志木市で進行中の現場DECOにキッチン家具が入るということで、担当砂庭とオープンデスクを伴って現場へ。今回の家具も新潟の藤沢木工所にお願いしています。
そして今年のオープンデスク生は長岡造形大学の学生さん、ということでチーム新潟をパチリ。しかし写真に入りたがらない砂庭「私は青森ですっ」
そうかじゃあチーム新潟青森JVで!
17. 08 / 17
伊礼智さんトークイベント@広島
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sekimoto
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> イベント
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建築家の伊礼智さんの新刊「伊礼智の住宅デザインDVDデジタル図面集」の出版と、建築知識ビルダーズ30号記念を兼ねて、全国各地の書店でトークイベントを行うそうです。
私は初回の広島でのイベントに、トークゲストとして登壇させて頂きます。なんといっても広島なので、、東京~埼玉の方は参加するわけにもいかないと思いますが、もし広島方面の方で、伊礼さん目当てでついでにリオタの話でも聞いてやるかという方は是非いらして下さい!(広島はやっぱりお好み焼きかなぁ)
詳細情報はこちらより
http://www.xknowledge.co.jp/kenchi/event/flyer_a4.pdf
私は初回の広島でのイベントに、トークゲストとして登壇させて頂きます。なんといっても広島なので、、東京~埼玉の方は参加するわけにもいかないと思いますが、もし広島方面の方で、伊礼さん目当てでついでにリオタの話でも聞いてやるかという方は是非いらして下さい!(広島はやっぱりお好み焼きかなぁ)
詳細情報はこちらより
http://www.xknowledge.co.jp/kenchi/event/flyer_a4.pdf
今回のフィンランド渡航の目的は、ヘルシンキのアールト展を見に行くことと併せ、かつて巡ったアールト建築をもう一度尋ねて、あらためて写真(アーカイブ)を残したいということがあった。
留学時代は使っていたデジカメも貧弱で、高画質なデジカメは高価で手が出せなかった。画像のサイズはわずか640ピクセル。そのため、レクチャーなどにも良い写真が使えず、また出版社から素材提供を求められても提供することができなかった。
そのかわり、当時一眼レフではよく写真を撮っていた。しかもポジフィルムで。ポジで撮るというのは、当時ヘルシンキで親交のあった写真家の根津修平君の影響だったように思う。
ポジフィルムはネガと違って通常プリントをしたりしないので、現像したフィルムはろくに確認もせずにスリーブのまま保管していた。確認しようにも、当時はライトボックスすら持っていなかったのだ。
そのため滞在中いろいろ撮った記憶はあっても何を撮ったかは覚えておらず、撮ったとしても大した量ではないと思っていた。データ化されていないので全体像も把握できず、そのまま引き出しの奥に仕舞われたままだった。なんともお粗末な話だ。
それを今回の旅行後にふと思い出し、ゴソゴソと引き出してみるとすごいお宝写真が詰まっていたことに気づきびっくりした。その数実に800枚近く!そんなに撮っていたんだ。
しかも現在では内部撮影が禁止されてしまったマイレア邸の内部写真や、中にはマイレア邸の屋根の上に上がって撮ったものも。今では絶対に許されないカットである。確かこの時は取材のコーディネーターを務めていて、特別に許可されたときの一枚だったと思う。
そして、ロシア領にありまだ改修半ばで廃墟化していたヴィープリ図書館の写真も出てきた。これも当時決死の覚悟で国境を渡り訪れたものだ。今は改修も終わりきれいになったようだが、当時の荒廃したヴィープリ図書館の面影を伝える貴重な資料だ。
そしてパイミオサナトリウム。今では結核療養所としての機能は終え、児童福祉財団のリハビリ病院になっているそうなので、この現役の医師たちが食堂を利用しているこの光景はもう二度と見ることはできない。
パイミオは当時付属の寄宿舎に泊まって模型の修復作業をしたのも良い思い出だ。
ほかにも行ったことすら忘れていた地方のアールト建築や、レイヴィスカなど他の建築家による地方の建築、そして若かりし時代の我々のポートレートなど。これだけの資料画像があれば、今後当面は困らないと思う。
早速これらはデータ化して、活用できるようにしたい。
これまでその存在に気づかなかった自分にもびっくりだけれど、逆に中途半端なデジカメで残しているよりも、はるかに再現性の高いスライドフィルムで記録を残していた当時の自分を褒めてあげたいと思う。
さて問題です。これは何でしょう?
私が今回アールト財団で買った数少ないお土産の一つです。
裏はこんな感じ。
正解は、アールト設計によるヘルシンキ市電力会社ビル(Sahkotalo|1965-1974/aとoはウムラウト)で実際に使われていたタイルです。
このカマボコ型タイルはアールトのトレードマークとも言えるもので、実際にアールトが設計したあらゆる建物に使われています。またこの濃紺色はアールトが特に好んだ色の一つです。(アールトブルーと勝手に命名)
たとえばこれはアールト大学。
壁面に立体感のあるタイルが張られています。応用編としては、以下のように丸柱まわりに張るというのもアールトの特徴的なタイル使いのひとつです。
アールト財団のあるアールトスタジオにも実物サンプルがありました。
またその下の写真は、アテネウムでのアールト展の展示です。実物と図面説明があります。非常にユニークな施工法ですね。アールトの独創性が光ります。
このようにオリジナルのタイルにも様々な形があり、同様にレンガなども、文化の家などに使われているものは非常に特徴的な断面を持つもので、こうした飽くなき素材への探究心もまたアールトの魅力と言えます。
アールトは建築にも、新しい素材を次々と試すようなことはなく、むしろ昔から使われている定番の素材を、様々な形に変えて自分流にアレンジして使っていました。しかしそれは、定番素材でありながら、ほとんど”発明”に近い使い方でもありました。
でも不思議なことに、古くからある素材であっても、アールトが使うとその素材の持っていた意味が大きく変わり、みんな真似したくなるというのがアールトなんですよね。実際ヘルシンキはそんなアールト的な素材使いの建物で溢れています。
しかし、アールトの建物を改修したときの”廃材”で商売をするとは、財団もしたたかです。でもありがとうございます。こうして大喜びで買って帰る人もいるのですから!またひとつ私の宝物が増えました。
ちなみにこのハンドルも事務所にありますが、私の中では国宝級のものになります。
ヘルシンキ最終日はスオメンリンナへと渡りました。スオメンリンナは、18~20世紀にかけての軍事要塞で、ヘルシンキからフェリーで15分くらいの所にある孤島です。島全体が要塞化されており、スウェーデンからロシア統治時代を経て、最終的にフィンランド領となるまで幾多の戦争の舞台となってきました。
今ではユネスコ世界遺産にも指定されており、人気の観光スポットになっています。今回は息子を連れてきていることもあり、最後はこんな島に渡ってピクニック気分も良いかなと思ったのですが、この日はヘルシンキは快晴だったものの、なぜか島には濃い霧がかかっていました。
でもこの濃霧がかえって島の雰囲気を演出し、なんだか中世の町に迷い込んでしまったかのようです。随所に歴史の重みを感じます。
この島に来るのは私は二度目ですが、今回は扉のデザインが気になり、扉ばかりを撮ってしまいました。
再度ヘルシンキに戻ってきて、最後はわずかばかりの買い物タイム。
はじめて北欧にいらっしゃる方であれば、イッタラやマリメッコをハシゴするのでしょうが、我々が行くのはアンティークショップです。ヘルシンキのアンティーク(ビンテージ)巡りは本当に楽しいのです。
今回は残念ながら、あまり掘り出し物を見つけることはできませんでした。そして既に我々の体力も限界が近づいてきました。
今回もあっという間のフィンランド滞在でした。あと1日あれば!とは毎回最後に思うことですが、今回は私の仕事の都合や子供の予定、奥さんの予定なども調整しての、ここしかない!という5日間でもありました。
子供も大きくなり、家族もそれぞれに忙しくなってしまうと、家族揃って海外に行くなど、もうそうそうないような気がします。それだからこそ、無理に時間を作ってでも、また痛い出費を覚悟してでも、今回は家族と行くことにこだわりました。
さて次に行けるのはいつになるでしょうか。
さようならヘルシンキ!
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