年明けの1月12日(土)に、新宿のOZONEさんにて、一般の方を対象としたセミナーを行います。
☆ 建築家と建てた家「建て主との本音トーク」
>> 概要とお申し込みはこちら
日時:2019年1月12日(土)13:30~14:30
場所:新宿パークタワービル3F OZONEウェルカムプラザ
OZONEの入っているビルです。エントランスの吹き抜けのエスカレーターを上がって、奥の吹抜けのイベントスペースです。
定員:20名(事前申込制・先着順)
◇
今年の7月に「建て主[本音]クロストーク」と称した自主企画イベントを、建築家の山﨑壮一さんと開催させて頂きました。
建て主[本音]クロストーク(7/22開催分)
https://www.riotadesign.com/blog/180723.html
いわゆる建築家の家づくりセミナーというと、自らの作品(仕事)を美しいスライドで紹介するという流れが一般的ですが、家づくりは必ずしもそんなに美しいことばかりではないかもしれません。
そんな家づくりの”本音”を設計者ではなく建て主さんに語ってもらうことで、これから家づくりをしようという方に、設計事務所と家を建てるということがどういうことなのか、実感を持って知って頂こうというのが前回の企画の主旨でした。
これが好評で、当日いらした方からも「面白かった」「シリーズ化して欲しい」というお声も多く頂きましたが、今回はOZONE企画として第2弾を開催させて頂くことになりました。
◇
前回はTOPWATERの建て主さんにご登壇頂きましたが、今回は紫陽花の家の建て主さんにご登壇頂きます。なんといっても、OZONEコンペで建った家でもありますので。
今回はOZONEのコーディネーターさんが司会と聞き役を務めて下さいますので、前回よりは中立かつ公正な進行?になるかと思います。時間が1時間しかなくて、本当は深掘りすると2時間でも3時間でもできるテーマなんですけどね笑。
私が最初に登壇して、住宅の概略を説明したあとに建て主さんにご登壇頂き、OZONEコーディネーターの方とセッションして頂きます。現在家づくり検討中の方はもちろん、そうでない一般の方や同業の設計者の方でもお申し込み頂けます。
OZONEコンペの裏話もするかも?笑
定員がわずか20名ですので、どうかお早めにお申し込み下さい!
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☆ 建築家と建てた家「建て主との本音トーク」
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18. 12 / 13
リオタらしい仕事?
author
sekimoto
category
> STAFF
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先週の事務所OBの柴くん(アキミチデザイン)に引続き、今日は同じく事務所OBの吉里くん(ヨシザトデザイン)のオープンハウスへ。
敷地はなぜかリオタデザインが2012年に設計したSPHという住宅の真裏。外観もリオタデザインが設計したかのような佇まい。内部に入ると…うちのディテールを完コピしていてまたびっくり!
建主さんは彼のご身内だそうですが、リオタデザインが好きなのだそうで…。本店に来ないで支店が潤うみたいなシステムになっとる。うちは大勝軒か!笑
ちなみに、リオタデザインから独立したら「○○デザイン」にしなくちゃいけないみたいなシステムはないです…。

今日は午前中にリオタデザインOBの柴くんのオープンハウスへ。
21坪程の小さなリノベーション。
複雑に絡んだ難条件を丁寧に解きほぐした点も評価に値すると思いますが、一番良かったのは、空間全体に彼らしさがあったこと。上手く言えませんがそれに尽きるような気がします。
彼はもう独立して何年になるのだろう。私の元を離れて自分の事務所を持つということは、自分の世界で勝負をするということだと思います。ここ数年の彼の仕事には、借り物ではない自分の言葉で空間が作られている印象があります。
リオタと違って、とっても良い。
今日はご案内ありがとうございました。
高輪ゲートウェイ問題(?)について、先日はちょっと茶化して書きましたが、本当に書きたかったことを書きます。
あの駅名については、公募でも一番多かった「高輪」で良かったんじゃないかと個人的には思います。「ゲートウェイ」がついたことで、みんなの高輪が「俺の高輪」になってしまった。ただ、正直高輪なんてほとんど行かないので、この駅名自体については正直どうでも良いと思っています笑
ここで掘り下げたいのは、本来「高輪」でいいのに、なんで「ゲートウェイ」をつけたのかという件について。これは我々設計者心理にもつながる問題のような気がするのです。
我々は設計意図をより明確にするために、さまざまな修辞を行います。
よりその視覚効果や意味性を高めるために、尖るべきものはより尖らせるし、開くべきところはより開こうとします。それは建築に限らず、音楽でも美術でもそうでしょう。それによってより問題意識は明確となり、それに沿った解決がより鮮明に浮き彫りとなり、人の心に刺さるのです。
けれどもその強弱のつけ方には目には見えない微妙な境界線があって、ある時点まではそれを発信する側と受け手が共になって共感しあえるポイントがあるけれど、その境界を越えた瞬間に、その人の想いだけが押し付けられたような状態に陥ります。
子に対する親の説教でもありますよね。そこで止めておけば良いのに、もう一言添えた瞬間に「うるさいなあ」になってしまうことが。
デザインもそうですが性能についても同じです。自分が伝えたい、正しいと思うことを、相手の共感が得られるぎりぎりのポイントで、正しく着地点を見つけるというのはとても難しいことです。
ま、つまるところ「ひとこと余計だったよね」の典型的な例といったところでしょうか。こういう瑣末なことも、自分の身に置き換えて落としておくと道を誤らないためのヒントになる気がします。
あの駅名については、公募でも一番多かった「高輪」で良かったんじゃないかと個人的には思います。「ゲートウェイ」がついたことで、みんなの高輪が「俺の高輪」になってしまった。ただ、正直高輪なんてほとんど行かないので、この駅名自体については正直どうでも良いと思っています笑
ここで掘り下げたいのは、本来「高輪」でいいのに、なんで「ゲートウェイ」をつけたのかという件について。これは我々設計者心理にもつながる問題のような気がするのです。
我々は設計意図をより明確にするために、さまざまな修辞を行います。
よりその視覚効果や意味性を高めるために、尖るべきものはより尖らせるし、開くべきところはより開こうとします。それは建築に限らず、音楽でも美術でもそうでしょう。それによってより問題意識は明確となり、それに沿った解決がより鮮明に浮き彫りとなり、人の心に刺さるのです。
けれどもその強弱のつけ方には目には見えない微妙な境界線があって、ある時点まではそれを発信する側と受け手が共になって共感しあえるポイントがあるけれど、その境界を越えた瞬間に、その人の想いだけが押し付けられたような状態に陥ります。
子に対する親の説教でもありますよね。そこで止めておけば良いのに、もう一言添えた瞬間に「うるさいなあ」になってしまうことが。
デザインもそうですが性能についても同じです。自分が伝えたい、正しいと思うことを、相手の共感が得られるぎりぎりのポイントで、正しく着地点を見つけるというのはとても難しいことです。
ま、つまるところ「ひとこと余計だったよね」の典型的な例といったところでしょうか。こういう瑣末なことも、自分の身に置き換えて落としておくと道を誤らないためのヒントになる気がします。
「高輪ゲートウェイ」という駅名に多くの人が違和感を感じているようだ。その違和感はどこから来るのだろうと考えると、当事者の「こう見られたい」がそのもの本来の意味を追い越してしまっているからではないかと思う。
これは子供に付ける名前にもよく起こる。いわゆるキラキラネームと呼ばれる名前がそれにあたる。「高輪ゲートウェイ」である。
そしてこれは今回のようなネーミングの問題だけに留まらず、生活のさまざまな局面でこうした現象は起こる。住まいは建売りなのに、ガレージにはベンツが駐まっているというケース。これも「高輪ゲートウェイ」である。
対照的に、なんだその無駄に斬新な家は?という現象。これも「高輪ゲートウェイ」かもしれない。これは我々も肝に銘じなくてはならない。
我々の身の回りの「高輪ゲートウェイ」を見つけたい。
そしてこう言いたい。
高輪ゲートウェイかよっ!
これは子供に付ける名前にもよく起こる。いわゆるキラキラネームと呼ばれる名前がそれにあたる。「高輪ゲートウェイ」である。
そしてこれは今回のようなネーミングの問題だけに留まらず、生活のさまざまな局面でこうした現象は起こる。住まいは建売りなのに、ガレージにはベンツが駐まっているというケース。これも「高輪ゲートウェイ」である。
対照的に、なんだその無駄に斬新な家は?という現象。これも「高輪ゲートウェイ」かもしれない。これは我々も肝に銘じなくてはならない。
我々の身の回りの「高輪ゲートウェイ」を見つけたい。
そしてこう言いたい。
高輪ゲートウェイかよっ!
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