私には悪い癖がある。いくつもあるけれど、そのうちの一つは目上の人に噛み付くという癖だ。
思えば下積み時代から私は生意気だった。当時の所長にはいつも噛み付いてばかりだった。黙って「はい」と言えない。いや、たまには言っていたかもしれないけれど、どちらかと言うと自分の意見を曲げなかった。上司にとっては一番面倒くさい部下だったに違いない。
目上の人にはなぜか歯向かいたくなるのだ。負けてたまるかって思ってしまう。その気質は行政や民間審査機関などとの折衝にも遺憾なく発揮される。ふざけんな。負けてたまるか。屁理屈を総動員してでも、絶対にこっちの法解釈を通してみせる!というところに全エネルギーを注ぎ込んでしまう。
さすがにお施主さんには優しい?けれど、それでもスイッチが入れば言い返してしまう。そんな時はいつもスタッフの方がヒヤヒヤしているようだ。
うちのスタッフはおとなしい。もっと言い返せばいいのにって思う。こんちくしょう、負けてたまるかって思わないのかな。言い返されると私は相手との距離感が掴める。これ以上踏み込むとこの人は怒るんだなとか。それは結果的に本人も自分を守る防御の砦となる。
負けてたまるか。なめられてたまるか。
理不尽を感じたら、相手が誰だろうと向かっていかなくちゃダメだ。
思えば下積み時代から私は生意気だった。当時の所長にはいつも噛み付いてばかりだった。黙って「はい」と言えない。いや、たまには言っていたかもしれないけれど、どちらかと言うと自分の意見を曲げなかった。上司にとっては一番面倒くさい部下だったに違いない。
目上の人にはなぜか歯向かいたくなるのだ。負けてたまるかって思ってしまう。その気質は行政や民間審査機関などとの折衝にも遺憾なく発揮される。ふざけんな。負けてたまるか。屁理屈を総動員してでも、絶対にこっちの法解釈を通してみせる!というところに全エネルギーを注ぎ込んでしまう。
さすがにお施主さんには優しい?けれど、それでもスイッチが入れば言い返してしまう。そんな時はいつもスタッフの方がヒヤヒヤしているようだ。
うちのスタッフはおとなしい。もっと言い返せばいいのにって思う。こんちくしょう、負けてたまるかって思わないのかな。言い返されると私は相手との距離感が掴める。これ以上踏み込むとこの人は怒るんだなとか。それは結果的に本人も自分を守る防御の砦となる。
負けてたまるか。なめられてたまるか。
理不尽を感じたら、相手が誰だろうと向かっていかなくちゃダメだ。
私が内装設計をさせて頂いた吉祥寺のカフェmoiは惜しまれながらも2019年10月に閉店した。ただその後、年が明けてからのコロナ騒動を考えると、表現が難しいけれど「タイミングが良かった」と言わざるを得ない。
年末年始は「moi参り」と称して、家族でお店に訪れるのが恒例行事だった。お店がなくなり、吉祥寺に足を運ぶ口実がなくなってしまったのだけれど、久しぶりに吉祥寺に寄ったのでお店の前を通ってみたら、日本茶を出す素敵なお店になっていた。
客を装って(ていうか客なんだけど)中に入ると、一部の作りは微妙に残しながらも、ほぼ面影なくきれいに作り替えてあった。少し寂しくもあり、でもとても感じの良いお店だったので、志が継承されたような気もして救いを感じた。
思えばカフェmoiのコンセプトは「まちの茶室空間」だった。コーヒーが日本茶になり、moiのあった場所は、よりリアルな”茶室空間”になったというわけだ。
久しぶりに歩く大正通りは、嵐の後のように多くのお店がなくなり、ガランと空いたテナントが目立った。間違いなくコロナの影響だろう。多くの北欧好きと吉祥寺ファンに愛されたカフェmoiが、コロナではなく自らの意思でこの地を去り、美しく思い出を残したことは不幸中の幸いだったと思う。
○当時のカフェmoi閉店を惜しむページ
https://kichifan.com/2019/10/02/cafemoi_closed/
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年末年始は「moi参り」と称して、家族でお店に訪れるのが恒例行事だった。お店がなくなり、吉祥寺に足を運ぶ口実がなくなってしまったのだけれど、久しぶりに吉祥寺に寄ったのでお店の前を通ってみたら、日本茶を出す素敵なお店になっていた。
客を装って(ていうか客なんだけど)中に入ると、一部の作りは微妙に残しながらも、ほぼ面影なくきれいに作り替えてあった。少し寂しくもあり、でもとても感じの良いお店だったので、志が継承されたような気もして救いを感じた。
思えばカフェmoiのコンセプトは「まちの茶室空間」だった。コーヒーが日本茶になり、moiのあった場所は、よりリアルな”茶室空間”になったというわけだ。
久しぶりに歩く大正通りは、嵐の後のように多くのお店がなくなり、ガランと空いたテナントが目立った。間違いなくコロナの影響だろう。多くの北欧好きと吉祥寺ファンに愛されたカフェmoiが、コロナではなく自らの意思でこの地を去り、美しく思い出を残したことは不幸中の幸いだったと思う。
○当時のカフェmoi閉店を惜しむページ
https://kichifan.com/2019/10/02/cafemoi_closed/
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21. 01 / 01
大吉
author
sekimoto
category
> 生活
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あけましておめでとうございます!
毎年恒例の地元の敷島神社に家族と初詣。いつもは鳥居から境内に続く長い行列があるのですが、この日は列もなくあっけなく参拝できました。ここ10年ではじめてのことです。
コロナの影響かもね、と言って振り向くとそこにはいつも通りの長い列が。うそでしょ?と狐につままれたような気分でした。
おみくじを引くと「大吉」。毎年参拝を続けて、はじめてのことです。読むと、向かうところ敵なし的な啓示の数々にむしろ怖くなりました。明日死ぬんじゃなかろうか。
思えば暮れから、空いていると思って入ったお店から出てくると大行列とか、欲しかったものが最後の一点で手に入るとか、大きな話ではありませんが、二分の一の確率でずっと当たりくじを引き続けているような。それもちょっと怖い…。
モーゼの十戒の如く、災いが目の前から避けてゆく一年という暗示と受け止めることとします。どうか健康に過ごせますように!

この暮れに一年を総括することでも書こうかと思うものの、今年はいろんなことがありすぎて考えもまとまらない。今年はなんといっても、新型コロナウィルスの蔓延によって、生活様式がいろんな意味で大きく変わった年でもあった。
私をとりまく様々なことも変わったし、それらのいくつかは残念だったこと(対面で会えないこととか)もあったけれど、それすらも日常の中に取り込まれて、テレワークやオンライン会議、オンラインセミナーなどが当たり前になった年でもあった。新しいモノやコトが好きな私にとっては、これまでの無意味なしがらみから離れて、自由に活動できた良い一年だったとも思う。
また今年は例年になく設計依頼やご相談が相次いだ年でもあった。何が起こったのかは自分でもよくわからない。「建もの探訪」などにも2件ほど登場した年でもあったので、その影響はあったと思うものの、けしてそのOAを見た人ばかりではなかった(むしろ半数以下だったかもしれない)。10年以上前から依頼したいと思っていたという方も少なからずいて、継続することの尊さのようなものを感じた。
また本業からも離れて、所属する諸団体のお役目のようなものも急増した年でもあった。そのうちのいくつかは、役職を伴って一定の責任を背負うものも。本業をしっかり回しながら、こうしたお役目も疎かにしないで活動することには神経を使う(もちろん時間も)。本業の足も引っ張るし、お金にならないという意味でも一般的にはメリットがあるとは思えないこうした取り組みの数々も、自らの社会活動としてやはり外せないものになっている。
それに加えて、、セミナーに執筆活動と、もう体がいくつあっても足りない!という状況。毎日分刻みで動いているので、事務所の中でも私はいつも小走りだ。車を運転していても、わずか10分でも短縮できるなら迷わず有料道路を選ぶ。今一番欲しいのは「時間」。
そんな、何の示唆にもならないとりとめない総括。この年末年始はゆっくりと、と月並みなことを書きたい衝動があるものの、やはりゆっくりはしていられないのだろう、、。
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皆さま、今年一年お世話になりました。
どうか良いお年をお迎えください!
