16. 08 / 23
伊藤裕子さんのこと
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sekimoto
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友人であり、尊敬する建築家であった伊藤裕子さんがお亡くなりになった。あまりの衝撃に、その報を受けた瞬間時間が止まってしまった。
1年半ほど前に末期癌の宣告を受けていたとのことだった。信じられない。この1年半で私は伊藤さんに何度お会いしたことだろう。いつお会いしても明るく活発で、変化など微塵も感じられなかった。もちろんご病気のことは一切口にされなかったし、どこからどう見ても病人には見えなかった。
それを一切表情に出さなかったのかと思うとますます切なくなる。人に気を遣わせまいとする、実に伊藤さんらしい振る舞いだったように思う。
伊藤事務所のホームページを覗くと、新規の受付を休止しているとの告知があった。それでもブログの内容はいつもの明るい伊藤さんのままだった。
http://www.itoyuko-arch.com/
伊藤さんとはどこでどうやって知り合ったのかはっきり覚えていない。もしかしたら建築家の奥山裕生さんの紹介だったかもしれない。けれども初めてお会いした際に伊藤さんは私にこうおっしゃった。
「私は関本さんのことを、独立した当時から知っている。この人は絶対に伸びる!と思っていたらあれよあれよと活躍するようになった。私の目に狂いはなかった」
それがとても嬉しかった。そして、いつも私の「ファン」だと言って憚らなかった。私がセミナーをしたりオープンハウスをするといつも駆けつけて下さった。自分より10歳も年下の建築家に「ファン」だなんて言えるだろうか。私なら絶対に言えない。そのくらい心が広く、私心のないまっすぐな方だった。こんな方がいるんだと驚き、私は伊藤さんを人としてとても尊敬していた。
伊藤さんは人と人とを結びつける達人だった。私のオープンハウスに足を運んで下さる時は必ず人を同伴し、私とその方とを結びつけて下さった。今も親しくさせて頂いている建築家の松井郁夫さんもその一人だった。
またあるときはパートナーの構造家・山田憲明さんの中学時代の恩師と親友だということで、山田さんとこの恩師との再会を取り持って下さったということもあった。どうしたらそんなにつながるんだろうと思うくらい、不思議なご縁をいくつも持っている方だった。
正直私は伊藤さんとそこまで深い付き合いということではなく、これまでお会いした回数ももしかしたら10回くらいかもしれない。でもそういう方の方が、その人の印象は鮮烈で深く記憶に刷り込まれているような気がしてならない。
今年の建築知識7月号で、私のタニタガルバの取材記事の隣に掲載されていたのが、同じくタニタガルバを採用された伊藤裕子さん設計のモデルハウスだった。
掲載を知らせるフェイスブックの投稿では「隣の関本さんの爽やかな笑顔には負けちゃいますが!笑」とおどけたコメントを載せておられた。私もコメントを返した。つい先月のことだった。
奇しくもこれが伊藤さんとの最後の会話になってしまった。
これまでたくさんの愛情溢れるお言葉をありがとうございました。伊藤さんのことを考えていたら、ちょっと涙腺がまずいことになりそうです。心よりご冥福をお祈り致します。

16. 08 / 21
手をのばせば
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sekimoto
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本日のプレゼンはクライアントの反応に、こちらのテンションもつい上がってしまいました。ご予算が厳しく、建築家に頼みたいけど頼めない。だけど頼みたい!ということで最後にエイヤッとうちの事務所に飛び込んでいらした方です。
コンパクトなプランに納め、ローコストに抑える提案もしていますが、話をしていると盛り上がり、ケチケチしたこと言ってると良いものはできないな、、とつい思ってしまいます。
住宅に限らず何でもそうですが、世の中のものは「いま」と「ここ」で成立しています。「身の丈に合った」とは良く言ったものですが、本当にそれで良いのでしょうか。予算が限られているから、手が届けばそれで良いのでしょうか。
人は無理をしないで、手を伸ばせば届くものを求めたがりますが、少し無理をすれば手が届くものは世の中にはいっぱいあると思うのです。お金はかかるかもしれません。リスクもあります。でもそれを避けていては何も手に入れることは出来ません。
私は仕事を辞めてフィンランドに渡ったことで得がたい経験をしました。横着をしないで、立ち上がればいいのに。勇気を出してエイヤッと飛び込めばいいのに。尻込みした人を見るといつもそう思います。あともう少し…と指の先が触れるかどうかのものを手に入れるからこそ尊いのです。
このクライアントにとっての冒険はここからはじまります。けれども、不安そうに事務所を訪れた日の顔ではなく、希望に溢れた今日の表情を見る限り、この家はきっと大丈夫でしょう。
家づくりは、未来に希望を描けた人だけに微笑むのでしょうね。


16. 08 / 19
ハードル
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sekimoto
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> 思うこと
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昨日は建築家の伊礼智さんが塾長を務める住宅デザイン学校の最終講評があり、私も遅ればせながら後半の発表と講評に参加させて頂きました。
今期の住宅デザイン学校では先月にゲスト講師として呼んで頂き、講義と講評をさせて頂いたのですが、最終回はさすがの豪華メンバーで、建築家の横内敏人さんと造園家の荻野寿也さんといった重鎮がゲスト講師としていらしていました。
お二人とも私にとっては雲の上のようなお仕事をなさる方ですが、このような布陣の末席に今回加えて頂けたことが何より嬉しかったことです。
私はどうも今では「建築知識で連載を持っている建築家」として認知されているようで、受講生の方々は連載を熱心に読んでおられたり、私のブログや経歴を見てピンポイントな質問をされる方、またサインまで求められるなど、私などはとてもそのようなステージに立っている人間ではないのにと、嬉しくも少し気後れする場面もありました。
◇
さて今回、建築家の伊礼智さんにゲスト講師を頼まれたことは、私にとってはとても大きな意味を持つことでした。実力や実績では到底及ばない私を、伊礼さんは自分たち側のステージに引き上げて下さったのだと感じています。本当にありがたいことです。
このところ同じような経験を多くさせて頂いています。大学の講師や原稿、講演の依頼、イベントへの参加など、少し前なら考えられなかったような大きな機会を振られることも多くなってきました。
その裏側にはこれまでずっとお世話になってきた、あるいは尊敬し目標とさせて頂いてきた先生や建築家、編集者さんなどがいて、そのような経験のない私を引き上げて挑戦させよう、機会を作ってあげようという愛情をとても大きく感じるのです。
他の人から見て、私がどのように見えているのかはわかりませんが、私は今与えられている課題はどれも私の実力には見合わない、どれもとてつもなく高いハードルであると感じています。飛び越えるだけで精一杯で、とても周りを見る余裕などありません。
それでも客観的に見て、「この仕事は関本ならできるはず」と思って、期待を持って私に依頼して下さっているのだろうと思うと、その期待に応えたいと強く思わざるを得ません。
今年もまだまだ乗り越えなくてはいけないハードルが山のようにあります。まだまだ先は長そうで気が遠くなります。

ある日打合せ前に香を焚いていると、女性スタッフからそれなんですか?と尋ねられた。何ってお香だよ、と答えるとへぇと感心したような顔をされた。
以前金沢で買った香立ては私のお気に入りで、また香を立てると気持ちもリラックスするので、打合せ前や設計が煮詰まったときによく香を立てる。ただスタッフにはそれが香立てであることも、また香を立てるという習慣自体も未知なものだったようだ。
「前からその窓前に置かれているものに興味があったんです」
ミーティングデスク脇には私の趣味によるいろんなものが並んでいる。確かに40代の男の趣味ではない気もする。それを20代の女性に感心されるというのも変な話だ。少し恥ずかしいので「女子力高いだろ」と返す。
別の日にはやはり同じ女性スタッフが着ていた服を「それって○○のシャツだろう?」と言い当ててしまった。何でわかるんですか?とひどく驚くので、少し恥ずかしくなり「女子力高いだろ」と素っ気なく返した。
私の場合、特に女性のものに興味があるわけではないけれど、興味を持ったものは大体女性が好むものだったりすることが多い。
たとえば靴なども、男性ものはいかにもというようなゴツいものしかなく、ラインが柔らかくコレ良いなと思うものはだいたい女性ものだ。当然サイズがない。服も柔らかな素材感や気分が明るくなるような柄が好みなのだけれど、そういうものはやはり男性服売り場にはないのだ。
私は住宅設計を主な生業としているけれど、そういうちょっと女性的な視点というか感覚というのは、少なからず今の仕事に役立っているような気もする。私は料理や家事はあまりしないけれど、そういうものに携わる女性の心理や、どういうところが気になるかというのはとてもよく分かるのだ。
一方で、男性としての視点(力強さや格好良さ、潔さのようなもの)もないと、エッジのまるい単なる”家事楽な家”になってしまう。バランスの良い建築には両方の要素が不可欠だ。
私生活では私のそうした感覚が活かされたり、得をするようなことはほとんどないのだけれど、仕事を通じてこうした感覚が多くの人の役に立つのならば、この仕事は天職と呼んでも良いのかもしれない。

骨組みの空間を見るとイイなぁ、といつも思う。骨組みの空間はどんな空間にも化けることができる。可能性をいっぱい秘めた産まれたばかりの赤ん坊のように。
この骨組みの魅力に触れるたびに、自分はいかに常識に縛られているかを思い知る。私はこの空間があれば十分だ。金物なんて見えていて構わないし、仕上げだっていらない。
でも実際には、季節の変化に耐えられるよう断熱材が、安全のために手摺りが、快適性のために設備機器が、美観のために仕上げが施されて無事クライアントに引渡される。
私はいつか骨組みだけの家に住んでみたい。それはきっと原始人のような生活かもしれない。何もないから不具合も起こりようがない。秘密基地のようできっと楽しいと思う。
