16. 06 / 04

北海道の事件で

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sekimoto

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> 子ども
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北海道で子どもが置き去りにされた事件で、無事保護されたという昨日の報には、心底よかったと思った。ほっとするあまり、危うく涙すら出そうになった。

普段報道は他人事であり、一喜一憂することのない私にとって、そこまで心が動いたのは、これは自分のことだと思ったからだと思う。

言葉で言って理解できない、あるいは収まりのつかない時期の子どもの教育はとても難しい。暴力は控えるとしても、やはり特効薬は「恐怖」をちらつかせて子どもの本能に訴える方法があることは否定できない。「言うこと聞かないと鬼が来るよ」といった方便もこれにあたる。

今回の事件もその延長線上にある。結果的に大騒ぎになってしまったけれど、どの家庭でもそんな経験の一つや二つはあるのではないか。

例えば、躾のためにほんの5分ほど押入れに閉じ込め反省を促したとする。開けたら子どもがぐったりして動かなかったらどうだろう?その日からその親は犯罪者の一人となってしまう。

私も子どもの頃父に夜のベランダに出されたことがある。でもそこでパニックになり、自力でベランダから飛び降り頭を打っていたら、今の自分はいないかもしれない。

今回の事件の衝撃は、まさに日常に潜む恐怖であり、いつどんな時に、同じ災いが自分に降りかかるかわからないという教訓である。

今回子どもが無事保護されたことを、我が事のように安堵した。そして我が子が今まで何事もなく成長してくれている幸運と、自分も今何事もなく生活できている幸せが奇跡であることをあらためて感じた。

16. 04 / 29

図面がすべて

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sekimoto

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> STAFF
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以前このブログにも、新卒の新しいスタッフが4月より加わる旨を書きました。砂庭陽子さんといいます。今月より正式スタッフとなり、既にバリバリと仕事をしてくれています。

砂庭さんはリオタデザインでは久しぶりの新卒採用となります。この間まで学生だった子を採用するということは、設計事務所という専門性の高い職場にとってはリスクになりうるわけですが、経験や先入観を持たない分だけ柔軟に吸収してくれるという良さもあります。

しかも彼女は若い!年齢は私の歳のちょうど半分ということで、これまた感慨深いのですが、私もつい彼女のように大学を出たての頃のことを思い出してしまいます。


私が大学を出て設計事務所に入社した時代は、まだ図面は手描きの時代で、A1サイズの大きなトレーシングペーパーに先輩方が何枚も何枚も図面を描いていました。

CADと違って図面の原図は世界に一つしかありませんから、これを無くしたり汚してしまえば一巻の終わり。そのため、原図管理はそれはもう厳重に行われていました。今では事務所でもデスクでお弁当を食べる者もいますが、当時は図面の上で物を食べようものなら、それはもうこっぴどく叱られたものです。

この時に図面表現や線の濃淡について学びました。

図面は情報としては”ただの線”であるにも関わらず、エンピツの筆圧を自在に使い分けることによって、伝えたい情報を相手に的確に伝えることができます。特に外壁の輪郭線や、地盤面などは「親の敵を討つように引け!」とは良く言われたことです。

カランダッシュのホルダーに、芯はUNIのB。これ一本ですべての線を描き分けるのがその事務所の流儀でした。所長や先輩の描く線はそれはそれは美しく、格の違いをまざまざと見せつけられたものです。

今ではうちの事務所もすべてCADによる作図ですが、その経験が下敷きとなり、リオタデザインでは独自レイヤーによる作図法を開拓し、今に受け継がれています。企業秘なので多くは書きませんが、とにかく新人は、このレイヤーの使い分けを徹底的に叩き込まれるところから始まります。

私はどんな細かなレイヤーの違いもすべて見分ける自信があります。文字を書く位置、引出線にもすべてに流儀があります。図面情報は間違っていなくても、図面表現が疎かであると私が判断すれば、延々と描き直しをさせられることになります。

図面はすべてのコミュニケーションの基となります。図面がすべて。大学では評価が模型重視となり、図面をろくに描けない学生が増えてきました。私に言わせれば話になりません。我々が命よりも大切にしなくてはいけないのが図面なのです。


新人の砂庭さんは、毎日毎日私に怒られています。
私は新人だからと言って容赦をしません。なぜなら、ここは学校ではないからです。しかしわずか一ヶ月ですが、砂庭さんは新卒のスタッフとしては極めて優秀な人材であることがよくわかりました。

リオタデザインにようこそ!
これからも一緒に事務所を盛り上げてゆきましょう。

16. 01 / 18

家族の器

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sekimoto

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> OPENHOUSE
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先週末、売りに出されている「川風の家」の特別内覧会を開催させて頂きました。タカギプランニングさんの主催により、今回は購入希望者向けに開催した内覧会でしたが、リオタデザインのクライアント(OB&進行中)も多く駆けつけて下さり、いつも通りの大変賑やかな内覧会となりました。

おかげさまで終始和やかな雰囲気に包まれたイベントとなりました。
ご来場下さった皆様、誠にありがとうございました。

肝心の購入希望者ですが、検討中の方が数組という状況で、まだはっきりした買い手はついておりません。引続き入居希望者を募集しておりますので、ご自身や、あるいは周囲に家を探している方などがいらっしゃいましたら、是非ともご検討並びにご紹介頂けますと幸いです。

関連記事: 『川風の家』 が売りに出されます (15.12.23付ブログ)



さて、当日は私も多くの方にこの家の魅力について説明(力説?)させて頂きましたが、あらためて当時の設計ながらによくできた家だなあと感じました。設計者の私が言うのもなんなのですが…。

このブログをご覧の方は、うちの作品ページから入ってゆくと当時の竣工写真を見ることができますが、私も久しぶりに訪れましたが、竣工当時よりもとても家らしく、愛らしい佇まいになっていると感じました。やはり住宅というのは、「家族の器」なのだなとあらためて思いました。

購入検討者には、クライアント自らいろいろこの家の住み心地や、使い勝手やご近所付き合いのことなどを熱心にご説明されていましたが、それらに片耳を傾けていると、どれだけこのクライアントがこの家を愛してやまないかが伝わってきて、私は内心切ない思いでいっぱいでした。それはまさに、我が子を里親に出すような思いなのだろうと思います。

ここまで愛されて、この家も幸せだったろうと思います。次に住み継いで下さる方は、是非ともこのクライアントと同じくらいの愛情をこの家に注いで下さる方であって欲しいと願うばかりです。



実はこの日は内覧会の前に、アサイチで新座市に去年竣工した「はねだしテラスの家」の竣工写真撮影があり、そちらにも立ち寄らせて頂きました。

うちは竣工写真撮影はなるべくご入居後に行うようにしているのですが、それは前述のように、住宅は「家族の器」であるという考えがあるからです。

生活感が出てしまってすみません、とこの日も冒頭にクライアントから謝られてしまったのですが、まさにそれが私の狙いなのです。そして案の定、こちらの思惑通りにとてもイイ感じに室内空間も”育って”いました。

で上の写真。カメラマンさんが外を撮りに行ってしまったので、その間ご家族で団らんをされているシーンを隠し撮りしちゃったのですが、なんだかとってもいいなあ、とにんまりしてしまいました。

ご家族にしか醸し出せない空気感、そして壁に貼ってあるお子さんの絵も素晴らしいですよね。もうこれは建築家がデザインできる領域じゃないのです。幸せの光景とでもいうのでしょうか。

「川風の家」にも、そこかしこにそんな光景がありました。大切なのは建築ではなくて家族なのです。けれども、大切な家族が幸せに暮らせる器は、やっぱり幸せな器であって欲しいとも思います。そこにこそ我々の仕事の本当の意義があるのだろうと思うのです。

そんなことを感じた一日でした。
なんだか嬉しいような、切ないような、そんな一日でした。

16. 01 / 01

相変わらずに

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sekimoto

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> 思うこと
> 生活



新年あけましておめでとうございます。

うちは二世帯住宅なので帰省の必要がありません。元旦は親世帯でおせち料理を頂きます。最近ではおせちを食べる習慣がなくなってきているのだとか。わかります。準備が面倒な割に、あまりおいしいものではないというか。少なくとも、思い出したように「あぁ、おせち食べたい!」とはならないですよね。

私もおせちはあまり好きではないのですが、年に一度、元旦に家族でかしこまった挨拶をして、そして頂くおせち料理という儀式は嫌いではありません。背筋が伸びるような気がするからです。

そもそも、この流行廃りの激しい世の中において、これほどまでに進化や変化を放棄した食べ物がほかにあるでしょうか。それ以外にも、お正月限定の特別な慣習のあまりに多いこと。

中には年賀状のように、形骸化してもはや意味を成さなくなっているものもあります。でも年賀状がメールやLINEに置き換わったとしても、またおせちがカレーやピザに形を変えたとしても、慣習としてはこの先もなくならないのではないかという気もします。

それは定点観測のようなものかもしれません。毎年同じ日に、同じものを食べて、同じ事をして過ごすということ。今年の自分が、去年と少しも変わらない人間であることを確認する日。それがお正月なんでしょうね。

私の今年の抱負は特にありません。今年もきっと毎日同じ時間に起きて、同じ職場で、同じようなやりとりを重ねて仕事を進めてゆくことでしょう。

でも、私はそれを退屈なことだとは全く思いません。「いま・ここ」と同じ瞬間は二度とないからです。同じ事を繰り返すことで、人は精度を獲得することができます。微差を理解することができます。

人は学習する生き物ですから、我々の仕事のスキルやクオリティは今年も向上してゆくことでしょう。しかしながら、自分という軸は、今の自分と少しも変わらずにありたいと思うのです。

変わらないって難しい!いつもそう思います。
そしてこうも思います。変わらないって素晴らしい!

今年もこれまでと少しも変わらず、ゆるぎない気持ちで仕事に向き合ってゆきたいと思います。

新国立競技場の候補案2案が昨日公表され、昨晩からのニュースや今朝の新聞などでも大きく取り上げられている。

はっきりいって、建築のコンペが新聞の1面を飾ったり、ニュースの冒頭で報じられるなどということは、(外国では当たり前だけれど)この国では異例中の異例で、私の記憶の中でも初めてのことのように思う。

先のザハの件が大きく報じられた際は、どちらかというとネガティブな報じられ方であり、批判のほうが大きかった。ところが今回はこれからどちらかに決めようという段階であり、どちらになるかわからないという意味でも、また近未来のビジョンに多くの人達が思いを寄せるという意味でも、結果的にとても良い流れになっているような気がする。

思えば先のエンブレム問題もそうであったけれど、どうも建築やデザインというのは専門家の領域になりすぎてしまって、一般の人達が口を挟んではいけないような空気がある。それは政治も同じで、一般の人がどんなに声を上げても、結局密室で全てが決まってしまうという点に無力感を感じている人も多いのではないだろうか。

もっとも今回の競技場コンペとて、これから一般投票で決めるわけではなく、専門家で組織する委員会にかけられて決められるわけではあるけれど、世論の声を無視できないことは先の一連の流れでも明らかであるし、今回もけして一部の人達の思惑だけでは決められないだろうと思う。

そういうプレッシャーを今回の応募案公表が担っているのだとすれば、とても喜ばしいことだ。そして今後も国家が関わるような大きなコンペの場合は、このように事前公表をして世論の洗礼を一度浴びせるのが良いと思う。


ところでこの公表案について、私はぱっとみて写真上のA案が伊東豊雄さんで、下のB案が隈研吾さんだろうと予想していた。

伊東さんは前回のコンペにも出していて、その時も自然や環境をテーマにしていたと記憶している。緑豊かな印象のA案はいかにもそれを体現しているように思えたし、一方のB案は柱をテーマに持ってきたシンボリックなデザイン。

隈さんは近年の傾向として「伝統」をテーマにすることが多いし、過去の代表作にも”柱”をシンボリックに使ったものがあることから、これは隈さんの案ではないかと思った。ところが朝日新聞の報道によると、私の予想は逆だったようで、A案が隈さんの案だとのこと。これにはびっくりだった。

これは個人的かつ無責任な予測だけれど、競技場はA案(隈研吾案)が有力なのではないかと思う。コンペ応募時の報道では、今回の建設に一番力を持っていると言われている大成建設の動向が業界で注目されていた。そして大成建設は隈さんと組むことを発表した。この時点で、政治的には圧倒的に隈さんが有利とされていた。

けれど、伊東さんのデザインはそれをも凌駕するポテンシャルがある。これはまだどうなるかわからない。伊東さんのやわらかく斬新なデザインの魅力は、より広く世論を味方にできるだろうと思っていた。

しかしフタを開けてみると、街角調査でもA案の方が圧倒的に人気があるらしい。そうなるとB案の逆転は難しくなる…。

そして正直私もA案が良いと思った。隈さんの、世論を味方につける驚異的な設計力にはただただ驚嘆するしかない。個人的には、伊東さんにもっとがんばってもらいたかったのだけれど。

でも結果はまだわからない。現時点でこういう無責任な予想が立てられるというのも今回の審査方式のおかげとも言える。

中には、今さらながらに「ザハの方が良かった」なんて言っている人もいるけれど、斜に構えるのはそのくらいにして、このコンペの行方を国民の一人として見守り、そして当選案の実現を、今度は建築人の一人として応援したいと思う。