人には世間の期待を裏切りたくない気持ちと,裏切りたくなる気持ちがある.いつも人から見られるイメージがあると,なんとなく窮屈でそれと相反することをやりたくなってしまう.
でも人には社会的に与えられた立ち位置というのがある.この人にはこうあって欲しいという思いがあって,中途半端にそのイメージを裏切ってもらいたくないという気持ちがある.それはその人の「社会的な立ち位置」だからだろう。
例えば芸能人は、自分の立ち位置を自覚し,カメラの前ではそのイメージを1ミリもぶらさずそこに立つ.おバカタレントはおバカであり続け,二枚目俳優は二枚目であり続ける.我々はそれをお茶の間から呑気に眺めているけれど,考えてみればこれはすごいプロ意識だと思う.
自分もこの仕事を10年くらいやっていると,なんとなく自分個人や作風のイメージも固まってくる.それは見方を変えれば,時間をかけて構築されたブランドイメージであるとも言えるけれども,時にはそれを思い切り裏切ってやりたい衝動に駆られることもある.
でも結局,依頼者はそこを入口に入ってきているのだとすれば,それを裏切るべきではないのかもしれない.「嬉しい裏切り」という言葉もあるけれど,そこにはすでに「裏切ってもらいたい」という含みがある場合にのみ成立する.本当の意味で裏切られたら大抵の人は怒り出す.これは自分の経験上の話だ.
詰まるところ,プロフェッショナルとは「裏切らない人」ということかなと最近思う.
でも人には社会的に与えられた立ち位置というのがある.この人にはこうあって欲しいという思いがあって,中途半端にそのイメージを裏切ってもらいたくないという気持ちがある.それはその人の「社会的な立ち位置」だからだろう。
例えば芸能人は、自分の立ち位置を自覚し,カメラの前ではそのイメージを1ミリもぶらさずそこに立つ.おバカタレントはおバカであり続け,二枚目俳優は二枚目であり続ける.我々はそれをお茶の間から呑気に眺めているけれど,考えてみればこれはすごいプロ意識だと思う.
自分もこの仕事を10年くらいやっていると,なんとなく自分個人や作風のイメージも固まってくる.それは見方を変えれば,時間をかけて構築されたブランドイメージであるとも言えるけれども,時にはそれを思い切り裏切ってやりたい衝動に駆られることもある.
でも結局,依頼者はそこを入口に入ってきているのだとすれば,それを裏切るべきではないのかもしれない.「嬉しい裏切り」という言葉もあるけれど,そこにはすでに「裏切ってもらいたい」という含みがある場合にのみ成立する.本当の意味で裏切られたら大抵の人は怒り出す.これは自分の経験上の話だ.
詰まるところ,プロフェッショナルとは「裏切らない人」ということかなと最近思う.
また新しい計画のエスキースがはじまった.
エスキースというのは,エスキース帳にラフ・プランニングを描いてゆくプロセスのこと.一般的に敷地は大きければ大きいほど,自由度は高いが難易度は増す.自由度という変数が多すぎて,選択肢を絞ってゆけないからだ.
無数にある選択肢の中から,それを絞ってゆくのはクライアントの要望だったり,敷地の条件だったり,自分の意志だったりするわけだけれど,プランニングが固まり振り返ってみると,自分が一体何に悩んでいたのかわからなくなるくらい明確な線がそこには引かれている.そう,疑いの余地もないくらいに.けれどもその道はけして平坦ではないのだ.
大学では学生達も苦労している.プランニングがまとまらなくて,すがりつくような目で皆指導の席へとやってくる.不思議なもので,プランニングの当事者から離れて指導側にまわると,本人には見えていないいろんなことが実によく見えるのだ.
この学生のゴールはもうすぐそこに迫っている.目の前に見えている扉の位置をさりげなく指し示してあげているというのに,見つからないと言っては元来た道をまた引き返してしまう.あぁ,なんと歯がゆいことか!
でもひとたび自分の問題になると,いとも簡単にその道筋を見失ってしまう.
プランニングの迷宮入りは毎度のことだ.そこにはプロも学生もない.集中して入り込んでは,しばし鉛筆を置き俯瞰的に眺めてみる.気分転換をしてはまた戻ってくる.はまりそうではまらない.僕の後ろの”誰か”もそんな僕の心許ないエスキースを眺めては,きっと歯がゆく思っているに違いない.「あっちがう.そうそこ!」
それを受信できるアンテナは,やっぱり鉛筆しかないんだろうな.
高校時代,弓道をやっていた.これまでいろんな競技やスポーツをやってきたけれど,今になってみると弓道が一番自分に合っていたような気がする.段位もあるし,県の大会では準優勝したこともある.あの当時は弦を離せばまっすぐに矢は的に向かって飛んでいった.正直,当時はこんなに簡単な競技はないとすら思っていた.
近頃では体を動かさなくなって久しく,何か手軽にできるスポーツはないかと思っていた矢先,ふと弓道をもう一度はじめてみようかという気になった.市の弓道連盟主催の初心者教室の門を叩き,もうすっかり忘れてしまった弓道の作法を約20年ぶりに学び直したのが今年の春先のことだ.
そこでは目から鱗の連続だった.先生の指導はこれまで言われたこともないものばかり.自分の高校弓道部での三年間は何だったのかというくらい,所作からはじまる弓道の奥深さにあらためて気づかされた.当時の自分は所詮は高校生,「当たればいい」の世界で天狗になっていたようだ.
筋力も落ちているから,当時引いていた弓などは到底引けない.またあの頃は1日100本引くこともあったけれど,今では10本も引けば腕が震えはじめる.けれども,ここにきてようやく本当の「弓道」を学んでいるという実感がある.
この秋~冬は週末も仕事でびっしりで,しばらく弓からも離れていたのだけれど,今日は久しぶりに道場へと足を運ぶことができた.秋晴れの弓道場.でも風は少し冷たく,大きく息を吸い込むと自分の中の澱んだ空気が浄化されていくようだ.頭をからっぽにして,ゆっくりゆっくり弓を引く.
今日は板橋区某カフェのプレゼンテーションがあった.
この一週間で気合いを入れてプランを練り上げ,昨日はスタッフが遅くまで残って模型を仕上げた.結果,気に入って頂けて無事ゴーサインを頂くことができた.(やった!)
思えば僕がフィンランドからの帰国を決めて,帰ってきたのがちょうど10年前の12月.そして翌年早々に事務所を立ち上げ,はじめての仕事が荻窪のカフェmoiの仕事だった.
現在は吉祥寺に移転し,押しも押されぬ人気店になったカフェmoiも,そういう意味では来年で10周年ということになる.荻窪のmoiは広さわずか6坪弱のちいさなお店だったけれど,その中にいかに豊かな空間をつくるかに奮闘した仕事でもあった.
あれから10年,今回は荻窪のmoiよりもさらに小さいわずか4.5坪のお店.リオタデザインの新しい10年はここからはじまる.そんな意気込みで取り組みたいと思う.
今日は実はフィンランドの独立記念日.今年は久しぶりにフィンランド大使館からレセプションのご招待を頂き,実に5年ぶりくらいに広尾の大使館の敷居をまたいだ.
大使館とは僕も帰国以来の長いお付き合いになる.独立直後,仕事がない時期にはアールトの展覧会開催に向けて奔走したり,そんなつながりでフィンランド大使館やフィンランドセンターともよく絡んでイベントのお手伝いもした.
でもいつの頃からか,自分の仕事もだんだん多忙になり,大使館やフィンランドとも少しずつ疎遠になっていった.そんな折りに,今回久しぶりにご招待を頂き,フィンランドに関わるいろんな新しい顔,馴染みの顔にお会いできたことで,あらためて自分とフィンランドとの切っても切れないつながりや,ご縁のようなものをあらためて確認することができた.それもこの10年という区切りのひとつになるのかもしれない.
帰宅するとフィンランドに住む友人からのユニークなプレゼントや,9月に退社したスタッフからも花が届いていた.なんだか胸がいっぱいの一日だった.
[caption id="attachment_2866" align="alignnone" width="420" caption="エーロ・アールニオがパッケージデザインをした牛乳パック"][/caption]
[caption id="attachment_2867" align="alignnone" width="420" caption="中からはチョコレートとサルミアッキが!"][/caption]
[caption id="attachment_2865" align="alignnone" width="560" caption="元スタッフの柴くんからはシクラメンが届いた"][/caption]
毎年秋になると家族で旅行に出かける.一般的に旅のテーマといえば,海,山,グルメに温泉といろいろあるけれど,我が家の場合は必ずアートか建築が軸になる.素晴らしい作品や空間に触れると,おいしいものを食べた時と同じくらい心が満たされる.
もっとも,毎回それにつき合わされる子どもはどう思ってるかはわからないけれど.ただ物心ついた時からそういうところにばかり連れて行かれるし,最近では自分から美術館や博物館に行きたいと言い出すこともあるので,既に家族旅行とはそういうものだと思っているかもしれない.
今回は静岡の三島にあるクレマチスの丘まで足を延ばした.クレマチスの丘には,ヴァンジ彫刻庭園美術館やIZU PHOTO MUSEUMなどの美術館がクレマチスの咲く庭園と共に敷地内に点在している.
中でもイタリアの彫刻家,ジュリアーノ・ヴァンジの彫刻がならぶ庭園は美しく,また天気も良くて最高に気持ちが良かった.人も少なかったし,こうして屋外で彫刻を楽しめる場所というのは開放的で,やはり美術館の中よりずっと楽しめる.ヴァンジの表現力と,彫刻の表情が実に良くて,ついつい引き込まれてしまった.
ほかにも御殿場で立ち寄った,内藤廣さん設計による「とらやカフェ」や「とらや工房」も素晴らしかった.全体の構成は素っ気ないくらいシンプルに,でも寄って見ていくとため息が出るくらい細やかな配慮が行き届いていて,内藤さんらしい建築だった.
内藤さんの建築には一言でいえば品がある.人としての品性は建築ににじみ出るものだとあらためて感じた.
最近思うことは,建築単体ではなく,建築と環境がいかに引き立てあえる関係をつくれるかということ.特にとらや工房は,そういう意味において”反則”と思うくらいその佇まいや環境が素晴らしかった.逆に言うと,その環境づくりをするのが建築家の仕事なのかもしれない.内藤さんの仕事と,クレマチスの丘で見た建築群と庭園との関係にもそれを感じ取ることができた.
番外編では,とらや工房の敷地内に建つ旧岸邸(設計・吉田五十八)も見学できたり,退屈気味だった子どもとは東山湖で釣りをしたりと盛りだくさんの旅だった.ちなみに冒頭の写真はヴァンジ庭園で叱られ,ふてくされて佇む息子.その表情と手前の彫刻との対比がなかなかいい.
[caption id="attachment_2819" align="alignnone" width="418" caption="ヴァンジ彫刻庭園美術館|クレマチスの丘"][/caption]
[caption id="attachment_2813" align="alignnone" width="418" caption="壁をよじ登る男|ジュリアーノ・ヴァンジ"][/caption]
[caption id="attachment_2806" align="alignnone" width="418" caption="とらや工房|設計:内藤廣"][/caption]
[caption id="attachment_2814" align="alignnone" width="560" caption="IZU PHOTO MUSEUM|内装・庭:杉本博司"][/caption]
[caption id="attachment_2815" align="alignnone" width="560" caption="旧岸信介別邸|設計:吉田五十八"][/caption]
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