英国はEUを離脱すべきではなかった。

私は直前まで英国は残留を選ぶと思っていた。これから英国には試練という言葉では足りない苦難が待ち構えているだろう。経済危機、そしてそれは雇用にも影響を及ぼし、移民問題をしのぐ深刻な問題へと発展してゆくに違いない。

ただそれは国民が選んだ結果であり、自業自得だとしても、それが飛び火し迷惑被るのは日本経済である。なにしてくれてんねんて思う。

今朝の新聞に世代別の投票行動が載っていた。離脱という名の”独立”を選んだのは、”偉大なる英国(グレートブリテン)”幻想を持つ65歳以上の世代だ。そして残留という名の国際協調を選んだのは、圧倒的に次代を担う18~24歳の世代である。

「若者よ、あとは頼んだぞ」といったところか。
「顧問の先生には退部届出しておいたわよ」とお母さん。

イギリス、部活辞めるってよ。
ほんと、なにしてくれてんねんて思う。

16. 06 / 24

作家と職人

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sekimoto

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> 仕事
> 思うこと


先日友人の建築家と呑んでお互いの建築観について話をした。以前から薄々気づいてはいたけれど、どうも私の考える建築というのは少し違うのかもしれない。

たとえば、私は自分の仕事を「作品」と呼ばれることに抵抗がある。
世間的には設計事務所の仕事は「作品」と呼ばれることが多いし、私のサイトにもやはり「これまでの作品」などと書かれている。けれども、本当は少し違和感がある。私は自分の仕事を「作品」ではなく、ただ「仕事」だと思っている。

作品を作る人が「作家」だとすれば、私は「職人」なのだと思う。
作家とは表現したいことがあり、自らの表現のために資金を作る人のことだ。職人は表現はせず、依頼に対してただ忠実な仕事をする人である。

私には表現したいことはなく、自分はからっぽだといつも思う。
関本さんの建築ってどんな建築ですか?と聞かれるのが一番困る。私は依頼主のことにしか興味がない。その人がどういう人で、住まいや家族に対してどういう考えを持っているのか。それを聞き出し、咀嚼することが私の仕事である。

板前が目の前の活きの良い魚に鮮やかな手さばきで包丁を入れてみせる。目の前にさっと皿が出てくる。私はそんな仕事に憧れる。自分の仕事もそうありたいと思う。

16. 06 / 04

北海道の事件で

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sekimoto

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> 子ども
> 思うこと


北海道で子どもが置き去りにされた事件で、無事保護されたという昨日の報には、心底よかったと思った。ほっとするあまり、危うく涙すら出そうになった。

普段報道は他人事であり、一喜一憂することのない私にとって、そこまで心が動いたのは、これは自分のことだと思ったからだと思う。

言葉で言って理解できない、あるいは収まりのつかない時期の子どもの教育はとても難しい。暴力は控えるとしても、やはり特効薬は「恐怖」をちらつかせて子どもの本能に訴える方法があることは否定できない。「言うこと聞かないと鬼が来るよ」といった方便もこれにあたる。

今回の事件もその延長線上にある。結果的に大騒ぎになってしまったけれど、どの家庭でもそんな経験の一つや二つはあるのではないか。

例えば、躾のためにほんの5分ほど押入れに閉じ込め反省を促したとする。開けたら子どもがぐったりして動かなかったらどうだろう?その日からその親は犯罪者の一人となってしまう。

私も子どもの頃父に夜のベランダに出されたことがある。でもそこでパニックになり、自力でベランダから飛び降り頭を打っていたら、今の自分はいないかもしれない。

今回の事件の衝撃は、まさに日常に潜む恐怖であり、いつどんな時に、同じ災いが自分に降りかかるかわからないという教訓である。

今回子どもが無事保護されたことを、我が事のように安堵した。そして我が子が今まで何事もなく成長してくれている幸運と、自分も今何事もなく生活できている幸せが奇跡であることをあらためて感じた。

16. 04 / 29

図面がすべて

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sekimoto

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> STAFF
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以前このブログにも、新卒の新しいスタッフが4月より加わる旨を書きました。砂庭陽子さんといいます。今月より正式スタッフとなり、既にバリバリと仕事をしてくれています。

砂庭さんはリオタデザインでは久しぶりの新卒採用となります。この間まで学生だった子を採用するということは、設計事務所という専門性の高い職場にとってはリスクになりうるわけですが、経験や先入観を持たない分だけ柔軟に吸収してくれるという良さもあります。

しかも彼女は若い!年齢は私の歳のちょうど半分ということで、これまた感慨深いのですが、私もつい彼女のように大学を出たての頃のことを思い出してしまいます。


私が大学を出て設計事務所に入社した時代は、まだ図面は手描きの時代で、A1サイズの大きなトレーシングペーパーに先輩方が何枚も何枚も図面を描いていました。

CADと違って図面の原図は世界に一つしかありませんから、これを無くしたり汚してしまえば一巻の終わり。そのため、原図管理はそれはもう厳重に行われていました。今では事務所でもデスクでお弁当を食べる者もいますが、当時は図面の上で物を食べようものなら、それはもうこっぴどく叱られたものです。

この時に図面表現や線の濃淡について学びました。

図面は情報としては”ただの線”であるにも関わらず、エンピツの筆圧を自在に使い分けることによって、伝えたい情報を相手に的確に伝えることができます。特に外壁の輪郭線や、地盤面などは「親の敵を討つように引け!」とは良く言われたことです。

カランダッシュのホルダーに、芯はUNIのB。これ一本ですべての線を描き分けるのがその事務所の流儀でした。所長や先輩の描く線はそれはそれは美しく、格の違いをまざまざと見せつけられたものです。

今ではうちの事務所もすべてCADによる作図ですが、その経験が下敷きとなり、リオタデザインでは独自レイヤーによる作図法を開拓し、今に受け継がれています。企業秘なので多くは書きませんが、とにかく新人は、このレイヤーの使い分けを徹底的に叩き込まれるところから始まります。

私はどんな細かなレイヤーの違いもすべて見分ける自信があります。文字を書く位置、引出線にもすべてに流儀があります。図面情報は間違っていなくても、図面表現が疎かであると私が判断すれば、延々と描き直しをさせられることになります。

図面はすべてのコミュニケーションの基となります。図面がすべて。大学では評価が模型重視となり、図面をろくに描けない学生が増えてきました。私に言わせれば話になりません。我々が命よりも大切にしなくてはいけないのが図面なのです。


新人の砂庭さんは、毎日毎日私に怒られています。
私は新人だからと言って容赦をしません。なぜなら、ここは学校ではないからです。しかしわずか一ヶ月ですが、砂庭さんは新卒のスタッフとしては極めて優秀な人材であることがよくわかりました。

リオタデザインにようこそ!
これからも一緒に事務所を盛り上げてゆきましょう。

16. 01 / 18

家族の器

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sekimoto

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> OPENHOUSE
> 思うこと



先週末、売りに出されている「川風の家」の特別内覧会を開催させて頂きました。タカギプランニングさんの主催により、今回は購入希望者向けに開催した内覧会でしたが、リオタデザインのクライアント(OB&進行中)も多く駆けつけて下さり、いつも通りの大変賑やかな内覧会となりました。

おかげさまで終始和やかな雰囲気に包まれたイベントとなりました。
ご来場下さった皆様、誠にありがとうございました。

肝心の購入希望者ですが、検討中の方が数組という状況で、まだはっきりした買い手はついておりません。引続き入居希望者を募集しておりますので、ご自身や、あるいは周囲に家を探している方などがいらっしゃいましたら、是非ともご検討並びにご紹介頂けますと幸いです。

関連記事: 『川風の家』 が売りに出されます (15.12.23付ブログ)



さて、当日は私も多くの方にこの家の魅力について説明(力説?)させて頂きましたが、あらためて当時の設計ながらによくできた家だなあと感じました。設計者の私が言うのもなんなのですが…。

このブログをご覧の方は、うちの作品ページから入ってゆくと当時の竣工写真を見ることができますが、私も久しぶりに訪れましたが、竣工当時よりもとても家らしく、愛らしい佇まいになっていると感じました。やはり住宅というのは、「家族の器」なのだなとあらためて思いました。

購入検討者には、クライアント自らいろいろこの家の住み心地や、使い勝手やご近所付き合いのことなどを熱心にご説明されていましたが、それらに片耳を傾けていると、どれだけこのクライアントがこの家を愛してやまないかが伝わってきて、私は内心切ない思いでいっぱいでした。それはまさに、我が子を里親に出すような思いなのだろうと思います。

ここまで愛されて、この家も幸せだったろうと思います。次に住み継いで下さる方は、是非ともこのクライアントと同じくらいの愛情をこの家に注いで下さる方であって欲しいと願うばかりです。



実はこの日は内覧会の前に、アサイチで新座市に去年竣工した「はねだしテラスの家」の竣工写真撮影があり、そちらにも立ち寄らせて頂きました。

うちは竣工写真撮影はなるべくご入居後に行うようにしているのですが、それは前述のように、住宅は「家族の器」であるという考えがあるからです。

生活感が出てしまってすみません、とこの日も冒頭にクライアントから謝られてしまったのですが、まさにそれが私の狙いなのです。そして案の定、こちらの思惑通りにとてもイイ感じに室内空間も”育って”いました。

で上の写真。カメラマンさんが外を撮りに行ってしまったので、その間ご家族で団らんをされているシーンを隠し撮りしちゃったのですが、なんだかとってもいいなあ、とにんまりしてしまいました。

ご家族にしか醸し出せない空気感、そして壁に貼ってあるお子さんの絵も素晴らしいですよね。もうこれは建築家がデザインできる領域じゃないのです。幸せの光景とでもいうのでしょうか。

「川風の家」にも、そこかしこにそんな光景がありました。大切なのは建築ではなくて家族なのです。けれども、大切な家族が幸せに暮らせる器は、やっぱり幸せな器であって欲しいとも思います。そこにこそ我々の仕事の本当の意義があるのだろうと思うのです。

そんなことを感じた一日でした。
なんだか嬉しいような、切ないような、そんな一日でした。