大学前期の第一課題である「サードプレイス」の提出がありました。中には心配していた学生もいましたが、最後はなんとか形にして提出したようでほっと胸をなで下ろしました。
即日で採点をして、A~C(たまにD)の採点を付けてゆきますが、Aよりも評価の高い学生にはSを付けます。採点で言えば90点に相当する評価で、学生なら一度は取ってみたいと思うあこがれの評価です。だいたい受け持ちのクラス(20人くらい)でSは2人くらいでしょうか。つまりSは10人に1人くらいということになります。
今日Aを付けた学生から、こんな素朴な質問をもらいました。
「先生、Sを取るにはどうしたら良いですか?」
どうしたら…難しい質問です。
思うに、Sを取る学生の案には特徴があるように思うのです。それはイメージがクリアでブレがないということ。そして何より”リアル”だということです。
イメージがクリアで、リアルであるということは学生課題に限らず建築ではとても大切なことで、モヤモヤした考えでやっていると、最後までモヤモヤした案になります。こういう案は人に伝わりません。
小説に例えるとこういうことになります。
小説家の多くは書く前にプロットを組み立てます。テーマ、状況、登場人物、そしてなんとなくこういう話にしようというあらすじのようなものを考えます。建築で言えば、どんな建物にするか、どんな利用者がどんな風にそこで振る舞うのかを考えるようなことです。
小説家はそこで筆を走らせながら、登場人物の仕草やちょっとした言い回し、窓から見える景色、雨の音に至るまで事細かにディテールを掘り下げてゆきます。そこを丁寧に描くからこそリアリティが生まれるのです。リアリティが生まれると、人は登場人物に共感したり、思い入れを持つようになります。架空の人物なのに、あたかも実在の人物であるかのように感じるのです。
そんな人物に不幸があれば、我々は本を読みながら涙を流します。
建築も全く同じ事なのです。「ここで本を読むんです」じゃなくて「木漏れ日の落ちる縁側に寝転がって、本を読みながらうたた寝をするんです」と言った方が、人はそこにより深く感情移入をすることが出来ます。
そうしたらそこに表現しなくてはいけないのは、「木漏れ日を落とす落葉樹」であり「風が抜ける縁側」であり「無防備でいられる守られ感のある空間」ということになります。もう設計で何をすれば良いか、プレゼンでなにを表現すれば良いか答えは明白です。なんなら、その本は太宰治なのかスラムダンクなのかまでもイメージできれば完璧でしょう。
建築はディテールが大切なのです。
まだそこにはないものを、あたかもそこにあるかのように、そこにあったらさぞ素敵だろうなと相手に思わせるように伝えるのが建築設計なのです。
今の学生に圧倒的に足りないのは想像力です。妄想力と言っても良いかもしれない。これは一朝一夕には身につきません。とりあえず、本を読むところからはじめて下さい。
即日で採点をして、A~C(たまにD)の採点を付けてゆきますが、Aよりも評価の高い学生にはSを付けます。採点で言えば90点に相当する評価で、学生なら一度は取ってみたいと思うあこがれの評価です。だいたい受け持ちのクラス(20人くらい)でSは2人くらいでしょうか。つまりSは10人に1人くらいということになります。
今日Aを付けた学生から、こんな素朴な質問をもらいました。
「先生、Sを取るにはどうしたら良いですか?」
どうしたら…難しい質問です。
思うに、Sを取る学生の案には特徴があるように思うのです。それはイメージがクリアでブレがないということ。そして何より”リアル”だということです。
イメージがクリアで、リアルであるということは学生課題に限らず建築ではとても大切なことで、モヤモヤした考えでやっていると、最後までモヤモヤした案になります。こういう案は人に伝わりません。
小説に例えるとこういうことになります。
小説家の多くは書く前にプロットを組み立てます。テーマ、状況、登場人物、そしてなんとなくこういう話にしようというあらすじのようなものを考えます。建築で言えば、どんな建物にするか、どんな利用者がどんな風にそこで振る舞うのかを考えるようなことです。
小説家はそこで筆を走らせながら、登場人物の仕草やちょっとした言い回し、窓から見える景色、雨の音に至るまで事細かにディテールを掘り下げてゆきます。そこを丁寧に描くからこそリアリティが生まれるのです。リアリティが生まれると、人は登場人物に共感したり、思い入れを持つようになります。架空の人物なのに、あたかも実在の人物であるかのように感じるのです。
そんな人物に不幸があれば、我々は本を読みながら涙を流します。
建築も全く同じ事なのです。「ここで本を読むんです」じゃなくて「木漏れ日の落ちる縁側に寝転がって、本を読みながらうたた寝をするんです」と言った方が、人はそこにより深く感情移入をすることが出来ます。
そうしたらそこに表現しなくてはいけないのは、「木漏れ日を落とす落葉樹」であり「風が抜ける縁側」であり「無防備でいられる守られ感のある空間」ということになります。もう設計で何をすれば良いか、プレゼンでなにを表現すれば良いか答えは明白です。なんなら、その本は太宰治なのかスラムダンクなのかまでもイメージできれば完璧でしょう。
建築はディテールが大切なのです。
まだそこにはないものを、あたかもそこにあるかのように、そこにあったらさぞ素敵だろうなと相手に思わせるように伝えるのが建築設計なのです。
今の学生に圧倒的に足りないのは想像力です。妄想力と言っても良いかもしれない。これは一朝一夕には身につきません。とりあえず、本を読むところからはじめて下さい。
17. 03 / 24
路地の敷地
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sekimoto
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> 思うこと
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小さい子って、クレヨン握りながらこんなお家があったらいいなとか、中にはこんなお部屋があってとか言いながらお絵描きしますよね。
今思うと、あれって立派な設計行為だったんだなと思います。プロになった今でも考えていることは同じなんですから。
この路地をすぅっと抜けて、そしたらこんな家が見えてきて、外壁はこんな感じで、そうだここには樹を植えよう。妄想は建築のはじまり。
17. 03 / 16
家ってなんだろう
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sekimoto
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> 思うこと
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ビルダーズの木藤編集長と益子アトリエに訪問後、帰ってオープンデスクの学生に建築家の益子義弘先生の話をすると、案の定知らないとの答えが。
そこで益子先生の著書『家ってなんだろう』を渡すと、ずっと黙々と読んでいました。平易な文章に引き込まれたようです。
わが母校の建築教育には、残念ながら益子先生のような建築家の名前は授業でも設計課題でも挙がることはありません。そのような設計アプローチは学生向きではないのかもしれませんが、小難しい建築理論を語るよりも大切な設計理念があることを、学生にこそ知ってもらいたいと思うのです。
私は体が硬い。私もという方もいるかもしれないけれど、比べないで欲しい。私の硬さは尋常ではなく、これまで私より硬いという人に会ったことがない。
たとえば脚を揃えて前屈をしたとする。その際の私の指先は膝上に届くのがやっとである。嘘でしょ?とか冗談でしょ?と言われるが、嘘でも冗談でもないのである。絶望的すぎて、体質改善など端からやる気も起きなかった。
そう、去年の末までは。
人の勧めもあって、年が明けてお正月からストレッチをはじめた。最初はまさに前述の通りである。ほぼ絶望的。そこから私は毎晩ストレッチを続けている。文字通り毎日、一日も休まずに。
今、私はもう少しでつま先に手が届く。はじめてまだ2ヶ月だ。
それは45年生きてきて初めての体験である。諦めていた自分の体がこんなにも劇的に変化するなんて思いもしなかった。本当に嬉しくて、今では毎晩のストレッチが楽しみにすらなっている。
ストレッチをすると体が悲鳴を上げる。それと同時に、あぁここがこんなに縮こまっていたんだなあと気付く。それを数日続ける。そうするともう痛くなくなる。もう少し負荷をかけてみる。また体が悲鳴を上げる。これを毎日続けると、少しずつ少しずつ伸びてゆく。
◇
これはきっと仕事力にも言えることなんだろうと思う。
その仕事力は最初はみんなカッチカチだ。嘘でしょ?とか冗談でしょ?というくらい柔軟性にも注意力にも欠けている。ほら、こうやるんだよと手本を見せても、異生物を見るような目で見られてしまう。
そう、それが去年までの私。でも痛い痛いと思いながら少しずつ、少しずつ延ばしていると、いつしかつま先に指が届くようになる。そこが本当のスタートライン。
自分では毎日の自分の変化には気付かない。続けることが大事。続けることが大事なのだ。ルーティーンは確実に力になるのだから。
たとえば脚を揃えて前屈をしたとする。その際の私の指先は膝上に届くのがやっとである。嘘でしょ?とか冗談でしょ?と言われるが、嘘でも冗談でもないのである。絶望的すぎて、体質改善など端からやる気も起きなかった。
そう、去年の末までは。
人の勧めもあって、年が明けてお正月からストレッチをはじめた。最初はまさに前述の通りである。ほぼ絶望的。そこから私は毎晩ストレッチを続けている。文字通り毎日、一日も休まずに。
今、私はもう少しでつま先に手が届く。はじめてまだ2ヶ月だ。
それは45年生きてきて初めての体験である。諦めていた自分の体がこんなにも劇的に変化するなんて思いもしなかった。本当に嬉しくて、今では毎晩のストレッチが楽しみにすらなっている。
ストレッチをすると体が悲鳴を上げる。それと同時に、あぁここがこんなに縮こまっていたんだなあと気付く。それを数日続ける。そうするともう痛くなくなる。もう少し負荷をかけてみる。また体が悲鳴を上げる。これを毎日続けると、少しずつ少しずつ伸びてゆく。
◇
これはきっと仕事力にも言えることなんだろうと思う。
その仕事力は最初はみんなカッチカチだ。嘘でしょ?とか冗談でしょ?というくらい柔軟性にも注意力にも欠けている。ほら、こうやるんだよと手本を見せても、異生物を見るような目で見られてしまう。
そう、それが去年までの私。でも痛い痛いと思いながら少しずつ、少しずつ延ばしていると、いつしかつま先に指が届くようになる。そこが本当のスタートライン。
自分では毎日の自分の変化には気付かない。続けることが大事。続けることが大事なのだ。ルーティーンは確実に力になるのだから。
17. 01 / 22
ネガティブ発想法
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sekimoto
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> 思うこと
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先日とある番組で脳科学者の中野信子さんが、困難に直面したら弱音を吐いた方が良いという主旨のことをおっしゃっていた。弱音を吐くと脳が現在の状態を自己認識できるので、気持ちが落ち着くのだという。
確かに人は悩みを抱えたとき、人に話すことで楽になれることがある。迷いがあったときに人に相談すると、考えがクリアになることもよくあることだ。自ら悩みの根っこを論理的に認識することで、問題点が整理されて脳が問題を解決しやすくなるのかもしれない。
一方で不安を抱えたまま、「大丈夫だろう」と根拠なく楽観すると、それが油断となって手痛い失敗をすることも多い。
アスリートなどがよく「成功するイメージしか持たない」という主旨のことを発言するけれど、それは彼らは日々無数の不安の種を持っていて、それを不断の努力で一つづつ潰してきているからそのようなことが言えるわけで、練習を怠ってはけして吐けない言葉だろうと思う。
仕事でも失敗のイメージを持つことはとても重要だと思う。失敗する、必ずミスをするに違いないという前提があると、そこを出発点として、それを回避するためには何をすれば良いかと考えるようになる。
仮にミスをしても、織り込み済みだから深く落ち込むこともない。何事も常に想像しうる最悪の想定からはじめると、結果は必ずそれよりは良くなる。上手く行くわけがないと思っていればプレッシャーもないし、結果も自分が思っているよりは上向くものだ。
けれどもネガティブは伝染するから、口に出すときは相手を選ばないといけない。本当はこのブログにももっとあけすけに書きたいのだけれど…。
確かに人は悩みを抱えたとき、人に話すことで楽になれることがある。迷いがあったときに人に相談すると、考えがクリアになることもよくあることだ。自ら悩みの根っこを論理的に認識することで、問題点が整理されて脳が問題を解決しやすくなるのかもしれない。
一方で不安を抱えたまま、「大丈夫だろう」と根拠なく楽観すると、それが油断となって手痛い失敗をすることも多い。
アスリートなどがよく「成功するイメージしか持たない」という主旨のことを発言するけれど、それは彼らは日々無数の不安の種を持っていて、それを不断の努力で一つづつ潰してきているからそのようなことが言えるわけで、練習を怠ってはけして吐けない言葉だろうと思う。
仕事でも失敗のイメージを持つことはとても重要だと思う。失敗する、必ずミスをするに違いないという前提があると、そこを出発点として、それを回避するためには何をすれば良いかと考えるようになる。
仮にミスをしても、織り込み済みだから深く落ち込むこともない。何事も常に想像しうる最悪の想定からはじめると、結果は必ずそれよりは良くなる。上手く行くわけがないと思っていればプレッシャーもないし、結果も自分が思っているよりは上向くものだ。
けれどもネガティブは伝染するから、口に出すときは相手を選ばないといけない。本当はこのブログにももっとあけすけに書きたいのだけれど…。
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