この秋,ご縁があってとある女子校にて中高生に建築の授業をすることになりました.
これまで一般の方や建築学科の学生を前に建築の話をしたことはありましたが,さすがに中高生ははじめて.今回コーディネートをして下さったコアネットの清水さんにこのお話しを頂いた際は,正直難しいかなとも思ったのですが,建築を専門とする建築家に話をするより,まったく関係ない中高生にいかに建築をわかりやすく楽しく伝えられるかという点に興味を覚えてお引き受けさせて頂きました.
建築というと少し難しい印象があり,もちろん実際我々のやっている実務は専門的な側面もありますが,もっと大切なのは相手と向き合って対話をするということ,高いコミュニケーション能力が試されるということがあります.一方的に壇上から話をするのではなく,一緒に双方向で対話をしながら進めるような授業が出来たらと思っています.
授業は今のところ1回限りで,土曜日の比較的自由にできるコマを用意して頂きました.テーマは教頭先生や清水さんらと話し合った結果「町の中のデザイン」ということになりました.
町の中のデザイン?といっても何も都市計画や景観について話をするわけではありません.またもしかしたら建築やデザイン自体の話でもないかもしれません.それ以前のお話.町中を歩いていて,ふとした気づきからデザインははじまるということをお話ししたいと思います.
たとえば以下の写真.この人何してる人かわかりますか?
あるいはこんな街中の日常の中にもデザインのヒントは隠されています.
わかりますか?
ご興味ある方は,一般の方でも以下にて申し込んで頂ければ受講も可能だそうです.
〇富士見丘中学高等学校・サタデイプログラム特別講座
『町の中のデザイン』
9月14日(土) 10:30~12:15
詳しくは以下より.学校は笹塚駅より徒歩5分程度のところにあります.
http://www.fujimigaoka.ac.jp/newslist/education/2013/20130814_3318.php
◇
ところで以下は,担当の大島教頭先生が授業の予告編ということでムービーを作ってくださったものです.紹介されている住宅は今週末にオープンハウスをする予定の「隅切りの家」で,事前にいらしてインタビューと撮影をして下さったのですが,この編集がとても素晴らしいので,是非皆さんに見て頂きたいと思います.ちょっと「プロジェクトX」を彷彿とした作りで,ナレーションもこの大島先生が付けてくれたものです.
☆ 隅切りの家・紹介動画
YOUTUBEより
http://youtu.be/8h8KdzIH2nY
これまで一般の方や建築学科の学生を前に建築の話をしたことはありましたが,さすがに中高生ははじめて.今回コーディネートをして下さったコアネットの清水さんにこのお話しを頂いた際は,正直難しいかなとも思ったのですが,建築を専門とする建築家に話をするより,まったく関係ない中高生にいかに建築をわかりやすく楽しく伝えられるかという点に興味を覚えてお引き受けさせて頂きました.
建築というと少し難しい印象があり,もちろん実際我々のやっている実務は専門的な側面もありますが,もっと大切なのは相手と向き合って対話をするということ,高いコミュニケーション能力が試されるということがあります.一方的に壇上から話をするのではなく,一緒に双方向で対話をしながら進めるような授業が出来たらと思っています.
授業は今のところ1回限りで,土曜日の比較的自由にできるコマを用意して頂きました.テーマは教頭先生や清水さんらと話し合った結果「町の中のデザイン」ということになりました.
町の中のデザイン?といっても何も都市計画や景観について話をするわけではありません.またもしかしたら建築やデザイン自体の話でもないかもしれません.それ以前のお話.町中を歩いていて,ふとした気づきからデザインははじまるということをお話ししたいと思います.
たとえば以下の写真.この人何してる人かわかりますか?

あるいはこんな街中の日常の中にもデザインのヒントは隠されています.
わかりますか?

ご興味ある方は,一般の方でも以下にて申し込んで頂ければ受講も可能だそうです.
〇富士見丘中学高等学校・サタデイプログラム特別講座
『町の中のデザイン』
9月14日(土) 10:30~12:15
詳しくは以下より.学校は笹塚駅より徒歩5分程度のところにあります.
http://www.fujimigaoka.ac.jp/newslist/education/2013/20130814_3318.php
◇
ところで以下は,担当の大島教頭先生が授業の予告編ということでムービーを作ってくださったものです.紹介されている住宅は今週末にオープンハウスをする予定の「隅切りの家」で,事前にいらしてインタビューと撮影をして下さったのですが,この編集がとても素晴らしいので,是非皆さんに見て頂きたいと思います.ちょっと「プロジェクトX」を彷彿とした作りで,ナレーションもこの大島先生が付けてくれたものです.
☆ 隅切りの家・紹介動画
YOUTUBEより
http://youtu.be/8h8KdzIH2nY

13. 07 / 07
JIA「伊東豊雄氏x山本理顕氏」の対談より
author
sekimoto
category
> 建築・デザイン
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昨日はJIAセミナーで「伊東豊雄氏x山本理顕氏」の対談に行ってきました.とても面白かったので,一部内容を抜粋して紹介したいと思います.(私の記憶で咀嚼して書いているので,その通りの発言ではありません)
伊東豊雄氏
「僕は海外留学なんてしなくて良かったと思ってる.英語がうまくなっちゃったら作る建築も変わってただろうね.内と外をあいまいにする建築は日本人じゃないとできない.海外で講演すると通訳の人がうまく訳してくれるんだけど,あいまいな表現で言ったことをすぐ断定口調に変換しちゃって,合ってるんだけど違うみたいな.それにいつも違和感を感じる」
「うちに入ってくるスタッフでも,建築は基礎の上に建ってるってことすらおぼつかないのが多くて,そのくせコミュニティの話とかになると蕩々と語り出すんだよ.それにもすごく違和感がある.大学は2年生くらいで一度実際に家を建てさせる経験とかさせるべき.でも大学制度に物申すみたいなことは時間の無駄だから,自分で建築塾を作ることにした」
「みんなの家とか,うちの担当スタッフは「こんな楽しい仕事はない」て言うわけ.現場行くのも楽しみで,出来上がってからあんなに感謝されたこともこれまでなかった」
「ケンカするより相手の言うことを呑み込んだほうが面白いものができる可能性があると思う.建築家は迎合が苦手だから,上から目線で我が道を行くみたいになるけど,それじゃあ社会からどんどん取り残されて,しまいに仕事もなくなって,それでも建築家はそれでもいいんだっていう.でもそれは違うでしょと.もっと社会に綱渡りみたいに飛び込んで行かなかったら建築家はだめなんだと思う」
山本理顕氏
「群馬の町役場ではコンペで決まったのに町長が変わっちゃって,この案じゃダメだっていう.だから会いに行って提案の趣旨を説明したんだけど「うるせえ」って.それでクビになっちゃった.監理もできなくなっちゃったんだよ.設計者が上に物申すなんて想定になかったんだろうね.ところが韓国で同じくメディアが騒いで,デザインが改変されそうになって市長に手紙を書いたんだよね.そうしたら感激したって返事が来て.山本さんの案で行くって言ってくれたんだよ.なんなんだろう,この違いはって思った」
「何に対して我々は仕事しているんだろうってことをいつも考える.普通は発注者なんだろうけどそうじゃない.それは最終的に施設を使う利用者や入居者,もっと言うと地域社会に対してだと思ってる.だからそう思ってない発注者(行政)とはいつもぶつかることになる」
「建築士の定期講習ってあるじゃない.あれ行ったんだよね.そうしたらモニターに知らないオヤジが出てきてさぁ,教科書開いて説明するわけ.ここ試験に出ますとか言って.あんな屈辱的なことないよね.おまえに建築教わりたくないよって.誰だよおまえって」
「海外だとディプロマと言って,大学卒業したら建築家の資格が与えられるわけでしょう.つまり教育側にその権限があるんだよね.日本にはないんだよ.国の枠組みの中に建築士制度があって,それにあわせて大学のカリキュラムが組まれてる.この授業を何コマやらないと建築士試験が受けられないみたいなことになってる」
◇
目の前の社会的矛盾に,正面から断固として異を唱えてゆくのが山本理顕氏だとすると,そんなの無駄とばかりにひらりとかわす,あるいは一緒に泥にまみれるのが伊東豊雄氏.その噛み合わない対話が両者の違いを浮き彫りにしていた.これまで私もよくわかっていなかった二人の対極的な仕事のスタンスと,根底で共有されているビジョンがとても印象的でした.
伊東豊雄氏
「僕は海外留学なんてしなくて良かったと思ってる.英語がうまくなっちゃったら作る建築も変わってただろうね.内と外をあいまいにする建築は日本人じゃないとできない.海外で講演すると通訳の人がうまく訳してくれるんだけど,あいまいな表現で言ったことをすぐ断定口調に変換しちゃって,合ってるんだけど違うみたいな.それにいつも違和感を感じる」
「うちに入ってくるスタッフでも,建築は基礎の上に建ってるってことすらおぼつかないのが多くて,そのくせコミュニティの話とかになると蕩々と語り出すんだよ.それにもすごく違和感がある.大学は2年生くらいで一度実際に家を建てさせる経験とかさせるべき.でも大学制度に物申すみたいなことは時間の無駄だから,自分で建築塾を作ることにした」
「みんなの家とか,うちの担当スタッフは「こんな楽しい仕事はない」て言うわけ.現場行くのも楽しみで,出来上がってからあんなに感謝されたこともこれまでなかった」
「ケンカするより相手の言うことを呑み込んだほうが面白いものができる可能性があると思う.建築家は迎合が苦手だから,上から目線で我が道を行くみたいになるけど,それじゃあ社会からどんどん取り残されて,しまいに仕事もなくなって,それでも建築家はそれでもいいんだっていう.でもそれは違うでしょと.もっと社会に綱渡りみたいに飛び込んで行かなかったら建築家はだめなんだと思う」
山本理顕氏
「群馬の町役場ではコンペで決まったのに町長が変わっちゃって,この案じゃダメだっていう.だから会いに行って提案の趣旨を説明したんだけど「うるせえ」って.それでクビになっちゃった.監理もできなくなっちゃったんだよ.設計者が上に物申すなんて想定になかったんだろうね.ところが韓国で同じくメディアが騒いで,デザインが改変されそうになって市長に手紙を書いたんだよね.そうしたら感激したって返事が来て.山本さんの案で行くって言ってくれたんだよ.なんなんだろう,この違いはって思った」
「何に対して我々は仕事しているんだろうってことをいつも考える.普通は発注者なんだろうけどそうじゃない.それは最終的に施設を使う利用者や入居者,もっと言うと地域社会に対してだと思ってる.だからそう思ってない発注者(行政)とはいつもぶつかることになる」
「建築士の定期講習ってあるじゃない.あれ行ったんだよね.そうしたらモニターに知らないオヤジが出てきてさぁ,教科書開いて説明するわけ.ここ試験に出ますとか言って.あんな屈辱的なことないよね.おまえに建築教わりたくないよって.誰だよおまえって」
「海外だとディプロマと言って,大学卒業したら建築家の資格が与えられるわけでしょう.つまり教育側にその権限があるんだよね.日本にはないんだよ.国の枠組みの中に建築士制度があって,それにあわせて大学のカリキュラムが組まれてる.この授業を何コマやらないと建築士試験が受けられないみたいなことになってる」
◇
目の前の社会的矛盾に,正面から断固として異を唱えてゆくのが山本理顕氏だとすると,そんなの無駄とばかりにひらりとかわす,あるいは一緒に泥にまみれるのが伊東豊雄氏.その噛み合わない対話が両者の違いを浮き彫りにしていた.これまで私もよくわかっていなかった二人の対極的な仕事のスタンスと,根底で共有されているビジョンがとても印象的でした.
建築は愛である,なんて書くと頭がおかしいと思われるだろうか.
でもそう思う.産みの親が,我が子が可愛くなかったら誰が可愛がってくれるんだろう.
今日大学では課題の中間提出があった.課題は住宅.GWの最後(しかも今日はまだ祝日)にわざわざ提出をぶつけなくても,と思わなくもないけれどそれはそれ.きっとみんなGWは返上で,前日は徹夜かそれに近い状態だったんだろうと思う.
完成度なんて求めてないし,中間だからまだまだ挽回もできる.プレゼンも未熟だし,自信も確信も持てないのも仕方がない.でも自分の作品をおとしめることだけはだめだ.作品がかわいそうじゃないか.
僕が学生との講評で唯一熱くなる瞬間があったとしたら,図面の未熟さではなく,模型の稚拙さでもなく,愛情のなさだ.世界を敵に回しても,本心ではどこか気に入っていないところがあったとしても,自分の作品は全力で肯定して欲しい.この案は素晴らしいんだと言い切って欲しい.ダメなところが9割でも,残り1割の良さを必死にアピールして欲しいと思う.
僕は自分の担当する学生達が大好きだ.彼らの良さを理解してあげたいといつも思う.今日は中間だし,9割のダメには目をつぶっても1割は全力で褒めてあげようと思っていたのだけれど,あまりに「自分の作品はダメです」とネガティブアピールする学生が多すぎて,正直心が折れてしまった.
みんな自分の作品が可愛くないの?愛情がないのなら,愛情を注げる案に今からでも変更したほうがいい.誰からも愛されず,望まれないまま世の中に産み落とされる建築なんて,たとえそれが課題であったとしてもあまりに悲しすぎる.
でもそう思う.産みの親が,我が子が可愛くなかったら誰が可愛がってくれるんだろう.
今日大学では課題の中間提出があった.課題は住宅.GWの最後(しかも今日はまだ祝日)にわざわざ提出をぶつけなくても,と思わなくもないけれどそれはそれ.きっとみんなGWは返上で,前日は徹夜かそれに近い状態だったんだろうと思う.
完成度なんて求めてないし,中間だからまだまだ挽回もできる.プレゼンも未熟だし,自信も確信も持てないのも仕方がない.でも自分の作品をおとしめることだけはだめだ.作品がかわいそうじゃないか.
僕が学生との講評で唯一熱くなる瞬間があったとしたら,図面の未熟さではなく,模型の稚拙さでもなく,愛情のなさだ.世界を敵に回しても,本心ではどこか気に入っていないところがあったとしても,自分の作品は全力で肯定して欲しい.この案は素晴らしいんだと言い切って欲しい.ダメなところが9割でも,残り1割の良さを必死にアピールして欲しいと思う.
僕は自分の担当する学生達が大好きだ.彼らの良さを理解してあげたいといつも思う.今日は中間だし,9割のダメには目をつぶっても1割は全力で褒めてあげようと思っていたのだけれど,あまりに「自分の作品はダメです」とネガティブアピールする学生が多すぎて,正直心が折れてしまった.
みんな自分の作品が可愛くないの?愛情がないのなら,愛情を注げる案に今からでも変更したほうがいい.誰からも愛されず,望まれないまま世の中に産み落とされる建築なんて,たとえそれが課題であったとしてもあまりに悲しすぎる.

現在軽井沢で進めている某プロジェクトで,3月にお施主さんとうちのスタッフで,”合宿”と称して泊まり込みで家のことや家が建つ場所性のことを考える機会を設けて頂いたことがありました.暦をさかのぼると,つい先月のことなのですが,その後も実に濃いやりとりが続いていることもあり,もう3年くらい前の出来事のように感じてしまいます.
その際に浅間縄文ミュージアムというところで土器の体験制作ができるということで,みんなでワークショップのように参加させて頂きました.実際に土をこね,完成した家のどこかに置くことをそれぞれがイメージして作り上げました.
私は一応”縄文”を意識していますが,その他のスタッフはずいぶんと自由なテーマで自己表現したようで,それぞれの個性が色濃く表れる結果となりました.土をこねていると不思議なもので雑念が消え,黙々と集中してしまいます.
さてこれは最終的にはどこに置かれますかね.
というか,それまでどこに置いておこう!?

とうとう手に入れました.これ何だと思います?
スタッフにも同様の質問をすると,皆首をかしげるばかり.かろうじて「取手?」と返した者も,「何の取手だ?」の質問には答えられません.実に嘆かわしい.まあ無理もないのですが.
でもフィンランドにアールトの建築を見に行った人ならすぐにわかります.あるいはヘルシンキ最大の書店,アカデミア書店(中のカフェはかもめ食堂の舞台にもなりましたね)に立ち寄った人なら絶対に見たことがあるはず.いや見たことないとは言わせません!
これはフィンランドの国民的英雄,そして世界的建築家アルヴァ・アールトがデザインした,世界で最も有名なハンドルのひとつなのです.材はすべて無垢の真鍮でできています.ずっしりと重い!このカーブ,このねじれ,そしてこの太さ.すべてが計算され尽くしています.スタッキングして,上下二連使いすることも可能.アールトの美学がここには詰まっているのです!
このハンドル,私が所属する北欧つながりの協会理事にも所有されている方がいらっしゃいます.その方曰く「これを持っている人はねぇ,日本には二人くらいしかいないんだよ」.申し訳ありませんが,三人目としてご登録願います.
これは売りものではありません.アールトの建築に実際に取り付いていたものが,改修などの折に放出され,どのようなルートかは申し上げられませんが,巡り巡って私の元に辿り着いたというわけです.実のところ,留学で滞在中から現地で探し求め続けていた一品でしたので,ついにこの手中に納め感慨無量でございます.
さてこのハンドル,早速スタッフに見せびらかしていたら,開口一番「それ何に使うんですか?」との質問.ハァ?私にはその発想自体が斬新でございます.飾っておくのですよ!家宝として.あるいは建築に行き詰まったら握ってみるも良し.多少はご利益があるかもしれません.
いくらしたんですか?の質問には,いくらだったと思う?と逆質問で返すと,彼らののたまった金額と言ったら(ナメンナ,コラ)の領域でありました.そんな安いわけあるか!奥さんに話したら,開口一番「で,どこにつけるの?」 どこにって・・.皆そろいも揃って発想が斬新でございます.
まぁきっと立場が変わると,鉄道マニアが「これは京浜線の駆動部の一部でねぇ」と嬉しそうにナデナデしながら鉄片を語るのと同じ事なのでしょう.まぁそれもよしです.そこには何があるか.ロマンがあるのです.
[caption id="attachment_6934" align="alignnone" width="560" caption="作品集の表紙を語るハンドル.二連使いの写真も"]

