16. 01 / 01

相変わらずに

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sekimoto

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新年あけましておめでとうございます。

うちは二世帯住宅なので帰省の必要がありません。元旦は親世帯でおせち料理を頂きます。最近ではおせちを食べる習慣がなくなってきているのだとか。わかります。準備が面倒な割に、あまりおいしいものではないというか。少なくとも、思い出したように「あぁ、おせち食べたい!」とはならないですよね。

私もおせちはあまり好きではないのですが、年に一度、元旦に家族でかしこまった挨拶をして、そして頂くおせち料理という儀式は嫌いではありません。背筋が伸びるような気がするからです。

そもそも、この流行廃りの激しい世の中において、これほどまでに進化や変化を放棄した食べ物がほかにあるでしょうか。それ以外にも、お正月限定の特別な慣習のあまりに多いこと。

中には年賀状のように、形骸化してもはや意味を成さなくなっているものもあります。でも年賀状がメールやLINEに置き換わったとしても、またおせちがカレーやピザに形を変えたとしても、慣習としてはこの先もなくならないのではないかという気もします。

それは定点観測のようなものかもしれません。毎年同じ日に、同じものを食べて、同じ事をして過ごすということ。今年の自分が、去年と少しも変わらない人間であることを確認する日。それがお正月なんでしょうね。

私の今年の抱負は特にありません。今年もきっと毎日同じ時間に起きて、同じ職場で、同じようなやりとりを重ねて仕事を進めてゆくことでしょう。

でも、私はそれを退屈なことだとは全く思いません。「いま・ここ」と同じ瞬間は二度とないからです。同じ事を繰り返すことで、人は精度を獲得することができます。微差を理解することができます。

人は学習する生き物ですから、我々の仕事のスキルやクオリティは今年も向上してゆくことでしょう。しかしながら、自分という軸は、今の自分と少しも変わらずにありたいと思うのです。

変わらないって難しい!いつもそう思います。
そしてこうも思います。変わらないって素晴らしい!

今年もこれまでと少しも変わらず、ゆるぎない気持ちで仕事に向き合ってゆきたいと思います。

新国立競技場の候補案2案が昨日公表され、昨晩からのニュースや今朝の新聞などでも大きく取り上げられている。

はっきりいって、建築のコンペが新聞の1面を飾ったり、ニュースの冒頭で報じられるなどということは、(外国では当たり前だけれど)この国では異例中の異例で、私の記憶の中でも初めてのことのように思う。

先のザハの件が大きく報じられた際は、どちらかというとネガティブな報じられ方であり、批判のほうが大きかった。ところが今回はこれからどちらかに決めようという段階であり、どちらになるかわからないという意味でも、また近未来のビジョンに多くの人達が思いを寄せるという意味でも、結果的にとても良い流れになっているような気がする。

思えば先のエンブレム問題もそうであったけれど、どうも建築やデザインというのは専門家の領域になりすぎてしまって、一般の人達が口を挟んではいけないような空気がある。それは政治も同じで、一般の人がどんなに声を上げても、結局密室で全てが決まってしまうという点に無力感を感じている人も多いのではないだろうか。

もっとも今回の競技場コンペとて、これから一般投票で決めるわけではなく、専門家で組織する委員会にかけられて決められるわけではあるけれど、世論の声を無視できないことは先の一連の流れでも明らかであるし、今回もけして一部の人達の思惑だけでは決められないだろうと思う。

そういうプレッシャーを今回の応募案公表が担っているのだとすれば、とても喜ばしいことだ。そして今後も国家が関わるような大きなコンペの場合は、このように事前公表をして世論の洗礼を一度浴びせるのが良いと思う。


ところでこの公表案について、私はぱっとみて写真上のA案が伊東豊雄さんで、下のB案が隈研吾さんだろうと予想していた。

伊東さんは前回のコンペにも出していて、その時も自然や環境をテーマにしていたと記憶している。緑豊かな印象のA案はいかにもそれを体現しているように思えたし、一方のB案は柱をテーマに持ってきたシンボリックなデザイン。

隈さんは近年の傾向として「伝統」をテーマにすることが多いし、過去の代表作にも”柱”をシンボリックに使ったものがあることから、これは隈さんの案ではないかと思った。ところが朝日新聞の報道によると、私の予想は逆だったようで、A案が隈さんの案だとのこと。これにはびっくりだった。

これは個人的かつ無責任な予測だけれど、競技場はA案(隈研吾案)が有力なのではないかと思う。コンペ応募時の報道では、今回の建設に一番力を持っていると言われている大成建設の動向が業界で注目されていた。そして大成建設は隈さんと組むことを発表した。この時点で、政治的には圧倒的に隈さんが有利とされていた。

けれど、伊東さんのデザインはそれをも凌駕するポテンシャルがある。これはまだどうなるかわからない。伊東さんのやわらかく斬新なデザインの魅力は、より広く世論を味方にできるだろうと思っていた。

しかしフタを開けてみると、街角調査でもA案の方が圧倒的に人気があるらしい。そうなるとB案の逆転は難しくなる…。

そして正直私もA案が良いと思った。隈さんの、世論を味方につける驚異的な設計力にはただただ驚嘆するしかない。個人的には、伊東さんにもっとがんばってもらいたかったのだけれど。

でも結果はまだわからない。現時点でこういう無責任な予想が立てられるというのも今回の審査方式のおかげとも言える。

中には、今さらながらに「ザハの方が良かった」なんて言っている人もいるけれど、斜に構えるのはそのくらいにして、このコンペの行方を国民の一人として見守り、そして当選案の実現を、今度は建築人の一人として応援したいと思う。

「建築知識」で連載を持つようになり、すでに現在の執筆分で第5回目を数えます。ちなみに今何月号の原稿を書いているかというと2月号です。2月号ですよ?まだ1月号ですら発売されていないというのに!?春になっちゃうよ?

それでも粛々と締切はやってくるのです。

実はこれまでも、ほぼ毎月のようにディテールの寄稿を続けていたので、実はやっていることは物理的には変わらないんですね。ところが連載は何が違うかというと、私の目線でありとあらゆるディテールを網羅して解説しないといけないということなんですね。

いやね、これがしんどいんですよ。自分の引出しの少なさにびっくりです。
わかりやすい例えをするとですね、歯磨きがありますね。

歯磨きが残り少なくなるとぺちゃんこになりますね。そうすると毎日絞り出すようにして歯磨きを出すでしょう?あれです。連載を持つというのはあれなんです!もう絞っても何も出てこないよ~と頭を抱えるんですが、追い込まれて後ろの方からぐるぐるぐるって絞り出してくると、ちょっろって出るんです。

もうなくなった!と思ってまたぐるぐるぐるって絞ると、またちゃんと一回分は出てくる。あれって不思議ですよね。もうないって思ってるのに、毎回一回分だけちょろって出る。気づけば、あれから一ヶ月くらい磨いてるよ?ていう。

連載は一年以上続くって話を聞いているんですが、果たして持つんでしょうか。持つんでしょうね、ぐるぐるはみがき方式で。

そして今日、やっと2月号に筋道を付けたと思ったら、またですよ。
「建築知識」からまた別企画での原稿依頼ですよ。来週までにだって!?
(ゴーストライター募集中)

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街を車で走っているとやたらと目につくガソリンスタンドがある。これを仮にE社としよう。バンバンCMも流れているあそこである。

このE社の系列スタンドには専用のカードがある。このカードを使うと、常に店頭価格よりも割引価格で入れられるという。ならばこのカードを作らない手はない。私はこのE社のカードを申し込もうと考えた。

ところがである。このカードはなぜか個人専用で、法人は別途ビジネスカードとやらを作らないといけないらしい。もちろんビジネスカードで結構である。私は早速近所のスタンドへと足を運んだ。

店頭でビジネスカードを作りたい旨を申し出ると、奥からマネジャーらしき人物が出てきた。手には申込書を持っている。そしておもむろに説明を始めた。
「このカードで入れると店頭価格よりも7円高くなります」

は?私は混乱する。

構わず説明を続けようとするマネジャーを遮って尋ねる。
あの、高くなるって言いました?

「はい、7円高くなります」

えーっと、あの、ごめんなさい。私が馬鹿なのかな。理解できないんでもう一度聞いていいですか?7円高くなるって、どういうメリットがあるんでしょう?

「あ、はい。法人様だとお引落しが法人口座から引き落とせるので、お支払いが楽になります」

楽になるって。
えーっと、あの、ごめんなさい。私が馬鹿なのかな。それともマネジャーさんが、いやなんでもないです。わかんないんで、もう一度聞いていいですか?

クレジットカードでもガソリンって入れられるじゃないですか?法人カードなら法人口座から落ちますよね。そうしたら言っても店頭価格じゃないですか。

「ですね」

なのになんで、わざわざビジネスカード作ると7円高くなっちゃうんですか。それって損ですよね。何かいいことあるんですか?

「あぁ、そうですね。やっぱ、お支払いが楽になるってことでしょうかね」

えーっと、あの、ごめんなさい。やっぱ、私が馬鹿なのかな~。いや、もしかしたらガソリン会社さんが○○なのかな。ちょっとわかんないんですけど、間違っていたらごめんなさいね。

会社で車使っている人は、週末だけ車に乗る人より、ちょっと買い物に車使う人より、たくさんガソリン使いますよね。てことはお得意さんなわけだ。ガソリンスタンドはこういう人にたくさん来てもらいたいわけだ。ここまではいいですよね?

「はい」

他よりもお安くしますから、お客さん贔屓にしてくださいよ~、ていうのが商売ですよね。なのに、なんでそこ高くしちゃうかな?あれ、私間違ってるかな。

「いや、私も言っていて、これって得じゃないなーって思いました」

でしょー!よかった。私馬鹿じゃなかったんですね☆
て、おい。

あとで調べたら、地元の契約スタンドの店頭価格プラス7円の固定価格で、全国一律同じ値段で入れられるっていう"メリット"らしいんですが。それってメリットなのか?そもそも地元価格プラス7円ってどんだけ郊外だよ、ていう。だったら地元で入れるし。しかも店頭価格で。

やっぱ私が馬鹿なのかな?
誰か、カラクリ教えてください。

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sekimoto

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我々のような小規模設計事務所をアトリエ事務所という。

アトリエの本質とは独立志向である。すべてのしがらみから離れ、自分の足で立って歩いてゆくのがアトリエの生き方である。地位や名声も自分次第。叩かれ地に堕ちるのも自分次第。もちろん保障もなにもない。そういう世界に飛び込もうとするには覚悟が必要である。

いきなりこんなことを書いているのは、我が事務所から巣立ち、独立を目指す者たちの近況がぼちぼちと私の耳に入ってくるからだ。それを感慨深く思う。

現役のスタッフも「いつかは独立」を胸に秘め、日々の仕事を修業と捉え、私の一挙手一投足を盗んでやろうと虎視眈々と狙っているに違いない。いやそうであってほしい。私がそうであったように。

アトリエとは生き方そのものである。建築もまた生き方そのものであり、どうやったら仕事が得られるかという問いは、自分がどうやって生きていくか、どうやって生きていきたいのかという問いと重なる。

大きなものに守られ生きる者には、自由と引き替えに保障と安定がもたらされるだろう。やりがいを求めてやせ我慢をする者には、孤独と引き替えに実りある仕事が舞い込むだろう。どちらも生き方だ。自分が望む方を選べば良い。

生きてゆくためには手段は必要である。最初は手段と目的は別々であることが多い。ところが往々にして、人は手段に目的を寄せてしまう。もとは手段であったものが目的そのものになってしまう。これを思考停止と呼ぶ。

そうではなく、目的に手段を寄せてゆく努力をしなくてはならない。もともとの目的が手段そのものになったとき、人は大きな達成感と充足を得ることが出来る。これが独立することの意味である。

アトリエ派として生きていくならば、見つめるのは自分の生き方そのものである。
がんばりなさい。