映画「アアルト」いよいよ今週金曜日(13日)から全国ロードショーです!

いつまでかっていうと、、実は最初の動員数でその後の上映期間が決まるんだそうです。だから、なんだもう終わりか~もっと長く上映すれば良いのに、なんて言ってる人は自分で自分の首を絞めているわけです。

是非見たい!という方は13日とは言いませんが、今週末に是非劇場に足をお運び下さい。ロングラン上映にどうかご協力を。

私は試写ですでに2回観ていますが、3回目はやっぱり劇場でと思います。建築系の映画って、マニア向けの淡々としたドキュメントが多いのですがこの映画は違います。とても詩的でストーリーがあるんですよね。一般の人でも十分に楽しめます。

そして抜群の編集!ヴィルピ・スータリ監督の力量も存分に発揮され、フィンランドのアカデミー賞であるユッシ賞で編集賞や音楽賞も受賞しているんです。

字幕監修は宇井久仁子さん。SADIで共に活動するメンバーです。私もパンフレットに寄稿させていただきました。

動くアアルト、しゃべるアアルトも必見!CIAMでコルビュジェと交流するアアルト、これはモホリナジの秘蔵映像です。個人的にはパイミオサナトリウムが大迫力のドローン映像で展開されるシーンが最高にシビれました!是非劇場で。

映画『アアルト』
https://aaltofilm.com/

23. 10 / 07

火中の栗

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sekimoto

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> 思うこと
> 社会


小学生の頃の話。当時ごみは校庭の焼却炉に持っていて燃やすことになっていた。掃除当番は最後にごみを集めてここに捨てにいく。その日私は掃除当番ではなかったのだけれど、なぜかごみを焼却炉まで捨てに行き、戻ってきたらすでにホームルームははじまっていて、先生が教壇で何かを話していた。

遅れて教室に入って行った私はバツが悪かったのだけれど、よく聞くとどうも私の話をしているらしい。「関本くんは、誰もごみを捨てに行かないのを見かねて、自らごみを捨てに行った。偉い!」どうもそんな話をしていたようだ。

私はごみを捨てに行っただけで褒められるとは思っていなかったので、急に恥ずかしくなってしまってずっと机で俯いていた気がする。でも今でも覚えているということは、きっと嬉しかったのだと思う。

昔から私は、面倒くさくてもちょっと頑張ればできることをやらないというのが気持ちが悪い。「誰もやらないなら僕がやろうか?」思えば私のこれまでの人生は常にこれだった気がする。

今所属している諸団体でも、私は今幾つもの役職を抱えている。SADIでは理事、企画副委員長、40周年記念実行委員会委員長、事務局アドバイザー。JIAでは支部広報副委員長、住宅部会副部会長、広報誌Bulletin編集委員。来年もすでにいくつかのポストが内定している。いつまで経っても役務が減らない。

前述の役職は、その肩書きとは裏腹にどれも地味に時間や手間を取られることばかりだ。皆それを知っているからやりたがらない。そりゃそうだ、我々の本業は建築設計。面倒くさい雑務なんて誰もやりたくないに決まってる。

でも誰かがやらなくちゃいけない。いつかはやらなくちゃいけない。

「誰かいませんか?」の声に、つい反応してしまう。困っている人がいると助けたくなってしまう。かくして私は皆がうつむく中、つい「じゃあ私がやります」と手を挙げてしまうのだ。

私は人からやらされるのが嫌いだ。だから会社勤めはできない。やる時は常に自分から手を挙げてやる。お願いされる場合でも、誰でも良い仕事ならやらない。私しかできないと相手が思ってくれるなら、私は喜んで奉仕を申し出る。これは自分に課したルールだ。

秋が近づくと、各団体では次年度の人事について水面下の綱引きがはじまる。放っておけない私はいつもそこに巻き込まれる。オンライン会議に聞き耳を立てているスタッフからは、また火中の栗を拾ったと呆れられる。

かくして実務でも、、火中の栗が向こう数年分びっしり埋まりつつある。

23. 09 / 26

緑道沿いの家

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sekimoto

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> 建築・デザイン
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先週末は打合せ終わりで、友人建築家の若原一貴さんのオープンハウスへ。

玉川上水に抜ける緑道の窓がこの住宅のメインの見せ所だったと思うのですが(みんなFBに写真を上げていた)、私が若原さんらしいなと思ったのはむしろ道路側に抜けたさりげないこの窓でした。

この家何が特殊って、男性の一人暮らしという要件だと思うんですね。緑の見える窓や立体的な構成は、緑道沿いの敷地ならどこでも成立するし、実際この家のプランも若い新婚さんの住まいだと言われても成立すると思うのですが、ダイニングに身を置く時、誰かと向き合うことなく一人で座るならテーブルのこっち側だよな、という視点からこの窓を眺めると、そこにまっすぐ伸びるこの道。

ちょっと感動しました。テーブルの反対に座ったら、この景色は見えないからです。

外観も、実はアシンメトリーなんですよね。ダイニングの窓が少しずれてる。緑道の窓を完璧なシンメトリーに配置したなら、私ならきっとこちらもシンメトリーにこだわりたくなるだろうな。でもそこに囚われすぎずに、徹底して内部の視点から作っていく。


私は住宅設計の真髄はここにあると思います。唯一無二であること。ただ一人の建主に向き合うということ。それが敷地環境にぴったりはまった時、建主はとびきりのフィット感を得るのだと思います。

皆が内部を見学している時もずっと外にいる若原さん。なんで入らないの?と聞いたら、みんな僕に気を遣って好き勝手なこと言えないでしょと。なるほど、やっぱり住宅の名手は気遣いの達人なんですね。

23. 09 / 21

椅子張り講座

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sekimoto

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> STAFF
> 仕事



今日はスタッフを連れて、秦野市にある北欧家具taloまで。たびたび書いていますが、オーナーの山口太郎くんとは幼なじみの間柄でもあります。

北欧家具talo | https://www.talo.tv/

訪問の目的は、今進めている案件についての意見交換と、椅子座面の張り替え講座!なんで椅子の座面の張り替えを学ぶ必要があるのかというのはまた追々ご説明しますが、この日はスタッフ揃ってプチ遠足気分で秦野までやってきました。


まずは太郎先生のレクチャーから!

当たり前ですけど、さすがプロ。北欧家具taloの座面張り替えはほぼ1人でやっているというだけあって、ツールの使い方や選び方、シワの入らない生地の張り方まで実に細かくレクチャーしてもらいました。

事前にYouTubeでもやり方を調べていたのですが、やっぱり色々と違いがありました。百聞は一見にしかず。やっぱり実演に勝る学びはないですね。




私もスタッフも早速の実践です。流れるような太郎くんの手順を見ていたのに、自分でやるとなかなかうまく行きません。隣からも厳しい太郎くんからの叱責が飛びます!

最後はようやくぐるっとステープルを打ち終えて、失敗はあったものの、なんとか張り地を張り終えることが出来ました。もう少し練習が必要ですが、スタッフも張り字交換のコツや勘所をだいぶ学べたようです。

リオタデザインは家具屋でもやるのかって?まぁまぁ、それもそのうち話します。


太郎くんは先週までフィンランド。そしてまた2週間後にはふたたびフィンランドと、日本にいる暇がありません。そんな中ピンポイントに押しかけたというのに、この手厚さ!ほぼ神です。

taloには太郎くんに会いに定期的に押しかけて、お互いの近況報告をするのが私にとっても何よりの楽しみになっています。お互いほぼ同年代ということもあって、これからの仕事のしかたや展望、お互いの夢なども語り合って、この日もとっても実のある時間となりました。

太郎くん、本当にありがとう!!来るべき協働の機会も楽しみにしています。

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sekimoto

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> STAFF
> 北欧


私は「関本さん」と呼ばれるのがあまり好きではない。
もちろん私は「関本さん」なので、そう呼ばれることは間違いではないのだけれど、私は「関本さん」よりも「リオタさん」と言われた方が嬉しい。関本は私のファミリーネームだけれど、リオタ(フィンランド時代のニックネーム。Ryota⇒Riota)は私だけの名前だからだ。

リオタデザインという事務所名にした時はそこまで考えていなかったけれど、独立後、結果的に私は「リオタさん」と呼ばれることが多くなった。呼んでいる方の多くは私のことというより、リオタデザインを短縮してそう呼んでいたりするのだけれど、そう呼ばれると私は少し嬉しくなる。

フィンランドでは、私はずっと「リオタ」だった。あの国で苗字で呼ばれることなどほとんどない。目上の人だろうと、大学の先生だろうと、呼び合うのはファーストネームだ。そのフラットさが好きだった。出自や肩書を離れて、相手のパーソナリティと直接繋がれるような気がするからだ。

そんなことをずっと考えていたのだけれど、この夏スタッフが入れ替わったことを機に、所内でもファーストネーム制を導入することにした。私のことを「関本さん」と呼ぶことを禁止した。スタッフも苗字じゃなくて下の名前で呼ぶことにした。

ある日突然そう宣言したので、最初はスタッフも戸惑いぎこちない空気も流れたけれど、1週間もするとすっかり馴染んだ。

相手を下の名前で呼ぶと、急に親近感が湧くから不思議だ。スタッフも「部下」というより「仲間」という感じになる。そして「リオタさん」と呼んでもらうと、やはり「上司」感がなくなってフラットになるように感じる。スタッフもお互いを下の名前で呼び合うようになった。

これはやってみると劇的ともいえる効果があって、所内の風通しや雰囲気は格段に良くなったように感じる。私も立場上彼らに厳しいことを言うこともあるけれど、下の名前で呼べばフォローもしやすくなる。

この夏休みは、オープンデスクの学生もみんな私のことを「リオタさん」と呼んだ。私も相手の名前は下の名前で。これは最高!お互いすぐに打ち解けるし、緊張していた学生も一気にほぐれてくれる。

私が理事を務めるSADI(北欧建築・デザイン協会)では、理事にも大学の名誉教授のような重鎮の方がたくさんいらっしゃるのだけれど、相手に「先生」をつけるのはやめようと”先生”自らが言い出し、すべての理事が「さん」付けになった。こんな組織って素晴らしい。世の中、地位や肩書にしがみついている人たちばかりだからだ。

結婚すれば苗字も変わるけれど、人としての本質は変わらない。だから職場でも下の名前を標準にすればいいのにと思う。いちいち言い訳しながら旧姓を名乗る必要もないわけだし。苗字も肩書も世間体も外して、もっと人と人とがフラットに、そしてフレンドリーにつながる世の中になれば良いのにと思う。