
吉報を頂きました。
タニタハウジングウェアさん主催の「屋根のある建築作品コンテスト」の住宅部門におきまして、「緩斜面の家」が優秀賞を受賞致しました。
◇

審査結果と審査評はこちらより
http://www.tanita-hw.co.jp/about/tanitacontest2017/result1.html
応募総数はなんと321点ということで、その中の3点に選んで頂けたということは大変光栄なことです。上記リンクでは、審査委員の伊礼さんからも光栄なお言葉を頂きました。どうもありがとうございました。
◇
うちの住宅は、正直コンテストやメディア向けではないと思っています。コンテストに入賞する住宅やメディアに載りやすい住宅というのは、コンセプトが分かりやすく徹底されているものが選ばれやすい傾向があると思います。
でも一方でコンセプトを分かりやすく徹底してゆくと、その”正論”からこぼれ落ちてゆく、割り切れない建て主の思いや矛盾も出てきます。人間は理屈で割り切れるほどわかりやすい生き物ではありません。私の設計はそういうものを細かく拾いあげてゆく設計なのだとよく思います。だから焦点はぼやけるし、わかりにくくなる。
でもいろんな諸条件や建て主の思いと世間の評価とが、ロイヤルストレートフラッシュのようにピタリと嵌まる瞬間もあるのです。こんなことは長く仕事をしていてもそうは多くないし、それを求めてもいけないと思っていますが、この「緩斜面の家」はそんな私のキャリアの中でも、特にいろんなことが嵌まった私の代表作であることは間違いありません。
緩斜面の家
https://www.riotadesign.com/works/13_kanshamen/#wttl
今回のそもそものきっかけとなっている建て主Mさんとの出会いに感謝すると共に、選んでくださった審査員の伊礼さん、堀さん、そしてタニタハウジングウェアの関係者の皆さまにも心より感謝致します。

書籍の出版やトークイベントといったキラキラしたことばかりではなく、設計事務所を主宰するということは一方でとても重い責任を背負うことでもあります。
私は今年で独立して15年になりますが、それはある意味、独立して手がけてきた住宅が一斉に10年以上もの時間の洗礼を浴びてゆくことも意味します。最近では過去に手がけた住宅の改修や、ちょっとした”困った問題”についてのご相談を受けることも多くなってきました。
困った問題…。
ひとつはわかりやすく雨漏りですね。あってはならないこととはいえ、建築の仕事をしていたら避けては通れない問題です。経験のなさは、ある意味先鋭的な仕事を残す原動力にはなりますが、一方で…。
あの頃私は若かった、とばかりに言い訳をしていてもはじまりません。
雨漏り対応は本当に大変です。施工は一瞬ですが、そこにミスやボタンの掛け違いがあった場合、そのボタンをひとつひとつ掛け直してゆく作業は、途方もない手間と時間がかかります。我々も原因を究明するために、現場にも何度も何度も足を運ばなくてはなりません。
逆に言うと、この雨漏りを経験すると「もう絶対に嫌だ!」と思いますから、設計にも監理にもより一層注意を払うようになります。もちろん若い頃だって払っていましたよ。でもだめです。建築は圧倒的に経験がものを言うのです。
経験って何の経験だかわかりますか?ここでは失敗の経験のことを差します。
ちなみにこの案件、まだ原因特定に至っておりません。じわじわと犯人を追い詰めているのですが、「犯人は、、お前だ!」とやった後に冤罪が確定したりして、肩すかしが続いています。でも背中は見えているといったところでしょうか。
雨漏りだけではありません。今別件で対応しているのは床下の漏水です。ある日床下点検口を開けたら、床下が海のようになっていた…という恐ろしいケースです。
これはかれこれ半年がかりで対応を続けています。なかなか原因が掴めず、迷宮入りしかけていたのですが、ようやく糸口が掴めました。銅管です。
当時設備工事屋さんが給湯配管に銅管を使っていたようで、これが劣化してお湯を大量に漏らしていました。なぜ今までわからなかったかというと、配管が水に浸かっていて、漏れているかどうかが判別できなかったからです。
水をどう掻き出したかわかりますか?これはもう語りたくもないです。本当に、超~大変だったんですから!だからここでも誓いました。床下なめたらいかんと。皆さん、ちゃんと床下にも潜れる設計にしないとダメですよ!
現在この二つの難事件が、私の中では新規の設計や進行中の現場案件と同じくらいのウェイトで占められています。
この事件を難事件にしている要素がもうひとつあります。それは、当時施工した工務店にお願いできなくなっているという点です。一社はこの10年で倒産してしまいました。もう一社は、工務店の方が高齢化し、機動力のある動きをしてもらえなくなってしまったということがありました。
最初の工務店がやらかした不始末を、好んで対応する工務店などなかなかいるものではありません。実際、後者の住宅でも何社も対応を断られました。でもいるんですね、請けて下さるところが。
こういうのを神対応というのだと思います。ようやく素晴らしい後継の工務店と巡り会うことが出来て、事件は少しずつ解決に向かっています。H建設さん、D工務店さん、本当にありがとうございます!
だから今つくづく思うのです。
当時は予算が厳しくて、背に腹変えられず、相見積もりをして一番安い工務店にすがる思いでお願いしたりしていましたが、そういう現場はことごとくトラブルが頻発したりして、その後の対応も何度連絡しても来てくれないとか、そんなことが続いてクライアントを怒らせてしまった家もたくさんあります。
工務店は大事です。予算オーバーをすると、見積り調整の時はなかなかそんな気持ちになれませんが、少し高くても、良心的な信頼の置ける工務店にすべきです。なんといっても家は一生ものですから!
そしてもう一つはクライアントとの信頼関係ですね。工務店の対応が神なら、クライアントの対応も神です。本来なら「訴えてやる!」とばかりの叱責を受けそうですが、寛容にこちらにもお気遣いを下さいます。
そんなとき、10年という生活の時間と当時の設計プロセスは、一部にエラーはありましたが、あながち間違ったものではなかったのではないかと救いを感じる瞬間だったりするのです。
ともあれ、設計スキルが飛躍的に伸びるのは、書物からではなく、こうしたリアルな実地体験からだったりします。クライアントさんには申し訳ない思いですが、今もなお大変貴重な勉強をさせて頂いています。
私は今年で独立して15年になりますが、それはある意味、独立して手がけてきた住宅が一斉に10年以上もの時間の洗礼を浴びてゆくことも意味します。最近では過去に手がけた住宅の改修や、ちょっとした”困った問題”についてのご相談を受けることも多くなってきました。

困った問題…。
ひとつはわかりやすく雨漏りですね。あってはならないこととはいえ、建築の仕事をしていたら避けては通れない問題です。経験のなさは、ある意味先鋭的な仕事を残す原動力にはなりますが、一方で…。
あの頃私は若かった、とばかりに言い訳をしていてもはじまりません。
雨漏り対応は本当に大変です。施工は一瞬ですが、そこにミスやボタンの掛け違いがあった場合、そのボタンをひとつひとつ掛け直してゆく作業は、途方もない手間と時間がかかります。我々も原因を究明するために、現場にも何度も何度も足を運ばなくてはなりません。
逆に言うと、この雨漏りを経験すると「もう絶対に嫌だ!」と思いますから、設計にも監理にもより一層注意を払うようになります。もちろん若い頃だって払っていましたよ。でもだめです。建築は圧倒的に経験がものを言うのです。
経験って何の経験だかわかりますか?ここでは失敗の経験のことを差します。
ちなみにこの案件、まだ原因特定に至っておりません。じわじわと犯人を追い詰めているのですが、「犯人は、、お前だ!」とやった後に冤罪が確定したりして、肩すかしが続いています。でも背中は見えているといったところでしょうか。

雨漏りだけではありません。今別件で対応しているのは床下の漏水です。ある日床下点検口を開けたら、床下が海のようになっていた…という恐ろしいケースです。
これはかれこれ半年がかりで対応を続けています。なかなか原因が掴めず、迷宮入りしかけていたのですが、ようやく糸口が掴めました。銅管です。
当時設備工事屋さんが給湯配管に銅管を使っていたようで、これが劣化してお湯を大量に漏らしていました。なぜ今までわからなかったかというと、配管が水に浸かっていて、漏れているかどうかが判別できなかったからです。
水をどう掻き出したかわかりますか?これはもう語りたくもないです。本当に、超~大変だったんですから!だからここでも誓いました。床下なめたらいかんと。皆さん、ちゃんと床下にも潜れる設計にしないとダメですよ!

現在この二つの難事件が、私の中では新規の設計や進行中の現場案件と同じくらいのウェイトで占められています。
この事件を難事件にしている要素がもうひとつあります。それは、当時施工した工務店にお願いできなくなっているという点です。一社はこの10年で倒産してしまいました。もう一社は、工務店の方が高齢化し、機動力のある動きをしてもらえなくなってしまったということがありました。
最初の工務店がやらかした不始末を、好んで対応する工務店などなかなかいるものではありません。実際、後者の住宅でも何社も対応を断られました。でもいるんですね、請けて下さるところが。
こういうのを神対応というのだと思います。ようやく素晴らしい後継の工務店と巡り会うことが出来て、事件は少しずつ解決に向かっています。H建設さん、D工務店さん、本当にありがとうございます!
だから今つくづく思うのです。
当時は予算が厳しくて、背に腹変えられず、相見積もりをして一番安い工務店にすがる思いでお願いしたりしていましたが、そういう現場はことごとくトラブルが頻発したりして、その後の対応も何度連絡しても来てくれないとか、そんなことが続いてクライアントを怒らせてしまった家もたくさんあります。
工務店は大事です。予算オーバーをすると、見積り調整の時はなかなかそんな気持ちになれませんが、少し高くても、良心的な信頼の置ける工務店にすべきです。なんといっても家は一生ものですから!
そしてもう一つはクライアントとの信頼関係ですね。工務店の対応が神なら、クライアントの対応も神です。本来なら「訴えてやる!」とばかりの叱責を受けそうですが、寛容にこちらにもお気遣いを下さいます。
そんなとき、10年という生活の時間と当時の設計プロセスは、一部にエラーはありましたが、あながち間違ったものではなかったのではないかと救いを感じる瞬間だったりするのです。
ともあれ、設計スキルが飛躍的に伸びるのは、書物からではなく、こうしたリアルな実地体験からだったりします。クライアントさんには申し訳ない思いですが、今もなお大変貴重な勉強をさせて頂いています。
17. 10 / 13
街の灯火
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sekimoto
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> 仕事
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昨日は2015年に竣工した代々木八幡A-FLATへと足を運びました。
1階のフレンチレストランPathは今や予約の取れないお店になり、限定スイーツを売り出した日は100mくらい街中に行列が出来たのだとか。
ビルの谷間に建つ、一軒の小さなお米屋さんの建て替え計画でした。八百屋さんや魚屋さんが並び、活気ある個人商店の街は、いつの間にかどこにでもあるようなチェーン店やコンビニエンスストアへと替わっていったそうです。
建て替えにあたっては、街の灯火を消さないようにしよう、コンビニや大手チェーンだけは入れないようにしよう、と頑なに言い続けた計画でした。
この灯火を消さないよう。
街から愛される建物であり続けますよう。

17. 09 / 12
ご指名
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sekimoto
category
> 仕事
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いつの頃からか、トークイベントや講演の登壇者としてご指名を多く受けるようになった。今年は特に異常で、もう何本やったか記憶にないほど。今年はあと3ヶ月しかないというのに、お引き受けしている分だけで10本近く。困惑しつつ、やはりご指名を受けると嬉しくなってつい受けてしまう。
私はもともと人前でしゃべるのが苦手で、しゃべろうとすると頭が真っ白になってしまう。それをいつの頃からか克服した。今では人前でしゃべることに何も抵抗はないし、緊張することもない。慣れとはすごいと思う。
私の場合どこかの著名建築家と違い、自分の作品を自由に語るというよりは、誰かからお題を頂いて、そのテーマで話すということがほとんどだ。多くの場合スポンサーがいて、その依頼主を立てながらも、依頼主の意に沿った話をする。お世辞やおべっかを使うのではなく、自分の立ち位置に忠実であることだけを考える。
相手が自分を指名したということは、私に何らかの仕事のイメージや期待があるということだ。関本さんならこういう話をしてくれるだろう、という具合に。それを裏切らないことだけを考える。それは設計を依頼された場合も同じだ。サザンを買ったらサザンであって欲しいように。ミスチルを買ったらミスチルであって欲しいように。
私の場合、自らが登壇者となって話をすることもあれば、司会者やファシリテーターとして呼ばれることも多い。後者の場合、私は徹底して来場者側の目となり耳となり、みんなが聞きたいであろう適切な質問と仕切りを心がける。仕切りの悪いセミナーではイライラしてしまって、つい自分が出て行って仕切りたくなってしまう。
正直言うと、私は登壇者としてより、司会やファシリテーターとしての役割の方が向いていると思う。自分の話をするよりも、人の話を聞く方が好きなのだ。そこが住宅建築家としての私の居場所なのだろうと思う。
私はもともと人前でしゃべるのが苦手で、しゃべろうとすると頭が真っ白になってしまう。それをいつの頃からか克服した。今では人前でしゃべることに何も抵抗はないし、緊張することもない。慣れとはすごいと思う。
私の場合どこかの著名建築家と違い、自分の作品を自由に語るというよりは、誰かからお題を頂いて、そのテーマで話すということがほとんどだ。多くの場合スポンサーがいて、その依頼主を立てながらも、依頼主の意に沿った話をする。お世辞やおべっかを使うのではなく、自分の立ち位置に忠実であることだけを考える。
相手が自分を指名したということは、私に何らかの仕事のイメージや期待があるということだ。関本さんならこういう話をしてくれるだろう、という具合に。それを裏切らないことだけを考える。それは設計を依頼された場合も同じだ。サザンを買ったらサザンであって欲しいように。ミスチルを買ったらミスチルであって欲しいように。
私の場合、自らが登壇者となって話をすることもあれば、司会者やファシリテーターとして呼ばれることも多い。後者の場合、私は徹底して来場者側の目となり耳となり、みんなが聞きたいであろう適切な質問と仕切りを心がける。仕切りの悪いセミナーではイライラしてしまって、つい自分が出て行って仕切りたくなってしまう。
正直言うと、私は登壇者としてより、司会やファシリテーターとしての役割の方が向いていると思う。自分の話をするよりも、人の話を聞く方が好きなのだ。そこが住宅建築家としての私の居場所なのだろうと思う。
17. 09 / 01
パナソニック中西塾
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sekimoto
category
> 仕事
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建築家の中西ヒロツグさんからのお声掛けで、パナソニック中西塾の講師を一日だけ務めさせて頂きました。
日頃のパナソニック製品に対する不平不満をぶちまけて頂きたい!というドM発言を真に受けて、かなり辛辣な意見をぶつけたつもりでしたが、まだ足りなかったようです。この勤勉さと探究心が日本の製造業を支えているのですね。
しかし吹けば飛ぶようなアリンコの意見を有難がって聞いてくださる巨大企業の懐の深さも見せつけられたようで、勝ち負けじゃないけど負けた!という一日でした。
お声がけを下さいました中西さん、そしてアリンコの戯言に付き合って下さいましたパナソニックデザインセンターの皆さまありがとうございました。写真は二次会にて。
