17. 09 / 06
ものづくりはチクチクと
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sekimoto
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> 思うこと
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先週末、書籍が出ることを告知させて頂きまして、いろいろ反響を頂きました。お祝いのお言葉を下さいました方々には、この場をお借りして御礼申し上げます。
この本を出すにあたっての私の思いや出版の経緯などは、本書にも書かせて頂きましたので、本が出ましたらどうかお手に取ってお読み頂けたら幸いです。
◇
先日のブログにはまだ校了していない旨を書きましたが、今日がほぼ実質的な校了日となります。これまで長い道のりでした。原稿を書いたら書いたで、今度はそのチェックがあります。その分量も150ページ超にもなると目を通すだけでも大変な作業になります。
私はブログもそうですが、後から何度でも読み返して、自分の素直な気持ちとの温度差や、これを書くことで誰かを傷つけることにならないかなど、いろんなことを考えて細部の表現をあとからチクチクと直します。
言い回しでも、「が」と「は」ではニュアンスが違いますし、「を」と「も」でも異なります。そんなどうでもいいことを、あとから、時に数日経った後でもチクチクと直します。
ですので、今回の原稿でも例外なくそんなことを最後までチクチクとやっています。
でもさすがにここまで来ると「もう見たくない!」という心境でして、心変わりしないように最後は努めて原稿を読まないようにしていましたが、編集者さんは違うんですよね。最後の最後まで、細かいところをさらにチクチクと修正を入れられてきます。
そんな姿を見ると、頭が下がると同時に、あぁ我々の仕事と一緒なんだなと思います。
◇
我々の描く図面も、図面の最終段階になると(いやそうでもないか。最初の段階から?)スタッフが描いた図面を私がチクチクと直します。
たぶん図面を描いている本人たちは「え、そこ?」とか、「そんなとこ、どうでもいいじゃん!」とか思っているかもしれません。わかります。私もスタッフの時はそう思っていました。
でも違うんですね。図面の伝えたい内容の大局は同じでも、文章で言うところの「が」と「は」ではニュアンスが違うように、「を」と「も」では異なるように、表現の微差によって出来上がるものの着地点は微妙に変わってくるのです。
そんな無数のチクチクを重ねることで、ものづくりはようやく薄皮一枚上の洗練へと辿り着くことができます。それは、映画監督が役者の演技に何度もダメ出しをしたり、舞台美術さんがカメラに写っていないところまで精巧に作り上げるのと、少し似ているかもしれません。
だから家づくりは、無数の人たちが、チクチクと無数に針を打って仕上げた刺繍の大作のようなものかもしれません。それは本を作るのでも同じなんだなと感じられたことは、私にとってはちょっとした感動体験になりました。
本の発売と時期を同じくして、今月末に住宅がまた一件完成します。現場では今もなお、チクチクと私の細かいチェックと現場の作業とが続いています。完成を待ち望むお施主さんの心境が、今はよく分かります。
この本を出すにあたっての私の思いや出版の経緯などは、本書にも書かせて頂きましたので、本が出ましたらどうかお手に取ってお読み頂けたら幸いです。
◇
先日のブログにはまだ校了していない旨を書きましたが、今日がほぼ実質的な校了日となります。これまで長い道のりでした。原稿を書いたら書いたで、今度はそのチェックがあります。その分量も150ページ超にもなると目を通すだけでも大変な作業になります。
私はブログもそうですが、後から何度でも読み返して、自分の素直な気持ちとの温度差や、これを書くことで誰かを傷つけることにならないかなど、いろんなことを考えて細部の表現をあとからチクチクと直します。
言い回しでも、「が」と「は」ではニュアンスが違いますし、「を」と「も」でも異なります。そんなどうでもいいことを、あとから、時に数日経った後でもチクチクと直します。
ですので、今回の原稿でも例外なくそんなことを最後までチクチクとやっています。
でもさすがにここまで来ると「もう見たくない!」という心境でして、心変わりしないように最後は努めて原稿を読まないようにしていましたが、編集者さんは違うんですよね。最後の最後まで、細かいところをさらにチクチクと修正を入れられてきます。
そんな姿を見ると、頭が下がると同時に、あぁ我々の仕事と一緒なんだなと思います。
◇
我々の描く図面も、図面の最終段階になると(いやそうでもないか。最初の段階から?)スタッフが描いた図面を私がチクチクと直します。
たぶん図面を描いている本人たちは「え、そこ?」とか、「そんなとこ、どうでもいいじゃん!」とか思っているかもしれません。わかります。私もスタッフの時はそう思っていました。
でも違うんですね。図面の伝えたい内容の大局は同じでも、文章で言うところの「が」と「は」ではニュアンスが違うように、「を」と「も」では異なるように、表現の微差によって出来上がるものの着地点は微妙に変わってくるのです。
そんな無数のチクチクを重ねることで、ものづくりはようやく薄皮一枚上の洗練へと辿り着くことができます。それは、映画監督が役者の演技に何度もダメ出しをしたり、舞台美術さんがカメラに写っていないところまで精巧に作り上げるのと、少し似ているかもしれません。
だから家づくりは、無数の人たちが、チクチクと無数に針を打って仕上げた刺繍の大作のようなものかもしれません。それは本を作るのでも同じなんだなと感じられたことは、私にとってはちょっとした感動体験になりました。
本の発売と時期を同じくして、今月末に住宅がまた一件完成します。現場では今もなお、チクチクと私の細かいチェックと現場の作業とが続いています。完成を待ち望むお施主さんの心境が、今はよく分かります。
私の敬愛するデザイナーに深澤直人さんがいます。彼のデザインに対する思想は、僭越ながら私の建築への向き合い方とも重なる部分が多く、レクチャーなどでもよく深澤氏の「Without Thought」の話を引き合いに使わせて頂いています。
仮に深澤直人さんの名前を知らない人でも、彼のデザインを見たことがない人は少ないと思います。無印良品でよく買い物をするという方なら、無印良品に並んでいる製品の多くは深澤さんによるものですし、その他国内外の数多くの製品のプロダクトデザインを手がけていらっしゃいます。
そんな深澤直人さんの(意外ですが)国内初となる個展が、パナソニック汐留ミュージアムにて開催中です。
AMBIENT[深澤直人がデザインする生活の周囲展]
https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/17/170708/
深澤さんのデザインの特徴は、氏が毎年開催しているワークショップのタイトル「Without Thought」に象徴されるように、”無意識のデザイン”にあります。
私なりに咀嚼するならば、「デザインの本質は人が意識することなく、なにげなく普段の生活の中で行っている仕草や習慣のなかにこそある」といったところでしょうか。
もう少しわかりやすく例えると、雨の中家に帰ってきて傘をたたむとき、そこに傘立てがなかったらどうするでしょうか?おそらく人に尋ねるまでもなく、たたんだ傘を床のタイル目地と壁に斜めに立て掛けることでしょう。
深澤さんはこれが「傘立て」なのだと言います。「壁から15cm離れた7mmのタイル目地は傘立てである」というのが、深澤さんの主張です。
我々は傘立てをデザインしようとして、あるいは傘が立てられるものを求めて、つい玄関に筒型のオブジェクトを置いてしまいがちです。けれども本当にそこに求められていることは、必ずしもそこに筒を置くことではないのです。
深澤さんのデザインは、デザインが”普通”であることの大切さを説きつつも、その普通のディテールを極限まで洗練させてゆくと、けして凡庸ではない佇まいに行き着くことを教えてくれます。
それは我々の住宅設計にも同じことが言えます。住宅にとって大切なのは日常です。普通だけれど、普通を突き抜けた先にあるちょっと特別な日常とでも言いましょうか。
私の身の回りや事務所には、北欧デザインと同じくらい、深澤さんがデザインしたプロダクトがたくさん置かれています。私個人の好みもありますが、デザインは思想であり、共感する思想を常に手元に置いておくことは、ぶれない仕事のベンチマークになると考えています。
スタッフの一人が今年一級建築士受験で、今月に入ってからは最後の追い込みということで、有給休暇フル稼働で試験勉強に明け暮れていました。建築の世界では2月ではなく7月が熱い暑い?受験シーズンとなります。
昨日23日はその受験日。私は受験生を持つ親のごとく、月曜日に出社してきたらスタッフにどう声をかければ良いかと気を揉んでいましたが、開口一番「学科通りました!」とのこと。良かった!!
ついでに、毎年取りこぼし続けていたOBスタッフからも「今年は通りました!」との電話。今年は良い年です。この勢いでみんな二次の製図試験も一発で通ってもらいたいところ。
一級建築士資格は「足の裏の米粒」(つまり取っても食えない)とは業界では有名な格言ですが、私はそうは思いません。食えるかどうかは本人次第。そして将来独立するにしても、あるいはしなくても、資格を持っていればどんな未来だって選べるのです。
だから資格を取るのは自由を得るため。当時の私も喉から手が出るくらい欲しかったその自由の翼を、君たちも是非手に入れてもらいたい。
でもお願い。
手に入れたからといって、すぐに羽ばたいていかないでね!
昨日23日はその受験日。私は受験生を持つ親のごとく、月曜日に出社してきたらスタッフにどう声をかければ良いかと気を揉んでいましたが、開口一番「学科通りました!」とのこと。良かった!!
ついでに、毎年取りこぼし続けていたOBスタッフからも「今年は通りました!」との電話。今年は良い年です。この勢いでみんな二次の製図試験も一発で通ってもらいたいところ。
一級建築士資格は「足の裏の米粒」(つまり取っても食えない)とは業界では有名な格言ですが、私はそうは思いません。食えるかどうかは本人次第。そして将来独立するにしても、あるいはしなくても、資格を持っていればどんな未来だって選べるのです。
だから資格を取るのは自由を得るため。当時の私も喉から手が出るくらい欲しかったその自由の翼を、君たちも是非手に入れてもらいたい。
でもお願い。
手に入れたからといって、すぐに羽ばたいていかないでね!
少し時間が経ってしまいましたが、先週水曜日は六本木の国際文化会館にて、建築家・伊礼智さんの設計セミナーのゲスト講師として呼んで頂き、伊礼さんと共に約3時間ほどのセミナーをやらせて頂きました。
実務者向けのもので、また受講料も1万円以上もしていたのでこの場では告知しませんでしたが、全国から50人近い方がご来場下さいました。
構成はまず伊礼さんが1時間、そして私が1時間話した後に、建築知識ビルダーズ編集長の木藤さんをファシリテーターに、伊礼さんとクロストークをさせて頂きました。
最後のクロストークでは、会場から回収した質問シートが山ほどあり、これらの質問に一問一答式でそれぞれお答えさせて頂きましたが、こういう筋書きのないトークが一番盛りあがりますね。時間が足りず、あともう1時間やりたかったくらいです。
◇
例えば、そこではこんな質問がありました。
「現在一人で仕事をしていますが、スタッフは雇った方が良いでしょうか?」
これに対する答えは、私も伊礼さんも「絶対スタッフはいた方が良い!」でした。時間がなくて、お答えもさらっとしかできませんでしたが、この場を借りて私がスタッフは不可欠だと思う理由を書かせてもらいたいと思います。
ひとつに、仕事を客観的に進めることが出来るということがあります。
人は他人には「もっとこうすれば良いのに」とアドバイスができるのに、自分のことになるとどうして良いかわからなくなるものです。
仕事をチームでやるようになると、お互いがお互いの仕事や思考を客観的に見れるので、自分にはないものを発見したり、間違いや勘違いを未然に防ぐことが出来ます。
また瓢箪から駒のような斬新なアイデアというものは、天から降ってくるものではなく、私の場合常に対話から生まれます。スタッフと議論したり話を聞いてもらったりすることで、アイデアが確信に変わります。それは私は一人ではできないことだと思っています。
次に、強い意志を持つことが出来るということがあります。
人間は弱いもので、ひとりだとどうしても現実に流されてしまったり、逆境に陥ると抜け出せなくなりがちです。スタッフがいると、私の場合は弱みを見せたくないので、いつも強気で振る舞うことになります。「大丈夫、なんとかなる!」という言葉は、きっと自分への言葉なのでしょうね。
また仕事が正しくない方向に向かおうとしているとき、本質を見失いかけているとき、そんな時にスタッフを叱り飛ばす言葉は、同時に自分を奮い立たせてくれます。矜持を持って仕事をしよう!という前向きな気持ちになれます。
伊礼さんは私が尊敬し、目標とする建築家のひとりです。そんな伊礼さんの答えの一つ一つもまた、私と同じような思考の延長線上にあるように思え、大いに勇気を頂くことができました。
伊礼さんからは「(私の)45歳は建築家が一番伸び盛りの時期」「自分のセミナーには自分が認めている人しか呼ばない。関本さんはその一人」とのお言葉を頂けたことがとても嬉しく、これからめげそうになるたびに思い出したいと思います笑
ご参加下さった皆様、ありがとうございました!
写真:塚本浩史(3枚とも)
昨日は中学までを過ごした桶川で小学校の同窓会がありました。小学校卒業以来約33年ぶりの集まりでした。
私はのちに建築の道に進みましたので、大学やその後の留学、そして独立とどんどん道が枝分かれして細くなってゆきましたが、私を作った一番根っこの部分や幹の部分はこの時代に作られたのだなとしみじみ実感しました。こういうのを原点というのでしょうね。
当時私は広い庭のある家に住んでいました。
田舎でしたので、庭が広いこと自体は珍しいことではありませんでしたが、我が家の場合は少し特殊でした。当時の私もそれは自覚していましたが、それを人に言われるのがとても嫌でした。子どもにとって友達と違うということは、それだけでコンプレックスを感じるものなのです。
それでも親しい友人たちとは、その庭でいつも遊んでいたことが楽しい思い出としてあり、昨日もその友人たちと思い出話に花が咲いたのですが、意外だったのは「俺も行ったことがある」と、それ以外の人たちも一斉に主張しはじめたことです。
挙げ句には、同窓会でも顔が思い出せない他クラスの者や、女の子たちまで皆が私の家に「行ったことがある」と言い出し、私の家の池に落ちたことなどを語りはじめるのでした。
私にはそんな多くの友人を家に招いた記憶はなく、あくまでごく限られた友達と遊んだ記憶しかなかったので、しばし混乱しました。
でも30年以上が経ち顔も思い出せない者もいる中で、みんなの中では「でかい家に住んでいた」という記憶と共に私を覚えていてくれたんだなと思うと、それがなぜか嬉しく、私のアイデンティティにもなっていたのだということにも気付かされました。
今は住宅設計の仕事をしていることなど話すと、皆からは「期待を裏切らないね」と言われましたが、はたして彼らが私に期待をしていたかどうかはともかく、彼らの中で私がもう一度”でかい家の関本くん”として上書きされた瞬間だったかもしれません。
でも彼らは知りません。当時でかい家と言われたコンプレックスから、今では私は「小さな家」のスペシャリストになっているということを。自分の育った境遇も含めて、それをアイデンティティとして生きる意味のようなものを、昨日は考えさせられたのでした。
私はのちに建築の道に進みましたので、大学やその後の留学、そして独立とどんどん道が枝分かれして細くなってゆきましたが、私を作った一番根っこの部分や幹の部分はこの時代に作られたのだなとしみじみ実感しました。こういうのを原点というのでしょうね。
当時私は広い庭のある家に住んでいました。
田舎でしたので、庭が広いこと自体は珍しいことではありませんでしたが、我が家の場合は少し特殊でした。当時の私もそれは自覚していましたが、それを人に言われるのがとても嫌でした。子どもにとって友達と違うということは、それだけでコンプレックスを感じるものなのです。
それでも親しい友人たちとは、その庭でいつも遊んでいたことが楽しい思い出としてあり、昨日もその友人たちと思い出話に花が咲いたのですが、意外だったのは「俺も行ったことがある」と、それ以外の人たちも一斉に主張しはじめたことです。
挙げ句には、同窓会でも顔が思い出せない他クラスの者や、女の子たちまで皆が私の家に「行ったことがある」と言い出し、私の家の池に落ちたことなどを語りはじめるのでした。
私にはそんな多くの友人を家に招いた記憶はなく、あくまでごく限られた友達と遊んだ記憶しかなかったので、しばし混乱しました。
でも30年以上が経ち顔も思い出せない者もいる中で、みんなの中では「でかい家に住んでいた」という記憶と共に私を覚えていてくれたんだなと思うと、それがなぜか嬉しく、私のアイデンティティにもなっていたのだということにも気付かされました。
今は住宅設計の仕事をしていることなど話すと、皆からは「期待を裏切らないね」と言われましたが、はたして彼らが私に期待をしていたかどうかはともかく、彼らの中で私がもう一度”でかい家の関本くん”として上書きされた瞬間だったかもしれません。
でも彼らは知りません。当時でかい家と言われたコンプレックスから、今では私は「小さな家」のスペシャリストになっているということを。自分の育った境遇も含めて、それをアイデンティティとして生きる意味のようなものを、昨日は考えさせられたのでした。
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