昨日は建築家の伊礼智さんが校長を務める住宅デザイン学校に、レクチャー講師とゲストクリティークとして呼んで頂きました。伊礼さんの住宅デザイン学校は、全国津々浦々より、優秀な設計者や工務店設計部の人間が集まることでも有名です。

この日も北は新潟・富山から、南は熊本・高知まで生徒さんが集まっていました。全国から集まった精鋭は、生徒というより腕試しに集ったサムライといった風情で、唸らされる案もいくつもありました。私としては、尊敬する伊礼さんと一緒にクリティークができたことが楽しく、また大変勉強になりました。



会場は池袋の自由学園。フランクロイド・ライト設計の建物としても有名ですが、こんな場所で行われる住宅学校というのも贅沢ですね。

レクチャーはフィンランドの話から、いくつかの住宅事例の話、そして設計事務所運営のちょっとしたこぼれ話などをお話しさせて頂きました。私は至って大まじめにお話ししていたのですが、生徒さんからは「必ずオチがある」「お笑いの人ですか」て感想そこ?

打ち上げでもずっとクリティックを求められ、熱気に終始圧倒されました。本当に全国から集まっているだけに吸収力がすごいです。こっちの人間は少し見習わないといけませんね。

伊礼さん、生徒さんらと共にこの日は珍しく三次会までお付き合いしました。話しすぎて声が枯れてしまいましたが、伊礼さん、アドブレインの塚本さん、大変楽しい機会と時間をありがとうございました。また生徒さん方との時間も大変刺激になりました。

最後に言っておきますが、私はお笑いの人ではありません。
実は設計もやってます。

16. 07 / 25

女子力たかめ?

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sekimoto

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> 思うこと
> 生活



ある日打合せ前に香を焚いていると、女性スタッフからそれなんですか?と尋ねられた。何ってお香だよ、と答えるとへぇと感心したような顔をされた。

以前金沢で買った香立ては私のお気に入りで、また香を立てると気持ちもリラックスするので、打合せ前や設計が煮詰まったときによく香を立てる。ただスタッフにはそれが香立てであることも、また香を立てるという習慣自体も未知なものだったようだ。

「前からその窓前に置かれているものに興味があったんです」
ミーティングデスク脇には私の趣味によるいろんなものが並んでいる。確かに40代の男の趣味ではない気もする。それを20代の女性に感心されるというのも変な話だ。少し恥ずかしいので「女子力高いだろ」と返す。

別の日にはやはり同じ女性スタッフが着ていた服を「それって○○のシャツだろう?」と言い当ててしまった。何でわかるんですか?とひどく驚くので、少し恥ずかしくなり「女子力高いだろ」と素っ気なく返した。

私の場合、特に女性のものに興味があるわけではないけれど、興味を持ったものは大体女性が好むものだったりすることが多い。

たとえば靴なども、男性ものはいかにもというようなゴツいものしかなく、ラインが柔らかくコレ良いなと思うものはだいたい女性ものだ。当然サイズがない。服も柔らかな素材感や気分が明るくなるような柄が好みなのだけれど、そういうものはやはり男性服売り場にはないのだ。

私は住宅設計を主な生業としているけれど、そういうちょっと女性的な視点というか感覚というのは、少なからず今の仕事に役立っているような気もする。私は料理や家事はあまりしないけれど、そういうものに携わる女性の心理や、どういうところが気になるかというのはとてもよく分かるのだ。

一方で、男性としての視点(力強さや格好良さ、潔さのようなもの)もないと、エッジのまるい単なる”家事楽な家”になってしまう。バランスの良い建築には両方の要素が不可欠だ。

私生活では私のそうした感覚が活かされたり、得をするようなことはほとんどないのだけれど、仕事を通じてこうした感覚が多くの人の役に立つのならば、この仕事は天職と呼んでも良いのかもしれない。

大学の前期2年生の住宅課題も無事終了。各課題が終わると、各班選出の学生が全体講評会に登壇します。学生にとって、この全体講評会に選ばれるというのは、実に栄誉あることなのです。

全体講評会は、発表する学生にとっても勝負の場ですが、学生達のわかりにくい説明(失礼!)をその場で聞いて、アドリブでコメントしないといけない講師陣にとっても真剣勝負の場となります。

学生が仕掛けてくるトラップの数々に我々は翻弄されます。

本当は主題はそこではないのに、あたかもそこにあるかのような説明をする学生。混乱した思考そのままに、これまでの試行錯誤の累積をすべて表現してくる学生。取捨選択ができない彼らはやっぱり論点がブレてしまいます。(結局やりたかったのは何?)

それを眉間に皺を寄せて、じぃっと読み込んでいくわけですね。
でもわからない。モヤモヤしてる。この案の要はいったいどこにあるんだろう?

ところがクリティックの口火を切る講師の切り口は実に鮮やかです。問題の所在をピンポイントで言い当て、あぁそこか!とか、うまいこと言うなぁ!と感心しながらついクリティックに聞き入ってしまいます。(聞き入ってる場合ではないのですが・・)

思うに、建築とはモヤモヤした抽象的な概念や問題点を、いかにシンプルな図式に置き換えるかということだと思うんですね。それが形なら建築ですが、言葉になれば批評となります。だから講評会の場というのは講師にとっても建築力を試される場なのです。

もっとも、アイコンタクトを交わしながらモヤモヤがスッキリに変わっているのは我々だけで、当の学生達にとっては依然として「何を言われているかサッパリわからない」という可能性も否めませんが・・。

16. 07 / 20

TCC

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sekimoto

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> 仕事
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TCCというのはTokyo Copywriters Clubの略で、東京で活躍するコピーライターさんの団体です。ただこの団体、お金を払えば誰でも入会できるわけではなく、TCCが毎年表彰するTCC新人賞を受賞した者でなくては入会できないという秘密結社、いやちがった、かなりハードルの高い格調ある団体のようです。

だからきっとTCCの会員だと言えば、コピーライター界では鼻高々、会員証(なるものがあるのか知りませんが)をひとたびかざせば、水戸光圀公ばりにかなりドヤの入った顔をしても許されるのでしょう。(あぁ、かざしてみたい!)

所属メンバーには大手広告代理店所属から個人の方まで、日本のトップクリエイター達がひしめきあっているわけですが、その中でもさらに「殿堂入り」している人達というのがいます。トップオブトップ。野球で言えばベーブルースとか長嶋さんみたいな人、建築で言えば丹下健三さんや安藤忠雄さんのような方でしょうか。


なるほど。皆さんお馴染みの糸井重里さんの名前もありますね。

前置きが長くなりましたが、そんな日本のコピーライター界の”レジェンド”を表彰した部屋(つまり殿堂/Hall of Fame)をTCCの中に作ってほしいという依頼を、縁あって私がまだ駆け出しだった2004年に頂きました。

なぜ私がという説明は省きますが、当時そんな依頼に応えて、時代の感性を映す鏡としての殿堂の設えを、ガラスとワイヤーだけで作りました。下にはキャスター付きの家具が納められています。

そんな家具のキャスター部分が摩耗して動かなくなってしまったという相談をTCC事務局から頂きまして、それを今回交換工事を行うことになったというわけです。


簡単な作業ですので、今回の交換は我々だけで行うことにしました。よく見ると経年のせいか樹脂がボロボロになっています。10年ちょっとでこんなになるんだということにある意味衝撃を受けましたが、首尾良くすべてのキャスターを交換し終えました。

このHall of Fameをデザインしたのは2004年ですから、今から12年前、まだ事務所を立ちあげて2年くらいの頃でしょうか。TCCには当時の担当者の佐藤さんもいらっしゃって、お互い本当に久しぶりの再会となりました。

当時はまだいろんな意味で若かったけれど、今あらためて当時の仕事を見るとなかなか悪くないと思ってしまいます。こうして12年経って見てもデザインも古い感じがしませんし、細部まで丁寧なディテールで作られています。(やるな、俺)

佐藤さんにも当時は駆け出しであったことをお話ししたら、当時の私はとても駆け出しには見えなかったとのこと。そうか、根拠なく自信のありそうな振る舞いは昔からだったのですね。でもあらためてTCCさんには良いお仕事をさせて頂いたのだなとしみじみ思いました。また当時の自分の仕事にも会えてそれもまた嬉しかったです。

TCC事務局の佐藤さん、ありがとうございました!

中学生になった息子が好きなゲームを自分で作りたいと、プログラミング教室に通い始めて早3ヶ月。入門編のソフトであるスクラッチ(小学生向けの教育プログラム)には早々に退屈したのか、次に3Dで作れるユニティというソフトを使って玉転がしゲームを昨日までに完成させました。

これは球を壁にぶつけないように注意深くポイントをゲットしてゆくという単純なものなのですが、ちゃんと獲得ポイントも表示され、いろんな視点からフィールド全体を眺めることもできます。

私は門外漢なので、こういうものを作るのがどれだけ大変なのか、あるいは意外と簡単なのかはわからないのですが、自分で考えた世界観が、単純なものであっても目の前に実現できるということは素晴らしいことだと思っています。いつもは話しかけてこない息子が、自分から完成したゲームを披露してくれたので、きっと彼も達成感を感じたのでしょう。

早速彼は次のゲーム製作に取りかかりました。今度はまた別のソフトを使ったRPG(ロールプレイングゲーム)の製作です。昨日一晩で、上の画面のようなシークエンスを作り上げました。例によって、これだけ見ると私などは「お、すごい!」と思うわけですが、マインクラフト世代の彼らにしてみれば、このくらいは朝飯前なのかもしれません。

息子の通うプログラミング教室は本当に自由な教育方針で、カリキュラムに依らず、生徒の興味の赴くまま好き勝手にやらしてくれます。そういうところも、うちの子の気質に合っている気がします。


ご存じかもしれませんが、2020年から小学校でもプログラミングが義務教育化される動きがあります。賛否両論あるようですが、私は賛成です。今や社会はプログラミング知識なしでは産業は成り立ちませんし、きっと英語や数学よりも役に立つ場面が出てくるはずです。

プログラミングというと、難しいコンピューター言語を操るオタクな世界のように思われがちですが、プログラミング知識のない私が言うのもなんですが、息子を見ているともっと日常的でドライな、会社員がSNSをやるのと同じくらいの世界のように思います。

そして思えば、建築やデザインという世界もまさしくプログラミングと同じ世界なのだと気づかされます。顧客(社会)が何を求めているかを考え、それに対していかにわかりやすく、直感的で使い勝手の良い提案をしてゆくか。予見される不具合(バグ)をどこまで織り込むか。それを図面や仕様書という形で構築してゆく。それが設計であり、デザインという世界の本質です。

そしてより美しく、より多くの人の共感を得られるものだけが社会に残ってゆく。これはもはや建築やデザインにとどまらず、社会の仕組みそのものだとも言えます。

今世界を席巻し、まもなく日本上陸を伝えられるスマホアプリ「ポケモンGO」の一連の報道などを見ると、これから社会の仕組みやあり方にまでインパクトを与えられるのは、こうしたゲームやアプリ分野をおいてないような気もしてしまいます。

私は建築をやっていなかったら何をやっていたかなと思うことがたまにありますが、写真やグラフィックデザインにも興味があるのですが、今の時代ならプログラミングも悪くないかもしれません。もっとも、私はゲームには全く興味はありませんが。

リオタデザインのクライアントには、なぜかSE(システムエンジニア)が多いという傾向があります。そしてその方達は、我々の仕事を自分たちの仕事ととてもよく似ていると口を揃えるのです。私が前述のようにプログラミングを捉えていることと、これは偶然ではないような気がします。