15. 07 / 01
ランウェイ
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sekimoto
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> 思うこと
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住宅は極めてリアルで実務的な設計領域である。
しかし一方で、私は建築専門誌で前衛的な住宅を眺めるのも好きだ。それは参考にするとかしないとかいう次元を超えて、学生時代から一貫した「建築を見るのが好き」という嗜好がさせる行為のように思う。
パリコレでモデルさんがキッチュな格好でランウェイを歩いている。共感ポイントをはるかに超えるツッコミどころについて、ファッション業界の人たちの目にはどう映っているのだろう?と思うことがある。
うわっ斬新!負けた。とか、この素材感次試してみよう!とか思うんだろうか。でもそれ、街で着てたら捕まりますから。
そして、ほんとにそんな家設計したら訴えられますから、というのが実際建っているという事実。すごいなあ。専門誌をペラペラとめくりながら、いつもそんなことを思う。
イイ!じつにイイ。けしからんなんて思わない。だってひとごとだもの。
私は建築を見るのが好きなのだ。きっと、それってパリコレ見にくる人と同じ気持ちなんだと思う。
しかし世の中にはいるんですね。なんというか、パリコレの格好で通りを歩いている人が。この変態っ。捕まるよ?
しかし一方で、私は建築専門誌で前衛的な住宅を眺めるのも好きだ。それは参考にするとかしないとかいう次元を超えて、学生時代から一貫した「建築を見るのが好き」という嗜好がさせる行為のように思う。
パリコレでモデルさんがキッチュな格好でランウェイを歩いている。共感ポイントをはるかに超えるツッコミどころについて、ファッション業界の人たちの目にはどう映っているのだろう?と思うことがある。
うわっ斬新!負けた。とか、この素材感次試してみよう!とか思うんだろうか。でもそれ、街で着てたら捕まりますから。
そして、ほんとにそんな家設計したら訴えられますから、というのが実際建っているという事実。すごいなあ。専門誌をペラペラとめくりながら、いつもそんなことを思う。
イイ!じつにイイ。けしからんなんて思わない。だってひとごとだもの。
私は建築を見るのが好きなのだ。きっと、それってパリコレ見にくる人と同じ気持ちなんだと思う。
しかし世の中にはいるんですね。なんというか、パリコレの格好で通りを歩いている人が。この変態っ。捕まるよ?

設計者というものは、つくづく「いまここ」を生きる職業であると思う。「いまここ」にすべてを賭ける。そして出来たものが、「いまここ」における最高の仕事であると。
しかしそれは相対的に決まるものでもある。
つまり依頼主を満足させるために、すべてはそこに向かって仕事を収束させてゆくわけだから、自分たちがいかに満足しようとも、依頼主が満足して下さらなかったらその仕事は最高とは言えない。それどころか失敗ですらある。だから恐い。建築の仕事は本当に恐ろしい仕事だと思う。
今日は来週引渡しの、とある住宅の竣工検査があった。
会心の出来だと思う。
心から満ち足りた気持ちになった。こういう仕事は本当に珍しい。他人にはわからないけれども、自分にはわかる思い通りにならなかった部分や失敗が頭を離れず、私はいつも深く落ち込む。どの仕事だってそうだ。
今日はどうしてそんな気持ちになったのだろう。
それはクライアントがとっても喜んで下さったからだ。クライアントからかけて頂いた言葉を私はきっと忘れないだろう。私が心から望んでいた言葉を聞くことができた。それが本当に嬉しかった。
「いまここ」に持てる力すべてを注ぐことができたとしても、人間は完全ではないから、やっぱり完全な仕事はできないのかもしれない。実際今日も検査では多くの指摘があったし、あれほど注意深く進めた我々の設計や、現場の施工も完全ではないことをあらためて実感した。
しかし今回は会心の仕事だったと思う。
満ち足りた気持ちになった。完全ではなかったかもしれないけれど、最高の仕事ができたと思う。
どうしてだろう?それはクライアントが喜んでくれたからだ。
不完全な人間は、人間によってはじめて満たされるのかもしれない。
15. 06 / 15
9:11
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sekimoto
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> 思うこと
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私は9月11日生まれであるが、時計を見ると9:11であることがよくある。
1度や2度ではない。
朝気配を感じて、その方向を見るとかなりの確率で9:11である。
昨晩も、風呂から出て時計を見たら9:11であった。
この話を何気なくスタッフにしたら共感していたので、
どうやら私だけではないらしい。
15. 06 / 09
レクサス
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sekimoto
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> 思うこと
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その昔、とあるクライアントがいらした。この方は以前からうちのオープンハウスにも顔を出し、北欧つながりのキーワードでも繋がっていた方だった。
ある日、この方がとうとう満を持してうちに設計相談にいらした。私は歓迎した。大いに盛り上がった打合せの最後に、しかしクライアントはこう切り出したのだ。実は別の建築家にも声をかけている、と。要はコンペというわけだ。
そのコンペは、結論から言うと負けた。
そのクライアントはとてもウマの合いそうな方だったし、その人の態度はまるで私を本命視しているようでもあった。それを真に受けた私がウブだったのかもしれないが、まるで相思相愛と信じた相手に、確信を持って告白したらフラれたくらいのインパクトで、私は深く落ち込んだ。
その方のその時の断り方もまた、その後の私の心に長く尾を引くことになる。言い換えるならば「一番好きなのはあなただけれど、一緒にはなれない」的な。私ではなく誰に頼んだかは結局聞かなかった。
それから一年ほど経ったある日、ふとこのことを思い出した。
あの時決まっていれば、そろそろ竣工する頃だな。その日、どうしてそんな事を思ったかはわからない。私に未練がなかったといえば嘘になる。しかし思いが引き寄せたというには出来過ぎな話だが、その日私が久しぶりに自分の設計したカフェに行くと、扉を開けて出てきたのはそのクライアント本人だったのだ。
往年のトレンディドラマ「東京ラブストーリー」なら、あのBGMが流れるシーンであろう。衝撃的な再会。なぜ私のカフェに?あいつと幸せになったんじゃなかったのか!?これがドラマなら、まさに雨の中傘もささずに、という状況である。
「あっ関本さん…」
「あの、どうしてここに…」
「あ、あの…もうすぐ完成するんです。もしよかったら…あの、オープンハウス来てくれませんか?」
何を言っておるのだ。まさに別れた女性から「結婚式には来てね」と言われたようなものではないか。
「も、もちろんですとも!案内送って下さいね」
かくして私はノコノコとオープンハウスに出向いて行ったのだ。羨望と祝福の声が飛び交うその場所で、私は作り笑顔を浮かべていた。クライアントもいらした。「ご竣工おめでとうございます!素晴らしい空間ですね」(…幸せになれよ)
しかし私の心を真に乱したのは、実にその後のことであった。
その家は某著名建築家の設計により完成を迎え、数ヶ月後には建築専門誌にも掲載された。大胆かつ斬新な空間構成。大幅に誌面も割かれていた。そのどれもが、当時の私には持ち得なかったものだ。清々しいまでの完敗…。
しかし!
私は見逃さなかった。その写真に写っていたその生活風景を。そこには当時の私が好んで用いていた素材が散りばめられ、我が家と同じデザインの家電があり、私の好んだ北欧デザインや家具が並んでいた。購入元も私と繋がりがある場所からだった。この空間は…私の空間ではないか!
その時に悟ったのである。
「一番好きなのはあなただけれど、一緒にはなれない」という言い回しの真意を。私はその時、みすぼらしい男が、走り去るレクサスの後ろ姿を見送ったような心境であった。そしてこう心に刻んだのである。「今に見てろ、見返してやる!」と。
(「伝説の日本の社長」より)
ある日、この方がとうとう満を持してうちに設計相談にいらした。私は歓迎した。大いに盛り上がった打合せの最後に、しかしクライアントはこう切り出したのだ。実は別の建築家にも声をかけている、と。要はコンペというわけだ。
そのコンペは、結論から言うと負けた。
そのクライアントはとてもウマの合いそうな方だったし、その人の態度はまるで私を本命視しているようでもあった。それを真に受けた私がウブだったのかもしれないが、まるで相思相愛と信じた相手に、確信を持って告白したらフラれたくらいのインパクトで、私は深く落ち込んだ。
その方のその時の断り方もまた、その後の私の心に長く尾を引くことになる。言い換えるならば「一番好きなのはあなただけれど、一緒にはなれない」的な。私ではなく誰に頼んだかは結局聞かなかった。
それから一年ほど経ったある日、ふとこのことを思い出した。
あの時決まっていれば、そろそろ竣工する頃だな。その日、どうしてそんな事を思ったかはわからない。私に未練がなかったといえば嘘になる。しかし思いが引き寄せたというには出来過ぎな話だが、その日私が久しぶりに自分の設計したカフェに行くと、扉を開けて出てきたのはそのクライアント本人だったのだ。
往年のトレンディドラマ「東京ラブストーリー」なら、あのBGMが流れるシーンであろう。衝撃的な再会。なぜ私のカフェに?あいつと幸せになったんじゃなかったのか!?これがドラマなら、まさに雨の中傘もささずに、という状況である。
「あっ関本さん…」
「あの、どうしてここに…」
「あ、あの…もうすぐ完成するんです。もしよかったら…あの、オープンハウス来てくれませんか?」
何を言っておるのだ。まさに別れた女性から「結婚式には来てね」と言われたようなものではないか。
「も、もちろんですとも!案内送って下さいね」
かくして私はノコノコとオープンハウスに出向いて行ったのだ。羨望と祝福の声が飛び交うその場所で、私は作り笑顔を浮かべていた。クライアントもいらした。「ご竣工おめでとうございます!素晴らしい空間ですね」(…幸せになれよ)
しかし私の心を真に乱したのは、実にその後のことであった。
その家は某著名建築家の設計により完成を迎え、数ヶ月後には建築専門誌にも掲載された。大胆かつ斬新な空間構成。大幅に誌面も割かれていた。そのどれもが、当時の私には持ち得なかったものだ。清々しいまでの完敗…。
しかし!
私は見逃さなかった。その写真に写っていたその生活風景を。そこには当時の私が好んで用いていた素材が散りばめられ、我が家と同じデザインの家電があり、私の好んだ北欧デザインや家具が並んでいた。購入元も私と繋がりがある場所からだった。この空間は…私の空間ではないか!
その時に悟ったのである。
「一番好きなのはあなただけれど、一緒にはなれない」という言い回しの真意を。私はその時、みすぼらしい男が、走り去るレクサスの後ろ姿を見送ったような心境であった。そしてこう心に刻んだのである。「今に見てろ、見返してやる!」と。
(「伝説の日本の社長」より)
15. 06 / 06
国立競技場問題について
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sekimoto
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> 思うこと
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2020年東京オリンピックの会場ともなる新国立競技場の建設問題について、建築家・槇文彦氏を中心としたグループが、屋根をもう少し簡易な構造に変更することで、大幅な予算削減を実現するという代替案を発表した。あげくには、建築家ザハ・ハディド女史との契約は解除しようとする流れまであるらしい。
『世界的建築家・槙文彦氏「日本チームで作る」…新国立設計』
http://www.hochi.co.jp/topics/20150606-OHT1T50035.html
そもそもこの競技場問題の大きな論点は2つである。一つは巨大すぎることで周囲の景観を破壊するという点、そしてもう一つは建設費がかかりすぎるという点。
もう一つ加えるならば、設計を担当している建築家のザハ・ハディド女史は、業界でも有名な前衛建築家であり、彼女の案をコンペで選んだ審査プロセスやコンペプログラムも含めて、コンペ主催者側の責任も問われるべきだとする点、であろうか。
…スケールが大きすぎて、イマイチ何が起こっているかイメージできない方のために、これを我々の住宅設計に置き換えて説明したい。
◇
建築家は名だたるライバルを抑えて、住宅のコンペで当選を果たした。斬新だが費用がかかりそうなデザイン。しかしクライアントは他の提案とは一線を画すその案を選び、夢を託した。
予想通り設計は困難を極めた。しかし当初のままとはいかないまでも、なんとか近隣問題や技術的なことに可能な限りの折り合いをつけて、設計はなんとか完了した。ところが見積りを取ると、それでも大幅な予算超過となってしまった。
この顛末を聞きつけたのがライバル達である。そもそも予算は決められていたわけだし、景観も破壊しかねない外観だ。自分ならもっと良い案が作れるはずだし、建築家の案が面白いわけがない。
「やっぱりそうか!」
「いやね、私もあれはひどいと思っていたんですよ」
「このままじゃ、あのお施主さんがかわいそうだよ」
「そもそもでかすぎるんだよ。あんな屋根なんてやめちゃえばいいのに」
かくしてクライアントの元には、ライバル建築家達から頼んでもいない代替え提案が届く。少々強引な建築家と、予算超過に頭を悩ませていたクライアントは、彼らの思いやり(余計なお世話ともいう)にあふれた提案に心が揺らぐ。
「でも、先生にこんなこと言えないですよ…」
と弱腰なクライアントに彼らはそっとささやく。
「やめさせちゃえばいいんですよ。その後は我々が引き継ぎますから。予算も守るし、お施主さんの言うことも聞きます。いいんですか?このままで。取り返しのつかないことになりますよ?」
そして建築家の元には、ある日突然の契約解除通知が届く。
寝耳に水の話に驚いたのも束の間、それはライバル達が根回しをした結果だと知る。「あいつら…ゆるさん!」
しかも、クライアントが最も期待を寄せ、自分も最も心血を注いでいた曲面を描く大屋根のデザインは、予算的な理由から普通の切妻屋根になるという。予算超過でクビになっただけならまだしも、今回はライバル達が勝手に自分の図面に手を入れて改変してしまおうというのだ。しかも許しがたいデザインに…。
…
こんな屈辱ってあるだろうか?
そんなことをしてできたものは、建築でも何でもない。
もちろん予算超過した建築家が悪い、という正論はあるだろう。でも選んだのは素人ではなく専門家達なのだ(委員長は安藤忠雄氏)。その案がどのくらい大変な案かはわかっていたはずだし、もっと安全策も取れたはずだ。しかしザハを選んだ。
住宅と公共建築は違う、その費用は血税でまかなわれるのだと言われれば、それもその通りだろう。しかし私は同じ建築を生業とする建築家として、この仕打ちはあまりにひどいしフェアじゃないと思う。それを”世界的”建築家が主導しているというのが私には信じられないのだ。
『世界的建築家・槙文彦氏「日本チームで作る」…新国立設計』
http://www.hochi.co.jp/topics/20150606-OHT1T50035.html
そもそもこの競技場問題の大きな論点は2つである。一つは巨大すぎることで周囲の景観を破壊するという点、そしてもう一つは建設費がかかりすぎるという点。
もう一つ加えるならば、設計を担当している建築家のザハ・ハディド女史は、業界でも有名な前衛建築家であり、彼女の案をコンペで選んだ審査プロセスやコンペプログラムも含めて、コンペ主催者側の責任も問われるべきだとする点、であろうか。
…スケールが大きすぎて、イマイチ何が起こっているかイメージできない方のために、これを我々の住宅設計に置き換えて説明したい。
◇
建築家は名だたるライバルを抑えて、住宅のコンペで当選を果たした。斬新だが費用がかかりそうなデザイン。しかしクライアントは他の提案とは一線を画すその案を選び、夢を託した。
予想通り設計は困難を極めた。しかし当初のままとはいかないまでも、なんとか近隣問題や技術的なことに可能な限りの折り合いをつけて、設計はなんとか完了した。ところが見積りを取ると、それでも大幅な予算超過となってしまった。
この顛末を聞きつけたのがライバル達である。そもそも予算は決められていたわけだし、景観も破壊しかねない外観だ。自分ならもっと良い案が作れるはずだし、建築家の案が面白いわけがない。
「やっぱりそうか!」
「いやね、私もあれはひどいと思っていたんですよ」
「このままじゃ、あのお施主さんがかわいそうだよ」
「そもそもでかすぎるんだよ。あんな屋根なんてやめちゃえばいいのに」
かくしてクライアントの元には、ライバル建築家達から頼んでもいない代替え提案が届く。少々強引な建築家と、予算超過に頭を悩ませていたクライアントは、彼らの思いやり(余計なお世話ともいう)にあふれた提案に心が揺らぐ。
「でも、先生にこんなこと言えないですよ…」
と弱腰なクライアントに彼らはそっとささやく。
「やめさせちゃえばいいんですよ。その後は我々が引き継ぎますから。予算も守るし、お施主さんの言うことも聞きます。いいんですか?このままで。取り返しのつかないことになりますよ?」
そして建築家の元には、ある日突然の契約解除通知が届く。
寝耳に水の話に驚いたのも束の間、それはライバル達が根回しをした結果だと知る。「あいつら…ゆるさん!」
しかも、クライアントが最も期待を寄せ、自分も最も心血を注いでいた曲面を描く大屋根のデザインは、予算的な理由から普通の切妻屋根になるという。予算超過でクビになっただけならまだしも、今回はライバル達が勝手に自分の図面に手を入れて改変してしまおうというのだ。しかも許しがたいデザインに…。
…
こんな屈辱ってあるだろうか?
そんなことをしてできたものは、建築でも何でもない。
もちろん予算超過した建築家が悪い、という正論はあるだろう。でも選んだのは素人ではなく専門家達なのだ(委員長は安藤忠雄氏)。その案がどのくらい大変な案かはわかっていたはずだし、もっと安全策も取れたはずだ。しかしザハを選んだ。
住宅と公共建築は違う、その費用は血税でまかなわれるのだと言われれば、それもその通りだろう。しかし私は同じ建築を生業とする建築家として、この仕打ちはあまりにひどいしフェアじゃないと思う。それを”世界的”建築家が主導しているというのが私には信じられないのだ。
