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sekimoto

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『何かを学んで身につけるのに、最も身につかない最低のやり方が講義を聞くこと。次に身につかないのが本を読むこと。次に現場を見て覚えること。次がロールプレイなど自分で実際にやってみること。最も身につくのは自ら教えること』

東大名誉教授の天野郁夫さんのお言葉だそうです。今までいくら本を読んでも、そのときにわかってもすぐ忘れ、身につかなかった意味が分かりました。講義にしても然り。結局その場限りなんですよね。

学生に教えること、スタッフに諭すこと、頼まれて原稿を書くことなど、確かに人に伝えることで体系化されたことが、もっとも自分の血肉になっている気がします。

教えているつもりが、実は学んでいるのですね。
刑事が犯人を追い詰めるプロセスはどうなのだろう。そんなことをふと考える。事件が起こって、たまたま同時刻に現場近くにいたというだけで逮捕ができるだろうか?いや、きっとこれは冤罪の匂いがする。

指紋が検出された。これはもう犯人に違いない!いや、数日前にたまたま触れただけかもしれない。なんといっても彼には当日のアリバイがあるのだ…。よくある推理小説の展開である。

大学で学生のエスキス(設計指導)をしていてよく思うことだ。彼らは血気盛んな新米刑事みたいなものである。敷地特性のごく一部だけを切り取って、それがあたかも全てであるかのように思い込む。

これは、たまたま通りかかった人相の悪い男を、それだけの理由で犯人だと思い込むようなものだ。「ヤマさん、奴が犯人ですよ!間違いないっす」

まあまあ、待ちなさい。状況証拠では逮捕はできないのだよ。捜査(設計)の基本は地道な聞き込みと物的証拠の収集だ。

我々は敷地に残された小さな痕跡を集める。敷地形状、方位、眺望、高低差、そして隣家位置。前面道路の交通量は?都市的な文脈は?そしてプログラム(要求事項)は?

君はそこまで調べた上で、その案がベストだと思っているのかね?もしかして、南に窓つけりゃ良いとか単純に思ってないかい?そりゃあ、冤罪ってもんだ。

あぁ、世の中に冤罪案件のなんと多いことか。
証拠不十分で釈放。あなたの家が不当に狭く、暗く、家族が不調和で物が片付かないのは、おそらくはあなたのせいではない。

「ヤマさん、裏が取れました!やっぱり玄関は北入りで間違いないっす」よし確保だ、確保!

こんなやり取りが理想なのですが…。

19. 04 / 06

微差と違和感

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sekimoto

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> 思うこと
> 生活


我々の仕事はつくづく微差や違和感を拾い上げる仕事だと思う。

たとえば何の変哲もないただの土地を見て、我々はアイデアを膨らませる。何の変哲もないように見えて、そこにある微差や違和感を拾い上げ、それを強調したり隠したりしながらプランはできあがる。

仕事におけるリスク回避やミスを未然に防ぐ行為も、この微差や違和感を拾い上げる行為にほかならない。野生動物が、そこにいつもと違う何かを感知すると警戒して近寄らなくなるように。「これはちょっとまずい気がする」という微差や違和感を大切にしておかないと、いつ脚を掬われるかわからない。

微差や違和感に敏感になると、人には見えないものが見えるようになる。そう書くと超能力者のようだけれど、どんな仕事にもそういう領域があるように思う。たとえばイチローにはイチローにしか見えていない世界があるように。端から見たら、ただピッチャーの放った球をバットに当てているだけとしか見えない行為だとしても。

逆に見えている人からすると、今そこに実在しているのに、どうしてそれが見えていないのか不思議でたまらなくなることがある。そして時に苛立つ。仕方なく「ほら、ここに」と手に取って見せるとはじめて人は気付いて、「ほんとだ!いつからここにありました?」という表情を見せる。いつからって、最初からずっとここにありましたよとしか言いようがない。

それが建築、それがデザインという仕事なのだと思う。

日常生活でもよくあると思う。部屋を汚くしても平気な人がいるとする。それが嫌でたまらない人からすると、どうしてそんな汚い部屋にいて平気なのかと思うけれど、本人には見えていないのだから仕方ない。あるいは政治家の失言もそうだ。目の前にあるものが、すべての人に同じように見えていると思ったら大間違いなのだ。

我々のような設計事務所にご相談に見える方は、こういう微差や違和感に対する感度の高い方が多い。社会的には少数ではあるけれど、その方達に言わせれば「どう考えてもそうした方が良いのに、そうしないという選択肢を選ぶということが考えられない」ということになる。

微差や違和感に対する感度が高いと疲れることもある。人が気にならないことが、すごく気になってしまうからだ。それは人から見たらやはり神経質だということになるのだろうが、私の場合それが100%仕事に活かせているので、やはり幸せなのだと思う。



19. 04 / 03

お詫び

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sekimoto

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> 社会


都内の土地は高く、坪単価200万以上は当たり前です。ご予算とのギャップに悩む建主さんに、「埼玉などどうですか?東武東上線など池袋からも近いし、今のご予算で倍以上の広さの土地が買えますよ」と助言をしていたのですが、埼玉県人が都民様に向かって何という暴言を吐いていたのか、「翔んで埼玉」を観て思い知らされました。

この場をお借りして深くお詫び申し上げます。

宇都宮市で進めて参りました「パーゴラテラスの家」を本日お引渡し致しました。着工が昨年の7月末でしたので、工期は結果的に8ヶ月もかかったことになります。またひとつ大きな仕事が終わりました。

この住宅の建て主さんはなんと20代。私にとっても歴代最年少クライアントでした。ブログに載せた立派な住宅の佇まいから、もしかしたら特別なお仕事のクライアントさんだと思われた方もいらっしゃったかもしれませんが、一般企業にお勤めの方です。家づくりにかけられた総費用も、他の住宅とさほど大きな違いがあるわけではありません。

この仕事を長くやっていると、時折このようなとても恵まれた(ように見える)方に出会います。こういう方に共通しているのは、思いがとても強く、そして常にポジティブであること。状況を素直に受け入れ、率直に喜べる方だということかもしれません。

我々との打合せでも、お二人とも我々の小さな提案の数々に毎回小躍りして喜んで下さいました。その姿を見ていると、我々ももっと喜ばせたいという気持ちになってくるのです。こういう人の周りには人が集まります。成功される方の特徴かもしれません。

今日も心から喜んで下さり、関係者一同本当に清々しい気持ちになりました。Kさんのためにお仕事ができたことを、我々も誇らしく思います。


そんな建て主さんのポジティブなオーラに引き寄せられるように、今回の計画には施工、構造、造園と、各業界を代表する豪華な仕事人たちが集まりました。この顔ぶれが一同に会するのは私にとっても奇跡に近いことでした。

中でも施工を担当下さったCOMODO建築工房さんには、本当にお世話になりました。また大変なご苦労もおかけしたことと思います。もともと、COMODOさんは建築家でもある飯田亮さんの主宰する工務店で、我々の設計する住宅を施工だけお願いするというのは少し申し訳ないとも思っていました。

しかし、うちの仕事を是非やってみたい!とおっしゃって下さり、前向きに、積極的に取り組んで頂けたことは本当にありがたかったことでした。いわゆる工務店の施工というより、設計事務所が施工下さっているという感覚で、細部まで我々のこだわりを忠実に実現して下さいました。

中でも現場を担当下さった石川弘樹さんは、COMODOでも設計実務の主軸を担うスタッフさんであるにもかかわらず、おそらくは他のCOMODO案件以上に?我々の現場に張り付いて、実に細やかな対応を続けて下さいました。しかもいつもニコニコと…。石川さんを思い浮かべると、いつも笑顔しか浮かばないというのもすごいことです。あの大変な現場を進めながら、本当に頭が下がる思いです。


あらためて建築をつくるのは人だということ。そのことを身に染みて思います。性能やデザインなどは後からついてくることなのです。今回のプロジェクトを構成するメンバーの、誰一人欠けても今日の日を迎えられなかったでしょう。人との出会いに感謝します。

建て主のKさん、COMODOの飯田さん石川さん、そして弊社担当スタッフの矢嶋くん、みなさまお疲れさまでした!そしてありがとうございました。

またあらためて打ち上げでもやりましょうね。