14. 03 / 20
ILMAの10年
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sekimoto
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先週末,ILMA(Y邸・2003年竣工)の竣工10周年を祝うパーティがあった.ILMAは私にとってはじめての住宅である.私の事務所がまだ中目黒にあった時代,大学同期で構造家の友人が駆け出しの私に設計依頼をしてくれた仕事でもあった.
ILMA
https://www.riotadesign.com/works/03_ilma/
敷地面積はわずかに13坪,延床面積は15.5坪,1000万円台で半地下付きの鉄骨造の家を建てる.しかも設計依頼から竣工まで約9ヶ月!設計に3ヶ月,そしてその後わずか3ヶ月の工事期間で無事引渡しまでこぎ着けた.
今ならたぶん無理,依頼を受けても絶対お受けできないような条件だったにもかかわらず,実際に建ったのはまさに奇跡としか思えない.

それを可能にしたのは,その若さと,逆に経験のなさゆえだったのだろうと思う.怖いもの知らずだったので,今なら腰が引けるような仕上げや納め方もずいぶんしていた.一方で徹底的に素材やディテールを研究し,現在にまで至る”リオタデザインらしさ”のようなものも,この住宅で確立されたようにも思う.
設計案は十数案は出しただろうか.現場にはまだ入所して間もなかった初代スタッフ二宮と,ほぼ毎日徒歩で通った.納得のいかないことがあり,工務店まで行って社長に直談判したこともあった.そのくらい自分の持てる情熱のすべてを注ぎ込んだ仕事だった.

今回は私の家族を連れての訪問となった.子どもにも,私がはじめて設計した住宅であることを話した.道すがらの景色はどれも当時を思い出させてくれて懐かしかった.友人とは連絡を取り合いつつも,なぜか今に至るまでその家に足を向けることはなかった.
緑道を抜けた先にあるその住宅が目に入ったとき,小走りに駆け寄りたくなった.友人に招き入れられ,また胸が熱くなった.玄関より中に入るのもまたほぼ十年ぶりだ.

うちの子はこの家を設計していた年に産まれた.だから同じく10歳.友人はこの時まだ子どもはいなかった.だから階段にも手摺りは作らなかった.
その友人にも子どもができ,また今回は同じく大学同期の共通の友人建築家夫婦も子連れで合流した.子ども達の歓声の響くILMAを見るのははじめてだ.かくして10周年の会は実に賑やかで大いに盛りあがったのだった.

あらためて住宅と家族,そして時間について思う.
ILMAは大人二人だけの生活からスタートし,その後家族も生活も変化して10年という時が流れた.原発問題が起こったときには,一時期本気で移住も考えたという.また夫婦で海外赴任していた時期もあった.
けれどもILMAはその時間軸にも耐え,その空間の骨格はまだまだ健在だった.ガルバリウムの外壁はびっくりするくらいまだきれいだったし,木の内装も時間相応の日焼けはありながらも,それが味となり,ますますその魅力を深めているようにも感じた.
なにより!
子どもという変化がILMAに与えたインパクトはとても大きく,その空間の至る所に愛らしい設えを見ることができた.まさに家全体が愛情に満ちあふれ,幸せな空間になっていた.

住宅にとって10年というのは大きな節目であるように思う.
防水の保障や契約上の瑕疵責任も,ここで一旦区切りとなる.だからここから先はある意味住まい手の責任で住みこなしてもらわなくてはならない.
そして次の10年を乗り越えるために,はやくも前向きな改造計画について話ははじまっている.

今回は,自分の仕事がここから始まっているという感慨と,10年前の自分も意外と?イイ設計しているじゃないかというどこかほっとした気持ち,そして10年前には考えられなかった友人達の生活の変化にもいろいろなことを考えさせられた.
今ではすべての住宅につけているステンレス製の”銘板”も,思えばこの友人施主からの提案だった.刻まれた年号が時間の重みを感じさせてくれる.今回このような機会を設けてくれたILMAの友人施主に,あらためて感謝したいと思う.10周年おめでとう!

14. 03 / 07
だいすき
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sekimoto
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> 仕事
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「せきもとさんだいすき」
人生でそう何度も言われるセリフではありませんよね.2010年竣工のFILTERで,浴室を一部リフォームすることになり,現調のため訪れると,奥様より娘さん(5歳)から預かっていたという手紙を手渡されました.こういうのは本当に嬉しいものです.
ただ,なんでしょうね.これだけ読むと私はこの娘さんにとっても懐かれていたように思われるかもしれませんが,意外とそんなことはありません.当時は私はお施主さんとの打合せで精一杯でしたし,まだ幼児だった娘さんを構ってあげられる余裕などもありませんでした.どちらかというと,当時の女性担当者の方が人気で,私だけ来ると「今日はお姉さん来ないの?」と言われてよく傷ついたものです笑
それが「だいすき」とは,どういう心境の変化でしょうか.この娘さんだけでなく息子さんも,最近私が平日に来ることを知ると,学校に行って会えないことをひどく悔しがるのだそうです.それもとっても嬉しいのですが,なんで急に人気者になってしまったんでしょうね.
私はこういうのって教育なんだろうなと思います.つまりこのご両親は,普段も食卓などで私のことを話題に上げて下さり,それも好意的な文脈で語って下さっているのでしょう.また普段からお子さんに,この家は関本さんが設計してくれたこと,大工さんたちが一生懸命作ってくれた家なんだということを言って聞かせているのだと思います.
ありがたいことです.お子さん達が家に愛着を持ち,大切に使って下さっているのだなあと思うと幸せな気分になります.

設計中の案件で,とある建材メーカーさんにご協力を頂いている.かなり大胆な採用となるため,慎重な検討が必要だ.幸い前向きに取り組んで下さっており,施工図面や技術的なバックアップをして頂いている.
私の学生時代に亡くなった父は,祖父が創業したこの建材メーカーの経営者だった.私は「社長の息子」だと言われるのが大嫌いで,それを言われることは私にとって当時は”いじめ”に等しいことだった.うちは普通じゃないということが心底嫌だったし,将来は社長になるんだろ,と言われるたびに深く傷ついた.
本人の実力とは無関係に,下駄を履かされている感覚に馴染めなかったのだと思う.挙げ句の果てには,友人が自分に優しくしてくれるのは自分が社長の息子だからだろうか,と訳のわからない被害妄想に陥った.そして固く決心した.何があっても社長にだけはなるもんか!と.
しかし杞憂だった.父は早世し,そこそこの規模になっていた企業を当時学生だった私がどうにかできるはずもなく,またそんなつもりも,そんなオファーすらも微塵もなく,私は自分の望み通り,父とは関係なく自分の実力だけが頼りの世界へと飛び込むことになった.
建築関係者であればおそらく誰でも知っているであろうその企業に,私も時折お世話になる.そこの営業担当者などを呼ぶときは不思議な感覚で,その企業名を口に出すと今でも心の奥がズキッと痛む.幼少のトラウマを思い出してしまう.そのくせ商品知識をわきまえていなかったり,応対の仕方が悪かったりするとやけに腹が立ってしまう.しっかりしてくれよ,と思ってしまうのだ.
ちなみに冒頭のご協力を頂いている案件では,もちろん一切余計なことは言っていない.向こうも私を数多くいる設計者のうちの一人として対応してくださっている.今では創業家の名前を出しても,知る社員などもはや少数に違いない.父が亡くなって20年が過ぎ,今こうしてそれぞれの立場で対等に仕事ができていることが,ただ嬉しいのだ.
幼少の自分にはもちろん,今私がこんな仕事をしていることなど想像もつかなかったわけだけれど,もう一つ誤算があったとすれば,今私は当時あんなに忌み嫌っていた社長になっているということだ.
私の学生時代に亡くなった父は,祖父が創業したこの建材メーカーの経営者だった.私は「社長の息子」だと言われるのが大嫌いで,それを言われることは私にとって当時は”いじめ”に等しいことだった.うちは普通じゃないということが心底嫌だったし,将来は社長になるんだろ,と言われるたびに深く傷ついた.
本人の実力とは無関係に,下駄を履かされている感覚に馴染めなかったのだと思う.挙げ句の果てには,友人が自分に優しくしてくれるのは自分が社長の息子だからだろうか,と訳のわからない被害妄想に陥った.そして固く決心した.何があっても社長にだけはなるもんか!と.
しかし杞憂だった.父は早世し,そこそこの規模になっていた企業を当時学生だった私がどうにかできるはずもなく,またそんなつもりも,そんなオファーすらも微塵もなく,私は自分の望み通り,父とは関係なく自分の実力だけが頼りの世界へと飛び込むことになった.
建築関係者であればおそらく誰でも知っているであろうその企業に,私も時折お世話になる.そこの営業担当者などを呼ぶときは不思議な感覚で,その企業名を口に出すと今でも心の奥がズキッと痛む.幼少のトラウマを思い出してしまう.そのくせ商品知識をわきまえていなかったり,応対の仕方が悪かったりするとやけに腹が立ってしまう.しっかりしてくれよ,と思ってしまうのだ.
ちなみに冒頭のご協力を頂いている案件では,もちろん一切余計なことは言っていない.向こうも私を数多くいる設計者のうちの一人として対応してくださっている.今では創業家の名前を出しても,知る社員などもはや少数に違いない.父が亡くなって20年が過ぎ,今こうしてそれぞれの立場で対等に仕事ができていることが,ただ嬉しいのだ.
幼少の自分にはもちろん,今私がこんな仕事をしていることなど想像もつかなかったわけだけれど,もう一つ誤算があったとすれば,今私は当時あんなに忌み嫌っていた社長になっているということだ.
14. 02 / 28
支えられる現場
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sekimoto
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> 仕事
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傾斜地の住宅,DIVE(C邸@柏)の現場にて.
写真はコンクリート打設直前の,構造事務所を交えての配筋検査とその後の打合せの様子.今回は基礎打設の段取りから,配筋,アンカーセットに至るまで異例づくめ.現場も大混乱!工務店も未経験の領域なら,我々とてこれまで経験のしたことない工事で,関係者は常に緊張状態が続いています.写真からもそんな空気が伝わるでしょうか?
でもこんなことを言うと不謹慎かもしれませんが,私はそんな困難な現場が楽しくて仕方がありません.設計中は大いに悩むんですが,一度は自分たちで答えを出したものを,現場の方々がどのように実現してゆくかというプロセスに興味があるのです.そしてそれが目の前で形になってゆく.興奮しないはずがありません.
ただ今回はさすがに我々でも想像力が追いつかず,つい現実に負けそうになりました.つまり,それはさすがに無理だろう,とか,どうやったら施工できるのかイメージができないといった状態です.
でも本当にすごいと思うのは現場の職人さん.職人さん達にとっても,毎回がはじめての連続だと思うのですが,積み上げてきた技量が応用を可能にしているのでしょう.我々の想像力をひょいと乗り越えて,不可能を可能にしてくれるのです.コンクリート打設中の彼らの背中を見ながら,すごいなあとひたすらに感心(尊敬)していました.
建築はそんな職人さん達の腕に支えられているのですね.立場的には我々は”先生”などと呼ばれていますが,きっと彼らは自分たちが一番エライと思っているに違いありません笑.ハイ,私もそう思います!

14. 02 / 21
建築知識3月号
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sekimoto
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今月の「建築知識」(エクスナレッジ)3月号は現場監理特集.今回は付録のDVDにも出演していまして,現場監理での注意点を解説したり,現場で板金打合せをしている様子などが紹介されています.「実力派設計者に学ぶ(DVDタイトルより)」ということらしいですが,自分が仕事してる風景はまず客観的に見ることがないので,不思議な感覚で興味深いです.興味のある方は書店でお求めください.(私の出演は13分30秒ごろからです)
他にも記事ではハーフユニットの納まりなどについて監修しています.ほかにもコラムなど…。来月号にもいろいろと編集協力をしていていまして,そちらのチェックなども現在併行して走っている状況.来月号もどうかご期待下さい.
「建築知識」は専門誌で,私も駆け出しの頃から設計でわからないことがあるといつもこの雑誌を開いていました.今でもバックナンバーはアーカイブとして,貴重な設計資料になっています.なのでここで妙なことを書いてしまうと,それがたちまち全国の設計者のスタンダードになってしまう恐れもはらんでいます汗.これからも同業のお手本になるような仕事を続けてゆきたいと思います.



