手で語れるほど建築は底浅くないし、それはけして建築の本質ではないのだとも思う。その深い階層の部分をうまく言語化できずにいつも悶々とする。
音楽の旋律は、指揮者がタクトを振るように全体を繊細にコントロールするものであるとすれば、私の感覚はこれに近いかもしれない。建築家の内藤廣さんは、アルヴァ・アールトの建築空間を評して「音楽を写真で見てもわからない」と言った。さすが上手いことを言うもんだと感心する。
見えない霊が見える人は霊感があると言われる。音感がある人は、日常の音をすべて音階に置き換えられるという。私はそのどちらの能力もないけれど、その空間をどうすれば居心地の良い場所にできるかというのはわかる。
だからそれがわからない人には、私はそれを教えることはできないのだと思う。音感のない人に音感を教えることができないのと同じように。こんなこと書くと身も蓋もないかもしれないけれど、最近つくづくそう思う。
できるとすれば、同じ感覚を持った人同士が共感し合うこと。人が幸せになれる状態って、それしかないんじゃないかと思う。だから教えるって難しい。とっても悩ましい。
