15. 05 / 18

想いがすべて

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sekimoto

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> 思うこと


人が何か物事を興すときには計画を立てる。

事業であれば事業計画を立てるし、家づくりであればまずは設計だ。ただそれ以前の問題として、その資金をどうつくるのか、その後にちゃんと回してゆけるのかということも考えなくてはならない。夢と心中するわけにはいかない。くれぐれも無理のないように。ご利用は計画的に、というわけだ。

しかし、はたして本当にそうだろうか?

無理からはじまらないと夢なんて叶わないのではないか。上手くいかないのはお金のせいではなく、浮ついた邪な気持ちがあるからだ。まずはじめることは、電卓をはじくことではなく、想いを強く深く持つということだと思う。

私は独立するとき、後先の事なんて考えなかった。独立するのが夢で、独立しないという選択肢がないのだから、独立して大丈夫か?なんて考えもしなかった。もちろん大変だったけれど、今も事務所は存続しているのだから結果オーライだろうか。覚悟が決まると、結果は後から付いてくるものなのかもしれない。

人は事をはじめる時には、デコボコのない平坦な道を歩みたがるものだ。結果的にデコボコもなく、平坦な道をリスクもなくゴールに辿り着いたとする。しかしそれは”夢”ではなく”現実”そのものであろう。近所のスーパーに買い物に行ったようなものだ。

こんなことをうちのクライアントと接しているといつも思う。さすが設計事務所に頼もうなんていうクライアントは”夢の熱量”が違う。想いの深さが半端ないのだ。

人がそれをやらないための理由はいくらでもつけられる。でもそれをやるための理由は一つしかない。我々が設計する家とはそういうものだと思う。