
ちょうど1年ほど前に,蕨市に「窓の家」という家が竣工しました.
『窓の家』
https://www.riotadesign.com/works/13_mado/#wttl
そのお施主さんより,この1年暮らしてみての感想や,今回の家づくりを振り返っての詳細な”報告書”が届きました.その分量,実にA4で7枚.これまで1年点検等で口頭でいろんな感想を頂くことはありましたが,文書でここまでのものを頂くのは初めてのことです.
正直,こうしたコメントは自分の通信簿を見るようでもありかなりドキドキします.クレームがいっぱい書かれていたらどうしよう!
実際には良いことも悪いことも書かれていました.ただ良いこと9割,悪いこと1割くらいでしょうか.もしかしたら2割あったところを削ってくれたのかもしれませんが,とにかくこの1年生活しての喜びや幸せが綿々と綴られていました.我々だけでなく,施工を担当した工務店さんへの感謝も書かれていました.
こうしたフィードバックは,我々にとっては非常に貴重なものです.設計者は未来を予見し,想定することが仕事なわけですが,想定通りになったかどうかの摺り合わせは,いわば答え合わせのようなものです.試験でこのように自分は解答した!とドヤ顔で語ったとしても,採点者がバツをつけたらそれは不正解だと思うからです.
お施主さんが「終わりに」と綴られていた以下の言葉がとても印象に残りました.あぁ,大正解!細かい設問での減点はありましたが,最後の配点50点の小論文で満点を取ったような気分です.そのように感じて頂けたこと,感じて頂くことが,まさしく我々の仕事の目的そのもののような気がします.
『今回の家作りを通して、大事な収穫を得ることができました。それは家族・友人との結びつき、今風にいうと絆でしょうか。新しい家を媒介して、今まで以上に結びつきが増幅できました。戸田の花火大会で家族が集う、世間話でご近所さんが集う色々なつながりが、新しい家により増幅することができました。単なる空間が、プロの知識と技を駆使して、意味のある空間に変えられること。建築の奥深さを強く認識できました。恐るべし建築!』
~単なる空間が,プロの知識と技を駆使して,意味のある空間に変えられること~
そう,それが「建築」なんです.
14. 06 / 27
プロと
author
sekimoto
category
> 思うこと
Warning: Undefined array key 1 in /home/riotadesign/riotadesign.com/public_html/wp-content/themes/rd/blog/cat_sekimoto.html on line 48
我々は建物の規模や難易度に応じて、構造や設備などの外注事務所に専門的な設計を依頼することがある。外注費もばかにならないので、できれば安いところにお願いしたいと思うのはけして悪いことだとは思わない。
けれどもつくづく思う。一流の人たちの仕事はすごい。本当に勉強になる。うちがお願いする人は皆トップクラスの方達ばかりで、設計料も正直あまりお安くない。けれど最後にいつも思うのは、本当にこの人達にお願いして良かったということだ。
先日出てきた見積りでは、建設会社の方も驚愕していた。凝った設計なのに、鉄筋やコンクリート量が通常よりも少なく、コストパフォーマンスが極めて高いということ。いかに無駄を省いて、合理的な設計を極めているかがよくわかる。
構造もただ頑丈に作ればいいというものではない。優秀な構造家は力の流れがわかっている。だから最小限の力でバランスさせる方法をわきまえているのだ。それをいつも目の当たりにしては、プロだなあといつも惚れ惚れする。
なにが言いたいか。そう、我々はプロだということだ。
私は自分がプロだと思える方には喜んで報酬を差し出したい。本物のプロとの仕事は心底刺激的で、幸せに満ちたものになる。そして、自分をプロと認め報酬を払ってくださるクライアントのためにも、私も惚れ惚れするような仕事をしなくてはといつも思う。
けれどもつくづく思う。一流の人たちの仕事はすごい。本当に勉強になる。うちがお願いする人は皆トップクラスの方達ばかりで、設計料も正直あまりお安くない。けれど最後にいつも思うのは、本当にこの人達にお願いして良かったということだ。
先日出てきた見積りでは、建設会社の方も驚愕していた。凝った設計なのに、鉄筋やコンクリート量が通常よりも少なく、コストパフォーマンスが極めて高いということ。いかに無駄を省いて、合理的な設計を極めているかがよくわかる。
構造もただ頑丈に作ればいいというものではない。優秀な構造家は力の流れがわかっている。だから最小限の力でバランスさせる方法をわきまえているのだ。それをいつも目の当たりにしては、プロだなあといつも惚れ惚れする。
なにが言いたいか。そう、我々はプロだということだ。
私は自分がプロだと思える方には喜んで報酬を差し出したい。本物のプロとの仕事は心底刺激的で、幸せに満ちたものになる。そして、自分をプロと認め報酬を払ってくださるクライアントのためにも、私も惚れ惚れするような仕事をしなくてはといつも思う。

先週土曜日,荒川区にて進行中だった住宅「町屋の家」のオープンハウスがありました.今回の住宅は多世帯かつ,計画道路や法的なことなど,実に複合的かつ複雑な問題が絡み合っていた難しい計画でした.
ただ出来上がった住宅は実にシンプルで,もしかしたらご覧になった方も「どこをそんなに苦労したの?」と不思議に思うような仕上がりだったかもしれません.往々にして建築というものは,どんな複雑な問題も,鮮やかに整理すると何事もなかったようなシンプルさに辿り着くものです.

それはさておき,オープンハウスには同業の建築家仲間も含めて,いろんな方に来て頂きました.同業が見るポイントと一般の方が見るポイントというのももちろん違いますが,もしかしたら,プロである同業すらも見落として帰られたかもしれないであろう,”細かすぎて伝わらない”地味なポイントもあるので,今日は特別にそれらをご紹介しておこうと思います.

まずは換気扇のニッチ.
こんなのは序の口ですね.うちでは普通です.珍しくもありません.

でもこれはどうでしょう?ポップアップする給気口とスライド収納との干渉を交わしています.これはたまたまではありません.ちゃんと図面の段階で予見して,意識して納めています.こういうところを気づいてもらえると,設計者としてはとても嬉しい気持ちになります.

これは地味の極み.ここは家具で納めています.と言うと,一般の方は「?」同業ならニヤッとするかもしれません.家具製作で納めるときは,ボードが仕上がった段階で家具を入れるので,カウンターと壁との間に隙間が出ます.どうがんばったって,3ミリは必至でしょう.
ここにはそれがありません.家具を入れるタイミングとボードを張るタイミングをずらしているからです.現場は嫌がりますが,こういうことを地味にやると結果的には”なんてことないように”納まります.

これはわかるでしょうか?
今回SE構法という金物構法を使っているので,梁にはスリットの穴があいています.でも壁際のクロスとの取り合いに穴が開くと,壁の中が見えてしまってきれいに納まりません.そこには部分的に楔を打って梁下のラインを揃えています.
もうちょっと言うならば,楔もすべてスリットをつぶすのではなく,最小限にとどめて解決しているというのもポイントです.あくまでSE構法でやっているという主張は残しつつ,仕上げは美しく見せる.別にどうってことはありません.ありませんが,こういう所に気づいてあげると,これまた設計者は嬉しくなるものです.


続いてここも激シブのポイントです.
アルミアングルの関止め.既製品だとゴツイのしかありません.これは製作ですが,ポイントは扉を閉めるとアングルが面一になって隠れるというところです.どうってことはありません.ありませんが,こういうことを地味にやっている同業を見たら,この人はちゃんと完成形が見えているんだなと,私はニヤリとするでしょう.

最後にこれは板金のコーナー.
これはファインプレーです.なんてことないように見えるでしょう.しかしこれはウルトラCです.私はいつもこういう風に納めて欲しいと思っているのですが,それを実現出来る職人というのは滅多にいません.コーナーに役物を使わずに横葺きを連続して納める.こんなことができるのは世界広しといえども日本の職人だけです.日本人に生まれて良かった.え,見過ごした?それは残念でしたねえ.
繰り返すようですが,上記のようなディテール展開はほんの序の口です.そして我々にとっては当たり前の部分です.竣工写真には写りません.雑誌にも載りません.でも重要なんです,こういうところが.

私はそういう部分は建築の”所作”のような部分だと思っています.
私の好きな弓道にも,このような所作が無数にあります.それぞれの動きには意味があり,的に当たる当たらないという以前に,それが備わっている人の射は美しく品格を感じさせるものです.
弓道では,それらはすべて相手に対する「敬意」から来るものだということを知りました.建築もまた,それを使う人やそれを外から眺める人への敬意を考えたら,おのずとそこにはディテール(所作)が生まれるのだと思います.
オープンハウスに来たら,是非そんな隠れたポイントを発見してみてください.そして発見したら私やお近くのスタッフに小声で教えて下さい.景品はありませんが,きっとニンマリすることと思います.
ずっと追っ手に追いかけられていて,脇目もふらず走り続けているんだけど,ふと気づいて見回すといつの間にか追っ手はいなかったということが仕事ではままある.
やるべきことがいっぱいで,毎日TODOリストを作っては赤線で消していく日々.でも消しても消しても雪だるま式に増えてゆく雑務.でもあれ?気づいたら今日はもうやることなかった,みたいな.
なんでしょうね,仕事のゴールって締切日のようにはっきりしている時もあるけれど,多くの場合はシームレスで,締切日にすべてがきれいに「終わったー!」なんてことは実際にはほとんどない.
往々にしてひとつの仕事の区切りを迎えるときには,もう次の仕事がオーバーラップしていて,しかももう火がつき始めているみたいな.我々は日々マウスのように,大車輪を転がし続けるしかないのだ.
ところが,締切でもないのにすべてが「終わったー!」という瞬間が気まぐれのようにやってくる.前ぶれもなく.ええっ今日ですか?みたいな.前ぶれがあったなら休みたかった,ていう.こういうことが,年に4回くらいあります.
やるべきことがいっぱいで,毎日TODOリストを作っては赤線で消していく日々.でも消しても消しても雪だるま式に増えてゆく雑務.でもあれ?気づいたら今日はもうやることなかった,みたいな.
なんでしょうね,仕事のゴールって締切日のようにはっきりしている時もあるけれど,多くの場合はシームレスで,締切日にすべてがきれいに「終わったー!」なんてことは実際にはほとんどない.
往々にしてひとつの仕事の区切りを迎えるときには,もう次の仕事がオーバーラップしていて,しかももう火がつき始めているみたいな.我々は日々マウスのように,大車輪を転がし続けるしかないのだ.
ところが,締切でもないのにすべてが「終わったー!」という瞬間が気まぐれのようにやってくる.前ぶれもなく.ええっ今日ですか?みたいな.前ぶれがあったなら休みたかった,ていう.こういうことが,年に4回くらいあります.
14. 02 / 23
おいしい定食屋さん
author
sekimoto
category
> 思うこと
Warning: Undefined array key 1 in /home/riotadesign/riotadesign.com/public_html/wp-content/themes/rd/blog/cat_sekimoto.html on line 48
おいしいものを食べると人はわくわくした気分になり,幸せな気持ちになる.同様に,素晴らしい空間に身を置くと人はわくわくした気分になり,やはり幸せな気持ちになる.それゆえに我々のような建築家という職業が存在する.そこまでは誰しも疑念の余地はないだろう.
最高の食材を使った最高の料理人の作る料理を,人は一度は食べてみたいと思うだろうし,実際食べたらその格調高く非日常的な味わいにきっと夢見心地になることだろう.けれどもそれを毎日食べるということは(物理的にも,経済的にも)たいていの場合叶わないし,叶わなくていいとも思う.一年に一度くらいそんなところで食事ができるから,幸せを感じることができるのだろうと思うからだ.
ところが料理人はそうはいかない.一年365日,最高の料理をつくることだけを考えている.究極の素材で至高のメニューを提供することが料理人としての頂点であるとするならば,そこを目指すのが仕事人というものである.もちろん,一個人としてそういう考え方は好きだし,共感もできる.
けれども私はどこかで,自分は「おいしい定食屋さん」でいいと思っている部分がある.究極の料理人になりたくないわけではない.でも私は手頃な値段で,より多くの人たちに足を運んでもらいたいし,おいしいと言ってもらいたい.年に一度の幸せよりも,毎日が幸せで満たされた方がより素敵なことだと思うからだ.
そのため,我々が用意する食材は普通の八百屋さんで手に入るようなピーマンやニンジンだったりする.どこでも手に入って,普通においしいもの.あるいは地場のものを材料とする.そこでフライパンを振るのも,都内有名店で修業したシェフというわけでもなく,普通の料理人だ.
けれどもそのお店は地域の評判を呼んで行列ができるのだ.理由は値段もリーズナブルで,ひょっとしたら都内有名店よりこっちの方がおいしいから.家から近いし,普段着で子ども連れで行けるのも魅力だ.
秘訣はレシピにある.使っている素材は家庭と同じでも,仕込み,塩の振り方,火加減にこだわりがある.なんならレシピを公開しても良いと思う.けれども絶対にこの味は再現できないのだ.それこそがプロと素人の違いだと思っているから.
とまあ長々と料理例えが続いているけれど,要は我々のつくる建築はそういう建築でありたいし,また我々はそんな設計事務所でありたいと思っている.
なぜ唐突にこんなことを書いているかというと,建築家の仕事はお金がかかっても仕方がない,妥協のない仕事をすることが建築家であるかのような考えに最近触れることが多いからだ.もちろん我々だって妥協はしない.けれど我々の目指すところは,やっぱり「おいしい定食屋さん」なのだろうと思う.
もちろんファミレスのように安いわけではない.ある人にとってはそれでも高いかもしれない.でもそこをぶらしたらいけない.これは自戒を込めて記しておきたい.
最高の食材を使った最高の料理人の作る料理を,人は一度は食べてみたいと思うだろうし,実際食べたらその格調高く非日常的な味わいにきっと夢見心地になることだろう.けれどもそれを毎日食べるということは(物理的にも,経済的にも)たいていの場合叶わないし,叶わなくていいとも思う.一年に一度くらいそんなところで食事ができるから,幸せを感じることができるのだろうと思うからだ.
ところが料理人はそうはいかない.一年365日,最高の料理をつくることだけを考えている.究極の素材で至高のメニューを提供することが料理人としての頂点であるとするならば,そこを目指すのが仕事人というものである.もちろん,一個人としてそういう考え方は好きだし,共感もできる.
けれども私はどこかで,自分は「おいしい定食屋さん」でいいと思っている部分がある.究極の料理人になりたくないわけではない.でも私は手頃な値段で,より多くの人たちに足を運んでもらいたいし,おいしいと言ってもらいたい.年に一度の幸せよりも,毎日が幸せで満たされた方がより素敵なことだと思うからだ.
そのため,我々が用意する食材は普通の八百屋さんで手に入るようなピーマンやニンジンだったりする.どこでも手に入って,普通においしいもの.あるいは地場のものを材料とする.そこでフライパンを振るのも,都内有名店で修業したシェフというわけでもなく,普通の料理人だ.
けれどもそのお店は地域の評判を呼んで行列ができるのだ.理由は値段もリーズナブルで,ひょっとしたら都内有名店よりこっちの方がおいしいから.家から近いし,普段着で子ども連れで行けるのも魅力だ.
秘訣はレシピにある.使っている素材は家庭と同じでも,仕込み,塩の振り方,火加減にこだわりがある.なんならレシピを公開しても良いと思う.けれども絶対にこの味は再現できないのだ.それこそがプロと素人の違いだと思っているから.
とまあ長々と料理例えが続いているけれど,要は我々のつくる建築はそういう建築でありたいし,また我々はそんな設計事務所でありたいと思っている.
なぜ唐突にこんなことを書いているかというと,建築家の仕事はお金がかかっても仕方がない,妥協のない仕事をすることが建築家であるかのような考えに最近触れることが多いからだ.もちろん我々だって妥協はしない.けれど我々の目指すところは,やっぱり「おいしい定食屋さん」なのだろうと思う.
もちろんファミレスのように安いわけではない.ある人にとってはそれでも高いかもしれない.でもそこをぶらしたらいけない.これは自戒を込めて記しておきたい.
