11. 10 / 11
オープンテラスの家・内覧会終了
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sekimoto
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> 仕事
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昨日はオープンテラスの家,内覧会にお越し頂いた皆様ありがとうございました.
今回の計画は改装ではありますが,ほぼ新築並みのプログラムで,クライアントのこだわりと我々のいくつかの新しい試みがうまくはまり,クオリティの高い空間に仕上がったのではないかと自負しています.来場者の方々にも,いつもとは少し違う空間の仕上がりを楽しんで頂けたのではないかと思います.
今回は非常に複雑な条件の絡み合った計画でもありました.改装,それも2階のフロア改修という制約上,どうしてもインテリア指向になりがちな計画の方向性を,オープンテラスによって外とのつながりを持たせることができたことは,計画上非常に大きかったように思います.できあがってみればシンプルな空間も,その水面下では必死にもがいていた我々のプロセスがあります.
今回の仕事では,あらためて我々の建築へのスタンスというものを考えてみました.
我々は特定の建築の型を持たず,その時その状況に応じた解決をその都度見いだしてゆきます.それが勾配屋根になることもあれば,四角くモダンな建築になることもあります.
強い建築テーマを底辺に据えてひとつの空間を追求し続ける方もいますが,我々の強みはおそらくそういうものを持たないところにあるのかもしれません.常にシフトをニュートラルにしておくこと,意識的に流されながらつくること,そのことによって自分が意識するよりももっと遠くへ行くことができます.
次に控えている仕事も個性的な敷地やクライアントばかり.まだまだ変わり続けられるような気がします.
最後に内覧会にあたって全面的なご協力を頂きましたクライアントに,この場をお借りして深く感謝致します.終了後に囲んだ食卓と語らいもまた最高に楽しかったです.ごちそうさまでした!






11. 10 / 01
船出をまえに
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sekimoto
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> 仕事
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人との縁を大切に思う.この国や街には人があふれている.交差点では無数の人とすれ違うけれど,その中で知り合い気の合う仲になるということはまず皆無に近いことだ.
人との出会いは不思議なもので,一時期は仲の良かった友人も今ではほとんど連絡を取っていなかったり,逆に卒業してから仲良くなって,今でもその関係が切れないという友人もいる.それはクライアントや教えている学生たちにも皆同じことが言える.
僕は建築をやっていなかったら,ずいぶんと寂しい人生を送っていたのではないかと思うことがある.とりわけ人見知りなので,人と打ち解けるには時間がかかる.自分から人をかきわけてアピールするというのも苦手だ.けれども自己表現としての建築がそれを助けてくれる.僕の作品を見て,いろんな人が共感してくれて集まってきてくれる.僕はそれを心から幸せに思う.
スタッフの柴くんとの出会いは,僕が設計したカフェmoiだった.当時の常連客だった彼とまだ荻窪にあったお店で,オーナーの岩間さんを介して知り合った.その時は二言三言言葉を交わしただけだったけれど,それがその後うちのスタッフとなり,番頭役として何年にも渡ってうちの事務所を支えてくれる存在になろうとは,その時はつゆほども思わなかった.つくづく出会いの不思議を思う.
彼の在籍したこの約4年間は,事務所としてもジェットコースターのような変節点のまっただ中にあった.事務所を移転し,繁忙期から一転して仕事がなくなり,彼と二人きりで乗り切ったあの苦しかった時期も今となっては良い思い出となっている.
彼は建築の大学を出ていない.様々な職業を転々として建築に辿り着いた苦労人の彼を見ていると,人生経験は無駄ではないのだなということをつくづく思わされる.クライアントや現場への対応は丁寧かつ落ち着いていたし,どこに行っても彼に対する信頼は揺らぐことはなかった.
設計では細部に至るまで根気強くエスキースを重ねていた姿が印象的だ.その安心感から,僕もついつい甘えて彼に対応を任せることも多かった.そういう意味で文字通り僕の”右腕”であったと言える.
そんな彼もいよいよ自分の道を歩み出す時期が来たようだ.その相談を受けた時,僕は彼を引き留めなかった.誤解を恐れずに言えば,彼が去って残念という気持ちよりも,彼の決断にかつての自分を重ね「ガンバレ!」というエールの気持ちでいっぱいだった.彼が船を漕ぎ出すなら今しかないと思う.
大丈夫,なんとかなる.僕もなんとかなったから!
心が折れそうになったら僕の背中を思い出してください.活躍を期待しています.
人との出会いは不思議なもので,一時期は仲の良かった友人も今ではほとんど連絡を取っていなかったり,逆に卒業してから仲良くなって,今でもその関係が切れないという友人もいる.それはクライアントや教えている学生たちにも皆同じことが言える.
僕は建築をやっていなかったら,ずいぶんと寂しい人生を送っていたのではないかと思うことがある.とりわけ人見知りなので,人と打ち解けるには時間がかかる.自分から人をかきわけてアピールするというのも苦手だ.けれども自己表現としての建築がそれを助けてくれる.僕の作品を見て,いろんな人が共感してくれて集まってきてくれる.僕はそれを心から幸せに思う.
スタッフの柴くんとの出会いは,僕が設計したカフェmoiだった.当時の常連客だった彼とまだ荻窪にあったお店で,オーナーの岩間さんを介して知り合った.その時は二言三言言葉を交わしただけだったけれど,それがその後うちのスタッフとなり,番頭役として何年にも渡ってうちの事務所を支えてくれる存在になろうとは,その時はつゆほども思わなかった.つくづく出会いの不思議を思う.
彼の在籍したこの約4年間は,事務所としてもジェットコースターのような変節点のまっただ中にあった.事務所を移転し,繁忙期から一転して仕事がなくなり,彼と二人きりで乗り切ったあの苦しかった時期も今となっては良い思い出となっている.
彼は建築の大学を出ていない.様々な職業を転々として建築に辿り着いた苦労人の彼を見ていると,人生経験は無駄ではないのだなということをつくづく思わされる.クライアントや現場への対応は丁寧かつ落ち着いていたし,どこに行っても彼に対する信頼は揺らぐことはなかった.
設計では細部に至るまで根気強くエスキースを重ねていた姿が印象的だ.その安心感から,僕もついつい甘えて彼に対応を任せることも多かった.そういう意味で文字通り僕の”右腕”であったと言える.
そんな彼もいよいよ自分の道を歩み出す時期が来たようだ.その相談を受けた時,僕は彼を引き留めなかった.誤解を恐れずに言えば,彼が去って残念という気持ちよりも,彼の決断にかつての自分を重ね「ガンバレ!」というエールの気持ちでいっぱいだった.彼が船を漕ぎ出すなら今しかないと思う.
大丈夫,なんとかなる.僕もなんとかなったから!
心が折れそうになったら僕の背中を思い出してください.活躍を期待しています.

我々のようなアトリエ事務所は比較的閉じた環境で仕事をしているので,他の事務所がどんな風に仕事をしているかを知る機会は,ありそうで実はあまり多くはない.だからそんな機会があると,つい前のめりになっていろいろと”情報交換”をしてしまう.
先日は,実施設計では僕も図面を描くという話をしたら驚かれた.他の事務所では「所長は図面を描かない」らしい.図面どころか,現場もあまり行かないという人や,クライアントとの打合せもスタッフまかせという人もいるらしい.これを最初聞いた時はウソでしょって思った.
うちでは僕もばりばり図面を描くし,現場も行くし,クライアントとも僕が打合せる.スタッフに全面的に任せるのは確認申請くらいかもしれない.ひとつにはスピードや責任の問題もあるけれど,なにより自分の目で見て聞いて,図面を描かないとその空間が肉体化しないような気がするからだ.
だからうちでは何件仕事があっても,動かしている実施設計は常に一つだけ.だから一定のキャパシティを超えると,クライアントを延々とお待たせすることになってしまう.
同業に言わせると,そんな僕のやり方は理想だけれど非現実的で非効率的なやりかただという.反論を試みようとするものの,それでは仕事を廻せないでしょう?と返されると黙ってしまう.実際その通りだから何も言えない.
でもそんな流儀を貫いてきたことによって,これまでクライアントとの間にも大きな問題もなく,隅々まで配慮の行き届いた空間をつくってきたという自負があるのも事実.
だからたぶんこれからも基本的な仕事の進め方は変わらないのだろうけれど,ただ事務所を運営する立場として,もう少し上手いことやらないとしんどいなぁ…とぼやきに近いこともまた考えてしまうのだった.
先日は,実施設計では僕も図面を描くという話をしたら驚かれた.他の事務所では「所長は図面を描かない」らしい.図面どころか,現場もあまり行かないという人や,クライアントとの打合せもスタッフまかせという人もいるらしい.これを最初聞いた時はウソでしょって思った.
うちでは僕もばりばり図面を描くし,現場も行くし,クライアントとも僕が打合せる.スタッフに全面的に任せるのは確認申請くらいかもしれない.ひとつにはスピードや責任の問題もあるけれど,なにより自分の目で見て聞いて,図面を描かないとその空間が肉体化しないような気がするからだ.
だからうちでは何件仕事があっても,動かしている実施設計は常に一つだけ.だから一定のキャパシティを超えると,クライアントを延々とお待たせすることになってしまう.
同業に言わせると,そんな僕のやり方は理想だけれど非現実的で非効率的なやりかただという.反論を試みようとするものの,それでは仕事を廻せないでしょう?と返されると黙ってしまう.実際その通りだから何も言えない.
でもそんな流儀を貫いてきたことによって,これまでクライアントとの間にも大きな問題もなく,隅々まで配慮の行き届いた空間をつくってきたという自負があるのも事実.
だからたぶんこれからも基本的な仕事の進め方は変わらないのだろうけれど,ただ事務所を運営する立場として,もう少し上手いことやらないとしんどいなぁ…とぼやきに近いこともまた考えてしまうのだった.
11. 09 / 08
オープンデスク
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sekimoto
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> 仕事
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建築の世界ではオープンデスクという慣習がある.
いわゆるインターンというやつで,学生が設計事務所などに通い,報酬はもらえないけれどその代わりに勉強をさせてもらうというもの.ステイタスとしては研修生といったところだろうか.
もちろん一方では普通に設計事務所でバイトする(報酬付き)という選択肢もあるわけだから,貴重な時間を使って無報酬というのでは割に合わないと考える学生もいるだろう.ただうちのような事務所の場合バイトすら雇えないケースがほとんどで,そういう事務所での職業体験にはやはりオープンデスクしかないのかもしれない.
うちも今年も一名の学生を受け入れ,そろそろ1ヶ月が経とうとしている.CADの基本操作なども覚え,基本的には他のスタッフと同じように仕事をしてもらっている.うちのスタッフも”新人”の存在は大いに刺激になっているようだ.
中でもうちの紅一点である三浦は,同世代の女性が来たということですっかり意気投合.話し相手ができてなんだか毎日楽しそうである.相乗効果で事務所にもいつになく活気があるようにも感じる.
僕とはちょうど同時期に計画をまとめるコンペがあり,その担当者として一緒に案をまとめてきた.大学での設計課題と異なり,実際の敷地にクライアントがいて,生々しいリアルな要望事項が並んでいる.建築法規の制約もびっしりだ.共にプランを何案も出し合いながら議論を重ね,役所調べにも同行させてリアルに建てるということはどういうことなのかを学んでもらった.
最後は模型.「模型は苦手!」という学生を,模型に長けたスタッフがマンツーマンで基本的な技術やノウハウを叩き込み,最初は精度に欠けるものだったものが,最後には「これ君が作ったの?」というくらいスキルの高い模型を作るようにまでなった.これだけでも,彼女にとってはこの夏の大きな収穫だったのではないかと思う.
先日はそのプレゼンも無事終わり,あとは結果を待つのみ.
大学では課題が終わればそれでおしまい.けれども我々の仕事はここからがはじまり.けれども結果が伴わなければそこでおしまい.そんな一部始終もまた見届けてもらいたいとも思う.
あと大学始業までの数週間は,後期授業等の準備にあててもらおうと場所だけを提供し,これまで通り事務所に通ってもらうことにした.報酬はないけれど,休み明け同級生に再会した際,ちょっとだけ自分が大人になったように感じてもらったら嬉しい.


以前プランがなかなか進まない話を書いた.その後はといえば,なんとか道筋をみつけて「ヨシ!」と心の中で小さくつぶやけるくらいの案にはなりつつある.
毎回プランを納得のいく形でまとめるというのは,プロとしては当然といえば当然のことなのだけれど,でもこれはプロだろうが学生であろうが結局は同じことで,そんな局面に出くわした時どうやったら乗り越えられるかということを日々意識していないと,その時にただあたふたと自信喪失する事態にもなりかねない.
よくそういうときは「手を動かせ」と我々は言う.ただ腕組みして天井を眺めているよりも,手を動かしていれば何かヒントが得られるはずだと.もちろんそれは正しい.正しいけれど常に正しいかと言われればそうでもない,と僕は思う.
だって頭に何にも浮かばないのに真っ白なスケッチブックにただ向き合うなんて,こんなに苦痛なことはないもの!これはきっと文筆業の方でも同じだろう.ちょっと気分転換…といっては,後ろめたく違うことをやりはじめてしまうパターンになりかねない.
今回実感したのは,こういうときの「話す」ことの有効性である.
自分の中で堂々巡りしている悩みも,親しい友人などに話すとおのずと結論が見えてくることがある.今回もあまりに糸口が見えないので,スタッフをつかまえ目の前に座らせては,何が問題なのか,どこに違和感を覚えているのかを訥々と語るという作業を繰り返した.
不思議なもので,毎回語り終える頃には「だからきっとこういうことなんだろうな」という結論じみたことが見え始めていたりするからおもしろい.あんなに行き詰まっていたというのに.またそこで素朴な一言をもらったりすると「やっぱりそうか」と,またひとつ外堀が埋められたりもする.
つまり「話す」ことは手を動かすのと同じくらい有効な”エスキース”であるということだ.さび付いて硬直していたギアに油を差す行為にも近いかもしれない.また自分以外の誰かを巻き込むことで,モチベーションを上げられるという効果もあるだろう.
そう考えると,よく大学などでは学生がまっさらなエスキース帳を持ってきては「なんとかしてください!」というパターンが多いのだけれど,それを怠慢とばかりに突き放すのは必ずしも得策ではないのだとも言える.手が動かない学生には,まずは口を動かさせるというのも指導のひとつだろう.
今回はいろいろスタッフにも”ご指導”頂いて少し着地点が見えてきた.実にありがたい.一人で事務所をやっている人も多いと思うけれど,仕事量の問題というよりクリエイションの問題において,僕は絶対に一人ではできないだろうなとつくづく思うのだった.
