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降りてくること

author
sekimoto

category
> 思うこと


アイデアを考えるとき,「降りてくる」という表現を使うことがある.アイデアが生まれた状態を「降りてきた」ともいう.けれど何もアイデアが浮かばないときに,「降りてこない」から浮かばないのかというと,必ずしもそうではないと思う.

はたして何もしていないときに「降りてくる」ことなんて,どれほどあるのだろう.少なくとも私は一度も経験がない.だからそんな人はきっと天才なんだろうと思う.

ピッチャーはマウンドに立つ前に,ブルペンで肩慣らしをする.マウンドを意識しながら出番を待っている.舞台に立つ前には相応のウォーミングアップが必要だ.いきなり投げろと言われてもできない.きっとそんなことをしたら,本調子になる前に交代を告げられるだろう.

私もプランニングを頼まれたら,ウォーミングアップからはじまる.まずはエスキース帳に敷地の輪郭をオンスケールで描き,漠然と配置やゾーニングを描いてゆくところから始める.周辺状況やご要望を浮かべながら,焦点の結ばないぼんやりとした線を何本も何本も引いてゆく.重要なのはスケールを手放さないこと.必ずスケールを当てて考える.どんなつまらない案でも,ひとつでも出来ればそれは一案だ.ここまではいわばルーティンワークである.

なんとなくアイデアはある.そしてすでに案もいくつかできてはいる.けれども降りてきてはいない.決め手に欠ける.そこからが長いのだ.けれどもそこまでブルペンで肩慣らしをしておくと,頭に図面が入っているので,歩きながらやお風呂の中で,布団の中でも案を温め続けることができる.毎日考える.何案も何案も頭が沸騰するくらい考える.エスキース帳は一件の住宅のプランに一冊を使い切るくらいだ.そして,ある瞬間に焦点が結ばれる.

それがいわゆる「降りて」きた状態なのだと思う.

学生を見ていていつも歯がゆく思う.設計指導をしている学生達の多くは,毎週の指導日に真っ白な状態で何も浮かばなかったと言う.アイデアにスケールを与えず,いつまでも抽象的なイラストのまま現実逃避を続けている.

彼らはきっと,ニュートンがリンゴを見て万有引力を発見したという話を勘違いしているのかもしれない.ぼんやり庭を眺めていただけで歴史が変わるはずはない.何も浮かばないまま真っ白なエスキース帳に向き合い続けるのはさぞや苦痛だろう.どこかにショートカットキーがあれば押してみたいものだ.けれども人生にショートカットキーは存在せず,地道に手数を積み重ねることでしか真の解決には辿り着かない.

今さらこんなことを言ったところでもう遅いのかもしれない.けれども毎回同じ事の繰り返しで悩み,苦しんでいる学生があまりに多いことにいつも心が痛くなる.

抽象的な言説とお絵描きからは早々に決別しなくてはならない.模型ばかり作っているというのも考えものだ.右手には鉛筆,左手にはしっかりと三角スケールを握りしめて,苦しくも地道な作業に没頭しなくてはならない.一案に囚われてはならない.行き詰まったら何案でも考えるのだ.

せめて言い訳をするならば,像を結ばない無数の線とプランニングの軌跡を記した丸一冊分のエスキース帳を差し出して欲しい.けれどもそこまでする人はいないだろう.その時点で必ず降りてきているはずだから.