13. 12 / 10
新国立競技場のこと
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sekimoto
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> 建築・デザイン
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新国立競技場議論に,今ひとつ乗り切れていない自分がいました.
確かにでかすぎるとは思います.けれども,そうだそうだ!と一緒に拳を振り上げられなかったのは,じゃあどうするんだ?という問いに自分に答えが用意できなかったことがありました.
何より知りたかったのは,一切コメントを出さない審査委員であった建築家たちの個別の考えです.私は心のどこかで,きっと審査委員のひとりである建築家の内藤廣さんは絶対ザハ案に反対したに違いないと思っていました.あるいはそうであってほしいと願っていました.
それらすべてに反論をすべく,ついに内藤さんが重い口を開きました.
http://www.naitoaa.co.jp/090701/top/forarchitects.pdf
誤解を恐れずに言いますが,胸がすくようでした.何より救われたのは,内藤さんが全力でザハ案を擁護していたことです.ザハは望まれずに産まれた子ではなかったのだということ.そして,一審から極刑やむなしの判決が覆ることのなかった被告に対して,世論にすべて背を向け,最高裁で無罪であると言い放った気骨ある弁護士の登場には拍手を送りたいと思います.(例えとして適当かわかりませんが)
ここ数ヶ月の私のモヤモヤに対して,その勇気ある内藤節が少し輪郭を与えてくれたような気がします.もちろんまだ議論は続きます.けれども魔女裁判にならなくて良かったというどこか安堵の気持ちです.
確かにでかすぎるとは思います.けれども,そうだそうだ!と一緒に拳を振り上げられなかったのは,じゃあどうするんだ?という問いに自分に答えが用意できなかったことがありました.
何より知りたかったのは,一切コメントを出さない審査委員であった建築家たちの個別の考えです.私は心のどこかで,きっと審査委員のひとりである建築家の内藤廣さんは絶対ザハ案に反対したに違いないと思っていました.あるいはそうであってほしいと願っていました.
それらすべてに反論をすべく,ついに内藤さんが重い口を開きました.
http://www.naitoaa.co.jp/090701/top/forarchitects.pdf
誤解を恐れずに言いますが,胸がすくようでした.何より救われたのは,内藤さんが全力でザハ案を擁護していたことです.ザハは望まれずに産まれた子ではなかったのだということ.そして,一審から極刑やむなしの判決が覆ることのなかった被告に対して,世論にすべて背を向け,最高裁で無罪であると言い放った気骨ある弁護士の登場には拍手を送りたいと思います.(例えとして適当かわかりませんが)
ここ数ヶ月の私のモヤモヤに対して,その勇気ある内藤節が少し輪郭を与えてくれたような気がします.もちろんまだ議論は続きます.けれども魔女裁判にならなくて良かったというどこか安堵の気持ちです.
13. 11 / 30
TAPE TOKYO展
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sekimoto
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> 建築・デザイン
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今日,なんとはなしに青山スパイラルに立ち寄ると,なにやら異様な光景が.
TAPE TOKYO展
http://www.spiral.co.jp/e_schedule/detail_848.html
これすべてセロテープでできています.何かに似ている・・そう蜘蛛の巣!蜘蛛のなかでも地蜘蛛の巣みたいですね.NUMENという海外のデザイン集団の作品です.なんと中にも入れます.これがまた・・衝撃的な空間体験でした.
ご興味ある方は是非.ただし12月4日まで.残りわずかです.急いで!
13. 10 / 30
思考の森
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sekimoto
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> 建築・デザイン
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提出日が近くなると駆け込み寺のように学生がやってくる.昨日で3日連続.
彼ら/彼女たちのプランニングの悩みを聞きながらエスキースをしてあげると,するすると筆が動いてあっというまに形が浮かび上がる.
ひとの悩みというのは皮肉なもので,聞き手からしてみると何を悩んでいるのかわからないくらい単純で,こうすればいいのにと無責任にも簡単に答えに辿り着いてしまう.
ところが自分の悩みとなると話は別.学生に僕も仕事のプランニングでは悩むんだよ,という話をすると信じられないという.そりゃそうだ.建築なんてそんな簡単に解けるもんじゃないよ!他人の問題は簡単だけど,自分の問題になったら一大事.とたんに周りが見えなくなってしまう.
そしていつも新しいプランニングに着手するたびに思う.「今回のが一番難しいかも」
悶々と思考の森に迷い込む.担当スタッフの机の上にはスタディの残骸が積み上がって行く.でもきっと今回もできた時に思うんだろうな.
「今回のが一番きれいに解けたかも」
彼ら/彼女たちのプランニングの悩みを聞きながらエスキースをしてあげると,するすると筆が動いてあっというまに形が浮かび上がる.
ひとの悩みというのは皮肉なもので,聞き手からしてみると何を悩んでいるのかわからないくらい単純で,こうすればいいのにと無責任にも簡単に答えに辿り着いてしまう.
ところが自分の悩みとなると話は別.学生に僕も仕事のプランニングでは悩むんだよ,という話をすると信じられないという.そりゃそうだ.建築なんてそんな簡単に解けるもんじゃないよ!他人の問題は簡単だけど,自分の問題になったら一大事.とたんに周りが見えなくなってしまう.
そしていつも新しいプランニングに着手するたびに思う.「今回のが一番難しいかも」
悶々と思考の森に迷い込む.担当スタッフの机の上にはスタディの残骸が積み上がって行く.でもきっと今回もできた時に思うんだろうな.
「今回のが一番きれいに解けたかも」
学生を指導していていつも思う.もっと普通にやればいいのに.
誤解のないように言うと,普通じゃないのをできる子はどんどんやればいいと思う.でも普通じゃダメだなんて誰が決めたんだろう.
彼らは「普通だ」と言われることを何よりも怖れている.その瞬間に自分の存在価値を否定されたような気持ちになるのだろう.その気持ちはとてもよくわかる.
でも普通にやるということと,考えを放棄するということは違う.まったく違う.
住宅でも美術館でもなんでもそうだけど,どんな建物にも利用者がいて,建てられる目的というものがある.少なくとも建築は自分のお金ではなく,クライアントのお金を使って建てられるものだ.だから設計にあたっては,その敷地と向き合い,その目的や利用者の幸せを一番に考えなくてはならない.
じゃあ”普通に”どこにであるような退屈なハコにすれば良いのかといえばもちろん違う.何度も言うように,その目的や利用者の幸せを一番に考えたら,絶対に単純なただのハコにはならないはずだ.丁寧に丁寧に,愛情をこめて設計をしていったら,教科書通りの作り方であっても結果的に”普通”にはならない.なぜならプロセスが違うし,なにより自分は他人とは違うのだから.
なのにどうして現実離れしたプランをいつまでも捨てきれないのか.それは自己満足を得たいからだ.先生から褒められたかったり,周りからすごいと思われたいからだ.気持ちはわかるけれど,それってエゴだと思う.エゴからはじまった建築は自分を苦しめる.どうしてそれが成立するのかを他者の視点で語れないからだ.それは愛情のない建築だと思う.
学生に言いたい.もしプランがまとまらなくて延々と悩んでいるのだったら,エゴを捨てて普通にやりなさい,と.敷地の中にはなにもないよ.敷地の外に目を向けてみなさい.自分ではなく,利用者やその前を通る人たちのことを考えてみなさい.そうしたら普通に素晴らしい建築になるよ.
誤解のないように言うと,普通じゃないのをできる子はどんどんやればいいと思う.でも普通じゃダメだなんて誰が決めたんだろう.
彼らは「普通だ」と言われることを何よりも怖れている.その瞬間に自分の存在価値を否定されたような気持ちになるのだろう.その気持ちはとてもよくわかる.
でも普通にやるということと,考えを放棄するということは違う.まったく違う.
住宅でも美術館でもなんでもそうだけど,どんな建物にも利用者がいて,建てられる目的というものがある.少なくとも建築は自分のお金ではなく,クライアントのお金を使って建てられるものだ.だから設計にあたっては,その敷地と向き合い,その目的や利用者の幸せを一番に考えなくてはならない.
じゃあ”普通に”どこにであるような退屈なハコにすれば良いのかといえばもちろん違う.何度も言うように,その目的や利用者の幸せを一番に考えたら,絶対に単純なただのハコにはならないはずだ.丁寧に丁寧に,愛情をこめて設計をしていったら,教科書通りの作り方であっても結果的に”普通”にはならない.なぜならプロセスが違うし,なにより自分は他人とは違うのだから.
なのにどうして現実離れしたプランをいつまでも捨てきれないのか.それは自己満足を得たいからだ.先生から褒められたかったり,周りからすごいと思われたいからだ.気持ちはわかるけれど,それってエゴだと思う.エゴからはじまった建築は自分を苦しめる.どうしてそれが成立するのかを他者の視点で語れないからだ.それは愛情のない建築だと思う.
学生に言いたい.もしプランがまとまらなくて延々と悩んでいるのだったら,エゴを捨てて普通にやりなさい,と.敷地の中にはなにもないよ.敷地の外に目を向けてみなさい.自分ではなく,利用者やその前を通る人たちのことを考えてみなさい.そうしたら普通に素晴らしい建築になるよ.
先日とある小説を読み終わりました.
いわゆるアトリエの建築設計事務所を舞台にしたお話です.
「火山のふもとで」(松家仁之・新潮社)
世に建築家を主人公にした小説やドラマはあまたありますが,どれもこっちが恥ずかしくなるような設定が多くて,中にはそういう人もいるんでしょうけど,おおよそ事実とかけ離れていることも多く,そういうものを目にするたび社会の建築家に対する誤解や偏見(ときに悪意)が反映されているようで微妙にへこみます.
この小説は実にリアルです.こんなに誠実に,そしてさわやかに建築に対する愛情や哲学を散りばめた小説ははじめてです.実際私が読んでも違和感を感じないどころか,そのまなざしには共感するところも多く,登場する”先生”の言葉には尊敬の念すら覚えます.
『建築というのは,トータルの計画が大事で細部はあとでいい,というものではけっしてないんだよ.(中略)細部と全体は同時に成り立ってゆくものなんだ』
『(胎児の)指はびっくりするくらい早い段階でできあがる.(中略)建築の細部というのは胎児の指と同じで,主従関係の従ではないんだよ.指は胎児が世界に触れる先端で,指は世界を知り,指が世界をつくる.椅子は指のようなものなんだ.椅子をデザインしているうちに,空間の全体が見えてくることだってある』
『設計をするとき,火事になりにくい家,地震で崩れ落ちない家をできるかぎり心がける.それは建築家の大事な仕事だ.でもかりにだよ,東京全体が焼け野原になるような大震災があったとして,自分の家だけが燃えず崩れずでいいのか.(中略)防災をあまりに徹底した家というのは,これは要塞であって,住宅ではない.居心地がいいかどうか,はなはだ怪しい.要塞に住むなんて,つねに災厄を考えながら暮らすようなものだからね』
『建築は芸術ではない.現実そのものなんだよ』
◇
主人公である建築家・村井俊輔のモデルとなっているのは,建築をかじっている人であればその思想,断片的なエピソードから,故・吉村順三氏であることは容易に察しがつきます.
そして村井事務所の家具担当で,ちょっと皮肉っぽい「内田さん」は誰がモデルになっているかも,また村井のライバルで国家的建築家・船山が誰を差しているのかも想像がつくことでしょう.(実際,作者の松家さんは”内田さん”に自宅を設計してもらったクライアントさんでもあります)
また村井の北欧建築に対する造詣の深さや,アスプルンドやアールトの建築を語る場面も多く出てきます.私も知らなかった事実も多く書かれていて勉強になりました.
ちなみに,ストーリーはそんなコテコテの建築小説ということではありません.そこがいいところです.ベースは設計事務所を舞台にスタッフの目から描いたラブロマンスであり,夏の間は軽井沢にある「夏の家」に事務所の拠点を移す村井事務所の,国立現代図書館コンペを巡ってのスタッフ相互の心理や人間関係などを丁寧に描いた作品です.
建築が好きな方には特にお勧めの小説です.もちろん建築に無知な人でも十分に引き込まれると思いますので,是非秋の夜長に読んでみてください.
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