
飯田善彦×宮崎晃吉×菅原大輔「場の運営で変わる設計論」
トークセッションにお邪魔してきました。
これからの事務所のあり方についてことあるごとに考えます。建築家が侍であるならば、時代は明治維新に差しかかっているのでしょう。いつまでちょんまげ姿で歩くのか、我々はその決断を迫られているような気もしています。
そんな折刊行された菅原大輔さんによる『プロジェクト図解 地域の場を設計して、運営する』は、ここ数年考えていたことが分かりやすく実例を交えて紹介されているタイムリーな一冊でした。
セッションは管原さんの仕切りのもと、それぞれが設計事務所の傍らカフェなどを運営する飯田善彦さんや宮崎晃吉さんによる話は、実践者にしか言えない言葉ばかりでとても説得力がありました。
設計事務所を街にひらこうとする取り組みはもはや珍しくはないかもしれませんが、それを「採算なんて合わない」とする飯田さんと、そこに経営のリアリティを見出そうとする宮崎さんや管原さん。そこにも時代のフェーズの変節点を感じたりして、新しい時代の感触を感じました。
久しぶりに、これは行かなくては!と思わせるイベントで、実際足を運べて良かったです。ありがとうございました。

今日は久喜の「双庭の家」の撮影があった。建主さんは60代の女性。自分なら60代から家づくりをできるだろうか?家づくりは、ある意味自分の人生をリセットするような出来事に近い。
でもこの女性にとってはリセットではなかった。より活き活きと生きるための通過点、そんな気もした。本当に若々しく10歳は若く見えるのに、おっしゃることはいつも人生経験に裏打ちされた含蓄ある言葉で説得力がある。
この日は五月晴れの絶好の撮影日和。この住宅は庭のあり方に住宅のコンセプトの大半を割いたような住まいだったのだけれど、それに応えるように庭は隅々まで手入れが行き届き、光に輝く新緑は本当にため息しか出なかった。
家の中だってちり一つ落ちていない。随所に観葉植物が置かれ、ちらっと覗いた納戸の中だって完璧に整っている。覗かれて困る部屋なんてひとつもない。
うちの建主さんは皆さんおしゃれ番長ばかりで、撮影といえばビシッと整えた住まいにしてくれる。この建主さんも例外ではなかったけれど、なんというか別格だった。
高価なデザイン家具が並んでいるわけではなく、むしろ無名の家具であったり民芸品のようなものが棚には飾られているだけなのだけれど、その方の生きてきた人生の深みや見識の高さ、人としての品格のようなものが滲み出ていて、唯一無二の空間を作り出していた。そのことに心から感動してしまった。
あぁ住まいって、その人そのものなんだ。
いつもそう思っているし、何度もそう語ってきたけれど、この日は心底そう思った。我々設計者が設計したことなんて、これっぽっちのことしかないのだ。それを我々の作品だなんて、どう逆立ちしたって言えるはずがない。
あるいはこうも言えるかもしれない。その方は、自分だけの住まいを手に入れたことで、ようやく自分本来の姿になれたのだと。そうであったら嬉しい。

今期副講師を務める新建新聞社の工務店設計塾にて、一昨日は北海道から山本亜耕さんをゲスト講師にお招きしての設計講評。亜耕さんとは長い付き合いのようでお目にかかるのは実は初めてという、これにはお互いびっくり。まさにSNS時代の既視感現象でしょうか。
亜耕さんがホームエリアとする北海道は、関東の人間からすると冬の気候はまさに異次元の領域で、以前北海道の計画が入りかけた時にはいろいろ相談に乗っていただいた事もありました。
難解な話をこともなげに語る独特の亜耕節は、理論やデータがすべて頭に入っていて、それが十分に体系化されているからこその揺るぎない語り口は説得力が半端ない。あの口調で「そーでしょ、わかる?」とたたみかけられれば、「うん、わかるわかる」しかありません笑。
パッシブ換気をはじめ、一種換気と三種換気のそれぞれのメリット、世界的な視点で見た日本の実情のことなど、なんだかコムズカシイあれこれが雪のように溶けていく夜でした。
亜耕さんって、話しているとつくづく北海道の方だなあ、と思うんですよね。スケールが大きくて、お人柄の向こう側に釧路湿原みたいな景色がばーっと浮かぶんです笑。楽しい夜でした。どうか気をつけてお帰りください!

井上洋介さんのオープンハウスへ。
井上さんの住宅を見るといつも建築家の仕事というものを考えさせられる。急カーブをブレーキも踏まずに突っ込んで行くような大胆さがなければ人を感動させることはできない。でもそこに悪魔のような繊細さがなければただの無謀運転、コーナーに激突してそこでおしまい。
その超絶的なドライビングテクニックを見に、掛け値なしに「すげー」ってただ言うためだけに、F1レースを見に行くような気分でいつも出かける。
この空間を求めたのは誰だろう?発注主は建主であったとしても、こんな空間は想像もつかなかったに違いない。建築とは常に発注主からは離れたところにある。要望がこうだったからこうなった、という説明はただの言い訳に過ぎない。
物価高騰も職人不足もみんな言い訳だ。だってこんな建築ができるんだもの。きっと壮絶な苦労があったことは想像に難くないけど、これができるならすべて忘れられる。だって、建築ってそういう仕事でしょ。そう言われたような気がしました。
今日も勇気を頂き、ありがとうございました。


