先日あった建築家同士の飲み会での話.

同世代の知人の建築家は,できあがった自分の建築に対していわゆるコンセプトを語るのが苦痛だと言っていた.コンセプトなんて書かなくてもいい.彼は建築メディアはなぜコンセプトを語らせたがるのか,と辛辣なメディア批判に息を巻いていた.

この問題にはらむ矛盾や,もっともらしい意見があることも承知の上で言うならば,僕は彼の考えに同意する.コンセプトを歯切れ良く語れる建築なんて,僕も”うすっぺらい”と思う.

ただ誤解のないように言うと,コンセプトは必要ないのではない.建築の方向性を決定づける考え方は絶対的に必要だ.それがなかったら,それは建築ですらないからだ.

けれども建築のプロセスは一本の太い道からはじまり,そこから枝分かれしたり,回り道をしながら最終的なゴールへと行き着く.一本の道でまっすぐ作られた建築は排他的ともいえる.そうではないものをすべて排除する.そこには迷いがないのか,あるいは隠しているのか.そこには嘘がある.そんな建築は身を置いてみればすぐにわかる.

しかし建築メディアは自己完結した一本道を示した方がわかりやすいから,結局そういう建築ばかりが誌面に並ぶことになる.それは罪深いことなのだ,そう彼は言いたかったのだと思う(でも彼は酔っていて,皆の集中砲火を浴びて少し気の毒だった).

僕の好きなアールトや内藤廣さんの建築に共通しているのは,常に普遍的な空間と迷いが同時にそこにあるということだ.その迷いの”ひだ”が我々を包みこむ.そんな空間に僕は救いを感じる.

昨日は尊敬する建築家の益子義弘先生にも,お酒を呑みながらそんな話をしてみた.
先生はコンセプトの話には触れず「よい建築とはまた帰って来たくなる建築だと思う」とおっしゃった.その一言ですべてが腑に落ちた気がした.

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> 子ども


[caption id="attachment_880" align="alignnone" width="560" caption="へらずぐち4mm →4cmのまちがいだそうです"][/caption]リビングに一枚の紙が落ちていた.
子どもの字で「手のひら」「目」などに混ざって「へらずぐち」とある.へらずぐち?

これは何だと訊ねたら,昨晩自分の体を計ったのだという.学校の宿題ということではなく,単なる思いつきのようだ.この「へらずぐち」というのは何だと訊ねたら,自分の口のことだという.

その後深くつっこむものの,どうやら「へらずぐち」の意味は知らないようだった.
察するに,おそらく母親などから”この,へらずぐち”などと言われているうちに,自分の口は「へらずぐち」なのだと認識したのだろう.

それを考えたら何だかおかしくなってしまった.
ちなみにその意味を教えると,彼は本意でないとばかりに憮然としていた.

11. 06 / 14

親はなくとも

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> 子ども


以前うちの子(小2)の朝の行動について書いた.
シャツを首まで通した状態で,テレビに釘付けになりフリーズしている息子.
集中力散漫で,いつまでたっても朝食を食べ終えることのできない息子.

その姿は言いたくなくても何かを言わざるを得ない状況で,時計を見るという習慣がないので,行動はいつも遅刻ギリギリ.我々の怒号に背中を押されるようにして家を飛び出してゆく姿はまさに「のび太くん」そのもので,親としても頭痛の種にもなっていた.

そんな折り奥さんが仕事をはじめた.週の何日かは朝早くから出てゆくので,当然子どもにも付きっきりで面倒を見るわけにはいかない.その代わり僕が面倒を見ているのだけれど,所詮は男親.そんなに細かくフォローをするわけではない.

ところが母親が朝いなくなってからというもの,我が子が目覚ましい変化を見せるようになった.朝は起こされる前に誰よりも早起きする.朝食と着替えをさっさと終えて,準備もばっちり.余った時間で好きなゲームに没頭するほどの余裕ある朝を送るようになった.

僕は彼が学校に行く前には下の事務所に下りてしまう.うちの子の場合,ゲームに没頭しすぎてついつい時間を忘れてしまう傾向があるので,さりげなく注意を払っているのだけれど,しっかりと時間通りランドセルを背負って玄関を飛び出してゆく.その姿を見送るたびに,感慨深い思いにかられる.

親はなくとも子は育つというけれど,親は時にいない方が子は育つのだということを実感する今日この頃でもある.

11. 06 / 12

勝負の確率

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> 遊び


どんなに小さな集団でも、その中で一番になるということは大変なことです。
100人の中で一番になるのと10人の中で一番になるのでは、100人の方が難しいと考えがちですが(理屈ではそうです)、実際にはその難易度は同じなのだと思います。極論すれば、分母は100人でも2人でも同じのような気がします。

今日は弓道の大会がありました。部門は初心者の部とはいえ、私は経験者でもあるので優勝したいとひそかに思っていました。最初は快調な滑り出しで、矢はまっすぐに的に向かって飛んでゆきます。実はこの時点で半分くらい”いける”と思っていました。

しかし後半にいきなり調子を崩します。いつもなら難なく当たる大的にまったく当たらなくなってしまいました。まさかの展開に頭の中は真っ白。最後3位決定戦で競り勝ってなんとか入賞は果たしましたが、勝負というのは本当にわからないものだと痛感しました。

時間を巻き戻してもう一度やり直したい。あー悔しい!!

これも神さまが与えてくれた試練なのでしょう。
練習を重ね、心を磨き、ますます精進したいと思います。

(オマケで花的を狙う競技で小さな賞ももらいました)

11. 06 / 10

ピノキオ

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> 仕事



慌ただしい日々は続きます.
今日は現場を2件ハシゴして上野で打合わせ.朝8時に事務所を出て,帰社したのは20時過ぎ.首都圏を遊牧民のようにひたすらに移動していました.

写真は小平で進行中の『くじらハウス』.
子どもの頃好きだったピノキオに,鯨に呑み込まれるという話がありました.ランプに照らされた鯨のおなかの中の様子を今でも覚えているのですが,この住宅の架構を考えているときにふとそんなことを思い出しました.(僕の記憶違いでなければ….人に話したらそんな話は知らないと言われました)

なかなか迫力ある空間です.現場はまだまだ続きます.