建築家の渡辺武信さんの訃報に接し、中野までお通夜に足を運んだ。武信さんからはJIA住宅部会における住宅賞「第一回住宅部会賞2018」また翌年の「第二回住宅部会賞2019」において、連続して渡辺武信賞を頂いたというご縁があった。
私にとって武信さんは歴史上の人物くらいの方で、それまでは面識すらなかった。2018の時は、まだ部会活動にも私自身あまりアクティブではなく、部会賞にも応募すらしていなかった。締切が近くなって、部会の中澤さんから応募が少ないから関本さんも出して!と言われ、急遽「路地の家」のプレボを作って応募した。
公開審査当日、私は予定が立て込み結局会場に行けなかった。プレゼンは司会の方に代読をして頂いたものの、本人不在で会場票は一票も入らなかった。
ところが後日、私は部会賞で渡辺武信賞を受賞した。聞くと、会場票は入らなかったものの、武信さんが持ち票の5票をすべて私に投じてひっくり返したのだという。これには本当にびっくりしてしまった。
投票理由は「俺はこれが好きなんだ」というもので、たぶん私がこれまで受けた評価の中で一番嬉しかった言葉かもしれない。副賞に頂いた詩集や著書は今も大切に持っている。こんな私の案を拾って下さった武信さんには本当に感謝しかない。
これには後日談があって、受賞後の呑み会では中澤さんから、「僕の尊敬する武信賞をもらったんだから関本さんは広報委員会に入らなくてはいけない」という謎の論理で広報委員会にも半ば強引に引き込まれてしまった。そんな広報も6年目で今は副委員長を務める。
亡くなる前日までは普通に生活されていたという武信さん。最後まで格好良かった!ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
【関連記事】
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202409090000990.html?Page=1
私にとって武信さんは歴史上の人物くらいの方で、それまでは面識すらなかった。2018の時は、まだ部会活動にも私自身あまりアクティブではなく、部会賞にも応募すらしていなかった。締切が近くなって、部会の中澤さんから応募が少ないから関本さんも出して!と言われ、急遽「路地の家」のプレボを作って応募した。
公開審査当日、私は予定が立て込み結局会場に行けなかった。プレゼンは司会の方に代読をして頂いたものの、本人不在で会場票は一票も入らなかった。
ところが後日、私は部会賞で渡辺武信賞を受賞した。聞くと、会場票は入らなかったものの、武信さんが持ち票の5票をすべて私に投じてひっくり返したのだという。これには本当にびっくりしてしまった。
投票理由は「俺はこれが好きなんだ」というもので、たぶん私がこれまで受けた評価の中で一番嬉しかった言葉かもしれない。副賞に頂いた詩集や著書は今も大切に持っている。こんな私の案を拾って下さった武信さんには本当に感謝しかない。
これには後日談があって、受賞後の呑み会では中澤さんから、「僕の尊敬する武信賞をもらったんだから関本さんは広報委員会に入らなくてはいけない」という謎の論理で広報委員会にも半ば強引に引き込まれてしまった。そんな広報も6年目で今は副委員長を務める。
亡くなる前日までは普通に生活されていたという武信さん。最後まで格好良かった!ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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つい先だって、大型パネル工法を手がけるウッドステーションの塩地博文さんよりお声がけ頂き、「概算AI」を巡る誌上座談会に建築家の丸山弾さんとともに参加させて頂いた。
議論は大いに盛りあがったものの、この内容は追って創樹社の「ハウジング・トリビューン」という雑誌の記事になるそうなので、ここでは私なりに感じたことを自身の整理を含めて書いてみたいと思う。
◇
まず「概算AI」とはなにか?
最初に塩地さんから声をかけられて説明を聞いたときはにわかに信じられなかったのだけれど、ウッドステーションがアーキロイド社の技術提供で実現したこのシステムを使うと、柱もまだ入っていないような基本設計段階の図面(平面図・立面図・断面図)をPDFで読み込むだけで、瞬時に構造材やサッシュの概算が出るという(その所要時間はなんと10秒!)。ゆくゆくは外装や内装の拾いもできるようになるそうだ。
柱や梁といった情報がないのにどうして構造の費用が出せるのかというと、AIが瞬時にその空間に最適化した構造を割り出し、それをアテとして構造を拾い出すという。窓は立面図の表記からサイズと種類を拾い上げる。ベースとなる単価も限りなく実勢価格に近いもので、各工務店が誤魔化しようのない数字が出てくる。ゆくゆくは、その仮想構造をベースに構造計算も走らせ、温熱計算まで自動計算でワンストップでできるようにするそうだ。
それが事実なら建築界に革命が起こると思った。しかし一方で思ったのは、失礼ながら「そんなわけはないだろう」だった。
たとえば工務店の見積価格というのは、無数の下職などから上がってくる下見積りを”原価”として、そこに元請けの経費率を掛けて算出される。構造だって何日もかけて作図をしたり、計算をしたりしてようやくFIXできるものであって、AIが瞬時に割り出したような構造などきっと机上の空論であって、我々の設計とはかけ離れたものになるに違いない。そんな風に思っていた。
試しにそのシステムを使っていくつか概算を出してくれるというので、サンプルとしてすでに着工に至っている案件を選び、実際の積算価格とAIが弾いた価格とにどのような差があるかを検証してみることにした。
それが以下のリスト。
その結果に思わず驚愕してしまった…。(表はクリックすると大きくなります)

リストの左側が実際の工務店による金額。右側が概算AIが弾いた金額。
誤差はあるとはいえ、驚異的な精度であることがわかる。この案件を含めて4~5件のAI見積りをかけてみたのだけれど、拾いの明細や各項目ではばらつきはあるものの、全体での整合性は取れていてその誤差は概ね1割程度だった。
◇
思えばChatGPTにしてもしかり、Google翻訳などにしてもしかり。少し前なら茶番のように拙かったAI技術は今やその精度を驚異的に上げていて、急速に人間にしかできないと思われていた作業の置き換えが社会的にも進んでいる。今回の検証でも、こうした大きな変化が建築界を覆っていくことに確信を持った。
では我々建築家は、この先淘汰されて不要となってしまうのだろうか?おそらくこの手の話をすると誰しも心にそんなことを浮かべるだろうし、露骨に反感を抱く人もいるだろうと思う。
けれども私が思ったのは、これは我々にとって千載一遇のチャンスではないかということだった。
AIの原動力は、過去の履歴からの学習だ。そのリファレンスの蓄積が多くなればなるほど、AIはその精度を増してゆく。つまり人間から学習してゆくのだ。だからある意味、過去からしか学ばない受け身型の仕事や、御用聞きのような仕事をしている人にとっては、このAIの台頭はかなりの脅威だと思う。どこかの時点で、AIに取って変わられてしまうかもしれない。
けれども我々人間は、過去に学んだ上でそこから突然変異種を生み出す能力を持っている。「AだからB」ではなく、「AだけどC」みたいな思考の飛躍。つまり論理を越えたところに真の創造性があるのだ。AIにはそれができない。
だから、その創造性を手放さない限り、我々とAIは共存できるし我々は常に優位に立つことができる。AIによってむしろ差別化がひろがり、我々の顧客層はおそらく将来においても減ることもなく(残念ながら増えることもなく?)我々は細々と生き続けることだろう。希望的観測だけれど、そう思う(希う)。
一方でこうしたAIの出現は、我々の創造性を助けてくれる存在になるに違いない。先の「概算AI」は、数量拾いや価格調査といった人間が地道に行っていたルーティーン作業を瞬時にこなしてくれる。我々はそこにかけていた時間をより創造的な作業にかけることができるようになる。

こちらはうちの事務所が工務店から出てきた見積りを精査する際に行っている査定資料の一部。我々はこのような資料を一社に付き3~4ページものボリュームで作成する。直近の同規模の住宅や、同じ工務店の過去単価を比較することで、その工事における最適価格を割り出すという我が事務所独自の取り組みのひとつだ。
これを座談会で見せたらみんなびっくりしていたので、おそらくこの精度で見積り精査をしている事務所は他にはあまりないのかもしれない。だからこそうちの事務所の住宅はコストパフォーマンスが高いし、どこよりも透明な金額で建て主に提示できているとも自負している。
けれども設計以外にこうした作業も担わなくてはいけないうちのスタッフ達の苦労を思うと、我々の傍らにこそAIが欲しいと思う。先の「概算AI」はこうした見積り精査にも威力を発揮してくれるに違いない。
設計の現場に人手不足が叫ばれて久しい。うちも産休を控えるスタッフもいて、事務所の長時間勤務も見直さなくてはならない時期に来ている。しかも来年からは住宅の確認申請における4号特例が縮小される。現在ですら申請は長期化していて、性能計算に取られる我々の手間や時間も膨大なものになっている。いいかげん「その時間をもっと設計に使わせてくれ!」というのが正直なところだ。
AIが席巻する建築界の未来は、手放しの明るさかどうかはわからないけれど、けして暗いものではないように思う。我々はAIに使われるのではなく、使いこなすのだ。そのことで、設計事務所の働き方改革はもっと効率的に進んでいくだろうと思う。

少し先にある人気のあるパスタ屋を目指していたのに、なぜか引き寄せられて入ってしまった。
昭和から時間が止まったような店内。老いた店主がとても気の利いた接客をしてくれた。静かな音楽の流れる空間に、我々以外に常連さんがひと組だけ。
料理はどれもとても美味しく、素晴らしい時間を過ごさせてもらった。とびきりの名店を見つけてしまったかもしれない。



かつて2020年~2022年頃にかけて、建築業界を覆った流行語大賞に「ウッドショック」というのがあった。すでに懐かしい。はたして今は何ショックなのだろう?
「ウッドショック」というワードが流行ったときは、実際に木材調達に難があって上棟が数ヶ月遅れた案件もあった。また当時はウッドショックに端を発した物価高騰を受けて、建築業界もパニックになっていた。着工時の請負金額が、想定を越える資材高騰によって赤字になり悲鳴を上げている工務店もあった。
そのあたりから、工事を重ねる度にどんどん単価が右肩上がりで上がってゆくという現象が起こり、それは今もなお続いている。「ウッドショック」と呼ばれていた現象はとっくに沈静化し、むしろ木材の市場価格は少し下がったくらい。けれどもそれはなかなか工事金額の減少にはつながらず、ここに来てまた木材が値上がりをはじめたとの報道。
ウッドショックは去ったけれど、それ以外の設備機器や建材は今もなおじわじわと値上げが続いている。それに職人さんの労務費も上がっている。我々も毎回頭を抱えて見積調整をしながら、これまで通りの価格を工務店にお願いしているのだけれど、交渉も難しく、一方では元請け企業が下請けからの価格転嫁を認めないという問題が報じられたりして、我々がやっていることは一体正義なのか悪なのかわからなくなるときもある。
◇
すでにコロナ前の2019年頃から比べると、この5年で工事費は3割は確実に上がったと思う。これは私の事務所だけの話ではなく業界全体の話。3,000万の家なら3,900万、、ちょっと尋常じゃない。飲食関係の方から聞いた話では、この半年だけで食材が2~3割も値上がりしたそう。どの業界も似たり寄ったりのようだ。
我々も建て主さんのご予算感に寄り沿い、がんばってローコストにやりたいと思いながらも、そもそもうちはいつも基本はローコスト住宅。先日着工した住宅はかなりがんばったコストで着工できたけど、毎回できるかと言われるとなかなか、、いろんな条件が噛み合わないと難しい。
このままいくと、この先の展開は以下の二通りしかないかもしれない。
・このまま値上がりが続いて誰も家を建てられなくなり、巡り巡って工務店もメーカーも(もちろん我々も)みんな干上がってしまうというパターン
・値上がりによって建て主さんの企業の業績が右肩上がりとなり、年収もそれに伴い爆上がりして、結果値上がり分を吸収できるようになるというパターン
どちらも荒唐無稽のように見えて、あながち間違ってもいないような気もする。でも後者のパターンに着地するには、まだ時間がかかりそう。そのまえに我々が干上がってしまわないことを祈るばかりだ。
金メダルを取りたいといつも思う。でも取れない。
オリンピックでも「ノーミスの演技!」と実況されたとしても10点満点は出ない。見る人が見たらどこかに粗はあって、それは本人も認識していたりするものだ。地元ではナンバーワンでも、世界中のナンバーワンが集まる場ではそうはいかない。わずかなボタンの掛け違いが命取りになってしまう。
それを「人間だもの」で済ませるのは簡単だ。けれどオリンピックのアスリートたちはそうは考えていない。彼らは心底完璧なプレーや演技をしたいと願って、求道者のように4年間を費やしてきたのだ。それが本当に尊いことで、アスリートの本質というのはそういうことなんじゃないかと思う。
我々もまたアスリートのようなもので、何年もかけて一つの仕事をまとめ上げていく。そのプロセスではクライアントの要望やデザイン、法規、予算、技術などありとあらゆる分野にわたって細やかな対応が求められる。それらすべてに満点を取ることはきわめて難しい。そもそも採点基準も明らかにされていないわけだし、なにが何が正解かすら我々もわからずにやっているのだから。
それでも我々は完璧な仕事をしたいと願う。この仕事をノーミスで終えたい!そして最後に金メダルを首にかけてもらいたい。その一心で、今日も仕事の隅々にまで神経を行き渡らせる。
きっとそれはアスリートや我々のような設計者に限らず、職人や料理人、営業職やトラックの運転手に至るまできっと同じに違いない。その心意気こそが尊い。皆心の中にオリンピックがあるのだ。
オリンピックでは「完璧を目指した結果としてのほぼ完璧」を日々我々は見せられている。そのわずかなボタンの掛け違いに、今日も我が人生を見る。
オリンピックでも「ノーミスの演技!」と実況されたとしても10点満点は出ない。見る人が見たらどこかに粗はあって、それは本人も認識していたりするものだ。地元ではナンバーワンでも、世界中のナンバーワンが集まる場ではそうはいかない。わずかなボタンの掛け違いが命取りになってしまう。
それを「人間だもの」で済ませるのは簡単だ。けれどオリンピックのアスリートたちはそうは考えていない。彼らは心底完璧なプレーや演技をしたいと願って、求道者のように4年間を費やしてきたのだ。それが本当に尊いことで、アスリートの本質というのはそういうことなんじゃないかと思う。
我々もまたアスリートのようなもので、何年もかけて一つの仕事をまとめ上げていく。そのプロセスではクライアントの要望やデザイン、法規、予算、技術などありとあらゆる分野にわたって細やかな対応が求められる。それらすべてに満点を取ることはきわめて難しい。そもそも採点基準も明らかにされていないわけだし、なにが何が正解かすら我々もわからずにやっているのだから。
それでも我々は完璧な仕事をしたいと願う。この仕事をノーミスで終えたい!そして最後に金メダルを首にかけてもらいたい。その一心で、今日も仕事の隅々にまで神経を行き渡らせる。
きっとそれはアスリートや我々のような設計者に限らず、職人や料理人、営業職やトラックの運転手に至るまできっと同じに違いない。その心意気こそが尊い。皆心の中にオリンピックがあるのだ。
オリンピックでは「完璧を目指した結果としてのほぼ完璧」を日々我々は見せられている。そのわずかなボタンの掛け違いに、今日も我が人生を見る。
