先週土曜日,荒川区にて進行中だった住宅「町屋の家」のオープンハウスがありました.今回の住宅は多世帯かつ,計画道路や法的なことなど,実に複合的かつ複雑な問題が絡み合っていた難しい計画でした.

ただ出来上がった住宅は実にシンプルで,もしかしたらご覧になった方も「どこをそんなに苦労したの?」と不思議に思うような仕上がりだったかもしれません.往々にして建築というものは,どんな複雑な問題も,鮮やかに整理すると何事もなかったようなシンプルさに辿り着くものです.


それはさておき,オープンハウスには同業の建築家仲間も含めて,いろんな方に来て頂きました.同業が見るポイントと一般の方が見るポイントというのももちろん違いますが,もしかしたら,プロである同業すらも見落として帰られたかもしれないであろう,”細かすぎて伝わらない”地味なポイントもあるので,今日は特別にそれらをご紹介しておこうと思います.


まずは換気扇のニッチ.
こんなのは序の口ですね.うちでは普通です.珍しくもありません.


でもこれはどうでしょう?ポップアップする給気口とスライド収納との干渉を交わしています.これはたまたまではありません.ちゃんと図面の段階で予見して,意識して納めています.こういうところを気づいてもらえると,設計者としてはとても嬉しい気持ちになります.


これは地味の極み.ここは家具で納めています.と言うと,一般の方は「?」同業ならニヤッとするかもしれません.家具製作で納めるときは,ボードが仕上がった段階で家具を入れるので,カウンターと壁との間に隙間が出ます.どうがんばったって,3ミリは必至でしょう.

ここにはそれがありません.家具を入れるタイミングとボードを張るタイミングをずらしているからです.現場は嫌がりますが,こういうことを地味にやると結果的には”なんてことないように”納まります.


これはわかるでしょうか?
今回SE構法という金物構法を使っているので,梁にはスリットの穴があいています.でも壁際のクロスとの取り合いに穴が開くと,壁の中が見えてしまってきれいに納まりません.そこには部分的に楔を打って梁下のラインを揃えています.

もうちょっと言うならば,楔もすべてスリットをつぶすのではなく,最小限にとどめて解決しているというのもポイントです.あくまでSE構法でやっているという主張は残しつつ,仕上げは美しく見せる.別にどうってことはありません.ありませんが,こういう所に気づいてあげると,これまた設計者は嬉しくなるものです.



続いてここも激シブのポイントです.
アルミアングルの関止め.既製品だとゴツイのしかありません.これは製作ですが,ポイントは扉を閉めるとアングルが面一になって隠れるというところです.どうってことはありません.ありませんが,こういうことを地味にやっている同業を見たら,この人はちゃんと完成形が見えているんだなと,私はニヤリとするでしょう.


最後にこれは板金のコーナー.
これはファインプレーです.なんてことないように見えるでしょう.しかしこれはウルトラCです.私はいつもこういう風に納めて欲しいと思っているのですが,それを実現出来る職人というのは滅多にいません.コーナーに役物を使わずに横葺きを連続して納める.こんなことができるのは世界広しといえども日本の職人だけです.日本人に生まれて良かった.え,見過ごした?それは残念でしたねえ.

繰り返すようですが,上記のようなディテール展開はほんの序の口です.そして我々にとっては当たり前の部分です.竣工写真には写りません.雑誌にも載りません.でも重要なんです,こういうところが.


私はそういう部分は建築の”所作”のような部分だと思っています.
私の好きな弓道にも,このような所作が無数にあります.それぞれの動きには意味があり,的に当たる当たらないという以前に,それが備わっている人の射は美しく品格を感じさせるものです.

弓道では,それらはすべて相手に対する「敬意」から来るものだということを知りました.建築もまた,それを使う人やそれを外から眺める人への敬意を考えたら,おのずとそこにはディテール(所作)が生まれるのだと思います.

オープンハウスに来たら,是非そんな隠れたポイントを発見してみてください.そして発見したら私やお近くのスタッフに小声で教えて下さい.景品はありませんが,きっとニンマリすることと思います.

14. 04 / 18

大車輪

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sekimoto

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> 仕事
> 思うこと


ずっと追っ手に追いかけられていて,脇目もふらず走り続けているんだけど,ふと気づいて見回すといつの間にか追っ手はいなかったということが仕事ではままある.

やるべきことがいっぱいで,毎日TODOリストを作っては赤線で消していく日々.でも消しても消しても雪だるま式に増えてゆく雑務.でもあれ?気づいたら今日はもうやることなかった,みたいな.

なんでしょうね,仕事のゴールって締切日のようにはっきりしている時もあるけれど,多くの場合はシームレスで,締切日にすべてがきれいに「終わったー!」なんてことは実際にはほとんどない.

往々にしてひとつの仕事の区切りを迎えるときには,もう次の仕事がオーバーラップしていて,しかももう火がつき始めているみたいな.我々は日々マウスのように,大車輪を転がし続けるしかないのだ.

ところが,締切でもないのにすべてが「終わったー!」という瞬間が気まぐれのようにやってくる.前ぶれもなく.ええっ今日ですか?みたいな.前ぶれがあったなら休みたかった,ていう.こういうことが,年に4回くらいあります.

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sekimoto

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> 思うこと
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おいしいものを食べると人はわくわくした気分になり,幸せな気持ちになる.同様に,素晴らしい空間に身を置くと人はわくわくした気分になり,やはり幸せな気持ちになる.それゆえに我々のような建築家という職業が存在する.そこまでは誰しも疑念の余地はないだろう.

最高の食材を使った最高の料理人の作る料理を,人は一度は食べてみたいと思うだろうし,実際食べたらその格調高く非日常的な味わいにきっと夢見心地になることだろう.けれどもそれを毎日食べるということは(物理的にも,経済的にも)たいていの場合叶わないし,叶わなくていいとも思う.一年に一度くらいそんなところで食事ができるから,幸せを感じることができるのだろうと思うからだ.

ところが料理人はそうはいかない.一年365日,最高の料理をつくることだけを考えている.究極の素材で至高のメニューを提供することが料理人としての頂点であるとするならば,そこを目指すのが仕事人というものである.もちろん,一個人としてそういう考え方は好きだし,共感もできる.

けれども私はどこかで,自分は「おいしい定食屋さん」でいいと思っている部分がある.究極の料理人になりたくないわけではない.でも私は手頃な値段で,より多くの人たちに足を運んでもらいたいし,おいしいと言ってもらいたい.年に一度の幸せよりも,毎日が幸せで満たされた方がより素敵なことだと思うからだ.

そのため,我々が用意する食材は普通の八百屋さんで手に入るようなピーマンやニンジンだったりする.どこでも手に入って,普通においしいもの.あるいは地場のものを材料とする.そこでフライパンを振るのも,都内有名店で修業したシェフというわけでもなく,普通の料理人だ.

けれどもそのお店は地域の評判を呼んで行列ができるのだ.理由は値段もリーズナブルで,ひょっとしたら都内有名店よりこっちの方がおいしいから.家から近いし,普段着で子ども連れで行けるのも魅力だ.

秘訣はレシピにある.使っている素材は家庭と同じでも,仕込み,塩の振り方,火加減にこだわりがある.なんならレシピを公開しても良いと思う.けれども絶対にこの味は再現できないのだ.それこそがプロと素人の違いだと思っているから.

とまあ長々と料理例えが続いているけれど,要は我々のつくる建築はそういう建築でありたいし,また我々はそんな設計事務所でありたいと思っている.

なぜ唐突にこんなことを書いているかというと,建築家の仕事はお金がかかっても仕方がない,妥協のない仕事をすることが建築家であるかのような考えに最近触れることが多いからだ.もちろん我々だって妥協はしない.けれど我々の目指すところは,やっぱり「おいしい定食屋さん」なのだろうと思う.

もちろんファミレスのように安いわけではない.ある人にとってはそれでも高いかもしれない.でもそこをぶらしたらいけない.これは自戒を込めて記しておきたい.

14. 01 / 28

想いの総量

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sekimoto

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> 思うこと
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とある更新書類で過去の仕事をまとめていて,それによると過去5年間で23件の仕事(ほとんどが住宅)をしていることがわかった.けれどそのどれもが途方もなく時間と手間をかけた仕事で,当時を思い出すとどれも目眩がしてしまうほどだ.

事務作業だから,床面積とか工事費とかどんどん打ち込んでいかないといけないんだけど,このたった一行だけの記載に,走馬燈のようにいろんなことを思い出してしまう.あんなことやこんなこと.とても一行では書き切ることのできないあんな事件やこんな修羅場の数々….そんなことを考えていたら本当に気持ち悪くなってしまって,人の想いの総量に押しつぶされそうになってしまった.

その時その時は逃げ出したくなるほどの重圧や途方もない作業量だったりしたけれど,過ぎ去ってみればみんな過去の出来事.そして最後に作品だけが残る.一生これを繰り返していくのかと思うと,これまた気が遠くなる思いがする.今大変なあの仕事やこの仕事も,未来にはたった一行で記載されるのだろう.

あぁ,早く未来から今を振り返りたいものだ.

13. 12 / 17

降りてくること

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sekimoto

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> 思うこと
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アイデアを考えるとき,「降りてくる」という表現を使うことがある.アイデアが生まれた状態を「降りてきた」ともいう.けれど何もアイデアが浮かばないときに,「降りてこない」から浮かばないのかというと,必ずしもそうではないと思う.

はたして何もしていないときに「降りてくる」ことなんて,どれほどあるのだろう.少なくとも私は一度も経験がない.だからそんな人はきっと天才なんだろうと思う.

ピッチャーはマウンドに立つ前に,ブルペンで肩慣らしをする.マウンドを意識しながら出番を待っている.舞台に立つ前には相応のウォーミングアップが必要だ.いきなり投げろと言われてもできない.きっとそんなことをしたら,本調子になる前に交代を告げられるだろう.

私もプランニングを頼まれたら,ウォーミングアップからはじまる.まずはエスキース帳に敷地の輪郭をオンスケールで描き,漠然と配置やゾーニングを描いてゆくところから始める.周辺状況やご要望を浮かべながら,焦点の結ばないぼんやりとした線を何本も何本も引いてゆく.重要なのはスケールを手放さないこと.必ずスケールを当てて考える.どんなつまらない案でも,ひとつでも出来ればそれは一案だ.ここまではいわばルーティンワークである.

なんとなくアイデアはある.そしてすでに案もいくつかできてはいる.けれども降りてきてはいない.決め手に欠ける.そこからが長いのだ.けれどもそこまでブルペンで肩慣らしをしておくと,頭に図面が入っているので,歩きながらやお風呂の中で,布団の中でも案を温め続けることができる.毎日考える.何案も何案も頭が沸騰するくらい考える.エスキース帳は一件の住宅のプランに一冊を使い切るくらいだ.そして,ある瞬間に焦点が結ばれる.

それがいわゆる「降りて」きた状態なのだと思う.

学生を見ていていつも歯がゆく思う.設計指導をしている学生達の多くは,毎週の指導日に真っ白な状態で何も浮かばなかったと言う.アイデアにスケールを与えず,いつまでも抽象的なイラストのまま現実逃避を続けている.

彼らはきっと,ニュートンがリンゴを見て万有引力を発見したという話を勘違いしているのかもしれない.ぼんやり庭を眺めていただけで歴史が変わるはずはない.何も浮かばないまま真っ白なエスキース帳に向き合い続けるのはさぞや苦痛だろう.どこかにショートカットキーがあれば押してみたいものだ.けれども人生にショートカットキーは存在せず,地道に手数を積み重ねることでしか真の解決には辿り着かない.

今さらこんなことを言ったところでもう遅いのかもしれない.けれども毎回同じ事の繰り返しで悩み,苦しんでいる学生があまりに多いことにいつも心が痛くなる.

抽象的な言説とお絵描きからは早々に決別しなくてはならない.模型ばかり作っているというのも考えものだ.右手には鉛筆,左手にはしっかりと三角スケールを握りしめて,苦しくも地道な作業に没頭しなくてはならない.一案に囚われてはならない.行き詰まったら何案でも考えるのだ.

せめて言い訳をするならば,像を結ばない無数の線とプランニングの軌跡を記した丸一冊分のエスキース帳を差し出して欲しい.けれどもそこまでする人はいないだろう.その時点で必ず降りてきているはずだから.