横須賀を本拠にされているハウスメーカーのハウスイズムさんから依頼を受け、設計力を上げるためのお手伝いをさせて頂いています。

我々が実際に取り組んでいる実在の敷地に同条件で設計提案をして頂いているのですが、私が講評すること以上に良いと感じるのは、同じ条件で同僚がどう応えるのかというのが一斉に見える化することです。

そういう手があったかとか、俺の玄関って小さすぎ?など、普段担当者は他の人からは口出しをされないので、ある意味独りよがりな手癖がついてしまいますが、それが他者との相対評価を含め白日に晒されたのは大きな成果でした。

私は逆に建主さんの立ち位置でそれぞれからプレゼンを受けて、建主目線でどういう説明を受けるとときめくのかがよくわかり、こちらも勉強になりました笑。

次回も今日の指摘をどう改善するか。史上最強に手強い建主(私)に提案する心構えで臨んで頂きます。


19. 07 / 31

tobufune 撮影

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sekimoto

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> 仕事
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先週末、今年4月に完成したグラフィックデザイン事務所tobufuneの竣工撮影にお伺いした。

tobufuneさんは、デザイナーの小口翔平さんが代表を務めるブックデザインをおもに手がける事務所。Amazonの年間売り上げトップ100冊のうち、約1割はtobufuneが手がけるものだそうで、ある意味日本で一番本を売るブックデザイナーの一人とも言える。

先の建築知識7月号のリオタデザイン特集号でフューチャーした「路地の家」は小口さんのご自宅でもある。先の建築知識がAmazonの関連カテゴリですべて1位を獲得したのも、実は小口さんの神通力なのではないかと密かに思っている。

私は小口さんの装丁の考え方が好きだ。感覚的に見えて、実はきわめてロジカル。ある意味、きわめて建築的。先日も撮影の合間にどのような思考でその装丁の構成に至ったかという話をたくさんお聞きし、贅沢な時間だった。

小口さんは、担当編集者からもらうタイトル案や、前のめり気味のコメント文に目を通し、そこから適切な言葉だけを抽出して文字構成を行う。それはもう見事と言うほかなく、その言葉使うんだとか、時に編集者の何気ないあおり文句がタイトルそのものよりも大きく構成され、結果大ベストセラーにしたり。そこには、無数の本が平積みされる書店の中で無意識に人を立ち止まらせ、つい手に取ってみたくなってしまう魔法がたくさんかけられていた。

先日「優れた設計には優れた編集がある」というような主旨のことを書いたのだけれど、このデザインと編集を同時に成立させる「直感力のかたまり」が、tobufuneの仕事の真骨頂なのだろうとつくづく思った。

そんな出版界のトップランナーtobufuneさんの、写真家・新澤一平さんによる竣工写真はまた近日アップします。ちなみに下は、私の建築知識7月号で表紙イラストを手がけて下さった北村みなみさんを、表紙イラストに使ったtobufuneさん装丁による本。とてもかわいい笑


19. 07 / 29

住宅と編集

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sekimoto

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> 思うこと
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一般的に建築家やデザイナーと呼ばれる人は、クリエイティブな職種であり、世間では創造的な仕事と思われている。しかしこれは半分正しいが、半分は間違っている。なぜなら我々のような仕事は、実際には半分は創造的であるけれど、半分は同時に編集的でもあるからだ。

詰まるところ優れた設計は「優れた編集」にあると言える。
たとえば最初に頭に浮かんだアイデアは、大概現実離れしていてそのままでは使えない。それを現実的に着地させてゆくには、やはり編集能力が必要だ。

建て主の要望もまた、そのまま箇条書きに盛り込んだだけでは建築にはならない。その中から要点を拾い出し、並び替え、見出し(コンセプト)をつけて提示するからこそ、その輪郭はクリアになる。

仕事がら編集者の方とお話する機会が多々あるが、つくづく私は編集側の人間であると感じる。インタビューを受けるよりも、誰かから話を聞いてそれを編集し、何かしらのわかりやすい着地点を見つけるという作業に最もやりがいを感じてしまう。

編集者にならなかった私は、住宅の設計者になった。つくづく天職だと思う。

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sekimoto

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> 大学
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昨日は日大理工2年生の「園児のための遊び場・学び舎」の全体講評会でした。今期はじめての課題でしたが、力作が揃い考え方のバリエーションについても学生のポテンシャルを見せられた気がしました。

最後の懇親会では、他ユニットの学生にも声をかけて、自身の指導教官とは違う視点でアドバイスをもらうという機会も貴重だったと思います。

一方で、、

自分が選出した4人の学生のうち2人が当日休む、そもそも全体講評会の聴講学生が少ないなど、朝から心が折られた日でもありました。

事情はいろいろだと思いますが、それなら他の子を選んであげれば良かったとか、そもそも今どきの学生は講評会自体に出たくないのか?(たまに辞退を申し入れてくる学生もいます)など、ぐるぐる考えて下がるテンションを必死に保ちながらの一日でした。

一方全体講評で選出された上位作品には熱意と”やりきった感”が漲っていて清々しかったです。もちろんうちのクラスの学生もがんばりました。皆さん、お疲れさまでした!



先日松山で講演をした話を書きました。いつもなら設計事例を写しながらその説明をするところですが、今回写真スライドは一枚も使わないという自分でも相当チャレンジングな冒険をした講演でした。(おかげで嫌な汗がたくさん流れました…)

ただ一方で、普段自分はどういう考えで仕事をしているのだろうと、我々の仕事を見つめ直す機会にもなりました。話しながら、我ながらすごく普通の話をしているなとつくづく思いました。聞いていた方はさぞや退屈だったのではないでしょうか。

ですが、これこそが私の仕事観の根幹であることに変わりがありません。講演では他にもその先にある各論についてもお話ししましたが、自分の胸に刻むためにも冒頭部分についてここに残しておきたいと思います。


■ 我々は何のために仕事をするのでしょう?

「あなたは何のために仕事をしているのですか?」
こう問われたら、あなたはどう答えるでしょうか?

・お金のため
(生活のため/家族のため/趣味や交際のため/遊ぶため)
・自己実現のため
(夢を叶えたい/なりたい自分になりたい)

それはどれも正しいと思います。私にもそのような気持ちがあることは否定しません。でも一番大きな動機ではありません。では何のために?と問われたらこう答えます。

「誰かの役に立つため」

当たり前すぎる答えかもしれませんが、ただ普通にそう思います。

逆に言うと「仕事をする」ということは「誰かの役に立つことをする」ということだと思います。だから、そう思えない仕事をしていると人の心はすさんでゆきます。自分は何のために生きているのか、その目的を見失ってしまうのです。

すぐに仕事を辞めてしまう人は不幸な人だと思います。自分が誰かの役に立っていると思えないのです。もしかしたら、むしろ誰かに迷惑をかけている、もしくは不幸にしているとすら思っているかもしれません。

あるいはこういうケースもあるかもしれません。人は仕事に自己実現を求めます。なりたい自分になりたい。かつて私もそうでした。だから、なりたい自分になれていないことが焦りとなり、環境を変えることで実現できるのではないかと考えるのです。

当時の自分に欠けていたのは、自己実現の先に何があるかという考えでした。自己実現を果たすことで結果的に人の役に立つことができなければ、やはりその人の人生は迷路に入り込むことになると思います。

たとえば独立することが夢だったとしても、独立した先の目的意識が、社会や誰かの役に立つという目的につながっていなければ、独立した瞬間にその人は路頭に迷ってしまいます。ただ、お金のためだけに仕事をすることになるのです。

.
■ 我々はどこを向いて仕事をしているのでしょう?

では、我々はどこを向いて仕事をしているのでしょうか?

仕事をする目的が「誰かの役に立つため」だとしたら、答えは簡単です。我々は依頼主の方を向いて仕事をしなくてはなりません。そんなこと当たり前じゃないかと思いますか?しかし、意外とこれは常に胸に刻んでいないと忘れてしまいがちなことなのです。

会社に勤めておられればなおさらな事です。個人ならできることも、企業になると企業論理や利益が優先される場面も多々出てきます。また、上司がいれば上司の意見や指示に従わなくてはならない場面も出てくるでしょう。それは勤め人であれば仕方がないことだと思います。

ただここで胸に手を当ててみてください。

実は上司の指示に従っているのではなく、上司の顔を見ながら仕事をしてしまっていることはないでしょうか?人間は誰しも承認欲求がありますから、褒められると嬉しいものです。自分に直接評価を下す上司に気に入られたいと思うのは当然のことです。

ただ先ほどの「誰かの役に立つ」という意味は、「上司の役に立つ」という意味ではないのです。

それは私の事務所でも日常茶飯事で起こることです。スタッフ達は皆優秀ですが、往々にして私に認めてもらいたいと思うがあまり、私の方を見て仕事をしてしまいます。

私がそう言ったわけではないのに、時に私が過去に承認した判断基準をもとに物事を決めようとしてしまいます。そしてそれを我が事務所のルールであるかのように錯覚してしまうのです。我々の依頼主は毎回、趣味や性格も異なるのにもかかわらずです。

これを私は「思考停止」と呼んでいます。
私ではなく、我々はどこを向いて仕事をしているのかを考えなくてはならないのです。常にゼロベースで、です。私のさらにその先にいる、依頼主(あるいは利用者)に対する思いやりや想像力、言い換えると「当事者意識」こそが設計力を育むのだと思います。

ほかにも、建築家であればメディアや社会的評価の方を向いて仕事をしてしまうこともあります。同じ業界人から「すごい」と言われたい、「いいね」されたい。これもまた承認欲求です。また現場に立たされれば、目先のトラブルの解決や職人さんの手間、工期やコストの問題などが優先されてしまうこともあるでしょう。

そんなときは必ずこれを思い出すようにしています。思い出すだけでなく、声に出して関係者とそれを共有します。

「我々はどこを向いて仕事をしているのか」

どんなトラブルも、これに優先されるものはありません。美しい家を作るという行為も、結果的に依頼主に喜んで頂くためであって、メディアや誌面を賑わせるためではありません。逆に言えば、これさえ踏み外さなければ、その人は間違いなく依頼主に信頼され、感謝される存在になれると思います。

依頼主に感謝されると、「自分は何のために仕事をしているのか」という冒頭の問いに対する明確な答えが自分に返ってきます。自分は人の役に立っているのだと実感することができます。

人にとって、自分が誰かから求められる存在であるということほど嬉しいものはありません。それこそが仕事の本質であると私は思います。