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sekimoto

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「高輪ゲートウェイ」という駅名に多くの人が違和感を感じているようだ。その違和感はどこから来るのだろうと考えると、当事者の「こう見られたい」がそのもの本来の意味を追い越してしまっているからではないかと思う。

これは子供に付ける名前にもよく起こる。いわゆるキラキラネームと呼ばれる名前がそれにあたる。「高輪ゲートウェイ」である。

そしてこれは今回のようなネーミングの問題だけに留まらず、生活のさまざまな局面でこうした現象は起こる。住まいは建売りなのに、ガレージにはベンツが駐まっているというケース。これも「高輪ゲートウェイ」である。

対照的に、なんだその無駄に斬新な家は?という現象。これも「高輪ゲートウェイ」かもしれない。これは我々も肝に銘じなくてはならない。

我々の身の回りの「高輪ゲートウェイ」を見つけたい。
そしてこう言いたい。

高輪ゲートウェイかよっ!

西新小岩で現場が進んでおりましたKOTIがほぼ完成しました。

今回内覧についてはこのブログでは告知を行いません。すでにご検討中の建て主さんや同業の知人の方へはご案内をお送りしておりますが、届いていないという方はどうかご連絡下さい。

さて今日は今週末のオープンハウスの前に、ご都合の悪い方を対象にプレオープンを行いました。


昨日までの静まりかえった空間に人の笑顔がすべりこむと、とても空間が豊かになるように思えます。建て主さんご手配によるソファも座り、空間に生気が吹き込まれたような気がしました。

内部の設えについては、建て主さんとの個別的な解決ですので、私が強く主張したいことはありません。ただ、この住宅で一番やりたかったことは住宅の外側にあります。


昨日、造園家の小林賢二さんに庭を施工頂きました。素晴らしい仕上がりでした。


今回は路地に開かれた庭がテーマでした。土地を囲い込むのではなく、街に土地の一部を譲り渡したような、自ら街の一部に木を植えさせて頂きましたみたいな、そんな場所を作りたいと強く思っていました。

外に向けてベンチを設けたいというご提案をしたときは、不審者が入ってきたらどうしようと少し不安そうな顔をしていた建て主さんでしたが、街に住宅をひらくことの意味を根気強くお話ししてご納得頂きました。


街に住宅をひらくと暮らしは豊かになります。

このベンチに座ってると、いろんな人が話しかけてきたり、昔の縁側みたいにここに座れば井戸端会議もできます。わざわざ家の中を片付けてダイニングに上げなくたっていいんです。

またここで夏は花火をしたり、西瓜を食べたり、工作したり。


子供はこういう場所が大好きです。

今どきの子供の感覚では、こういうベンチにみんなで集まってニンテンドーDSをやっているんでしょうかね笑。健康なんだか不健康なんだかわかりませんが、彼らはそうやってお互いコミュニケーションを取り合っているのでしょう。

だからこういう場所があったら友達も集まるんじゃないかと思うんですよね。そうすると、すっと奥のデッキの扉がひらいてお母さんがおやつ出してくれるみたいな。

大人になったら絶対に言いますよ。うちには縁側があったんだって。そこで遊んだのが楽しかったんだって。


このベンチに座っていると眺めが良いんですよ。南東側に抜けがあって心が和むんです。うちの庭は広いなぁ~って思っていたらそこは自分ちじゃなかったみたいな。公共の路地と隣んちだったみたいな。

だから敷地を囲うこと自体がナンセンスなんです。街に自分の土地の一部を譲り渡すだけで、見返りに街そのものが自分のものになっちゃうんですから。お得でしょ?

今回の敷地はわずか20坪。
20坪だったなんて、たぶん今日来た人は誰も思わなかったでしょうね。


タイトルの「KOTI」というのは、フィンランド語で「home(おうち)」という意味です。houseじゃなくてhome。「うちにおいでよ!」っていう親密な感じ。小さい家だけに、ご家族にとってそんな温かな居場所になったらと思っています。

18. 09 / 29

タイムカプセル

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解体前の住宅に残っていたテレビ。空き家になってもう30年以上だという。住宅は時に貴重なタイムカプセルになる。

ブラウン管といっても、液晶世代の子たちにはもうわからないかもしれない。生まれた時からカラーテレビだった僕らが白黒テレビを知らないように。あの頃はリモコンなんてなかった。チャンネルを変えることをガチャガチャって言ってた。チャンネルを回すと実際にガチャガチャって音がした。

テレビをつけても絵が出て来るまで時間がかかった。間に合ったと思ってつけたのに、最初の3分くらいは音だけで映像を想像した。そこからぼんやり絵が浮かんできた。

こういう話をすると若い子には、街角の白黒テレビで力道山を見たとか、戦争中は食べるものがなくてね、という話と同じように聞こえるんだろうなと思うとちょっとショック。そんなに昔の話じゃないんだよ。ほんの35年くらい前の話。(十分に大昔)

18. 08 / 24

セミナー必勝法

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オープンデスクの学生と話していて、セミナーや講演会の正しい受講の仕方についての話になりました。年間少なからずのセミナー講師や司会を引受ける身としても、以下の人はとても好印象で、モチベーションがとても上がります。

1. できれば最前列、無理でも2列目くらいまでに陣取る
2. 講師の話をうなずきながら聴く
3. 話を聞きながら質問を3つ以上考える
4. そのうちの一つを最後に手を挙げて質問する
5. 最後に講師のところに行って挨拶する

1は居眠りしたり、スマホをいじったりしないための自分へのプレッシャーとして。2は講師がとても話しやすくなるのと同時に、自身も話に引き込まれてゆきます。

3は話の骨子を頭の中でまとめる訓練になります。4はみんなが一番聞きたがっているものを代表質問するというもので、会場のみんなから(心の中で)感謝されます。

そして5に至っては、講師の方に顔や名前を覚えてもらえることはもちろん、講師にとって一番嬉しい瞬間にもなります。(逆に誰にも来てもらえないと、講師はかなり心をへし折られます)

これを自然体でできる人は、きっと良い出会いを味方にできる人ですね。1〜3くらいまでは、誰でもすぐに実践できると思いますので是非!

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今日スタッフと話していて、スタッフを雇うのは何のため?という話になった。設計事務所の主宰者の中には、スタッフは雇わず一人で仕事をしているという人も多い。私の身の回りでも半分くらいはそういう人ではないかと思う。

一般的には、人を動かすより自分一人でやったほうが判断が早いし、人件費もかからず気楽なのではないかという意見がある。これは確かにそうで、私もある意味同意するし、同じ理由で「だから人は雇わない」という方も多いのではないかと思う。


では逆について考えてみよう。実際リオタデザインではスタッフを常時2~3名ほど抱えている。それは何のためだろう?

ひとつは、言うまでもなくたくさんの仕事を同時にこなすためである。一人ではできないことも、複数人集まれば仕事を手分けすることができる。

しかし、私の中でスタッフを雇って仕事をする理由はそれだけではない。最初はそう思っていたけれど、それより大きな効果があることに気づいたのだ。それは「仕事のクオリティを上げたいから」である。

自分のキャパシティを越えない一定数のスタッフは、確実に仕事の質を高めてくれる。これはもう10年以上もスタッフと共に仕事をしてきて、つくづく思うことである。その効果を一言でいうならば、「自らの仕事を客観視できる」ことであろう。


例えば「自分はこう思う」ということをスタッフに投げたとする。優秀なスタッフはそれを忠実にトレースして返してくれる。しかし、その頃には自分の中で「それはちょっと違うな」という具合に変化していることも良くある。

スタッフとしては理不尽だろう。言われた通りにやったのに「違う」と言われてしまうのだから。私もスタッフ時代はいつもそう思っていた。でもそれは仕方がないのだ。所長はそう言いたいがためにスタッフを雇っているとも言えるのだから。

よく人の悩みにはアドバイスできるのに、自分がその渦中に嵌まると抜け出せなくなるということがある。部下の立場であれば、悩みは上司に相談すれば良いだろうが、さて上司は誰に相談すれば良いのだろう?

それを私はスタッフに自己投影し、スタッフを自分と同一化させた上で自分自身を批評するような、そういう状態を作って打破しているような気がする。


またこうも言える。作業が伴わない設計(俗に言う、口で設計するという状態)の場合、良く言えば常識や慣習にとらわれず、あらゆる角度から自由に発言することができる(悪く言えば、単なるわがままとも言える)。だから、図面で違和感を感じると「キッチンの位置おかしくない?」「こんな壁取っちゃえば!」「窓小さすぎじゃない?」など好き勝手に放言できる。

スタッフとしたらたまったものではないだろう。(それ言ったの自分じゃん!)ってきっと心の中で思っているだろうが、私は何も気づかない振りをして、ただひたすらに良い仕事に着地させることだけを考える。

きっと自分で図面を描いていたら、「これやり直すの大変だな」とか「面倒くさいな」という気持ちがどこかにもたげるような気がする。

また、自分で描いた図面の間違いは意外と自分では気がつかないものだ。それが他人の図面だと、間違いがハイライトで点滅しているかのごとくよく見える。これはどうしたことだろう?これによって、九死に一生を得るような危険回避をしたケースは過去枚挙にいとまがない。

こんなことを書くと、いかにも私は事務所内でいつもひどい振る舞いをしているかのようであるが(いわゆるパワハラ?)、私は否定も肯定もしないでおく。詳しくはスタッフに聞いて欲しい。しかしこれだけは言える。もはや私はスタッフなしでは仕事はできない。そのくらい、私は彼らを頼りにしているのだ。