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コインパーキングで出庫する際、お金を払って領収書を取ろうとすると、別の人の領収書が残っていることがある。イラッとする。領収書は必ず出るものではなく、自分で領収書ボタンを押して出すものだ。だからこの人はわざわざ領収書ボタンを押しておきながら、領収書を取らずに去った人ということになる。

なぜ押した?そしてなぜ取らない!?

私が手を伸ばした時にあるその領収書、自分のだけ取って去るのも忍びなく、仕方なくその取り残された領収書は丸めてポケットにツッコむ。やはりイラッとする。なぜ他人のゴミを自分のポケットにしまわなくてはならないのか!

ちょっと待て。必要ないのにそこは押すな!領収書ボタンのピンポンダッシュは取り締まりの対象にして頂きたいのである。

20. 11 / 22

code kurkku

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今年いっぱいでクローズする代々木Villageのcode kurkkuに、結婚記念日の食事を兼ねて。

kurkku(クルック)はフィンランド語で「きゅうり」という意味。なんできゅうりなんだ?という疑問を持ち続けて数年、最後だからと行ってみることにしました。

しかし、吹抜けに下がるこの照明の手法はレイヴィスカだよなとか、波打つレンガに漆喰塗りってこれってアールトだよなとか、カーテンやパーティションの波波なんてもろにアールトじゃん!とか。だからフィンランド語なのか?でもなぜにきゅうり??とか、多分家族とは全然違うところ見ていたと思います。

設計者は確実にそこ狙っていたと思うんですが、今この空間でそこ気づいてるの自分だけだなあ、というのがおかしくて、やっぱり家族とは全然違うところでニヤけていたと思います。

あぁこれでまたひとつ東京のお気に入りスポットがなくなります、、未体験の方は年内に是非!そして、きゅうりの謎は解けず。

code kurkku
http://www.kurkku.jp/codekurkku/

20. 11 / 21

コロナと共に

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コロナが第三波。それがどうした、としか言えない。これ以上どうすれば良いかわからないから、結局私の暮らしはいつも通りだ。

我々の暮らしはすでにコロナと共にある。ウィズコロナというやつだ。夜の街を呑み歩くこともないし、会合やセミナーだってオンラインだ。外出の時にはマスクを着用。帰宅したら手洗いか消毒。すでにそれが日常の一部になっている。

そんなコロナ禍のローカルルールがある。たとえば「家族は大丈夫」というルール。家族は大丈夫だから家の中ではマスクを外して良い、みたいな。家族だって毎日通勤や通学しているわけだから、感染リスクは他人と変わらないはずなのに。

たまには旅行にも出かける。食事にも行く。十分に注意しながら、といってもマスクを付けて移動する以外にできることはないわけで。近頃では、お店側で先回りをして感染対策もしてくれている。そこで我々は「家族」と「感染対策を行われているお店」に行くから大丈夫だと、ここでも心の中にローカルルールを作るわけだ。

我々のような設計事務所も、「スタッフは大丈夫」というローカルルールを暗黙に心の中に持っていなければ成立しない。もし感染者がいたら、マスクをしていたってこの狭い密室ではアウトなわけだし。事務所の中ではみんなマスクをしているが、それも「マスクをしているから大丈夫」という自己暗示によって、お互いのローカルルールを確認しあっているだけにすぎない。

身も蓋もないことを言えば、マスクをしていても感染するときは感染する。すべては確率論の話で、たとえば東京都で一日に500人感染したといっても、確率論で言うと0.00005%の感染率ということになる。逆に言うと99.99995%の人は一日に感染していないともいえる。

だから大丈夫だと言いたいのではない。
コロナが第三波。それがどうした。私はこれまで通り、コロナと共に生きる。それしかないではないか。


俳優の伊藤健太郎さんが、ひき逃げの容疑で逮捕されたという報道が流れ、ショックを受けている。私は特に伊藤さんのファンだったというわけではない。ただ彼が出演していたドラマなどはよく見ていたし、才能ある活躍する俳優さんだとは思っていた。

冒頭のショックを受けたというのは、「まさかあの彼が(そんな悪いことするなんて)」のショックではなく、人が順風満帆の人生から転げ落ちるどころか、突然道に空いた穴に垂直降下する瞬間を目の当たりにしてしまったというショックに近い。道ばたで目の前で人が銃で撃たれたみたいな。

もちろん今回の一件で大けがをした被害者もいるわけで、逃げてしまったという一連の行動も含めて彼をかばうことは一切できないけれど、でもたびたび報道される芸能人の不倫であったり、禁止薬物使用の報道とは私は少し性格が違う気がする。

先の不倫や薬物などは、本人がいけないとわかっていながらも続けてしまった結果であり、いつかこうなることも頭のどこかでは予見していただろうから、それだけにその因果は本人が受け止めなくてはいけないし、責任も重いと思う。

けれど今回の一件のように、とっさに起きてしまったことについて、つい怖くなって立ち去ってしまったというのは、誰でも持つ人間の心の弱さによって、いつでも誰にでも起こりうることのようにも思える。

自分の人生を振り返ってみても、さすがにひき逃げはないにしろ、友達から借りていたものを傷つけてしまったのに黙って返したとか、自分に非があったのに謝らないで立ち去ってしまったとか、あまり人には言いたくない咎めを受けるべき過去の出来事というのはある。きっと誰しも一つや二つはあるのではないか。

それとこれとは別だと言う人もいるかもしれないけれど、私は同じのように思えてならない。だから恐ろしい。明日は我が身なのだ。

私ももしかしたら明日にでも現場の帰りに自分の車がバイクとコツンと接触して、本来なら踏むべきブレーキを、一瞬の心の迷いで踏みそびれてしまうということが絶対にないとは言い切れない。ガツンなら止まるかもしれないが、コツンなら気がつかなかったふりをしてしまうかもしれない。冷静な理性ならやらないことも、動転しているとどうなるかは自分でもわからないのだ。

彼は活躍する俳優であったことから、翌日から彼のニュースは日本中のメディアで報じられ、今大変なバッシングを受けている。それはもしかしたら私だったのかもしれない。こういう報道を見る度にそう思う。だから、心の弱い私は彼のことを咎めることはできない。ただただ、震え上がるのだ。

20. 10 / 17

Tさん

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今から20年くらい前、まだ住宅を一作くらいしか作っていなかった駆け出しの頃、たまたま雑誌に載った私の住宅を見て設計を依頼して下さったのがTさんだった。

Tさんは有名なアニメーションも手がける監督さんということだったのだけれど、アニメに興味のなかった私は「へえ、そうなんですね」と返しただけで、失礼なことにその方の作品を見ることはなかった。

この秋、所用があってお会いすることになり、久しぶりに連絡を取った。忙しいようだったが「10月中旬を過ぎれば時間が作れる」とおっしゃっていた。Tさんが監督を務めている映画がこのコロナの影響で公開が延期されていることは知っていた。てことは、きっと10月の半ばになんらかの動きがあるのだろう。

昨日仕事をしていたら、ラジオから映画の公開が来年1月23日になったという情報が流れた。しかも情報公開は、昨日封切られた「鬼滅の刃」の上映前の予告編でとのこと。それがYahooニュースになった。きっとこの日に向けて、関係者の間で箝口令が敷かれていたに違いない。

先日、遅ればせながらようやく劇場版の3作を全て観た。はじめての世界観にくらくらした。「これってどういうこと?」理解できない私に、詳しい息子がいろいろ教えてくれた。設計していた時に見なくて良かった。見ていたら、とても対等に話せなくなっていたかもしれない。近々お目にかかるのがとても楽しみ!

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■映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」2021年1月23日公開
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6373838

※11/11追記
現在は当該のニュース記事は消されているようです。
映画の公式情報はこちらをご覧下さい。
https://www.evangelion.co.jp/final.html