11. 11 / 24

百日紅の宴

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sekimoto

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> イベント
> 遊び



『百日紅の家』は2010年に竣工した二世帯住宅.
タイトルにもあるように,クライアントと共に育ってきた百日紅(さるすべり)の木と向き合うように配置されたリビングからは,夏には真っ赤に染まった百日紅が窓いっぱいに広がります.

そんな百日紅を囲む”花見”の宴を,クライアントが企画して下さるようになって今年は2年目.今年は施工を担当したホープスの清野社長,監督の川上さんともに,その奥さんとお子さんも同伴してのご一家での参加.そして僕も息子を同伴し,また9月に退社し百日紅を担当した元スタッフ柴くんも加わっての,今年は盛況な大宴会となったのでした.

クライアントと設計者のみならず,施工者も巻き込んでの食事会というのは実に楽しく,竣工前や直後だとまだ”仕事”という意識もあり,なかなか打ち解けきれないところが,今では”同志”のように語り合えるところもまた魅力のひとつかもしれません.

また住み始めて数年もするとほどよく使い込まれて,その経年具合や使われ方も見届けることができるというのも設計者冥利に尽きるところです.また家づくりに関わった関係者が,こうして仲良く語り合えるというのも素晴らしいことのように思います.また手前味噌ながら,自分が設計した空間というのは妙に居心地が良く,我が家のようについつい寛いでしまうのでした.

たびたび紹介している,ご主人のプロ顔負けの厨房設備から作り出される料理の数々もまたプロ顔負けにおいしかったです.ご準備もさぞや大変だったと思いますが,今年も楽しい会を主催して下さりありがとうございます.また来年も楽しみにしています!

WORKS | 百日紅の家
https://www.riotadesign.com/works/10_sarusuberi/


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sekimoto

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> メディア



この秋,いくつかの媒体に掲載頂きましたのでご案内致します.

・住まいの設計1・2月号|扶桑社 『池上の家』

昨年夏に竣工した,築76年の住宅の全面改装「池上の家」の取材記事です.
いわゆる家づくりの事例紹介記事ではなく,「家を愉しむ人々」という松井晴子さんの取材・文による,クライアントの住まい方にフォーカスを当てた記事としてご紹介頂いています.この「池上の家」は技術的な解決やその建築的な見所も多いのですが,それらは先の「建築知識」で取り上げて頂いたので,今回クライアントの暮らしぶりに取材を頂けたのは嬉しく思いました.住宅そのままに魅力的な暮らし方をされているご家族なので,是非書店でお手に取ってみてください.

それにしても,最近この手の雑誌に掲載されている建築家は皆さん知り合いばかりで,ご無沙汰ばかりで誌面で再会というのもおかしな感じがします.



・これなら住みたい仮設16プラン|書肆侃侃房(しょしかんかんぼう) 『成長する家』

これは震災後に発足したプロトハウス桑原さんを中心とした,仮設住宅を考えるマザープロジェクトの取り組みが一冊の本になったものです.私は”仮設”そのものというより,仮設的住宅からはじまって復興の時間軸と共に家を増築したり,2階建てにできたりする「成長する家」というコンセプトを掲載させて頂きました.

こうした取り組みは我々に限らず,震災後多くの建築家が取り組み,うちいくつかの取り組みが現実化したりしています.こうした取り組みというのは全てが実現できるわけではありませんが,こういう事態を目前にして建築家として何を考えるのか,行動できるのかが試される機会であったようにも思います.他の建築家も個性的で秀逸なアイデアを披露しています.こちらも見かけた際はお手に取ってみてください.

一流のサッカー選手は、他人のプレーを一目見て盗むという。

人聞きは悪いけれど、「盗む」という行為はかなり高度な行為だと言える。実際我々はサッカーのすごいプレーを見たところでそれを真似することはできないのだから。それを見て自分のプレーにできる人というのは、それなりのスキルとセンスを併せ持つ人だとも言える。

大学では、学生は人と"かぶる"ことを極端に嫌う傾向がある。過去に同様の作品があったり、建築家の作品があったりすると、その時点でそのアイデアを捨て去ってしまう。僕に言わせれば、それを見たところでそれを自分のものにできるわけではないし、結局は違うものになるのだから構わず進めてしまえばいいのに、と思う。

誤解を恐れずに言えば、我々は建築を見に行くのに少なからず何かを盗みに行っている。盗むものがなければ窃盗未遂で終る。そのかわり我々は「つまらない建築だ」などとと毒づくことになるわけだけど。

目で見た、体験した空間を消化して自分の空間のエッセンスにできる人のことを、我々は「建築家」と呼んでいるのかもしれない。
大学の講師室には最新の建築雑誌が平積みされていて,授業前にペラペラとナナメ読みする.ささやかながら,貴重な情報収集の時間でもある.

しかし国内外で高い評価を集める著名建築家の作品を眺めていると,対岸の火事というか,とても同じ建築設計という職業を生業としているとは思えないほど,異次元の作品もたびたびある.僕に言わせると「宇宙人」の所行である.

中には学生がスチレンボードで作った模型がそのまま建ってしまったようなものまで.学生にはリアリティがないから,薄いボードを組み合わせていとも簡単に軽くて透明な浮遊空間を作り出す.我々はそれを賞賛しながらも,一方では覚めた目で「現実には無理だけどね」と言っていたものが,今やリアルにできるようになってきている.

それをイノベーションと呼ぶ人もいるだろう.断熱塗料やLow-Eガラスの普及などによって,本来必要な配慮をしなくても手軽にその建物の性能を担保することも可能になってきた.それを技術革新と位置づけ,デザイン実現への助けとするのも時代を生きる建築家のスタンスかもしれない.

けれども僕はそこに大きな危険性を感じる.物には道理がある.技術の力で道理を無理矢理押さえ込むことで,一方で破綻する現象が起こることはないだろうか.

アルヴァ・アールトは建築にけして新しい素材を使わなかった.少なくとも30年以上市場にあるものだけを使い,古来より使われてきた建築技法を少しだけ応用して,現代に普遍的価値を持つ新しい建築を作ろうとしてきた.

ここ数年の建築技術や素材の革新は,もしかしたら向こう数年で市場から姿を消すものかもしれない.最新の建築デザインは十年後には「なつかしい」と言われているかもしれない.一方で人間が営んできた基本的な生活行為は,数百年,数千年前から基本的にあまり変わっていない.人間の体のつくりもまた数万年の単位でその変化はわずかでしかない.我々はこの時間軸の違いに,もっと正面から向き合うべきではないか.

建築には普遍的な価値が必要だと思う.たとえそれが退屈だと批判されようとも.
その上で「対岸の火事」を野次馬として,ひとりの建築好きとして,楽しく見物するとしよう.

11. 11 / 16

デスク前

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sekimoto

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> 子ども



打合せで先方に小さい女の子がいたりすると,打合せ終わりにそっと”ラブレター”を渡されることがある.

開いてみると折り紙が入っていたり,「1ねん3くみになりました」という”報告”だったりと実に微笑ましい。こうしてデスク前に張り付けて、いつも元気をもらっている。

女の子に限らずとも、自分の親が何時間も話し込んでいて、そして家庭内でもちょくちょく話題に上がっている(であろう)我々の存在は、単なるお客さんではないとは思ってもらえているのかもしれない。

我々との家づくりを通して、少なくとも「大工さん」だけではなく、「設計する人」という職業があることを知ってもらえたら光栄だし、将来はそういう仕事がしたいと思ってもらえたらもっと嬉しい。

ちなみに、「いっすんさきはやみ」「いっすんのむしにもごぶのたましい」という標語は息子が書いたもので、今もなお社是としている。