金曜日に急に熱が出てダウンしてしまった。大事な打ち合わせがあったのに迷惑をかけてしまった。風邪を引いたといえばそれまでなのだけれど、それだけじゃなかった気がする。
ここのところずっと心と体が重かった。夜もよく眠れず、昼間は眠かった。それでも次から次に対応しなくてはいけないことが起こり、ずっとアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような日々だった。きっとブレーカーが落ちたのだと思う。
二日間体を沈めたらだいぶ気持ちが楽になった。砂底をわずかに蹴った。ここから浮上がはじまる。
ここのところずっと心と体が重かった。夜もよく眠れず、昼間は眠かった。それでも次から次に対応しなくてはいけないことが起こり、ずっとアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような日々だった。きっとブレーカーが落ちたのだと思う。
二日間体を沈めたらだいぶ気持ちが楽になった。砂底をわずかに蹴った。ここから浮上がはじまる。

昨日は大阪MOKスクールの第4講義に、伊藤瑞貴さんと共にお招きいただき、小谷和也さんによるコーディネートのもと講師を務めさせて頂きました。MOKは毎年錚々たる顔ぶれの講師が招かれている印象があり、今回は呼んでいただき大変光栄でした。
と言いつつ、今回のお題は「持続可能な設計事務所運営を考える」。そんなお題なら私が受講したい!というくらい、私も日々悩んでもがいています。
困ったなあ、、と思いながら私なりの取り組みを紹介させて頂きましたが、むしろ第一講師の伊藤瑞貴さんによる、福井というローカリティを味方につけた先進的な取り組み(彼はそれを「普通」と表現していましたが)はとても素晴らしく、何より設計事務所の未来を感じさせるものだったと思います。
後半の小谷和也さんを交えてのトークセッションもまた、「情報発信」「ローカル」「これからの建築家像」といったトピックをはじめとした深掘りが、禅問答のようでもあり、深く考えさせられるものばかりでした。時間もピッタリ!小谷さん、名コーディネーターでした。

今回は会場参加組だけでも100名を超える希望者があったそうで、会場の木材仲買会館がいっぱいに埋まる景色は、私にとってはコロナ後久しぶりに見るものでとてもテンションが上がりました。
またMOKスクールの何がすごいって、講演後の懇親会に誰一人帰らないこと!お店を貸切にして100人規模で開催する懇親会なんて初めての経験です。その後も2次会、3次会と続き、、大阪の底知れぬパワーを感じました。



何より印象的だったのは、運営側の理事たちが実に溌剌としていて、三澤文子さんを中心とした情熱の一枚岩のように感じられたこと。すでに来期の人選についても活発な議論がはじまっていました。
日頃、私も諸団体の委員や理事などを務めていますが、そこで常に問題に上がるのは、人手不足や仕事との両立、担当者の負担軽減や会の持続可能性のようなものです。今回のテーマは設計事務所におけるそれでしたが、私はMOKスクールの自由闊達でいて、とても洗練された会のあり方に大いに刺激を頂き、それが何より勉強になりました。
今回はお声がけいただき、小谷さん、文子さん、木又さん、誠にありがとうございました!


2020年の入所以来、4年半に亘って事務所を支えてくれていたスタッフの岩田舞子さんが、出産のため産休に入ることになりました。出産後1年の育休ののち、予定では2025年11月頃を目安に再び復職してもらう予定です。
彼女の休業中は私を含め残ったスタッフで業務をカバーして参ります。しばしご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんが、皆さま何卒ご理解の程お願い致します。
◇
さて、彼女の出産をめぐっての私の葛藤や事務所のバタバタについては、これまで書けなかったこともいろいろあるので、この場をお借りて記しておきたいと思います。以下長文ですがお許し下さい。
彼女を知る方ならわかると思いますが、うちの事務所において岩田さんの存在というのはとても大きく、彼女から出産予定の話を聞いたときは正直頭が真っ白になってしまい、とっさに「おめでとう」の言葉が出てきませんでした。当時はそのくらい私も動揺していました。
彼女の明るい性格と気配り力、難しい設計を最後までまとめ上げてくれる粘り強さには、いつも本当に助けられていました。最近では後輩に対する指導力もつけてきて、事務所の番頭として、また私の片腕としても全幅の信頼を置いてきたスタッフです。
昨年結婚したこともあり、いつかはこの日が来るであろうと思っていましたが、こんなに早くやってくるとは…。私も長く事務所をやってきましたが、女性スタッフが出産するというのははじめての経験で、本当に考えることが山ほどありました。
◇
ひとつは彼女の復職時期のことです。出産後は彼女も復職を希望していましたが、そのためには子どもを保育園に預けなくてはなりません。
保育園の入園時期は4月なので、半年後の4月に入園を希望すれば入れる可能性も高くなりますが、彼女の希望はできれば育休を1年は取りたいということでした。そうなると復職は来年の11月、果たしてそんな時期に希望の保育園になど入れるのか、彼女の長期不在中の穴はどう埋めれば良いのか、不確定要素ばかりでどこから手をつければ良いのかわかりませんでした。
うちのようなスタッフが2~3人の零細アトリエにとって、一年という時間はとても長い期間です。この先の仕事の受注状況も読めませんし、忙しくなるようなら人を増やさなくてはなりません。しかし一方では彼女が復職してくることを考えると、彼女の席はそれまで残しておかなくてはなりません。
半年くらいならなんとかなるとしても、一年ものあいだ彼女の居場所を果たして残しておけるのか、当時の心境としては「それはさすがに無理!」というものでした。
また復職しても、保育園のお迎えなどがあるので今までと同じように夜遅くまで働くことは難しくなります。建て主さんとの打合せが入りやすい土日も家を空けることは難しくなるでしょう。設計事務所の仕事というのは、日中は現場やメーカーなどとの打合せが多く入るので、静かに集中して図面が描けるのは18時以降になってからというのが日常です。
それが復職後は定時よりも早く上がり、土日も打合せに参加できないとしたら…それは設計事務所では働けないということを意味してしまうのです。
これは今どきの一般企業からしたら考えられないことですよね。でも設計事務所ってそういうところなのです。私は長いあいだ設計事務所を運営してきましたが、今回この当たり前のようでいて当たり前でない、設計事務所の抱える矛盾や問題にはじめてぶつかったような気がしました。
◇
一方で、これが男性ならどうでしょう?
子どもができたことを告げれば、会社からは祝福されて、なんなら「これからは子どもの分までバリバリ働かないとね」なんてハッパをかけられる場面すら思い浮かびます。一方の女性は「無理をしないようにね」「家庭を優先してね」と、誰もが悪意なく声をかけることと思います。きっとこんなことがなければ、私もそんな言葉をかけると思うんですね。
つまり子どもを授かったら、男性はより仕事に専念し、女性は仕事をセーブしなくてはならない。これが設計事務所なら辞めなくてはならない。女性だって男性と同じように働く権利があるというのに、これっておかしいですよね。
途中からそんなことも思い始めて、なんだか無性に腹が立ってきました。実際に岩田さんも「リオタデザインを辞めなくてはいけないかもしれない」ということでずっと悩んでいたようです。彼女ともこの件では何度も話し合ってきましたが、お互い歩み寄れない一線があり、なかなか問題はクリアにはなりませんでした。
◇
建築家仲間の丸山弾くんに相談したのはそんな時でした。彼の事務所でも女性スタッフが立て続けに産休に入り、不在中は彼がスタッフの分まで図面を描いてその穴を埋めるべく奮闘していたことを知っていたからです。
同じ設計事務所の主宰者として、そこまでしてスタッフを残す決断をした思いを知りたくて、彼にも電話をして話を聞きました。いろいろと相談に乗ってもらったのですが、先の問いに対する答えは「ほかに替えのきかないスタッフだから」というもので、それが妙に腑に落ちました。(弾くん、その節はどうもありがとうございました)
求人をかければ新しいスタッフは入ると思いますが、彼女と同じスタッフが入ることはありません。彼女の存在は、事務所にとって唯一無二なのです。それに今回出産を理由に彼女が辞めたとしたら、以後入所する女性に対してもそういう悪しき前例をつくることにもなります。
ようやく吹っ切れて、翌日彼女には「育休は一年取っていいから、事務所に残って欲しい」と伝えました。出産後も安心して仕事を続けられるよう、すべてのリスクテイクは事務所が背負うことを決めました。
一方で残るスタッフの佐藤くんにも過剰な負担がかからないように、スタッフを一人増やすことも決めました。岩田さんが帰ってくればスタッフは3人になります。正直人を雇う余裕はあまりないのですが、そこも腹を括ろうと思います。
◇
今どき産休育休なんてあたりまえの世の中ですよね。テレワークを併用して子育てと仕事を両立している女性もたくさんいることと思います。建築の仕事は、現場監理や所内での密な図面打合せもあるので、復職後もすべてテレワークでというわけにはいかないかもしれませんが、今回のケースを設計事務所のこれからの働き方を考えるケーススタディとして、私自身にとっても学びの機会にできればと考えています。
正直に言えば、今もすべてをそんなにドライに割り切れているわけではないんですけどね…。(スタッフが一時的にでも抜けるのはやっぱり寂しいですし)
そんなことで、年内は佐藤くんと二人で事務所は回してゆきます。途中からはヘルプをお願いする予定もあり、年明けからはもう1人新しいスタッフも合流予定です。
岩田さんも、担当する現場についてはテレワークベースで産休中もフォローを続けてくれるそうです。リオタデザインはつくづく良いスタッフに恵まれている事務所だと思います。みんな、どうもありがとう!私は彼らを養うためにどんどん新しい仕事を取らなくては…汗
岩田さん、体調に気をつけて元気な赤ちゃんを産んで戻ってきてくださいね。みんなその日を心待ちにしています!!


昨日は三鷹市「PTS」のオープンハウスを開催しました。小さな住宅で、一日だけの開催だったこともあり少し絞った告知でしたが、多くの方に来て頂き大変ありがたかったです。
1階に個室を配して、2階に気積を大きく取ったメインルームを作るというのはここ最近のうちの定番の手法なのですが、敷地条件から毎回少しずつ異なるパターンが生まれるのも楽しく思っています。
敷地は27坪ながら、建ペイ容積は40/80%という厳しい建築条件でしたが、光の満ちたバランスの良い住空間になったように思います。小林賢二さんによる造園も、今回もとても素敵にアレンジして頂きました。お越し下さった皆様、ありがとうございました!







建築家の渡辺武信さんの訃報に接し、中野までお通夜に足を運んだ。武信さんからはJIA住宅部会における住宅賞「第一回住宅部会賞2018」また翌年の「第二回住宅部会賞2019」において、連続して渡辺武信賞を頂いたというご縁があった。
私にとって武信さんは歴史上の人物くらいの方で、それまでは面識すらなかった。2018の時は、まだ部会活動にも私自身あまりアクティブではなく、部会賞にも応募すらしていなかった。締切が近くなって、部会の中澤さんから応募が少ないから関本さんも出して!と言われ、急遽「路地の家」のプレボを作って応募した。
公開審査当日、私は予定が立て込み結局会場に行けなかった。プレゼンは司会の方に代読をして頂いたものの、本人不在で会場票は一票も入らなかった。
ところが後日、私は部会賞で渡辺武信賞を受賞した。聞くと、会場票は入らなかったものの、武信さんが持ち票の5票をすべて私に投じてひっくり返したのだという。これには本当にびっくりしてしまった。
投票理由は「俺はこれが好きなんだ」というもので、たぶん私がこれまで受けた評価の中で一番嬉しかった言葉かもしれない。副賞に頂いた詩集や著書は今も大切に持っている。こんな私の案を拾って下さった武信さんには本当に感謝しかない。
これには後日談があって、受賞後の呑み会では中澤さんから、「僕の尊敬する武信賞をもらったんだから関本さんは広報委員会に入らなくてはいけない」という謎の論理で広報委員会にも半ば強引に引き込まれてしまった。そんな広報も6年目で今は副委員長を務める。
亡くなる前日までは普通に生活されていたという武信さん。最後まで格好良かった!ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
【関連記事】
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202409090000990.html?Page=1
私にとって武信さんは歴史上の人物くらいの方で、それまでは面識すらなかった。2018の時は、まだ部会活動にも私自身あまりアクティブではなく、部会賞にも応募すらしていなかった。締切が近くなって、部会の中澤さんから応募が少ないから関本さんも出して!と言われ、急遽「路地の家」のプレボを作って応募した。
公開審査当日、私は予定が立て込み結局会場に行けなかった。プレゼンは司会の方に代読をして頂いたものの、本人不在で会場票は一票も入らなかった。
ところが後日、私は部会賞で渡辺武信賞を受賞した。聞くと、会場票は入らなかったものの、武信さんが持ち票の5票をすべて私に投じてひっくり返したのだという。これには本当にびっくりしてしまった。
投票理由は「俺はこれが好きなんだ」というもので、たぶん私がこれまで受けた評価の中で一番嬉しかった言葉かもしれない。副賞に頂いた詩集や著書は今も大切に持っている。こんな私の案を拾って下さった武信さんには本当に感謝しかない。
これには後日談があって、受賞後の呑み会では中澤さんから、「僕の尊敬する武信賞をもらったんだから関本さんは広報委員会に入らなくてはいけない」という謎の論理で広報委員会にも半ば強引に引き込まれてしまった。そんな広報も6年目で今は副委員長を務める。
亡くなる前日までは普通に生活されていたという武信さん。最後まで格好良かった!ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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