先日とある小説を読み終わりました.
いわゆるアトリエの建築設計事務所を舞台にしたお話です.
「火山のふもとで」(松家仁之・新潮社)

世に建築家を主人公にした小説やドラマはあまたありますが,どれもこっちが恥ずかしくなるような設定が多くて,中にはそういう人もいるんでしょうけど,おおよそ事実とかけ離れていることも多く,そういうものを目にするたび社会の建築家に対する誤解や偏見(ときに悪意)が反映されているようで微妙にへこみます.

この小説は実にリアルです.こんなに誠実に,そしてさわやかに建築に対する愛情や哲学を散りばめた小説ははじめてです.実際私が読んでも違和感を感じないどころか,そのまなざしには共感するところも多く,登場する”先生”の言葉には尊敬の念すら覚えます.

『建築というのは,トータルの計画が大事で細部はあとでいい,というものではけっしてないんだよ.(中略)細部と全体は同時に成り立ってゆくものなんだ』

『(胎児の)指はびっくりするくらい早い段階でできあがる.(中略)建築の細部というのは胎児の指と同じで,主従関係の従ではないんだよ.指は胎児が世界に触れる先端で,指は世界を知り,指が世界をつくる.椅子は指のようなものなんだ.椅子をデザインしているうちに,空間の全体が見えてくることだってある』

『設計をするとき,火事になりにくい家,地震で崩れ落ちない家をできるかぎり心がける.それは建築家の大事な仕事だ.でもかりにだよ,東京全体が焼け野原になるような大震災があったとして,自分の家だけが燃えず崩れずでいいのか.(中略)防災をあまりに徹底した家というのは,これは要塞であって,住宅ではない.居心地がいいかどうか,はなはだ怪しい.要塞に住むなんて,つねに災厄を考えながら暮らすようなものだからね』

『建築は芸術ではない.現実そのものなんだよ』


主人公である建築家・村井俊輔のモデルとなっているのは,建築をかじっている人であればその思想,断片的なエピソードから,故・吉村順三氏であることは容易に察しがつきます.

そして村井事務所の家具担当で,ちょっと皮肉っぽい「内田さん」は誰がモデルになっているかも,また村井のライバルで国家的建築家・船山が誰を差しているのかも想像がつくことでしょう.(実際,作者の松家さんは”内田さん”に自宅を設計してもらったクライアントさんでもあります)

また村井の北欧建築に対する造詣の深さや,アスプルンドやアールトの建築を語る場面も多く出てきます.私も知らなかった事実も多く書かれていて勉強になりました.

ちなみに,ストーリーはそんなコテコテの建築小説ということではありません.そこがいいところです.ベースは設計事務所を舞台にスタッフの目から描いたラブロマンスであり,夏の間は軽井沢にある「夏の家」に事務所の拠点を移す村井事務所の,国立現代図書館コンペを巡ってのスタッフ相互の心理や人間関係などを丁寧に描いた作品です.

建築が好きな方には特にお勧めの小説です.もちろん建築に無知な人でも十分に引き込まれると思いますので,是非秋の夜長に読んでみてください.