15. 06 / 15
9:11
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sekimoto
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> 思うこと
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私は9月11日生まれであるが、時計を見ると9:11であることがよくある。
1度や2度ではない。
朝気配を感じて、その方向を見るとかなりの確率で9:11である。
昨晩も、風呂から出て時計を見たら9:11であった。
この話を何気なくスタッフにしたら共感していたので、
どうやら私だけではないらしい。
15. 06 / 09
レクサス
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sekimoto
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> 思うこと
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ある日、この方がとうとう満を持してうちに設計相談にいらした。私は歓迎した。大いに盛り上がった打合せの最後に、しかしクライアントはこう切り出したのだ。実は別の建築家にも声をかけている、と。要はコンペというわけだ。
そのコンペは、結論から言うと負けた。
そのクライアントはとてもウマの合いそうな方だったし、その人の態度はまるで私を本命視しているようでもあった。それを真に受けた私がウブだったのかもしれないが、まるで相思相愛と信じた相手に、確信を持って告白したらフラれたくらいのインパクトで、私は深く落ち込んだ。
その方のその時の断り方もまた、その後の私の心に長く尾を引くことになる。言い換えるならば「一番好きなのはあなただけれど、一緒にはなれない」的な。私ではなく誰に頼んだかは結局聞かなかった。
それから一年ほど経ったある日、ふとこのことを思い出した。
あの時決まっていれば、そろそろ竣工する頃だな。その日、どうしてそんな事を思ったかはわからない。私に未練がなかったといえば嘘になる。しかし思いが引き寄せたというには出来過ぎな話だが、その日私が久しぶりに自分の設計したカフェに行くと、扉を開けて出てきたのはそのクライアント本人だったのだ。
往年のトレンディドラマ「東京ラブストーリー」なら、あのBGMが流れるシーンであろう。衝撃的な再会。なぜ私のカフェに?あいつと幸せになったんじゃなかったのか!?これがドラマなら、まさに雨の中傘もささずに、という状況である。
「あっ関本さん…」
「あの、どうしてここに…」
「あ、あの…もうすぐ完成するんです。もしよかったら…あの、オープンハウス来てくれませんか?」
何を言っておるのだ。まさに別れた女性から「結婚式には来てね」と言われたようなものではないか。
「も、もちろんですとも!案内送って下さいね」
かくして私はノコノコとオープンハウスに出向いて行ったのだ。羨望と祝福の声が飛び交うその場所で、私は作り笑顔を浮かべていた。クライアントもいらした。「ご竣工おめでとうございます!素晴らしい空間ですね」(…幸せになれよ)
しかし私の心を真に乱したのは、実にその後のことであった。
その家は某著名建築家の設計により完成を迎え、数ヶ月後には建築専門誌にも掲載された。大胆かつ斬新な空間構成。大幅に誌面も割かれていた。そのどれもが、当時の私には持ち得なかったものだ。清々しいまでの完敗…。
しかし!
私は見逃さなかった。その写真に写っていたその生活風景を。そこには当時の私が好んで用いていた素材が散りばめられ、我が家と同じデザインの家電があり、私の好んだ北欧デザインや家具が並んでいた。購入元も私と繋がりがある場所からだった。この空間は…私の空間ではないか!
その時に悟ったのである。
「一番好きなのはあなただけれど、一緒にはなれない」という言い回しの真意を。私はその時、みすぼらしい男が、走り去るレクサスの後ろ姿を見送ったような心境であった。そしてこう心に刻んだのである。「今に見てろ、見返してやる!」と。
(「伝説の日本の社長」より)
15. 06 / 06
国立競技場問題について
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sekimoto
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> 思うこと
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『世界的建築家・槙文彦氏「日本チームで作る」…新国立設計』
http://www.hochi.co.jp/topics/20150606-OHT1T50035.html
そもそもこの競技場問題の大きな論点は2つである。一つは巨大すぎることで周囲の景観を破壊するという点、そしてもう一つは建設費がかかりすぎるという点。
もう一つ加えるならば、設計を担当している建築家のザハ・ハディド女史は、業界でも有名な前衛建築家であり、彼女の案をコンペで選んだ審査プロセスやコンペプログラムも含めて、コンペ主催者側の責任も問われるべきだとする点、であろうか。
…スケールが大きすぎて、イマイチ何が起こっているかイメージできない方のために、これを我々の住宅設計に置き換えて説明したい。
◇
建築家は名だたるライバルを抑えて、住宅のコンペで当選を果たした。斬新だが費用がかかりそうなデザイン。しかしクライアントは他の提案とは一線を画すその案を選び、夢を託した。
予想通り設計は困難を極めた。しかし当初のままとはいかないまでも、なんとか近隣問題や技術的なことに可能な限りの折り合いをつけて、設計はなんとか完了した。ところが見積りを取ると、それでも大幅な予算超過となってしまった。
この顛末を聞きつけたのがライバル達である。そもそも予算は決められていたわけだし、景観も破壊しかねない外観だ。自分ならもっと良い案が作れるはずだし、建築家の案が面白いわけがない。
「やっぱりそうか!」
「いやね、私もあれはひどいと思っていたんですよ」
「このままじゃ、あのお施主さんがかわいそうだよ」
「そもそもでかすぎるんだよ。あんな屋根なんてやめちゃえばいいのに」
かくしてクライアントの元には、ライバル建築家達から頼んでもいない代替え提案が届く。少々強引な建築家と、予算超過に頭を悩ませていたクライアントは、彼らの思いやり(余計なお世話ともいう)にあふれた提案に心が揺らぐ。
「でも、先生にこんなこと言えないですよ…」
と弱腰なクライアントに彼らはそっとささやく。
「やめさせちゃえばいいんですよ。その後は我々が引き継ぎますから。予算も守るし、お施主さんの言うことも聞きます。いいんですか?このままで。取り返しのつかないことになりますよ?」
そして建築家の元には、ある日突然の契約解除通知が届く。
寝耳に水の話に驚いたのも束の間、それはライバル達が根回しをした結果だと知る。「あいつら…ゆるさん!」
しかも、クライアントが最も期待を寄せ、自分も最も心血を注いでいた曲面を描く大屋根のデザインは、予算的な理由から普通の切妻屋根になるという。予算超過でクビになっただけならまだしも、今回はライバル達が勝手に自分の図面に手を入れて改変してしまおうというのだ。しかも許しがたいデザインに…。
…
こんな屈辱ってあるだろうか?
そんなことをしてできたものは、建築でも何でもない。
もちろん予算超過した建築家が悪い、という正論はあるだろう。でも選んだのは素人ではなく専門家達なのだ(委員長は安藤忠雄氏)。その案がどのくらい大変な案かはわかっていたはずだし、もっと安全策も取れたはずだ。しかしザハを選んだ。
住宅と公共建築は違う、その費用は血税でまかなわれるのだと言われれば、それもその通りだろう。しかし私は同じ建築を生業とする建築家として、この仕打ちはあまりにひどいしフェアじゃないと思う。それを”世界的”建築家が主導しているというのが私には信じられないのだ。
15. 06 / 03
勇気
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大人になれば必ずしも楽しい仕事ばかりじゃない。なりたい職業に就けるわけじゃない。嫌いな人ともお付き合いしなくちゃいけない。好き嫌いはいけない。嫌いなものを今から進んで食べられるようにしましょう。
嫌いなものは食べなくていい。食べたいものだけを食べればいい。私はそう思う。むしろ嫌いなものは食べないという意思を持ち続けることは、現代においては勇気を意味する。勇気ある大人になってほしい。
15. 05 / 18
想いがすべて
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sekimoto
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事業であれば事業計画を立てるし、家づくりであればまずは設計だ。ただそれ以前の問題として、その資金をどうつくるのか、その後にちゃんと回してゆけるのかということも考えなくてはならない。夢と心中するわけにはいかない。くれぐれも無理のないように。ご利用は計画的に、というわけだ。
しかし、はたして本当にそうだろうか?
無理からはじまらないと夢なんて叶わないのではないか。上手くいかないのはお金のせいではなく、浮ついた邪な気持ちがあるからだ。まずはじめることは、電卓をはじくことではなく、想いを強く深く持つということだと思う。
私は独立するとき、後先の事なんて考えなかった。独立するのが夢で、独立しないという選択肢がないのだから、独立して大丈夫か?なんて考えもしなかった。もちろん大変だったけれど、今も事務所は存続しているのだから結果オーライだろうか。覚悟が決まると、結果は後から付いてくるものなのかもしれない。
人は事をはじめる時には、デコボコのない平坦な道を歩みたがるものだ。結果的にデコボコもなく、平坦な道をリスクもなくゴールに辿り着いたとする。しかしそれは”夢”ではなく”現実”そのものであろう。近所のスーパーに買い物に行ったようなものだ。
こんなことをうちのクライアントと接しているといつも思う。さすが設計事務所に頼もうなんていうクライアントは”夢の熱量”が違う。想いの深さが半端ないのだ。
人がそれをやらないための理由はいくらでもつけられる。でもそれをやるための理由は一つしかない。我々が設計する家とはそういうものだと思う。
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