昨日はJIAセミナーで「伊東豊雄氏x山本理顕氏」の対談に行ってきました.とても面白かったので,一部内容を抜粋して紹介したいと思います.(私の記憶で咀嚼して書いているので,その通りの発言ではありません)

伊東豊雄氏

「僕は海外留学なんてしなくて良かったと思ってる.英語がうまくなっちゃったら作る建築も変わってただろうね.内と外をあいまいにする建築は日本人じゃないとできない.海外で講演すると通訳の人がうまく訳してくれるんだけど,あいまいな表現で言ったことをすぐ断定口調に変換しちゃって,合ってるんだけど違うみたいな.それにいつも違和感を感じる」

「うちに入ってくるスタッフでも,建築は基礎の上に建ってるってことすらおぼつかないのが多くて,そのくせコミュニティの話とかになると蕩々と語り出すんだよ.それにもすごく違和感がある.大学は2年生くらいで一度実際に家を建てさせる経験とかさせるべき.でも大学制度に物申すみたいなことは時間の無駄だから,自分で建築塾を作ることにした」

「みんなの家とか,うちの担当スタッフは「こんな楽しい仕事はない」て言うわけ.現場行くのも楽しみで,出来上がってからあんなに感謝されたこともこれまでなかった」

「ケンカするより相手の言うことを呑み込んだほうが面白いものができる可能性があると思う.建築家は迎合が苦手だから,上から目線で我が道を行くみたいになるけど,それじゃあ社会からどんどん取り残されて,しまいに仕事もなくなって,それでも建築家はそれでもいいんだっていう.でもそれは違うでしょと.もっと社会に綱渡りみたいに飛び込んで行かなかったら建築家はだめなんだと思う」

山本理顕氏

「群馬の町役場ではコンペで決まったのに町長が変わっちゃって,この案じゃダメだっていう.だから会いに行って提案の趣旨を説明したんだけど「うるせえ」って.それでクビになっちゃった.監理もできなくなっちゃったんだよ.設計者が上に物申すなんて想定になかったんだろうね.ところが韓国で同じくメディアが騒いで,デザインが改変されそうになって市長に手紙を書いたんだよね.そうしたら感激したって返事が来て.山本さんの案で行くって言ってくれたんだよ.なんなんだろう,この違いはって思った」

「何に対して我々は仕事しているんだろうってことをいつも考える.普通は発注者なんだろうけどそうじゃない.それは最終的に施設を使う利用者や入居者,もっと言うと地域社会に対してだと思ってる.だからそう思ってない発注者(行政)とはいつもぶつかることになる」

「建築士の定期講習ってあるじゃない.あれ行ったんだよね.そうしたらモニターに知らないオヤジが出てきてさぁ,教科書開いて説明するわけ.ここ試験に出ますとか言って.あんな屈辱的なことないよね.おまえに建築教わりたくないよって.誰だよおまえって」

「海外だとディプロマと言って,大学卒業したら建築家の資格が与えられるわけでしょう.つまり教育側にその権限があるんだよね.日本にはないんだよ.国の枠組みの中に建築士制度があって,それにあわせて大学のカリキュラムが組まれてる.この授業を何コマやらないと建築士試験が受けられないみたいなことになってる」


目の前の社会的矛盾に,正面から断固として異を唱えてゆくのが山本理顕氏だとすると,そんなの無駄とばかりにひらりとかわす,あるいは一緒に泥にまみれるのが伊東豊雄氏.その噛み合わない対話が両者の違いを浮き彫りにしていた.これまで私もよくわかっていなかった二人の対極的な仕事のスタンスと,根底で共有されているビジョンがとても印象的でした.