今年に入ってトラブルが続いている。過去に設計した住宅が雨漏りしたり、スタッフが体調を崩したり、なかなか新規の仕事を受注できなかったり。

竣工した住宅には所定の家具が入らないとのご連絡。確認申請では、これまでなかったようなあり得ない指摘が…。

お金を巡ってのトラブルも多い。折りからの物価高騰の波を受けて、予算超過でなかなか着工できなかったり、想定外の追加工事が発生して建主さんと現場との間で板挟みになったり。

急に事務所の電話は使えなくなるし、今このタイミングで壊れるかというものが壊れたり。まったくをもってツイていない!毎日毎日、トラブル続きで仕事にも身が入らない。

昨年はとても良い年で、順風満帆すぎて怖いくらいだった。そして今年の年始に運勢を調べると、なんと今年は12年で最高運気の年らしい!まさか、昨年の運気を更新するのか!?とこれまた怖ろしく思っていたら、あれ、これはどうしたことだろう。いいことなんて一つもない。私だけ運気の暦が一年ずれていて、一人波乱の運気に入っているんじゃなかろうか?

そんなことを思う今日この頃だったのだけれど、一方でこんなことも思う。

この日々のトラブル対応は高速テトリスのようなものだ。上から落ちてくるイレギュラーな形のパズルを、瞬時の判断で動かし、適切な位置に落としてゆく。これには相当の集中力が要求される。完璧なパズルの落とし方はできないけれど、少なくとも最悪の事態だけは避けなくてはいけない。

あとでゆっくり考えよう、なんて言っているヒマはない。あるときは相手と刺し違え、またあるときは損して徳を取る。その時その時が真剣勝負!今の私には自分の行動を振り返ることすらできない。

今私は、全日本トラブル対応技能検定(上級者編)の実技試験を受けているところだ。上空の隠しカメラから、私の一挙手一投足は審査員の厳しい目線に晒されている。10年前の私ならとっくに落第しているところだろう。しかし今の私は違う。

この試練は、日々本当に勉強になる。ダメージもある。けれども、きっとこれを乗り越えたら、これまで見えなかった視界が広がることだろう!きっと新しい自分になれるに違いない。

そうかこれか。これなのか!
今年は、私にとって12年で最高運気の年なのである。




昨日はとある取材の立ち会いがあり、久しぶりに「紫陽花の家」に足を運んできました。「紫陽花の家」は2015年の竣工なので、すでに7年ほど経っていることになります。早いですね、、。家が出来たと同時に生まれた双子の姉妹も、この家とともにすくすくと育っているようです。

この日の取材テーマが「食」に絡めたテーマだったこともあり、建て主さんには無理を言ってご家族でお昼を作って頂き、いただきますまでを写真に納めて頂きました。そんな食卓を私も隠れてパチリ!

この日は気候も外の光も申し分なく、そしてなによりご家族の幸せな食卓が神々しいくらいに眩しくて本当に感動しました。私は住宅の設計において、どの空間を最も重視するかと訊かれたら迷わずダイニングと答えます。リビングではなく、ダイニングが家族の中心であるべきだと思うからです。

リビングは団らんというより、くつろぎの空間であり、時に個に浸る空間ではないかと思っています。朝「おはよう!」と言って慌ただしく朝食を取る場所、休日のお昼に「午後どうする?」とか言いながら昼食を取る場所、そして今日あった出来事を食卓を囲んだ家族に聞かせる場所。それは家族が家族であることを認識できる唯一の場所ではないかと思います。

そんなダイニングを私は明るく豊かに作りたい。
なんだか私の思い描いた理想の空間に、7年越しに出会えたようなそんな気分になりました。やっぱり、住まいは家族の器なのだと思います。

今日はスタッフを連れてTAGKENさんのオープンハウスへ。この写真だけでは伝わりにくいのですが、我々設計事務所と工務店設計という本質的な違いから生まれる細部の考え方や、素材の選び方などは大変刺激になり、また考えさせられました。

我々はその納まりの細部に至るまで「手間ヒマかけて」「手作りで」仕上げることを良しとします。安易に既製品を使うことにも後ろめたさがあります。

けれども、職人さんが減ってゆくこの時代、そして過去例のない価格高騰を引き金に、一般の方は我々に設計を頼めなくなる日がそこまで来ているんじゃないかという危機感の中、メーカーの既製品を使いながらも、卓越したセンスでそれをまとめあげる、そしておそらくは我々ともまったく引けを取らない顧客満足度を獲得しているであろうTAGKENさんの仕事には脅威を感じます。

そしてずば抜けたデジタル技術。以前から定評のあるTAGKENさんの3Dレンダリングの完成度の高さと、それを建て主と細部に至るまで共有する設計メソッドを聞いていると、ある程度デジタル社会に適応しているつもりの私も、実は絶滅危惧種の恐竜世代なんじゃないかとすら思えてきます。えげつない図面を描く、必要のない社会がすぐそこまで…。

私は下積み時代手描き図面を経験した最後の世代ですが、うちの事務所のスタッフは、下積み時代2Dだけで図面を描いた最後の世代になるに違いありません。
今さら引き合いに出すまでもなく、オリンピックは人生の縮図だ。毎日繰り広げられる悲喜こもごもの試合結果にそれらは凝縮されている。

冬季オリンピックが開催されているこの2月は、奇しくも受験の季節であり、卒業を控えた学生にとっては研究成果や卒業設計などの発表時期でもある。そんな若者たちの立場や心境とも私の中ではリンクする。

東大合格間違いなしと期待された子、そのずば抜けた才能から、ワリエワのように”絶望”のあだ名をつけられた子もいるかもしれない。しかし結果は、必ずしも祝福されたものになるとは限らない。かと思えば、逆に絶望的な偏差値からするするっと学力を伸ばして、現役合格した子もいるかもしれない。悲喜こもごもだ。

4年間オリンピックのためにストイックに努力を続けてきたアスリートであっても、わずかなミスからメダルを逃したり、自分の実力とは関係ない不可抗力によって出場を奪われたりもする。かと思えば、思いもよらないようなポジティブサプライズも起こる。スケールこそ異なれど、そこで起こることは、我々の生活で起こることとほぼ変わらない。

事実は小説より奇なり。時に神様はなんと残酷なシナリオを書くことだろう。そしてなんと感動的なストーリーを描くことだろう。私はオリンピックを見ていると、そんな数奇な長編映画を何本も見ているような気分になる。

今回の冬期オリンピックで、私が最も引き込まれている競技のひとつは女子のカーリングだ。ロコ・ソラーレはなんと良くできたチームなのだろうと見るたびに感心する。

良くできたという意味は、もちろん高い実力や良いチームワークという意味も含まれるのだけれど、素晴らしいのは4人のメンバーそれぞれのキャラクターが立っていることだ。それはいわゆる戦隊ものヒーローのそれであり、ドラえもんに出てくる登場人物のそれであり、人気アイドルグループのそれでもある。

我々はメンバーそれぞれの個性の中に、自分自身や、職場の同僚やクラスの友達を重ねる。彼女たちが自然体で朗らかにプレーをしていることもまた、単なるアスリートとは思えない親近感が感じられる一因であるのだろう。

それぞれの競技経験のない私は、競技そのものの奥深さはわからないし正直ルールもよく分からない。しかし試合後にアスリート達が見せる歓喜や悔し涙に、その人ぞれぞれのドラマを想像する。それこそが私にとってのオリンピックの醍醐味だ。オリンピックは人生のストーリーそのものだと思う。




22. 02 / 13

変わりません

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sekimoto

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> 仕事
> 思うこと



お打合せにお伺いした先にて。
こうしたものを貰おうが貰うまいが、仕事の内容は変わりません。でも本当に変わらないかというと、

変わります。