今日は午前中にリオタデザインOBの柴くんのオープンハウスへ。
21坪程の小さなリノベーション。
複雑に絡んだ難条件を丁寧に解きほぐした点も評価に値すると思いますが、一番良かったのは、空間全体に彼らしさがあったこと。上手く言えませんがそれに尽きるような気がします。
彼はもう独立して何年になるのだろう。私の元を離れて自分の事務所を持つということは、自分の世界で勝負をするということだと思います。ここ数年の彼の仕事には、借り物ではない自分の言葉で空間が作られている印象があります。
リオタと違って、とっても良い。
今日はご案内ありがとうございました。
先週金~土にかけて愛媛に行ってきました。
目的は会いたい人、行きたい場所、見たい建築などがいっぱいあったためですが、このわずか二日間で見たこと体験したことの話は、たくさんありすぎてとてもここでは書けません。フェイスブックなどSNSにその多くの写真を載せているので、ご興味ある方はそちらをご覧下さい。
ここで書き残しておきたいのは、特に八幡浜の日土小学校、そして大洲の少彦名神社参籠殿のことについてです。
◇
日土小学校を訪れた感動を上手く表現することができない。
一般公開日以外は内部を見学することはできない。しかし日土小学校の出身で、学校のすぐ隣に事務所を構えるリオタデザインOBの二宮一平くんの計らいで、今回特別に内覧させてもらうことができた。我々のためだけの貸切だった。
私はそれを自慢したいのではない。彼はこの郷里を愛し、母校のために尽くしてきた。不具合があれば誰よりも早く駆けつけた。ボランティアで、友人と池のモルタルを塗り直したこともあるそうだ。彼が強い信頼関係で地元と結ばれ、愛されているということに胸が熱くなった。
日土小学校は素晴らしい小学校だった。愛情が溢れていた。学校とは何かと深く考えさせられた。年代がとか、学術的な価値といったものではなく、本当に大切なものがここにはある気がした。
川を覗くと魚がいっぱい泳いでいた。放課後はみんなで魚釣りをしたそうだ。テラスには出てはいけないと言うわりに鍵がかかっていたことはなかったという。彼の思い出と共に聞く空間は、まるで生きているようだった。
◇
大洲市の少彦名神社参籠殿は2016年に「ユネスコアジア太平洋文化遺産保全賞最優秀賞」を受賞した。快挙だった。
少彦名神社参籠殿は、昭和初期に建設された懸造りによる傑作である。ところが、管理者不在により荒れ果て、危険のため取り壊される寸前だったという。再生のための改修設計に白羽の矢が立ったのは、地元の二宮一平くんだった。
今回それをようやく見ることができた。近くの臥龍山荘には多くの人がいたのに、参籠殿には人影がなかった。地元でもあまり知られていないようだ。
彼の苦労はあえてここでは書かない。書ききれない。けれども、とてもじゃないけれど私にはできないと思った。立派な美術館を作ったわけではない。けれども地元の建築関係者では彼の名前を知らぬ者はいないという。ローカルアーキテクトとは何かということを彼から学んだ。
彼はうちの事務所の初代スタッフだった。当時は仕事がなく十分に彼にお金を払えなかった。彼もお金はいらないと言った。彼は昔からそういう男だった。私は彼を誇りに思う。
ルーバーで覆われた建物は社務所兼トイレ。彼による設計で、かすかに彼がリオタデザインで学んだことが垣間見れる。
目的は会いたい人、行きたい場所、見たい建築などがいっぱいあったためですが、このわずか二日間で見たこと体験したことの話は、たくさんありすぎてとてもここでは書けません。フェイスブックなどSNSにその多くの写真を載せているので、ご興味ある方はそちらをご覧下さい。
ここで書き残しておきたいのは、特に八幡浜の日土小学校、そして大洲の少彦名神社参籠殿のことについてです。
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日土小学校を訪れた感動を上手く表現することができない。
一般公開日以外は内部を見学することはできない。しかし日土小学校の出身で、学校のすぐ隣に事務所を構えるリオタデザインOBの二宮一平くんの計らいで、今回特別に内覧させてもらうことができた。我々のためだけの貸切だった。
私はそれを自慢したいのではない。彼はこの郷里を愛し、母校のために尽くしてきた。不具合があれば誰よりも早く駆けつけた。ボランティアで、友人と池のモルタルを塗り直したこともあるそうだ。彼が強い信頼関係で地元と結ばれ、愛されているということに胸が熱くなった。
日土小学校は素晴らしい小学校だった。愛情が溢れていた。学校とは何かと深く考えさせられた。年代がとか、学術的な価値といったものではなく、本当に大切なものがここにはある気がした。
川を覗くと魚がいっぱい泳いでいた。放課後はみんなで魚釣りをしたそうだ。テラスには出てはいけないと言うわりに鍵がかかっていたことはなかったという。彼の思い出と共に聞く空間は、まるで生きているようだった。
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大洲市の少彦名神社参籠殿は2016年に「ユネスコアジア太平洋文化遺産保全賞最優秀賞」を受賞した。快挙だった。
少彦名神社参籠殿は、昭和初期に建設された懸造りによる傑作である。ところが、管理者不在により荒れ果て、危険のため取り壊される寸前だったという。再生のための改修設計に白羽の矢が立ったのは、地元の二宮一平くんだった。
今回それをようやく見ることができた。近くの臥龍山荘には多くの人がいたのに、参籠殿には人影がなかった。地元でもあまり知られていないようだ。
彼の苦労はあえてここでは書かない。書ききれない。けれども、とてもじゃないけれど私にはできないと思った。立派な美術館を作ったわけではない。けれども地元の建築関係者では彼の名前を知らぬ者はいないという。ローカルアーキテクトとは何かということを彼から学んだ。
彼はうちの事務所の初代スタッフだった。当時は仕事がなく十分に彼にお金を払えなかった。彼もお金はいらないと言った。彼は昔からそういう男だった。私は彼を誇りに思う。
ルーバーで覆われた建物は社務所兼トイレ。彼による設計で、かすかに彼がリオタデザインで学んだことが垣間見れる。
夏のオープンデスクは設計エスキース千本ノック。学生こそ1日で設計案をまとめるトレーニングが必要です。彼女はまだ2年生。こりゃ後期は伸びるな。
後ろからこっそり覗くと、手元には見慣れた本が。私の「おもてなし住宅のつくり方」それどうしたの?と聞くと、オープンデスクに来る前に買ってきましたことのこと。偉い!実務者向けの内容なので学生にはどうかと思いきや「寸法がたくさん書いてあるので勉強になります」とのこと。
拙著が学生にも役立っている場面をはじめて見ました。嬉しい!お礼にサインしてあげました。でももしかして、それはいらなかった?
毎年夏にオープンデスクの学生がやってきます。私が教える日大ではなく、なぜか最近では他大学、とくに地方大学の学生が多いのはなぜなんでしょう(去年は長岡造形大学から来ました)。今年は山形の東北芸術工科大学(略して芸工大)から2年生の子がやってきました。長利(おさり)咲代子さんといいます。
芸工大といえば、スタッフ砂庭さんの母校でもあります。しかも郷里も同じ青森という。
オープンデスクも今日が初日。挨拶代わりに、学校の課題などをいくつか見せてもらいましたが、とても優秀な学生のようで、とても2年生とは思えないレベルの作品に感心させられました。彼女の資質もあるのでしょうが、芸工大の教育は地に足が付いていて、私が留学したアールト大学の建築教育にもつながるものがあるような気がしています。
こちらは学内の即日設計コンペで、2~3年生の先輩を差し置いて1年生で最優秀賞を取った作品とのこと。
◇
スタッフ砂庭の例もあり、もはや「芸工大=優秀」というフィルターが私の中で作られつつあります。がんばれ日大!そういえば「路地の家」の建て主さん(グラフィックデザイナー)も、芸工大出身のスタッフは圧倒的に優秀だとおっしゃっていましたっけ。
来週いっぱいまでうちで研修してもらいます。期間中の現場や打合せにも同伴/同席させて頂きますので、関係者の皆さま、どうかよろしくお願い致します。
今日スタッフと話していて、スタッフを雇うのは何のため?という話になった。設計事務所の主宰者の中には、スタッフは雇わず一人で仕事をしているという人も多い。私の身の回りでも半分くらいはそういう人ではないかと思う。
一般的には、人を動かすより自分一人でやったほうが判断が早いし、人件費もかからず気楽なのではないかという意見がある。これは確かにそうで、私もある意味同意するし、同じ理由で「だから人は雇わない」という方も多いのではないかと思う。
◇
では逆について考えてみよう。実際リオタデザインではスタッフを常時2~3名ほど抱えている。それは何のためだろう?
ひとつは、言うまでもなくたくさんの仕事を同時にこなすためである。一人ではできないことも、複数人集まれば仕事を手分けすることができる。
しかし、私の中でスタッフを雇って仕事をする理由はそれだけではない。最初はそう思っていたけれど、それより大きな効果があることに気づいたのだ。それは「仕事のクオリティを上げたいから」である。
自分のキャパシティを越えない一定数のスタッフは、確実に仕事の質を高めてくれる。これはもう10年以上もスタッフと共に仕事をしてきて、つくづく思うことである。その効果を一言でいうならば、「自らの仕事を客観視できる」ことであろう。
◇
例えば「自分はこう思う」ということをスタッフに投げたとする。優秀なスタッフはそれを忠実にトレースして返してくれる。しかし、その頃には自分の中で「それはちょっと違うな」という具合に変化していることも良くある。
スタッフとしては理不尽だろう。言われた通りにやったのに「違う」と言われてしまうのだから。私もスタッフ時代はいつもそう思っていた。でもそれは仕方がないのだ。所長はそう言いたいがためにスタッフを雇っているとも言えるのだから。
よく人の悩みにはアドバイスできるのに、自分がその渦中に嵌まると抜け出せなくなるということがある。部下の立場であれば、悩みは上司に相談すれば良いだろうが、さて上司は誰に相談すれば良いのだろう?
それを私はスタッフに自己投影し、スタッフを自分と同一化させた上で自分自身を批評するような、そういう状態を作って打破しているような気がする。
◇
またこうも言える。作業が伴わない設計(俗に言う、口で設計するという状態)の場合、良く言えば常識や慣習にとらわれず、あらゆる角度から自由に発言することができる(悪く言えば、単なるわがままとも言える)。だから、図面で違和感を感じると「キッチンの位置おかしくない?」「こんな壁取っちゃえば!」「窓小さすぎじゃない?」など好き勝手に放言できる。
スタッフとしたらたまったものではないだろう。(それ言ったの自分じゃん!)ってきっと心の中で思っているだろうが、私は何も気づかない振りをして、ただひたすらに良い仕事に着地させることだけを考える。
きっと自分で図面を描いていたら、「これやり直すの大変だな」とか「面倒くさいな」という気持ちがどこかにもたげるような気がする。
また、自分で描いた図面の間違いは意外と自分では気がつかないものだ。それが他人の図面だと、間違いがハイライトで点滅しているかのごとくよく見える。これはどうしたことだろう?これによって、九死に一生を得るような危険回避をしたケースは過去枚挙にいとまがない。
こんなことを書くと、いかにも私は事務所内でいつもひどい振る舞いをしているかのようであるが(いわゆるパワハラ?)、私は否定も肯定もしないでおく。詳しくはスタッフに聞いて欲しい。しかしこれだけは言える。もはや私はスタッフなしでは仕事はできない。そのくらい、私は彼らを頼りにしているのだ。
一般的には、人を動かすより自分一人でやったほうが判断が早いし、人件費もかからず気楽なのではないかという意見がある。これは確かにそうで、私もある意味同意するし、同じ理由で「だから人は雇わない」という方も多いのではないかと思う。
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では逆について考えてみよう。実際リオタデザインではスタッフを常時2~3名ほど抱えている。それは何のためだろう?
ひとつは、言うまでもなくたくさんの仕事を同時にこなすためである。一人ではできないことも、複数人集まれば仕事を手分けすることができる。
しかし、私の中でスタッフを雇って仕事をする理由はそれだけではない。最初はそう思っていたけれど、それより大きな効果があることに気づいたのだ。それは「仕事のクオリティを上げたいから」である。
自分のキャパシティを越えない一定数のスタッフは、確実に仕事の質を高めてくれる。これはもう10年以上もスタッフと共に仕事をしてきて、つくづく思うことである。その効果を一言でいうならば、「自らの仕事を客観視できる」ことであろう。
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例えば「自分はこう思う」ということをスタッフに投げたとする。優秀なスタッフはそれを忠実にトレースして返してくれる。しかし、その頃には自分の中で「それはちょっと違うな」という具合に変化していることも良くある。
スタッフとしては理不尽だろう。言われた通りにやったのに「違う」と言われてしまうのだから。私もスタッフ時代はいつもそう思っていた。でもそれは仕方がないのだ。所長はそう言いたいがためにスタッフを雇っているとも言えるのだから。
よく人の悩みにはアドバイスできるのに、自分がその渦中に嵌まると抜け出せなくなるということがある。部下の立場であれば、悩みは上司に相談すれば良いだろうが、さて上司は誰に相談すれば良いのだろう?
それを私はスタッフに自己投影し、スタッフを自分と同一化させた上で自分自身を批評するような、そういう状態を作って打破しているような気がする。
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またこうも言える。作業が伴わない設計(俗に言う、口で設計するという状態)の場合、良く言えば常識や慣習にとらわれず、あらゆる角度から自由に発言することができる(悪く言えば、単なるわがままとも言える)。だから、図面で違和感を感じると「キッチンの位置おかしくない?」「こんな壁取っちゃえば!」「窓小さすぎじゃない?」など好き勝手に放言できる。
スタッフとしたらたまったものではないだろう。(それ言ったの自分じゃん!)ってきっと心の中で思っているだろうが、私は何も気づかない振りをして、ただひたすらに良い仕事に着地させることだけを考える。
きっと自分で図面を描いていたら、「これやり直すの大変だな」とか「面倒くさいな」という気持ちがどこかにもたげるような気がする。
また、自分で描いた図面の間違いは意外と自分では気がつかないものだ。それが他人の図面だと、間違いがハイライトで点滅しているかのごとくよく見える。これはどうしたことだろう?これによって、九死に一生を得るような危険回避をしたケースは過去枚挙にいとまがない。
こんなことを書くと、いかにも私は事務所内でいつもひどい振る舞いをしているかのようであるが(いわゆるパワハラ?)、私は否定も肯定もしないでおく。詳しくはスタッフに聞いて欲しい。しかしこれだけは言える。もはや私はスタッフなしでは仕事はできない。そのくらい、私は彼らを頼りにしているのだ。
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