11. 06 / 09

LCCM住宅見学

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sekimoto

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> 建築・デザイン



今日はスタッフとクライアントのSさんもお連れして,つくばの建築研究所内にあるLCCM住宅(設計:小泉雅生氏)を見学してきました.LCCM住宅というのは,ライフサイクルカーボンマイナス住宅の略で,なんだか難しそうな名前ですが,早い話が”究極のエコハウス”ということになります.

住宅は建設時にCO2を排出し,その後も排出を続けます.バイオマスエネルギーの利用や,省エネルギー,高断熱仕様などによって生活によるCO2排出量を限りなく削減してゆく(カーボンニュートラル)こともできますが,このLCCM住宅ではそうした工夫と併せて,通常の住宅の2軒分にもあたる8KWの太陽光発電システムを組み込むことで自発的にエネルギーを作り出し,建設時と生活によるCO2(ライフサイクルカーボン)を最終的にマイナスにしてしまおうという意欲的な取り組みです.

いわゆるエコハウスというと,ハードとしての設備機器に依存したものや,昔の生活に回帰したようなノルタルジー型に別れることが多いのですが,この住宅は現代的な生活スタイルと昔ながらの縁側的生活をうまく組み合わせていて,実験住宅とはいえ現実的で十分に住める家であるように感じました.

なかでも通風と日射調整機能をあわせ持つ,可動式の縁側ルーバーはなかなか秀逸.パッシブによる蓄熱床や通風の仕掛け,空間の緩やかな仕切り方などもいろいろと参考になりました.



11. 06 / 08

打合わせ風景

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sekimoto

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> 仕事



建築の本質はプロセスにあるとすれば,クライアントとの打合わせはその醍醐味のひとつでもある.事件は現場で起こっているかもしれないが,建築はやっぱり会議室からはじまる.

クライアントの声を手がかりに,じっくりじっくり考えたこちらの考えをぶつけてみる.すんなり受け入れられることもあれば,そこから延々と議論が続くこともある.ただ我々の設計の打合わせでは笑い声が絶えない.実際本当に楽しい.

クライアントの意外な視点に目から鱗が落ちることもあるし,行き詰まっていたものがドライブしはじめる瞬間もある.このライブ感がたまらなく好きだ.

建築のプロセスで最も大切なのはコミュニケーションだ.図面も模型も単なるコミュニケーションツールに過ぎない.丹念に作り込んだ模型を真剣な眼差しで覗き込むクライアント.正しい建築というものはなく,そこには正しいプロセスと決断だけがある.それこそが建築をつくる.

ご近所に住むKさんご夫婦は,打合わせにはいつも自転車でやってくる.どんどん出来上がってゆく設計に期待を寄せながらも,できあがってしまうとつまらないとつぶやく.
マァ,その気持ちもわからないでもない.

解体の現場に立ち会うと,仕上げの下から現れた生々しい素材感や構造にゾクゾクすることがある.天井をはがしたときに現れる小屋組み,外壁をはがしたときに現れる柱.そしてそれをそのまま残したい!という衝動にかられる.

けれども一方ではそんな感覚的な話とは別に空間には機能が必要で,美観やメンテナンス,音や温熱環境や設備などいろんなことを考えると,リフォーム計画ではやはり天井は張るべきとの結論に至ることが多いのが現実だ.

お施主さんからしたら生活にそこまでの冒険は求めていないわけで,我々としても納まるべきものが納まって少しほっとしたような,でも少し残念なような複雑な気持ちになる.

写真はとある現場の既存タイルをはがしたブロック塀.この後下地を整え,再び吹付け塗装を施す.ただこの塀を見たとき,思わずスタッフと共に「おー!」と唸った.この迫力は石張りでもきっと敵わないだろう.

ただやはりそこは,このママというわけにはいかないので,この状態は工事中で見納めになることだろう.できることなら,このまま持ち帰って事務所の壁に張り付けたいくらいの存在感である.

11. 06 / 01

撮影,そして…

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sekimoto

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> 仕事



今日は昨年末に竣工した西大泉のFILTER(U邸)の竣工写真撮影に行って来ました.
カメラマンは久しぶりに私です.腕が鳴ります.

天気予報では”一瞬晴れ”.しかし結局太陽は出ませんでした.
でもその代わり室内は柔らかい光の写真が撮れました.

このU邸は厳しいローコスト住宅でしたが,とても美しい佇まいの住宅です.
自らシャッターを切りながら「イイネ~イイネ~」と何度も心でつぶやいてしまいました.お住まいになっているお施主さんのセンスに依るところも大きいような気がします.写真はまた後日まとめて作品にアップします.

撮影の後はUさんが手料理を振る舞って下さいました.当初撮影は私だけだったのですが,施主のお子さんのたってのリクエストで,担当スタッフの三浦も途中参戦です.三浦はどこに行っても子供に人気があります.

Uさん,とっても美味しかったです.竣工した後にこうしてお施主さんと囲む食卓はいつも楽しく時間が経つのを忘れてしまいます.あ,今回参戦できなかったご主人はこれを読んで悔しがっていることと思います.次回は是非ご一緒しましょう!


11. 05 / 30

普通のこと

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sekimoto

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> 思うこと


今日大学で指導していた学生から「普通のことをやったんじゃだめなんですよね」と訊かれた.もちろんそんなことはないのだけれど,言わんとしていることはよく分かる.

大学教育はある意味残酷だと思う.いわゆる普通の作品では目立たないのだ.ある意味奇をてらった,”狙った”作品が衆目を集めるし,我々もどうしてもそういう作品を選んでしまう.だから学生もそういうものを作らなくてはいけないのだと思いこんでしまう.

でも実際には当たり前のことをちゃんと設計できなくてはいけないのだ.社会に出たら絶対的にそうだ.自分の作品性を優先させるがあまり,クライアントを犠牲にするような話もよく耳にする.とんでもない話だと思う.

賢明な学生は,社会に出たら洗礼を受けて”まとも”の意味を知ることになるだろう.
大学と社会の間に存在するダブルスタンダード.僕も学生のうちは夢のある設計をしてもらいたいと思う.あまり現実的なことを考えないで,多少かっとんでいるくらいでちょうど良いとも思う.

ただ一方で,それが出来る学生と出来ない学生で温度差が生じていることも確かだ.
かたや普通でも良いのだと言いながらも,頭一つ出た”普通でない”作品を最終的には選ぶことになるだろう.教育は横並びではありえないのだから,それもアリだと思いつつも悩ましい問題だ.

それは学生だけの問題ではない.プロである我々であっても建築雑誌を賑わす前衛的な作品には刺激を受けるし,時にそうした思い切った表現や手法を取り入れたいと思うこともある.悪いことではないと思う.ただそれを単なるファッションやエゴとして使うなら手痛いしっぺ返しを食うことになるだろう.

つまるところ,我々はプロとしてクライアントの期待に応える必要がある.機能や居住性はクリアしたうえで,同時に高いデザイン性も備えていなければならない.

それを踏まえた上で誤解を恐れずに言えば,僕は建築は”普通”で良いと思う.
高いレベルのあたりまえを積み重ねていった先に,あたりまえでないものが出来上がる.そう思う.逆にいえば,世の中のほとんどの建築はあたりまえのことすらできていないのかもしれない.

普通のことができなかったら,それ以上の事はできない.そう思うのだ.