16. 08 / 19

ハードル

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sekimoto

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> 思うこと
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昨日は建築家の伊礼智さんが塾長を務める住宅デザイン学校の最終講評があり、私も遅ればせながら後半の発表と講評に参加させて頂きました。

今期の住宅デザイン学校では先月にゲスト講師として呼んで頂き、講義と講評をさせて頂いたのですが、最終回はさすがの豪華メンバーで、建築家の横内敏人さんと造園家の荻野寿也さんといった重鎮がゲスト講師としていらしていました。

お二人とも私にとっては雲の上のようなお仕事をなさる方ですが、このような布陣の末席に今回加えて頂けたことが何より嬉しかったことです。

私はどうも今では「建築知識で連載を持っている建築家」として認知されているようで、受講生の方々は連載を熱心に読んでおられたり、私のブログや経歴を見てピンポイントな質問をされる方、またサインまで求められるなど、私などはとてもそのようなステージに立っている人間ではないのにと、嬉しくも少し気後れする場面もありました。


さて今回、建築家の伊礼智さんにゲスト講師を頼まれたことは、私にとってはとても大きな意味を持つことでした。実力や実績では到底及ばない私を、伊礼さんは自分たち側のステージに引き上げて下さったのだと感じています。本当にありがたいことです。

このところ同じような経験を多くさせて頂いています。大学の講師や原稿、講演の依頼、イベントへの参加など、少し前なら考えられなかったような大きな機会を振られることも多くなってきました。

その裏側にはこれまでずっとお世話になってきた、あるいは尊敬し目標とさせて頂いてきた先生や建築家、編集者さんなどがいて、そのような経験のない私を引き上げて挑戦させよう、機会を作ってあげようという愛情をとても大きく感じるのです。

他の人から見て、私がどのように見えているのかはわかりませんが、私は今与えられている課題はどれも私の実力には見合わない、どれもとてつもなく高いハードルであると感じています。飛び越えるだけで精一杯で、とても周りを見る余裕などありません。

それでも客観的に見て、「この仕事は関本ならできるはず」と思って、期待を持って私に依頼して下さっているのだろうと思うと、その期待に応えたいと強く思わざるを得ません。

今年もまだまだ乗り越えなくてはいけないハードルが山のようにあります。まだまだ先は長そうで気が遠くなります。

16. 07 / 25

女子力たかめ?

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sekimoto

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> 思うこと
> 生活



ある日打合せ前に香を焚いていると、女性スタッフからそれなんですか?と尋ねられた。何ってお香だよ、と答えるとへぇと感心したような顔をされた。

以前金沢で買った香立ては私のお気に入りで、また香を立てると気持ちもリラックスするので、打合せ前や設計が煮詰まったときによく香を立てる。ただスタッフにはそれが香立てであることも、また香を立てるという習慣自体も未知なものだったようだ。

「前からその窓前に置かれているものに興味があったんです」
ミーティングデスク脇には私の趣味によるいろんなものが並んでいる。確かに40代の男の趣味ではない気もする。それを20代の女性に感心されるというのも変な話だ。少し恥ずかしいので「女子力高いだろ」と返す。

別の日にはやはり同じ女性スタッフが着ていた服を「それって○○のシャツだろう?」と言い当ててしまった。何でわかるんですか?とひどく驚くので、少し恥ずかしくなり「女子力高いだろ」と素っ気なく返した。

私の場合、特に女性のものに興味があるわけではないけれど、興味を持ったものは大体女性が好むものだったりすることが多い。

たとえば靴なども、男性ものはいかにもというようなゴツいものしかなく、ラインが柔らかくコレ良いなと思うものはだいたい女性ものだ。当然サイズがない。服も柔らかな素材感や気分が明るくなるような柄が好みなのだけれど、そういうものはやはり男性服売り場にはないのだ。

私は住宅設計を主な生業としているけれど、そういうちょっと女性的な視点というか感覚というのは、少なからず今の仕事に役立っているような気もする。私は料理や家事はあまりしないけれど、そういうものに携わる女性の心理や、どういうところが気になるかというのはとてもよく分かるのだ。

一方で、男性としての視点(力強さや格好良さ、潔さのようなもの)もないと、エッジのまるい単なる”家事楽な家”になってしまう。バランスの良い建築には両方の要素が不可欠だ。

私生活では私のそうした感覚が活かされたり、得をするようなことはほとんどないのだけれど、仕事を通じてこうした感覚が多くの人の役に立つのならば、この仕事は天職と呼んでも良いのかもしれない。

16. 06 / 29

骨組み

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sekimoto

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> 仕事
> 思うこと



骨組みの空間を見るとイイなぁ、といつも思う。骨組みの空間はどんな空間にも化けることができる。可能性をいっぱい秘めた産まれたばかりの赤ん坊のように。

この骨組みの魅力に触れるたびに、自分はいかに常識に縛られているかを思い知る。私はこの空間があれば十分だ。金物なんて見えていて構わないし、仕上げだっていらない。

でも実際には、季節の変化に耐えられるよう断熱材が、安全のために手摺りが、快適性のために設備機器が、美観のために仕上げが施されて無事クライアントに引渡される。

私はいつか骨組みだけの家に住んでみたい。それはきっと原始人のような生活かもしれない。何もないから不具合も起こりようがない。秘密基地のようできっと楽しいと思う。

英国はEUを離脱すべきではなかった。

私は直前まで英国は残留を選ぶと思っていた。これから英国には試練という言葉では足りない苦難が待ち構えているだろう。経済危機、そしてそれは雇用にも影響を及ぼし、移民問題をしのぐ深刻な問題へと発展してゆくに違いない。

ただそれは国民が選んだ結果であり、自業自得だとしても、それが飛び火し迷惑被るのは日本経済である。なにしてくれてんねんて思う。

今朝の新聞に世代別の投票行動が載っていた。離脱という名の”独立”を選んだのは、”偉大なる英国(グレートブリテン)”幻想を持つ65歳以上の世代だ。そして残留という名の国際協調を選んだのは、圧倒的に次代を担う18~24歳の世代である。

「若者よ、あとは頼んだぞ」といったところか。
「顧問の先生には退部届出しておいたわよ」とお母さん。

イギリス、部活辞めるってよ。
ほんと、なにしてくれてんねんて思う。

16. 06 / 24

作家と職人

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sekimoto

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> 仕事
> 思うこと


先日友人の建築家と呑んでお互いの建築観について話をした。以前から薄々気づいてはいたけれど、どうも私の考える建築というのは少し違うのかもしれない。

たとえば、私は自分の仕事を「作品」と呼ばれることに抵抗がある。
世間的には設計事務所の仕事は「作品」と呼ばれることが多いし、私のサイトにもやはり「これまでの作品」などと書かれている。けれども、本当は少し違和感がある。私は自分の仕事を「作品」ではなく、ただ「仕事」だと思っている。

作品を作る人が「作家」だとすれば、私は「職人」なのだと思う。
作家とは表現したいことがあり、自らの表現のために資金を作る人のことだ。職人は表現はせず、依頼に対してただ忠実な仕事をする人である。

私には表現したいことはなく、自分はからっぽだといつも思う。
関本さんの建築ってどんな建築ですか?と聞かれるのが一番困る。私は依頼主のことにしか興味がない。その人がどういう人で、住まいや家族に対してどういう考えを持っているのか。それを聞き出し、咀嚼することが私の仕事である。

板前が目の前の活きの良い魚に鮮やかな手さばきで包丁を入れてみせる。目の前にさっと皿が出てくる。私はそんな仕事に憧れる。自分の仕事もそうありたいと思う。