我々の設計する住宅には必ずと言って良いほど、ダイニングなどに北欧照明が下がり、置かれている家具も(建て主さんのチョイスではあるものの)北欧家具が置かれることも多かったりします。
一方では、そういう照明を提案したいのだけれど、金額などから、なかなか建て主さんに受け入れてもらえないという設計者の話も良く聞きます。
これまで半分は意識的に、もう半分は無意識にそのようにしてきた部分もあったのですが、今回あらためて、なぜ私が北欧照明や北欧デザインのものにこだわっているのかということを書いてみたいと思います。
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もしかしたら一部の方からは、私が北欧のフィンランドに留学経験があることから「関本=北欧が好き⇒だから北欧照明を使う」と思われているような気がしますが、必ずしもそういうことではありません。それは、それが本物のオリジナルであり、時代を超えて愛されている普遍的なデザインアイコン(timeless design)であるということが、とても大きな意味を持つからなのです。
たとえば、冒頭の写真のダイニングに下がる照明は、アルヴァ・アールトのデザインによるゴールデンベル(A330S/artek)ですが、これがデザインされたのは1936年です。今から85年前。すごいのはそこではなく、そこからほとんどデザインを変えることなく、現在もそのままの姿で売られ続けているということなのです。
この写真に写る黒い座面のスツールもアールトのデザインによるStool60ですが、こちらが生まれたのも1933年です。今から88年前。やはり当時からほとんど形を変えることなく、現在に至るまで全世界で売られ続けています。
1930年代といったら、時代背景としてはこんな感じです。この時代に生まれた椅子が、現代の新築の住宅の中においても、まったく古びることなく存在できるってすごくないですか?
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一方で、最近我々北欧関係者の間で物議をかもした椅子に、こんな椅子があります。ひどいものです…。
こういうものを無知や無意識であったとしても、家の片隅に置いた瞬間に、その家はニセモノになってしまいます。家に何千万円もかけて細部にもこだわったとしても、この瞬間にそれは水の泡となってしまうのです。
テレビのバラエティ番組でありますよね、一流芸能人を仕分けるやつが。一方は1億円のバイオリン、もうひとつは数万円の初心者用。音を聞いて、さて1億円の音はどちらでしょう?というやつ。先のような”ニセモノ”に囲まれて育った子供の美意識や感性は、やはりそれが「普通(あたりまえ)」になってしまうのではないでしょうか。
Stool60はけして高い椅子ではありません。でも数千円では買えません。でもどうでしょうか、ただ安いという理由だけで、「ただ座れれば良い」のであれば、家も「ただ食事をして眠れれば良い」のだとも言えますし、「雨漏りしなければ何でも良い」ということにもなります。
本当にそれで良いのでしょうか?
残念ながら、そんな世界には我々のような者は必要ないということになりそうです。
またこうも言えます。
家電製品や自動車は頻繁にモデルチェンジを繰り返しますね。消費者を飽きさせず、特定の周期で買い換えてもらわないと、企業としては都合が悪いわけです。スマホもそうですね。使いもしない機能ばかりがどんどん増えて、新しい機種に買い換えるよう迫られます。
そんな時代のめまぐるしい変化のなかで、80年以上も形を変えずに売られ続けているという事実は、本当にすごいとしか言いようがありません。それはモノとして変えようがない、「本質そのもの」がそこにあるからではないでしょうか。それが北欧のtimeless designなのです。
こちらはアールトの自邸ですが、竣工は1936年です。
アールトは世の中に新しい素材が出てきても、けして飛びつくことはなかったそうです。木や鉄、コンクリート、ガラス、そしてレンガ。これまでずっとあり続けたものだけを使って生涯建築を作り続けました。そんなアールトの建築もまた、その後80年以上経ってもその価値が損なわれることはありません。
だから照明器具も同じなのです。
家の中に一つだけでも良いので、けして価値の変わることのない不朽の名作を下げることは、その空間のあり方を決定づけると私は思っています。「これまでも変わらない、これからも変わらない」それが我々が住宅に込めている思いです。
誤解のないように申し添えると、なにも北欧のものだけが良いと言っているのではありません。国内にも素晴らしい照明や家具はたくさんありますし、北欧以外の国にも同じくらい素晴らしいものがあります。
大切なのは値段ではなく、また有名かどうかでもなく、それが本物であること。機能や素材やデザインにこだわりがあるもの。ひとことで言えば「そこに愛があるもの」ということではないでしょうか。
さもなくば、きっとあなたやその家は”そっくりさん”、もしくは”映す価値なし”として画面から消えてしまうことでしょう。
連日のこの報道、たまんないなと思う。
これは他の日大卒の人はわかると思うけれど、日大は学部間の温度差と同様に、本部と学部とにも大きな温度差があって、日大アメフト部の悪質タックル問題ですらも私にとっては対岸の火事みたいなものだった。
今回の日大理事逮捕も、申し訳ないけど私にとってはどうでも良いことで、わが日大理工と一緒にされては困るとすら思う。
ただ今回のこの騒動で一点だけ許せないことがある。それは今回の報道で明るみに出た「業者選定のためのプロポーザルで都内の設計会社が1位になるよう評価点を改ざん」という点についてだ。設計なめんな、て思う。
プロポーザルに参加した各社の上層部は、もしかしたらこれが出来レースであることを知っていたのかもしれない。あるいはそうではなかったのかもしれないが、実際にプロポーザルのために真剣に建築に向き合った社員達はいたはずで、何日も徹夜をして仕上げた提案が、このような愚にもつかないようなことで、内容すらも考慮されずに却下されたのだとしたらたまらない気持ちになるだろう。
当選した事務所の担当者だって今回の報道にさぞや心を痛めているに違いない。建築に向き合うというのはそういうことなのだ。朝から腹が立って仕方がない。
今回の報道で、私と同じ日大理工の関係者は、瞬時に”あのこと”を連想したに違いない。だとしたらすべて辻褄が合うのだから。あくまで妄想に過ぎないかもしれないけれど、そんなことを思うだけでとにかく腹が立って仕方がない。建築なめんな、て思う。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021100700403&g=soc&fbclid=IwAR22az82-v3COtTbfnzk4ZWZ6uZzbhlGWcSr_INQjJRmVcihrC_SGeojdjA
これは他の日大卒の人はわかると思うけれど、日大は学部間の温度差と同様に、本部と学部とにも大きな温度差があって、日大アメフト部の悪質タックル問題ですらも私にとっては対岸の火事みたいなものだった。
今回の日大理事逮捕も、申し訳ないけど私にとってはどうでも良いことで、わが日大理工と一緒にされては困るとすら思う。
ただ今回のこの騒動で一点だけ許せないことがある。それは今回の報道で明るみに出た「業者選定のためのプロポーザルで都内の設計会社が1位になるよう評価点を改ざん」という点についてだ。設計なめんな、て思う。
プロポーザルに参加した各社の上層部は、もしかしたらこれが出来レースであることを知っていたのかもしれない。あるいはそうではなかったのかもしれないが、実際にプロポーザルのために真剣に建築に向き合った社員達はいたはずで、何日も徹夜をして仕上げた提案が、このような愚にもつかないようなことで、内容すらも考慮されずに却下されたのだとしたらたまらない気持ちになるだろう。
当選した事務所の担当者だって今回の報道にさぞや心を痛めているに違いない。建築に向き合うというのはそういうことなのだ。朝から腹が立って仕方がない。
今回の報道で、私と同じ日大理工の関係者は、瞬時に”あのこと”を連想したに違いない。だとしたらすべて辻褄が合うのだから。あくまで妄想に過ぎないかもしれないけれど、そんなことを思うだけでとにかく腹が立って仕方がない。建築なめんな、て思う。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021100700403&g=soc&fbclid=IwAR22az82-v3COtTbfnzk4ZWZ6uZzbhlGWcSr_INQjJRmVcihrC_SGeojdjA
人生、皿まわし。バースデーケーキの上に毎年一本ずつのローソクと、その上にさらに皿がまわりはじめる。
毎朝目覚めると、寝ぼけた頭で「今日は何だっけ?」と考える。そっか、あれとこれと、あとあれもやらなくちゃ。忘れないうちに枕元のメモに書き留めて一日がはじまる。昔なら数ヶ月に一度くらいのイベントや重要な打合せが、今では毎日のように、時に一日にいくつもある。
かつてなら一枚の皿だけをぎこちなく慎重に回していたというのに、今ではコツを覚えた。自分の皿が回せるようになると、隣から「こっちも回してよ!」とお声がかかる。お望みとあらば、と引き受けているうちに、今では自分でも数え切れないほどの皿がまわっている。
それをたまにふと冷静に眺めて怖くなる。どの皿も落としてはいけない!と思うと、おそろしくて仕方がない。
大量にまわる皿の中には、グラグラと不安定なもの、いまにも止まって落ちそうなものもある。新しい皿をまわしながら、あっちの皿、こっちの皿にも気を配る。両手両足、それでも足りなければ口も使って、器用な姿勢で皿をまわしつづける。
今では一緒に皿を回してくれる仲間やスタッフも増えた。ステージいっぱいに回り続ける大小様々な皿は壮観そのものだ。皿をまわすたびに起こる喝采は、私の折れかかった心を奮い立たせる。
こんな綱渡りのような皿まわしはいつまで続くのだろう。そろそろしんどい。しかし皿はまわり続ける。そして本日、50枚目の皿がまわりはじめた。
自分史上最多を更新。
おめでとう、自分。おつかれさま、自分。
毎朝目覚めると、寝ぼけた頭で「今日は何だっけ?」と考える。そっか、あれとこれと、あとあれもやらなくちゃ。忘れないうちに枕元のメモに書き留めて一日がはじまる。昔なら数ヶ月に一度くらいのイベントや重要な打合せが、今では毎日のように、時に一日にいくつもある。
かつてなら一枚の皿だけをぎこちなく慎重に回していたというのに、今ではコツを覚えた。自分の皿が回せるようになると、隣から「こっちも回してよ!」とお声がかかる。お望みとあらば、と引き受けているうちに、今では自分でも数え切れないほどの皿がまわっている。
それをたまにふと冷静に眺めて怖くなる。どの皿も落としてはいけない!と思うと、おそろしくて仕方がない。
大量にまわる皿の中には、グラグラと不安定なもの、いまにも止まって落ちそうなものもある。新しい皿をまわしながら、あっちの皿、こっちの皿にも気を配る。両手両足、それでも足りなければ口も使って、器用な姿勢で皿をまわしつづける。
今では一緒に皿を回してくれる仲間やスタッフも増えた。ステージいっぱいに回り続ける大小様々な皿は壮観そのものだ。皿をまわすたびに起こる喝采は、私の折れかかった心を奮い立たせる。
こんな綱渡りのような皿まわしはいつまで続くのだろう。そろそろしんどい。しかし皿はまわり続ける。そして本日、50枚目の皿がまわりはじめた。
自分史上最多を更新。
おめでとう、自分。おつかれさま、自分。
夏休み二人目のオープンデスクは、芝浦工大3年の中島桃さん。
行ったことはないけれど、北欧にすごく興味があるということで、「北欧、オープンデスク」のキーワードで検索したらリオタデザインがヒットしたのだとか。そんな検索でヒットすること自体がびっくりですが、こんな子もはじめて。
いつものように設計課題に向き合ってもらう一方で、ちょっとした建築見学も。夏休みはどこにも行けなかったそうなのでかなり嬉しかったようです。元オープンデスクの学生も合流して、束の間の楽しいひとときでした。
これはオープンデスクに思うことですが、学生に実務を教えることには意味はないと思いますが、実務の現場にしかない建築の真実というものはあるような気がします。この学生さんも、大学ではけして言われることのなかったことばかりを指摘されてずいぶん戸惑っていましたが、最後は生活感の見えるプランを描き上げてくれました。
建築を考える上で一番大切なことは、ハートで考えることです。それは本には書かれてはいないのです。ルールに従うのではなく、自分の気持ちに正直に従うことが、正しい決断と自身の幸せにつながる。私はそれをフィンランドで学んだのですが、たぶん最後に話したそんなことが彼女には一番深く響いたような気がします。
21. 07 / 31
設計とは
author
sekimoto
category
> 思うこと
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日常には困難が転がっている。たいがいが、思い通りにならないことばかりだ。
困難に直面したとき、あなたならどんな行動を取るだろうか。困難を乗り越えるためにあらゆる手段を尽くし、解決への努力を惜しまないという人もいれば、何もしない、もしくは何も出来ない(どうしたらよいかわからない)という人もいる。
設計やデザインという仕事に携わる人は、この問題解決スキルが高い人が多い。そもそもこの仕事というのは、問題や困難が持ち込まれて、それをなんとかしてほしいというのが依頼そのものであることが多いので、問題解決が出来ない人は本質的にこの仕事には向かないとも言える。
それにしても、日々設計に向き合っていると、設計とは人生そのものだとすら思えてくる。人生において起こるすべての困難は設計においても同じように起こるからだ。理想と現実、お金の問題、きれいごともあればドロドロしたものもある。他者への思いやりもあれば、自分自身のエゴもある。
問題の解決方法も様々で、現実的で安易な解決もあれば、理想的だけれどあまりにハードルの高い解決もある。あなたならそんなときどんな解決を選ぶだろうか。
設計やデザインという仕事に携わる人は、そんなとき安易な解決を選ばない。「こうありたい」「こうあるべき」という理想に向かってまっすぐと像を結べるような、そんな選択を重ねて行くのが我々の仕事の本筋だからだ。
だからなのか、建築家やデザイナーはポジティブな人が多い。そもそも我々の仕事は「建築家(デザイナー)になりたい」と強く願い続けなければなれない職業だし、そのために安易な進路を選ばなかった人が多いからだとも思う。
人生にポジティブな人は魅力的だ。そういう人と一緒にいると楽しくなる。自分もどこか、ここではない場所に連れて行ってもらえるような気がするからだ。
設計とは選択であり、解決であり、決断である。前向きな人生への入口であり、手段であり、そして目的でもある。やっぱり、設計とは人生そのものなのだろう。
困難に直面したとき、あなたならどんな行動を取るだろうか。困難を乗り越えるためにあらゆる手段を尽くし、解決への努力を惜しまないという人もいれば、何もしない、もしくは何も出来ない(どうしたらよいかわからない)という人もいる。
設計やデザインという仕事に携わる人は、この問題解決スキルが高い人が多い。そもそもこの仕事というのは、問題や困難が持ち込まれて、それをなんとかしてほしいというのが依頼そのものであることが多いので、問題解決が出来ない人は本質的にこの仕事には向かないとも言える。
それにしても、日々設計に向き合っていると、設計とは人生そのものだとすら思えてくる。人生において起こるすべての困難は設計においても同じように起こるからだ。理想と現実、お金の問題、きれいごともあればドロドロしたものもある。他者への思いやりもあれば、自分自身のエゴもある。
問題の解決方法も様々で、現実的で安易な解決もあれば、理想的だけれどあまりにハードルの高い解決もある。あなたならそんなときどんな解決を選ぶだろうか。
設計やデザインという仕事に携わる人は、そんなとき安易な解決を選ばない。「こうありたい」「こうあるべき」という理想に向かってまっすぐと像を結べるような、そんな選択を重ねて行くのが我々の仕事の本筋だからだ。
だからなのか、建築家やデザイナーはポジティブな人が多い。そもそも我々の仕事は「建築家(デザイナー)になりたい」と強く願い続けなければなれない職業だし、そのために安易な進路を選ばなかった人が多いからだとも思う。
人生にポジティブな人は魅力的だ。そういう人と一緒にいると楽しくなる。自分もどこか、ここではない場所に連れて行ってもらえるような気がするからだ。
設計とは選択であり、解決であり、決断である。前向きな人生への入口であり、手段であり、そして目的でもある。やっぱり、設計とは人生そのものなのだろう。
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