
車を車検に出した。直前にちょっとしたトラブルもあったので、その修理もお願いしたら思いのほかの見積りが出てきてびっくり。覚悟はしていたものの。
ディーラーからは、場合によったら直さないで買い換えるか?とも訊かれたのだけれど、とても愛着を持って乗っている車なので(しかも限定車のため、手放すともう入手出来ない)直さないという選択肢はない。しかし痛いなあ…。
明細に目を走らせるも、意味のわからないパーツの名前が並んでおり、それぞれの単価は数千円から数万円程度。とりたてて高い!と思えるものはないものの、これが集まると結構な金額になる。しかも厄介なのは、それぞれのパーツの交換が本当に必要なのか(念のためなのか、もう限界なのか)など判断が付かない。
そして何より、それが適正価格なのか。こんなとき、身近に「これってどうなのよ?」と聞ける詳しい人がいたらと切に思う。
これって家づくりも同じかもと思った。
これが家なら、その見積りは数千万規模にもなる。高くはなると覚悟を決めていても、いざその金額を目の当たりにしたら卒倒しそうになるだろう。でもその人にとって「建てない」という選択肢はないのだ。そして、私と同じように「家なんて雨漏りしなければ何でも良い」わけではない人が我々に頼んでいる。
私は建築の専門家なので、建築の見積りなら目を走らせただけで、適正価格はだいたいわかる。そしてそれが本当に必要な工事かどうかも。きっと我々と家づくりをする建て主さんのメリットはここにあるのだろう。
結局車はディーラーを信じてお任せするしかない。他の修理店にも持ち込んで、時間をかけて比較見積りをすれば良いのかもしれないが、あいにく私にはそこまでの気力や時間はない。車がない期間がこれ以上長引くのも困る。きっと家づくりもそういう人は多いに違いない。結局素人にはよくわからないのだ。

息子のどこかで手に入れたらしいウォークマン。とても懐かしい。その昔、はじめてヘッドホンで音楽を聴いた時の衝撃を思い出す。
カセットテープにFMからエアチェックしたり、友達から借りた音源をダビングした。レンタルのレコードやCDには必ず時間が書いてあって、それが収まるカセットテープを買って帰った。
時代はその後MDとなり、そしてiPodになった。レンタルすらもなくなり、音楽はサブスクリプションの時代になった。
自宅にあったテープは、引越しの際に大量に捨てた。もう二度と聴くことはないだろうと思ったから。
なぜ今テープで、Bluetoothを使わないヘッドホンで聴くのか?そして、なぜテープを捨てたのかと責められる。録音できる機械がないので、音の入ったカセットを買うらしい。
それって新しいのか?
お父さんはよくわからない。

今日は都内ではじまった家づくりの打合せ。このご家族は、ご主人が英国に単身赴任中ということで、この日は奥様は事務所に、ご主人は海外からZOOM参加というリアル×リモート併用打合せとなりました。
思えば1年前はZOOMをなんとか使いこなそうと試行錯誤の日々でした。当時ぎこちなくオンライン面談や打合せをした建て主さんの案件も続々と着工。その後あらゆるオンラインの経験を経て、今では普通に電話をかけるくらいの気軽さで、日々いろんな人たちとつながっています。
もはやコロナ禍だからということとは関係なく、オンラインツールは普通に日常生活や業務の中に浸透しました。交通機関や往復の移動時間も使うことなく、一瞬で遠隔地の人たちと資料を共有し、顔を見ながらつながることができる時代。
コロナ前には本当に考えられなかったなと思います。
歳を取るとどんどん楽になる、という話を最近よくする。
自分史上、たぶん一番楽じゃなかったのは20代。大変さでは、たぶんあれがピークだったんじゃなかろうか。といっても、徹夜が続いていたとか休みがなかったとか、そういう大変さではなかった。日々、悩みと不安しかなかった。あれはきっと、「受け身」がうまく取れなかったからなのだろうと今になって思う。
柔道などでは、投げられた際に怪我をしない体勢というものがある。それが「受け身」だ。これは頭で考えるものではなく、投げられた際に反射的に体が動くものでなくては意味がない。野球で言うところの「素振り」みたいなものかもしれない。
相手に投げられるという前提で心構えが出来ていると、一瞬の衝撃はあっても怪我はしなくなる。そのうちに頭で考えなくても、反射的にどうすれば良いかわかるようになる。体が自然に動くようになる。
今の私は、たぶん20代のあの頃よりも10倍くらい忙しい。抱えている案件も多いし責任も背負う立場だ。それなのに私はどんどん楽になってゆく。優秀なスタッフのおかげもあるけれど、私が「受け身」を取れるようになったことも大きいと思う。
今私は、自分にとって一番違和感のない選択肢を、瞬間的に、そして直感的に選ぶことができる。そしてそれを決定できる権限もある。ぶれない、悩まないという人生はなんと楽であることか。将来こんな境地が待っていようなんて夢にも思わなかった。
40を不惑の歳という。昔の人はすごいな。40の頃なんてまだまだだった。私は50にして、ようやく不惑の歳を迎えようとしている。
自分史上、たぶん一番楽じゃなかったのは20代。大変さでは、たぶんあれがピークだったんじゃなかろうか。といっても、徹夜が続いていたとか休みがなかったとか、そういう大変さではなかった。日々、悩みと不安しかなかった。あれはきっと、「受け身」がうまく取れなかったからなのだろうと今になって思う。
柔道などでは、投げられた際に怪我をしない体勢というものがある。それが「受け身」だ。これは頭で考えるものではなく、投げられた際に反射的に体が動くものでなくては意味がない。野球で言うところの「素振り」みたいなものかもしれない。
相手に投げられるという前提で心構えが出来ていると、一瞬の衝撃はあっても怪我はしなくなる。そのうちに頭で考えなくても、反射的にどうすれば良いかわかるようになる。体が自然に動くようになる。
今の私は、たぶん20代のあの頃よりも10倍くらい忙しい。抱えている案件も多いし責任も背負う立場だ。それなのに私はどんどん楽になってゆく。優秀なスタッフのおかげもあるけれど、私が「受け身」を取れるようになったことも大きいと思う。
今私は、自分にとって一番違和感のない選択肢を、瞬間的に、そして直感的に選ぶことができる。そしてそれを決定できる権限もある。ぶれない、悩まないという人生はなんと楽であることか。将来こんな境地が待っていようなんて夢にも思わなかった。
40を不惑の歳という。昔の人はすごいな。40の頃なんてまだまだだった。私は50にして、ようやく不惑の歳を迎えようとしている。

学芸出版社さんより刊行しました拙著『伝わる図面の描きかた』はその後もボチボチ売れているようで、Amazonの「住宅建築」カテゴリのトップ100位以内を、浮いたり沈んだりしながら漂っているようです笑。今後も息長く、多くの方に読んでもらえると嬉しいなあと思っています。
○ 伝わる図面の描きかた 住宅の実施設計25の心構え
>> Amazon
さて、こちらの刊行記念で3月23日にオンラインセミナーイベントを実施しましたが、こちらの内容の抜粋版について無料動画が公開されたようです。
このイベントは後半部分の、当時の現場監督(初谷さん)とのクロストークがウリだったのですが、こちらは当日参加された方のみということで(キワどい話もいろいろしましたしね笑)、前半の私の「KOTI」の住宅解説などについてご覧頂くことができます。
以下のリンクよりご覧下さい。ただし、ご視聴のためには学芸出版社さんの「まち座・まち座プラス」にご登録頂く必要があります(登録無料)。以下の説明も合わせてお読みください!
◇
■動画ページ
https://book.gakugei-pub.co.jp/movie/event-zumen-20210323-online/
■まち座・まち座プラスについて
「まち座」は、学芸出版社編集部が運営する建築・都市・デザインの情報サイトです。
注目のイベント情報、最新の国内外ニュース、専門家へのインタビュー、ブックガイドなどがご覧いただけます。
また無料会員サービス「まち座プラス」にご登録いただくと、建築・都市のプロフェッショナルによるレクチャー動画のアーカイブや、書籍の試し読みなどもお楽しみいただけます。
◇

