author
sekimoto

category
> 思うこと



ここのところ立て続けに映画を見た。ひとつは今話題の「君の名は。」、そして「シンゴジラ」。どちらもとても良い映画だった。

ストーリーやジャンルは違うけれど、私はそこになんとも言えない現代性を感じた。一言でいえば「今どき」な感じがした。

それをあえて別の言葉で表すとすれば”ディテール性”のようなものかもしれない。要は、今や人々はまやかしのふわっとしたイメージではなく、よりリアルなもの、実際にそれが存在することの証明のようなものを求めているのではないかと思うのだ。

例えば「君の名は。」は、ストーリーの大枠としてはありえないSF的要素が入り込みながらも、そこに登場する人物描写や、背景、小物などは実にリアルに描きこまれている。実在の場所もいくつも出てくる。ともすると、これは実際に起こった出来事なのではないかと錯覚するほどに。ある意味、ジブリの”ナウシカ”や”トトロ”とは一線を画す世界観といえるかもしれない。

一方の「シンゴジラ」も、往年のゴジラ作品との大きな違いは、やはりその”リアルさ”にある。ネタバレになるのであまり書けないが、とにかく今この東京に実際にゴジラが現れたらどうなるかという状況を、やりすぎと思えるほどにリアルに描いている。

かつてのウルトラマンシリーズでは、街中でウルトラマンと怪獣が戦い、そしてウルトラマンは3分で勝負をつけて宇宙へと帰って行った。最初からスペシウム光線を使えばいいのにとか、怪獣を倒した際の街の被害総額は?とか、そういう視点は頭の隅にあっても言ってはいけないことになっていた。

ディテールへの言及は野暮であり、無粋だったからだ。「そういうもの」として娯楽を楽しむ。それが暗黙のルールだったのだ。

しかし、現代の共感性はディテールにこそ宿る。みんな気づきはじめてしまったからだ。結局ディテールが大事なんじゃないかということに。ふわっと都合の良いファンタジーだけを語るということに、みんな「もうダマされないぞ」と思い始めている。

建築もそうだ。もう「コンセプトを語る」という建築のあり方は一世代前の建築家のあり方といえる。今どき”コンセプト”なんていう言葉を発すること自体が寒い。大切なのは具体的にどうするかという方法論(ディテール)であり、実際にどうだったかという経験値(フィードバック)。そこを語らずして、クライアントの信頼を得ることは出来ない世の中といえる。

ディテールの時代。詰まるところ、それは地に足着けて地道にコツコツやってる人だけが生き残れる世の中、ということなんじゃないかと思う。