今月3日、大手ハウスメーカーの大和ハウスが、新築一戸建ての注文住宅部門を23道県から撤退させ、東京や大阪など大都市のみに集約する旨の発表をしました。また請負う注文住宅の最低価格は5000万以上に限定するとのこと。この報道は業界にも激震が走りました。
おそらく大和ハウスで建てた地方の建て主さんは、きっと「大手だから安心」だと思っていたに違いありません。でもここが大手の怖さでもありますよね。上層部の決定で一気にオセロがひっくり返るのですから。半沢直樹の世界。ある意味、倒産よりたちが悪いです。
これはあまり知られていませんが、大手ハウスメーカーが建てた家は、我々設計事務所や地元の工務店には触れません。仕上げを変えるくらいならできますが、構造は一切いじれないのです。ですから、壁を抜いて二室を一室にするとか、新しく窓を増やすといったことは一切できません。
これはなぜかというと、大手ハウスメーカーが採用している工法は特殊で「型式認定」というものを採用しているからです。
型式認定というのは「同一の規格や仕様で大量生産される構造物が、法令や安全基準に適合しているかをあらかじめ一体で審査して認定する制度」で、これによって個別の確認申請が簡略化され、費用や手間は大幅に削減されます。我々が何ヶ月もかけて確認申請を下ろすのとは大違いです。
ところがこの型式認定は各ハウスメーカー独自のルールで設定されているので、これを外れて建てることは出来ません。これはもちろんリフォームにおいてもです。しかもその中身はブラックボックスなので、それを触れるのはそれを建てたハウスメーカー一社のみなのです。
つまりそのハウスメーカーで建てた建て主さんは、未来永劫そのハウスメーカーからは手を切れないということになります。なんかこれって、よく考えると怖いシステムですよね。
うちの事務所にも過去に何件も同様の相談が持ち込まれました。ハウスメーカーで建てた家をリノベーションしてほしい。壁を抜いて広い間取りに変えてほしい。できますよね?
そのたびに事情を話してそれはできないことをお伝えすると、皆さん愕然とされます。それをするには結局同じハウスメーカーに頼むか、建て替えるしかないのです。
一方で、いわゆる木造在来工法といわれる我々の得意とする昔ながらの木造なら、ルールがとてもシンプルで汎用性に富んでいるので、他の設計者や工務店が建てた家でも自由にリノベができます。結局前者は長期的な構造の自由度に欠け、将来に大きなリスクを抱える可能性があるのです。
◇
冒頭の大和ハウスの話に戻ります。
撤退されてしまった地方都市の建て主さんは今後どうなるのでしょう?大和ハウス側は、別会社による全国対応の窓口を設けるので問題ないとしているようですが、本当にそうでしょうか。
たとえばトヨタのディーラーで買った車は、ディーラーに持ち込まなくても街の修理工場ならどこでも直してくれます。でも型式認定で建てられた住宅は、原則として大和ハウスの下請けの認定工務店でなくては構造をいじることはできません。
お世話になっていた地元の営業所が撤退し、その担当者もいなくなり、別会社に切り離された窓口に直接メールや電話をしなくてはならない建て主さんはどれだけ心細いことでしょう。きっと「見放された」という思いになるのではないでしょうか。
大和ハウスは、もはやハウスメーカーというより物流施設や海外事業、不動産事業などで大きな収益を上げている企業で、戸建て住宅での売り上げは全体のわずか一割以下なのだそうです。つまり住宅は不採算部門。ドライに考えたら、そりゃあそうなるよなという気がします。
また最低5,000万以上という強気の姿勢も、裏を返せばそれ以下は儲からない、やる意味がないということです。こちらもまた事実なんでしょうが、こうはっきり言われては身も蓋もありませんね、苦笑
これは「大手ハウスメーカー神話」の終わりのはじまりという気がします。リオタデザインは大手ハウスメーカーとは一切競合しませんので、別にライバルを攻撃しているわけではありませんよ。ただ、世も末だなと思います。
業界の再編がますます進みそうな気がしています。
おそらく大和ハウスで建てた地方の建て主さんは、きっと「大手だから安心」だと思っていたに違いありません。でもここが大手の怖さでもありますよね。上層部の決定で一気にオセロがひっくり返るのですから。半沢直樹の世界。ある意味、倒産よりたちが悪いです。
これはあまり知られていませんが、大手ハウスメーカーが建てた家は、我々設計事務所や地元の工務店には触れません。仕上げを変えるくらいならできますが、構造は一切いじれないのです。ですから、壁を抜いて二室を一室にするとか、新しく窓を増やすといったことは一切できません。
これはなぜかというと、大手ハウスメーカーが採用している工法は特殊で「型式認定」というものを採用しているからです。
型式認定というのは「同一の規格や仕様で大量生産される構造物が、法令や安全基準に適合しているかをあらかじめ一体で審査して認定する制度」で、これによって個別の確認申請が簡略化され、費用や手間は大幅に削減されます。我々が何ヶ月もかけて確認申請を下ろすのとは大違いです。
ところがこの型式認定は各ハウスメーカー独自のルールで設定されているので、これを外れて建てることは出来ません。これはもちろんリフォームにおいてもです。しかもその中身はブラックボックスなので、それを触れるのはそれを建てたハウスメーカー一社のみなのです。
つまりそのハウスメーカーで建てた建て主さんは、未来永劫そのハウスメーカーからは手を切れないということになります。なんかこれって、よく考えると怖いシステムですよね。
うちの事務所にも過去に何件も同様の相談が持ち込まれました。ハウスメーカーで建てた家をリノベーションしてほしい。壁を抜いて広い間取りに変えてほしい。できますよね?
そのたびに事情を話してそれはできないことをお伝えすると、皆さん愕然とされます。それをするには結局同じハウスメーカーに頼むか、建て替えるしかないのです。
一方で、いわゆる木造在来工法といわれる我々の得意とする昔ながらの木造なら、ルールがとてもシンプルで汎用性に富んでいるので、他の設計者や工務店が建てた家でも自由にリノベができます。結局前者は長期的な構造の自由度に欠け、将来に大きなリスクを抱える可能性があるのです。
◇
冒頭の大和ハウスの話に戻ります。
撤退されてしまった地方都市の建て主さんは今後どうなるのでしょう?大和ハウス側は、別会社による全国対応の窓口を設けるので問題ないとしているようですが、本当にそうでしょうか。
たとえばトヨタのディーラーで買った車は、ディーラーに持ち込まなくても街の修理工場ならどこでも直してくれます。でも型式認定で建てられた住宅は、原則として大和ハウスの下請けの認定工務店でなくては構造をいじることはできません。
お世話になっていた地元の営業所が撤退し、その担当者もいなくなり、別会社に切り離された窓口に直接メールや電話をしなくてはならない建て主さんはどれだけ心細いことでしょう。きっと「見放された」という思いになるのではないでしょうか。
大和ハウスは、もはやハウスメーカーというより物流施設や海外事業、不動産事業などで大きな収益を上げている企業で、戸建て住宅での売り上げは全体のわずか一割以下なのだそうです。つまり住宅は不採算部門。ドライに考えたら、そりゃあそうなるよなという気がします。
また最低5,000万以上という強気の姿勢も、裏を返せばそれ以下は儲からない、やる意味がないということです。こちらもまた事実なんでしょうが、こうはっきり言われては身も蓋もありませんね、苦笑
これは「大手ハウスメーカー神話」の終わりのはじまりという気がします。リオタデザインは大手ハウスメーカーとは一切競合しませんので、別にライバルを攻撃しているわけではありませんよ。ただ、世も末だなと思います。
業界の再編がますます進みそうな気がしています。
昨日は元スタッフで、今は青森で独自の活動をしている砂庭さんが上京に寄せて事務所に立ち寄ってくれました。
砂庭さんは地元の八戸でport Plough(ポートプラウ)という活動体を立ちあげ、自身の持つ習字の教授免許を活かして、設計事務所と習字教室という異なる二つの活動を同時に行っています。この二つの活動は彼女にとって分かちがたく一つの活動として捉えているところがとてもユニークで、いつも陰ながら応援しています。
すでに彼女の習字教室は地元でも大人気で、遠隔の方にもオンライン講座もひらいているとのこと。ご興味ある方は是非!
port Plough(ポートプラウ)
https://portplough.com/
この日は10年ほど前に彼女が在籍中に担当してくれた市内のDECOという住宅にも立ち寄らせていただきました。お施主さんも大喜びで、また幼かった頃に彼女に懐いていた娘さん達も大きくなり、この日は今流行りのボンボンドロップシールをたくさん並べて説明してくれました。噂には聞いていましたが、小さな子供がいない私は実物を見るのは初めて!本当に良くできているんですね。
ひとしきり感心していると、友好の証に?いくつかとっておきのシールを我々にプレゼントしてくれました。しばらく私のスマホにくっついていると思いますが、皆さん温かく見守ってください、笑
この日は砂庭さんとも久しぶりに、夜ゆっくりお酒を呑みながらお互いの近況報告と、活動へのエールを送らせてもらいました。砂庭さん、立ち寄ってくれてありがとう。また上京の折に会いましょう!
世の中は平等に出来ていて、すべての人に均等に機会があると思うだろうか?
でも実際には世の中には「運が良い人」というのは存在していて、同じように努力しているのに、ある人はするすると上に行き、ある人は取り残される。あいつはいいな、ずるい。そう思うだろうか?
この建築の世界は才能がうごめく世界だ。そんななか独立して仕事をする人たちは皆才能の塊だと思う。でもそんな中でも頭一人抜けた活躍をしている人というのはいて、その人は何が違うのか見ていると、みんなひとつの共通点に行き着く。それは圧倒的な人脈の広さと、それを引き寄せる気さくな性格の持ち主であること。一緒にいて楽しくなる人のまわりには人が集まるのは必然だろう。
一方、思うように結果が残せない人にも共通点があって、それは一見人当たりが良いのだけれど、どこか秘密主義だったり相手に心をひらかない頑なさのようなものがあること。そのどこか心に鍵をかけたような近寄りがたさは、その場限りの人付き合いを引き寄せ、結果としてその人は孤立しやすくなる。
これまで様々な団体に首を突っ込んできて、会報誌の編集長やセミナー企画の立案などいろんな役回りを経験してきた。次の講師は誰に頼もうか、これは誰に寄稿をお願いしようか、次はどなたの活動を取り上げようか。そんな会議の場で、企画者たちは名簿の上から順に頼んでいくようなことをすると思うだろうか?
実際には違う。人は一瞬で決まるのだ。「この人が良いと思う」誰かが声を上げる。みんなの頭にその人の顔や活動がふわっと浮かぶ。詳しくは知らない、けれど面白そう。「いいと思う!」それで決まることがいかに多いことか。人選は意外なほどに恣意的。公平性もへったくれもない。
そこで爪痕が残せれば、次からは”その人”という名のショートカットができあがる。人選の基本は「一人は冒険、一人は安定」。その安定枠に入ればその人のエスカレーターは約束される。指名される人は指名され続ける。
「カネがあればなんでもできる」そんな台詞がドラマなどで出てくることがある。でも実際の社会では聞いたことがない。それは真実ではないからだ。それは魅力ある人のもとには人が集まり、機会は集中し、結果として財をなす(こともある)という循環を表現したものにすぎない。
「ヒトがいればなんでもできる」人さえつながれば黒が白くなることも、横のものが縦になることだってある。ずるい。そう思うだろうか?けれどそれが社会の真実。人とのつながりがすべてなのだ。
でも実際には世の中には「運が良い人」というのは存在していて、同じように努力しているのに、ある人はするすると上に行き、ある人は取り残される。あいつはいいな、ずるい。そう思うだろうか?
この建築の世界は才能がうごめく世界だ。そんななか独立して仕事をする人たちは皆才能の塊だと思う。でもそんな中でも頭一人抜けた活躍をしている人というのはいて、その人は何が違うのか見ていると、みんなひとつの共通点に行き着く。それは圧倒的な人脈の広さと、それを引き寄せる気さくな性格の持ち主であること。一緒にいて楽しくなる人のまわりには人が集まるのは必然だろう。
一方、思うように結果が残せない人にも共通点があって、それは一見人当たりが良いのだけれど、どこか秘密主義だったり相手に心をひらかない頑なさのようなものがあること。そのどこか心に鍵をかけたような近寄りがたさは、その場限りの人付き合いを引き寄せ、結果としてその人は孤立しやすくなる。
これまで様々な団体に首を突っ込んできて、会報誌の編集長やセミナー企画の立案などいろんな役回りを経験してきた。次の講師は誰に頼もうか、これは誰に寄稿をお願いしようか、次はどなたの活動を取り上げようか。そんな会議の場で、企画者たちは名簿の上から順に頼んでいくようなことをすると思うだろうか?
実際には違う。人は一瞬で決まるのだ。「この人が良いと思う」誰かが声を上げる。みんなの頭にその人の顔や活動がふわっと浮かぶ。詳しくは知らない、けれど面白そう。「いいと思う!」それで決まることがいかに多いことか。人選は意外なほどに恣意的。公平性もへったくれもない。
そこで爪痕が残せれば、次からは”その人”という名のショートカットができあがる。人選の基本は「一人は冒険、一人は安定」。その安定枠に入ればその人のエスカレーターは約束される。指名される人は指名され続ける。
「カネがあればなんでもできる」そんな台詞がドラマなどで出てくることがある。でも実際の社会では聞いたことがない。それは真実ではないからだ。それは魅力ある人のもとには人が集まり、機会は集中し、結果として財をなす(こともある)という循環を表現したものにすぎない。
「ヒトがいればなんでもできる」人さえつながれば黒が白くなることも、横のものが縦になることだってある。ずるい。そう思うだろうか?けれどそれが社会の真実。人とのつながりがすべてなのだ。
一昨日の住宅部会のテーマは「お金の話」。設計料のこと、設計契約のこと、現場でのトラブル、裁判沙汰の話?など、ここでは書けないオフレコ話で盛り上がりました。こういう話は表立ってはなかなかできず、人の話もあまり聞くこともないのでみんな興味津々!
この日思ったのは、自分の常識は他人の非常識なんだなということ。私もそうですが、誰に教わったわけでもなく、独立してから試行錯誤を重ねて皆さん現在のスタイルを作り上げているんですよね。
みんな我こそは本流という体でお話しされますが、私からしたらどれも真似できないことばかり。丹羽修さんの「契約時には施主が希望する条項をひとつだけ入れる」という“ひとつだけ願いを叶える”方式も面白くて目から鱗でした。
若手からベテランへも質問が多く飛び交いました。私も駆け出しの頃、こんなふうに教えてくれる先輩が周りにいたらと羨ましく思いました。
この日はできませんでしたが、「過去にやらかしたとっておきの失敗話」なんていうのも個人的には美味い酒の肴になりそうです笑
先日はスタッフに「駆け出しの頃に味わった悔しくて涙が出た話」をあれこれ話したのですが、まだ自分の中にも未発掘エピソードが眠っていたことに気づきました。記憶の底に封じ込めたあれやこれや。またいつか文章にして供養してみたいと思います。
建築家仲間の津野恵美子さんの「林を抱く家」のオープンハウスへ。いわゆる豪邸。それも久しぶりに見る規模でした。これだけの規模をグレード感を落とさず、嫌らしさは出さず、品格を落とさずやり切るというのは、単に技術や経験だけではなく、津野さんの持つしなやかな感性のなせる業なのだろうと思います。まずそこに感服しました。
設計をまとめる作業は、文章を書く作業に似ています。どこで句読点を打つのか、改行をするのか、言い回しから言葉の選び方まで、何度も何度も通読して、引っ掛かりを覚えては書き直し、というのを繰り返すことで文章は肉体化し、難解な文章も難解なりに筋が通ってストンと落ちていきます。
私は建築を見るときは、文章を読むようにその人の文体を楽しむのですが、津野さんの文体はとても平易で、長編小説なのにすらすら読める感覚があります。それでいて、チャプターごとに必ず見せ場を作っていて飽きさせない。ずいぶん変わった言い回しをするんだなとか、似たような表現は自分も使うのに全く世界が違って見えるとか、その発見がとても楽しい。
それは津野さんが人任せにしないで、誠実に部分と向き合っているからなんでしょうね。あたたかな空間って、自然素材を使っているかどうかではなく、細部まで神経が行き届いているかどうか、本人が責任を持ってやり切っているかどうかに掛かってくるのだと思います。
そんなことを思いながら見学しました。執筆に丸3年かかった長編小説を2時間で読んだような贅沢な時間でした。津野さん、ご案内をありがとうございました!
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