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2020年の入所以来、4年半に亘って事務所を支えてくれていたスタッフの岩田舞子さんが、出産のため産休に入ることになりました。出産後1年の育休ののち、予定では2025年11月頃を目安に再び復職してもらう予定です。

彼女の休業中は私を含め残ったスタッフで業務をカバーして参ります。しばしご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんが、皆さま何卒ご理解の程お願い致します。


さて、彼女の出産をめぐっての私の葛藤や事務所のバタバタについては、これまで書けなかったこともいろいろあるので、この場をお借りて記しておきたいと思います。以下長文ですがお許し下さい。

彼女を知る方ならわかると思いますが、うちの事務所において岩田さんの存在というのはとても大きく、彼女から出産予定の話を聞いたときは正直頭が真っ白になってしまい、とっさに「おめでとう」の言葉が出てきませんでした。当時はそのくらい私も動揺していました。

彼女の明るい性格と気配り力、難しい設計を最後までまとめ上げてくれる粘り強さには、いつも本当に助けられていました。最近では後輩に対する指導力もつけてきて、事務所の番頭として、また私の片腕としても全幅の信頼を置いてきたスタッフです。

昨年結婚したこともあり、いつかはこの日が来るであろうと思っていましたが、こんなに早くやってくるとは…。私も長く事務所をやってきましたが、女性スタッフが出産するというのははじめての経験で、本当に考えることが山ほどありました。


ひとつは彼女の復職時期のことです。出産後は彼女も復職を希望していましたが、そのためには子どもを保育園に預けなくてはなりません。

保育園の入園時期は4月なので、半年後の4月に入園を希望すれば入れる可能性も高くなりますが、彼女の希望はできれば育休を1年は取りたいということでした。そうなると復職は来年の11月、果たしてそんな時期に希望の保育園になど入れるのか、彼女の長期不在中の穴はどう埋めれば良いのか、不確定要素ばかりでどこから手をつければ良いのかわかりませんでした。

うちのようなスタッフが2~3人の零細アトリエにとって、一年という時間はとても長い期間です。この先の仕事の受注状況も読めませんし、忙しくなるようなら人を増やさなくてはなりません。しかし一方では彼女が復職してくることを考えると、彼女の席はそれまで残しておかなくてはなりません。

半年くらいならなんとかなるとしても、一年ものあいだ彼女の居場所を果たして残しておけるのか、当時の心境としては「それはさすがに無理!」というものでした。

また復職しても、保育園のお迎えなどがあるので今までと同じように夜遅くまで働くことは難しくなります。建て主さんとの打合せが入りやすい土日も家を空けることは難しくなるでしょう。設計事務所の仕事というのは、日中は現場やメーカーなどとの打合せが多く入るので、静かに集中して図面が描けるのは18時以降になってからというのが日常です。

それが復職後は定時よりも早く上がり、土日も打合せに参加できないとしたら…それは設計事務所では働けないということを意味してしまうのです。

これは今どきの一般企業からしたら考えられないことですよね。でも設計事務所ってそういうところなのです。私は長いあいだ設計事務所を運営してきましたが、今回この当たり前のようでいて当たり前でない、設計事務所の抱える矛盾や問題にはじめてぶつかったような気がしました。


一方で、これが男性ならどうでしょう?

子どもができたことを告げれば、会社からは祝福されて、なんなら「これからは子どもの分までバリバリ働かないとね」なんてハッパをかけられる場面すら思い浮かびます。一方の女性は「無理をしないようにね」「家庭を優先してね」と、誰もが悪意なく声をかけることと思います。きっとこんなことがなければ、私もそんな言葉をかけると思うんですね。

つまり子どもを授かったら、男性はより仕事に専念し、女性は仕事をセーブしなくてはならない。これが設計事務所なら辞めなくてはならない。女性だって男性と同じように働く権利があるというのに、これっておかしいですよね。

途中からそんなことも思い始めて、なんだか無性に腹が立ってきました。実際に岩田さんも「リオタデザインを辞めなくてはいけないかもしれない」ということでずっと悩んでいたようです。彼女ともこの件では何度も話し合ってきましたが、お互い歩み寄れない一線があり、なかなか問題はクリアにはなりませんでした。


建築家仲間の丸山弾くんに相談したのはそんな時でした。彼の事務所でも女性スタッフが立て続けに産休に入り、不在中は彼がスタッフの分まで図面を描いてその穴を埋めるべく奮闘していたことを知っていたからです。

同じ設計事務所の主宰者として、そこまでしてスタッフを残す決断をした思いを知りたくて、彼にも電話をして話を聞きました。いろいろと相談に乗ってもらったのですが、先の問いに対する答えは「ほかに替えのきかないスタッフだから」というもので、それが妙に腑に落ちました。(弾くん、その節はどうもありがとうございました)

求人をかければ新しいスタッフは入ると思いますが、彼女と同じスタッフが入ることはありません。彼女の存在は、事務所にとって唯一無二なのです。それに今回出産を理由に彼女が辞めたとしたら、以後入所する女性に対してもそういう悪しき前例をつくることにもなります。

ようやく吹っ切れて、翌日彼女には「育休は一年取っていいから、事務所に残って欲しい」と伝えました。出産後も安心して仕事を続けられるよう、すべてのリスクテイクは事務所が背負うことを決めました。

一方で残るスタッフの佐藤くんにも過剰な負担がかからないように、スタッフを一人増やすことも決めました。岩田さんが帰ってくればスタッフは3人になります。正直人を雇う余裕はあまりないのですが、そこも腹を括ろうと思います。


今どき産休育休なんてあたりまえの世の中ですよね。テレワークを併用して子育てと仕事を両立している女性もたくさんいることと思います。建築の仕事は、現場監理や所内での密な図面打合せもあるので、復職後もすべてテレワークでというわけにはいかないかもしれませんが、今回のケースを設計事務所のこれからの働き方を考えるケーススタディとして、私自身にとっても学びの機会にできればと考えています。

正直に言えば、今もすべてをそんなにドライに割り切れているわけではないんですけどね…。(スタッフが一時的にでも抜けるのはやっぱり寂しいですし)

そんなことで、年内は佐藤くんと二人で事務所は回してゆきます。途中からはヘルプをお願いする予定もあり、年明けからはもう1人新しいスタッフも合流予定です。

岩田さんも、担当する現場についてはテレワークベースで産休中もフォローを続けてくれるそうです。リオタデザインはつくづく良いスタッフに恵まれている事務所だと思います。みんな、どうもありがとう!私は彼らを養うためにどんどん新しい仕事を取らなくては…汗

岩田さん、体調に気をつけて元気な赤ちゃんを産んで戻ってきてくださいね。みんなその日を心待ちにしています!!


つい先だって、大型パネル工法を手がけるウッドステーションの塩地博文さんよりお声がけ頂き、「概算AI」を巡る誌上座談会に建築家の丸山弾さんとともに参加させて頂いた。

議論は大いに盛りあがったものの、この内容は追って創樹社の「ハウジング・トリビューン」という雑誌の記事になるそうなので、ここでは私なりに感じたことを自身の整理を含めて書いてみたいと思う。


まず「概算AI」とはなにか?

最初に塩地さんから声をかけられて説明を聞いたときはにわかに信じられなかったのだけれど、ウッドステーションがアーキロイド社の技術提供で実現したこのシステムを使うと、柱もまだ入っていないような基本設計段階の図面(平面図・立面図・断面図)をPDFで読み込むだけで、瞬時に構造材やサッシュの概算が出るという(その所要時間はなんと10秒!)。ゆくゆくは外装や内装の拾いもできるようになるそうだ。

柱や梁といった情報がないのにどうして構造の費用が出せるのかというと、AIが瞬時にその空間に最適化した構造を割り出し、それをアテとして構造を拾い出すという。窓は立面図の表記からサイズと種類を拾い上げる。ベースとなる単価も限りなく実勢価格に近いもので、各工務店が誤魔化しようのない数字が出てくる。ゆくゆくは、その仮想構造をベースに構造計算も走らせ、温熱計算まで自動計算でワンストップでできるようにするそうだ。

それが事実なら建築界に革命が起こると思った。しかし一方で思ったのは、失礼ながら「そんなわけはないだろう」だった。

たとえば工務店の見積価格というのは、無数の下職などから上がってくる下見積りを”原価”として、そこに元請けの経費率を掛けて算出される。構造だって何日もかけて作図をしたり、計算をしたりしてようやくFIXできるものであって、AIが瞬時に割り出したような構造などきっと机上の空論であって、我々の設計とはかけ離れたものになるに違いない。そんな風に思っていた。

試しにそのシステムを使っていくつか概算を出してくれるというので、サンプルとしてすでに着工に至っている案件を選び、実際の積算価格とAIが弾いた価格とにどのような差があるかを検証してみることにした。

それが以下のリスト。
その結果に思わず驚愕してしまった…。(表はクリックすると大きくなります)


リストの左側が実際の工務店による金額。右側が概算AIが弾いた金額。

誤差はあるとはいえ、驚異的な精度であることがわかる。この案件を含めて4~5件のAI見積りをかけてみたのだけれど、拾いの明細や各項目ではばらつきはあるものの、全体での整合性は取れていてその誤差は概ね1割程度だった。


思えばChatGPTにしてもしかり、Google翻訳などにしてもしかり。少し前なら茶番のように拙かったAI技術は今やその精度を驚異的に上げていて、急速に人間にしかできないと思われていた作業の置き換えが社会的にも進んでいる。今回の検証でも、こうした大きな変化が建築界を覆っていくことに確信を持った。

では我々建築家は、この先淘汰されて不要となってしまうのだろうか?おそらくこの手の話をすると誰しも心にそんなことを浮かべるだろうし、露骨に反感を抱く人もいるだろうと思う。

けれども私が思ったのは、これは我々にとって千載一遇のチャンスではないかということだった。

AIの原動力は、過去の履歴からの学習だ。そのリファレンスの蓄積が多くなればなるほど、AIはその精度を増してゆく。つまり人間から学習してゆくのだ。だからある意味、過去からしか学ばない受け身型の仕事や、御用聞きのような仕事をしている人にとっては、このAIの台頭はかなりの脅威だと思う。どこかの時点で、AIに取って変わられてしまうかもしれない。

けれども我々人間は、過去に学んだ上でそこから突然変異種を生み出す能力を持っている。「AだからB」ではなく、「AだけどC」みたいな思考の飛躍。つまり論理を越えたところに真の創造性があるのだ。AIにはそれができない。

だから、その創造性を手放さない限り、我々とAIは共存できるし我々は常に優位に立つことができる。AIによってむしろ差別化がひろがり、我々の顧客層はおそらく将来においても減ることもなく(残念ながら増えることもなく?)我々は細々と生き続けることだろう。希望的観測だけれど、そう思う(希う)。

一方でこうしたAIの出現は、我々の創造性を助けてくれる存在になるに違いない。先の「概算AI」は、数量拾いや価格調査といった人間が地道に行っていたルーティーン作業を瞬時にこなしてくれる。我々はそこにかけていた時間をより創造的な作業にかけることができるようになる。


こちらはうちの事務所が工務店から出てきた見積りを精査する際に行っている査定資料の一部。我々はこのような資料を一社に付き3~4ページものボリュームで作成する。直近の同規模の住宅や、同じ工務店の過去単価を比較することで、その工事における最適価格を割り出すという我が事務所独自の取り組みのひとつだ。

これを座談会で見せたらみんなびっくりしていたので、おそらくこの精度で見積り精査をしている事務所は他にはあまりないのかもしれない。だからこそうちの事務所の住宅はコストパフォーマンスが高いし、どこよりも透明な金額で建て主に提示できているとも自負している。

けれども設計以外にこうした作業も担わなくてはいけないうちのスタッフ達の苦労を思うと、我々の傍らにこそAIが欲しいと思う。先の「概算AI」はこうした見積り精査にも威力を発揮してくれるに違いない。

設計の現場に人手不足が叫ばれて久しい。うちも産休を控えるスタッフもいて、事務所の長時間勤務も見直さなくてはならない時期に来ている。しかも来年からは住宅の確認申請における4号特例が縮小される。現在ですら申請は長期化していて、性能計算に取られる我々の手間や時間も膨大なものになっている。いいかげん「その時間をもっと設計に使わせてくれ!」というのが正直なところだ。

AIが席巻する建築界の未来は、手放しの明るさかどうかはわからないけれど、けして暗いものではないように思う。我々はAIに使われるのではなく、使いこなすのだ。そのことで、設計事務所の働き方改革はもっと効率的に進んでいくだろうと思う。

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かつて2020年~2022年頃にかけて、建築業界を覆った流行語大賞に「ウッドショック」というのがあった。すでに懐かしい。はたして今は何ショックなのだろう?

「ウッドショック」というワードが流行ったときは、実際に木材調達に難があって上棟が数ヶ月遅れた案件もあった。また当時はウッドショックに端を発した物価高騰を受けて、建築業界もパニックになっていた。着工時の請負金額が、想定を越える資材高騰によって赤字になり悲鳴を上げている工務店もあった。

そのあたりから、工事を重ねる度にどんどん単価が右肩上がりで上がってゆくという現象が起こり、それは今もなお続いている。「ウッドショック」と呼ばれていた現象はとっくに沈静化し、むしろ木材の市場価格は少し下がったくらい。けれどもそれはなかなか工事金額の減少にはつながらず、ここに来てまた木材が値上がりをはじめたとの報道。

ウッドショックは去ったけれど、それ以外の設備機器や建材は今もなおじわじわと値上げが続いている。それに職人さんの労務費も上がっている。我々も毎回頭を抱えて見積調整をしながら、これまで通りの価格を工務店にお願いしているのだけれど、交渉も難しく、一方では元請け企業が下請けからの価格転嫁を認めないという問題が報じられたりして、我々がやっていることは一体正義なのか悪なのかわからなくなるときもある。


すでにコロナ前の2019年頃から比べると、この5年で工事費は3割は確実に上がったと思う。これは私の事務所だけの話ではなく業界全体の話。3,000万の家なら3,900万、、ちょっと尋常じゃない。飲食関係の方から聞いた話では、この半年だけで食材が2~3割も値上がりしたそう。どの業界も似たり寄ったりのようだ。

我々も建て主さんのご予算感に寄り沿い、がんばってローコストにやりたいと思いながらも、そもそもうちはいつも基本はローコスト住宅。先日着工した住宅はかなりがんばったコストで着工できたけど、毎回できるかと言われるとなかなか、、いろんな条件が噛み合わないと難しい。

このままいくと、この先の展開は以下の二通りしかないかもしれない。

・このまま値上がりが続いて誰も家を建てられなくなり、巡り巡って工務店もメーカーも(もちろん我々も)みんな干上がってしまうというパターン

・値上がりによって建て主さんの企業の業績が右肩上がりとなり、年収もそれに伴い爆上がりして、結果値上がり分を吸収できるようになるというパターン

どちらも荒唐無稽のように見えて、あながち間違ってもいないような気もする。でも後者のパターンに着地するには、まだ時間がかかりそう。そのまえに我々が干上がってしまわないことを祈るばかりだ。

24. 08 / 04

ほぼ完璧!

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金メダルを取りたいといつも思う。でも取れない。

オリンピックでも「ノーミスの演技!」と実況されたとしても10点満点は出ない。見る人が見たらどこかに粗はあって、それは本人も認識していたりするものだ。地元ではナンバーワンでも、世界中のナンバーワンが集まる場ではそうはいかない。わずかなボタンの掛け違いが命取りになってしまう。

それを「人間だもの」で済ませるのは簡単だ。けれどオリンピックのアスリートたちはそうは考えていない。彼らは心底完璧なプレーや演技をしたいと願って、求道者のように4年間を費やしてきたのだ。それが本当に尊いことで、アスリートの本質というのはそういうことなんじゃないかと思う。

我々もまたアスリートのようなもので、何年もかけて一つの仕事をまとめ上げていく。そのプロセスではクライアントの要望やデザイン、法規、予算、技術などありとあらゆる分野にわたって細やかな対応が求められる。それらすべてに満点を取ることはきわめて難しい。そもそも採点基準も明らかにされていないわけだし、なにが何が正解かすら我々もわからずにやっているのだから。

それでも我々は完璧な仕事をしたいと願う。この仕事をノーミスで終えたい!そして最後に金メダルを首にかけてもらいたい。その一心で、今日も仕事の隅々にまで神経を行き渡らせる。

きっとそれはアスリートや我々のような設計者に限らず、職人や料理人、営業職やトラックの運転手に至るまできっと同じに違いない。その心意気こそが尊い。皆心の中にオリンピックがあるのだ。

オリンピックでは「完璧を目指した結果としてのほぼ完璧」を日々我々は見せられている。そのわずかなボタンの掛け違いに、今日も我が人生を見る。

24. 07 / 03

スカスカの図面

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先日図渡ししたA工務店。しげしげと我々の図面を眺めて「ここまで図面を描いて頂けるのは本当に助かります」とひとこと。過去に仕事をした別の設計事務所の図面はスカスカで、現場に入ってからも変更が多くて本当に苦労したそう。

竣工間近のB工務店。工期通りに高い精度で施工頂けたことに感謝を伝えると、図面のおかげだとして、ここまで描かれている図面は見たことがないとおっしゃっていた。同時並行で進めていた別の設計事務所の現場では、図面がスカスカで情報が全く読み取れなかったという。何かを施工するたびに質疑が山ほど出るので、思うように進められずいつもイライラしていたそうだ。

現在進行中のC工務店。はじめてお付き合いする工務店なのだけれど、我々の図面の精度がヤバいという。他の現場の図面見ます?と言われてうちのスタッフが見せてもらったら、あまりにスカスカの図面でびっくりしたそう。展開図が1/100スケールだったと聞いた時は愕然としてしまった。

知り合いの設計者を紹介したD工務店。あとで聞くと、結局その事務所の仕事は断ってしまったという。理由を聞くと図面が酷かったからとのこと。スカスカで間違いだらけ、各所で整合性がまったく取れていない。このまま請けるとトラブルに巻き込まれると思ったそうだ。

果たして我々が特別なのか?
それとも彼らはたまたま酷い事務所に当たっただけなのか?

この手の話は枚挙にいとまがない。我々の図面は描き過ぎなどと言われることもあるけれど、現場の意見は違う。読み込むのは大変だろうけれど、次にやるべきことが全て描かれた図面なら職人の手が止まらない。結果として工期もスムーズだし、余計な出費もないから現場も合理化できる。

実際に現場がはじまると、我々の現場は質疑がほとんど出ない。定例に出向いても、質疑がないので雑談だけして帰ってくることも多い。ある職人は我々の図面に「バイブル」と書いていた。そのくらい我々の図面は現場からの厚い信頼があって、我々はそれを裏切ってはいけないと思っている。

そういう図面はどうすれば描けるのか?スタッフをどう教育しているのか?とよく聞かれるのだけれど、いつも困る。教育なんてしていない。とにかく当たり前のこと、細かいことを言い続けること、これしかないからだ。

スタッフに仕事を任せて細かいことは言わないのが理想の上司だとしたら、私はきっとかけ離れていると思う。スタッフには申し訳ないけれど、仕事の質は落とせないから、仕事では鬼になるしかないのだ。

これからどんどん職人の数も減って、工務店を下に見て相見積もりなどは取れなくなる(うちはもう長らく相見積もりはやっていませんが)。実際に設計者が工務店を選ぶ時代はすでに終わっていて、選ばれる時代になっている。先のスカスカな図面の事務所に対して、工務店は何と言っているか?「次はもうやりたくありません」これが現実だ。

建て主からだけでなく、我々は工務店からも選ばれる存在にならなければ生き残れなくなる。良い仕事が残せなくなる。最近は切にそう思う。