11. 09 / 29

流儀とぼやき

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sekimoto

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> 仕事
> 思うこと


我々のようなアトリエ事務所は比較的閉じた環境で仕事をしているので,他の事務所がどんな風に仕事をしているかを知る機会は,ありそうで実はあまり多くはない.だからそんな機会があると,つい前のめりになっていろいろと”情報交換”をしてしまう.

先日は,実施設計では僕も図面を描くという話をしたら驚かれた.他の事務所では「所長は図面を描かない」らしい.図面どころか,現場もあまり行かないという人や,クライアントとの打合せもスタッフまかせという人もいるらしい.これを最初聞いた時はウソでしょって思った.

うちでは僕もばりばり図面を描くし,現場も行くし,クライアントとも僕が打合せる.スタッフに全面的に任せるのは確認申請くらいかもしれない.ひとつにはスピードや責任の問題もあるけれど,なにより自分の目で見て聞いて,図面を描かないとその空間が肉体化しないような気がするからだ.

だからうちでは何件仕事があっても,動かしている実施設計は常に一つだけ.だから一定のキャパシティを超えると,クライアントを延々とお待たせすることになってしまう.

同業に言わせると,そんな僕のやり方は理想だけれど非現実的で非効率的なやりかただという.反論を試みようとするものの,それでは仕事を廻せないでしょう?と返されると黙ってしまう.実際その通りだから何も言えない.

でもそんな流儀を貫いてきたことによって,これまでクライアントとの間にも大きな問題もなく,隅々まで配慮の行き届いた空間をつくってきたという自負があるのも事実.

だからたぶんこれからも基本的な仕事の進め方は変わらないのだろうけれど,ただ事務所を運営する立場として,もう少し上手いことやらないとしんどいなぁ…とぼやきに近いこともまた考えてしまうのだった.

11. 09 / 14

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sekimoto

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> 思うこと
> 生活


はじめてお会いした方には,思っていた通りだったと言われる.
けれども長く付き合った人からは,第一印象と違うと言われる.「意外」だと.

たとえばこのブログではいつもありのままのことを書いてはいるけれど,本当に考えていることや,普段事務所で話しているようなことまですべて書いているわけではない(といっても,そんなヨコシマなことではないですが).

よく「意外」と言われるのは,たとえばどっぷり文化系に見えて学生時代はバリバリの体育会系だったとか(今でも基本的なメンタリティは体育会系だと思う),シリアスに仕事しているときとリラックスしてくだらない冗談を言っている時の差がはげしいとか(初対面ではまず冗談とか言わなそうに思われる),几帳面に見えて意外と机の上はぐちゃぐちゃとか….

そんな姿をスタッフなどにはいつも見られているので,正論を語りながらも我ながら説得力ないなあと思うこともたびたび.ただいかんせんイメージもあるので,クライアントの前ではせいぜいボロを出さないようにしなくてはと思っているのですが….

11. 09 / 11

18 till I die

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sekimoto

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> 思うこと


ちょうど十年前,旅客機がNYの超高層ビルに突っ込んだあの日,僕は友人とヘルシンキのレストランにいて,友人の携帯に飛び込んだそのニュースに全身に鳥肌が立ったのを覚えている.まだ見えぬ自分の将来への不安を抱えながら,これから世界はどうなってしまうのだろうと,でも一方では何かが変わるという好奇心にも似た気持ちもあった.

ちょうど半年前,未曾有の災害が東北を襲ったあの日,僕はスタッフと共に有明にいて帰宅困難者のひとりとなった.当時は自分もなかばパニック状態で,日々建築家として何ができるのかを模索する日々でもあった.建築が変わる,社会が変わる,と日々呪文のように唱えていた.

ロック歌手のブライアン・アダムスに『18 till I die』という曲がある.
ハスキーボイスで叫ぶ”死ぬまで18歳”というその歌詞を,今は当時とは違う気持ちで聴ける気がする.肉体は日々時計の針と同じ分だけ歳を取っていくけれど,僕はあの頃からなにも変わっていないと思うことがある.建築を志した18歳の延長線上に,今の自分はあると信じたい.

あれからちょうど40年.とりあえず通過点.
でもとりあえず,おめでとう自分.



今日は外出のため,家族に一日早く祝ってもらいました.

11. 09 / 01

「話す」こと

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sekimoto

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> 仕事
> 思うこと



以前プランがなかなか進まない話を書いた.その後はといえば,なんとか道筋をみつけて「ヨシ!」と心の中で小さくつぶやけるくらいの案にはなりつつある.

毎回プランを納得のいく形でまとめるというのは,プロとしては当然といえば当然のことなのだけれど,でもこれはプロだろうが学生であろうが結局は同じことで,そんな局面に出くわした時どうやったら乗り越えられるかということを日々意識していないと,その時にただあたふたと自信喪失する事態にもなりかねない.

よくそういうときは「手を動かせ」と我々は言う.ただ腕組みして天井を眺めているよりも,手を動かしていれば何かヒントが得られるはずだと.もちろんそれは正しい.正しいけれど常に正しいかと言われればそうでもない,と僕は思う.

だって頭に何にも浮かばないのに真っ白なスケッチブックにただ向き合うなんて,こんなに苦痛なことはないもの!これはきっと文筆業の方でも同じだろう.ちょっと気分転換…といっては,後ろめたく違うことをやりはじめてしまうパターンになりかねない.

今回実感したのは,こういうときの「話す」ことの有効性である.

自分の中で堂々巡りしている悩みも,親しい友人などに話すとおのずと結論が見えてくることがある.今回もあまりに糸口が見えないので,スタッフをつかまえ目の前に座らせては,何が問題なのか,どこに違和感を覚えているのかを訥々と語るという作業を繰り返した.

不思議なもので,毎回語り終える頃には「だからきっとこういうことなんだろうな」という結論じみたことが見え始めていたりするからおもしろい.あんなに行き詰まっていたというのに.またそこで素朴な一言をもらったりすると「やっぱりそうか」と,またひとつ外堀が埋められたりもする.

つまり「話す」ことは手を動かすのと同じくらい有効な”エスキース”であるということだ.さび付いて硬直していたギアに油を差す行為にも近いかもしれない.また自分以外の誰かを巻き込むことで,モチベーションを上げられるという効果もあるだろう.

そう考えると,よく大学などでは学生がまっさらなエスキース帳を持ってきては「なんとかしてください!」というパターンが多いのだけれど,それを怠慢とばかりに突き放すのは必ずしも得策ではないのだとも言える.手が動かない学生には,まずは口を動かさせるというのも指導のひとつだろう.

今回はいろいろスタッフにも”ご指導”頂いて少し着地点が見えてきた.実にありがたい.一人で事務所をやっている人も多いと思うけれど,仕事量の問題というよりクリエイションの問題において,僕は絶対に一人ではできないだろうなとつくづく思うのだった.

11. 08 / 15

うんざりする

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sekimoto

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> 思うこと


あーあと心の中でつぶやく。
僕はいつも投げなくてもよい石を放ってしまう。なんでも曖昧にするのがいやで、ついつい白黒をつけたくなってしまう。けれども世の中は、だいたい白黒つけられないことがほとんどで、あるいはつけるのを放棄して皆平和に暮らしている。もしかしたら皆鈍いのかなと思うこともあるし、大人なのかなと思うこともある。

石を投げればその波をかぶることは目に見えている。
やめておけばいいのに、でも僕は投げずにはいられない。

けれども一時的に高まる波をかぶることさえ覚悟すれば、ふたたび波が静まるころには前よりも状況は良くなっている(と信じたい.幻想だろうか)。言わなくても察してもらえることもあるけれど、やっぱり言わないとわかってもらえないことも多いものだ。

そして石を投げてから、あーあとまた心の中でつぶやく。
投げなくてもいい石をまた放ってしまったという気持ちになる。

今抱えている別の問題についても、掴みかけた石を放るのか、放すのか、その判断が頭の中をぐるぐると駆けめぐっている。多くの場合、掴んだ石は放すのが賢明だ。けれども僕は結局放ってしまうような気がする。そしてそのことと、そのあとにやってくるであろう高波を想像して今からうんざりするのだ。