連休初日の土曜日は、K+Sアーキテクツ(鹿嶌さん・佐藤さん)の「円弧の風景」のオープンハウスのために軽井沢へ。連休初日、渋滞を予測して早朝に家を出たので、午前早々に到着。時間調整がてらコモングラウンズ、黒柳徹子ミュージアムと巡ってからK+Sの住宅へ。

鋭角に鋭く伸びるキャノピーの写真から、トガッた住宅なのかと思いきや、実際にはその真逆の穏やかで懐の深い素晴らしい空間だった。敷地の緩やかな傾斜を活かしながら、道路から引きを取った配置は建ものの主張を抑え、また室内から緩やかに円弧を描く軒先で切られるアシンメトリーの景色は、実際の広さ以上の空間の広がりが感じられるものだった。

外部に面して設けられたインナーテラス(もしくはアウターリビング)もとっても豊かで気持ちの良い居場所を作っていた。何よりディテールがとても丁寧で、さすがと唸らされた。鹿嶌さん佐藤さん、ご案内ありがとうございました。


その際にお会いした建築家仲間の井手孝太郎さんより、井上洋介さんが軽井沢の現場にいらっしゃることを聞き、こちらは来週お披露目予定の住宅を先行して見せて頂くことに。最近大きな豪邸が続く井上さんの、今回は拍子抜けするくらい小さな住宅。広い敷地に高低差を分けて二つの分棟に計画されたアトリエと母屋は、粗野な素材を使いながらとても豊かな空間を作っていた。


いつものラグジュアリーな住宅も良いけれど、(誤解を恐れずに例えるならば)ミシュランのフレンチシェフが作った賄い料理のように、こんな余り物の食材でこんなに美味しいご飯が作れるんだという驚き。敷地全体のランドスケープの構想を実に楽しそうにお話し頂き、世界一幸せな仕事だなと思った。井上さん、こちらもご案内をありがとうございました。


最後に向かったのは会田友朗さんのコードマーク御代田。以前から足を運びたかったのだけれど、ようやく行ける!と夕暮れ前に訪れた。コードマーク御代田はすでに数々の受賞をされ、その複雑に屈曲した屋根とスパイラルを描くようにスキップしたフロアは、図面や説明ではなかなか理解できなかった。

コードマークの代表、森田秀之さんは昨年フィンランドにもご一緒させて頂いた。立ち寄らせて頂く旨を連絡すると、ちょうど畑仕事が終わったタイミングで駆けつけてくださり建物全体もご案内下さった。

森田さんはその穏やかな物腰とは対照的に、話し始めるととってもアツい芯を持っておられる方だということが分かる。地域の会員制公民館ともいうべきその施設の理念は、言うは易しでそれを実現までこぎつけてしまう行動力はやはりとんでもないと思う。やっぱり森田さんはすごい。



会田さんによる建築も、思っていたより全然トガッていなくて、コードマーク(縄文の意味)の文字通り、古代人がセルフビルドで建てたらこうなったと言われたら信じちゃうような?あの場所にあるととても自然で不思議な磁場を作っているのがとても魅力的だった。これだけの空間を破綻なく作る会田さんの頭の中はどうなっているのだろう?

ここ穴場のカフェなので、渋滞の軽井沢逃げて皆さんここに来ると良いですよ。お仕事終わりでお疲れのところ、森田さんご案内ありがとうございました。

ということで、この日はほぼノープランだったにもかかわらず、行く先々でいろんな人にお会いして長い一日でした。疲れたけど楽しかった!皆さまありがとうございました。

以下は、黒柳徹子ミュージアム(内藤廣)とコモングラウンズ(クラインダイサム)


埼玉には二つの誇るべき近代の名建築があり、ひとつは埼玉会館、そしてもうひとつは埼玉県立博物館、ともに前川國男氏の設計によるものだ。今日はそのうちのひとつ、県立博物館にて松隈洋氏、橋本功氏ら登壇によるシンポジウム「前川國男は埼玉で何を考えたか」と建物見学会があり参加させて頂いた。

今年は埼玉会館創立100周年の年で、県内では前川國男関連のシンポジウムやセミナーが続いていて可能な限り足を運んでいるのだけれど、今回は県外の人も含めて思いのほか多くの知人にも会い、関心の高さに驚いた。

私は高校が大宮にあり、弓道部の練習や試合でよく隣接の弓道場には足を運んでいた。その隣の地味な博物館が、まさかそんな名建築であったとは当時の高校生には思いもよらなかった。

当時の印象で“地味”と感じたその佇まいが、今日の話では前川氏にとってはある意味“本意”であったことに腑に落ちたとともに、あれから40年を経て隣の博物館にこのような形で足を運ぶことになるとは、これも思いもよらなかったことだった。

外部と内部をほぼ等価に考え、豊かな環境に溶け合うようなその佇まいは、埼玉会館の街にひらかれたプロムナードと同根の思想にあることも、久しぶりに訪れた空間を解説付きで眺めたことでしみじみと理解に落ちた。前川國男さんの建築は、埼玉県民に本当に愛されていると思う。

このたびは素晴らしい企画をありがとうございました!






京都滞在は最後にTIME’Sへ。
安藤忠雄さんによるTIME’Sは第一期が1984年に竣工。下層部は高瀬川の水面スレスレに建てられ、1991年には第二期も実現し、都市的な文脈を紡ぎながら立体迷路のように入り組ませた構成がとても魅力的だった。

安藤さんは学生時代のヒーローだった。学生の頃の作品は(多分同時代の学生が皆そうであったように)安藤さんに強く影響されていたし、TIME’Sは行政と折衝して無理を通したとか、勝手に隣接地に第二期を計画して実際に建ててしまったとか、そんな武勇伝にも心が躍る思いだった。(実は就活でもいちばん最初に電話をしたのが安藤さんの事務所だった)

ところがそんなTIME’Sも、数年前のコロナ期に通りかかったらほぼ閉鎖されていた。行く末を案じていたものの、最近になって京都建築センターが入り積極的に建築ツアーなども行っているという。

久しぶりのTIME’Sは、相変わらずテナントは歯抜け状態だったけれど、いくつかのテナントは入っていて、水辺も活用されていてちょっと嬉しかった。ちょうど開催中のTIME’S展も、自分の原点を思い出す良い時間になった。またかつての活気が戻ることを願って!




建築を生業にしている人なら多分知らない人はいない。なぜなら大学の近代建築史では必ず出てくるし、建築士試験にもたびたび登場するからだ。今回たまたまオープンデーに当たっていることがわかり、この機会にと訪れた。

見れて良かった。そのあまりに神々しい姿に、私の中では歴史的建築物のカテゴリに入っていて、失礼ながらもう実在していないと勝手に思っていた。現役バリバリ。京都議定書の会議もここで開かれたことを知った。

ほぼ神殿。会議場というより出雲大社を見ているような気分だった。いま目の前にあることが信じられない。

1963年にひらかれたコンペは戦後もっとも注目されたコンペだった。195案の中から芦原義信、菊竹清訓、大谷正人らを抑えて選ばれたのは、丹下健三氏の事務所から独立し、当時まだ39歳だった大谷幸夫氏だったという。以来、1998年竣工の第4期計画まで30年以上も一貫して大谷氏が計画に関わっている。

その構成と象徴性。プロポーションやエレメント、そこから導かれた空間性や合理性。世の中にこんなに完璧な建築があるとは思わなかった。鳥肌がたった。やはりこれは神殿に違いない。



全体に貫かれた台形の構成原理は、民家の合掌づくりにも、大社の千木にも見えるけれど、大谷氏はそうした説明をしていないという。「山肌に迫っていた議場の壁面を内側に傾けることで、建物を山肌から離し山を圧迫することを緩和しようとした」ためとのこと。

格好いいな。私なら絶対たまたまそうなったことであっても、日本の伝統に従ったのだとか、それが国際会議の場に相応しいのだとか言っちゃうだろうな。あくまで機能、以上!はぁ、大谷さん。やっぱり神。

剣持勇氏の手がけた家具も素晴らしくて、この硬質な空間に柔らかさと人々の集う居場所を与えていた。こうした外部の美術家やデザイナーとの協働のために、全体予算の2%を充てることが最初から明記されていたという。これも素晴らしい。

やっぱり私は日本の60年代の建築が好きだ。全体を覆う執拗な小叩き仕上げにもあらわれているように、今では多分絶対に作れない建築だ。桂離宮、修学院離宮とあわせて300年残して欲しいと思う。





やっと来れた。なかなかタイミングが合わず、気づけばこの歳になってしまった。ただ今来れたことに意味がある気もした。きっと良いだろうと想像はしていたけれど、想像以上だった。ブルーノ・タウトの言葉を借りれば「泣きたくなるほど美し」かった。

シークエンスとメタファー、そしてストーリー。それを確かにするためのディテール。そんな建築的所作の最高到達点が桂離宮なのだということもよくわかった。



一番見せたいものを見せないために巡らせた垣根や土盛り。灯籠の灯りを池に映して螢とした見立て。御幸(みゆき)と呼ばれる最高の客人をもてなすためのアプローチ。パースを効かせた通路。仄めかしのためにわずかに曲げて架けられた太鼓橋。川石を無数にこば立てた舗装。

もうきりがない。いちいち泣きたくなる。

分かち難く一体と思っていた中書院と新御殿は増築だと聞きまた驚いた。独特のプロポーション。持ち上げた床はまるでコルビュジェのサヴォア邸のように軽やかだ。屋根も田舎の農家のように素朴なのに、こんなにも気品ある佇まいになるとは。建築とはやはりプロポーションなのだろう。

細かすぎて伝わらないことを積み上げることでしか伝わらない世界があるのだということ。いま、桂離宮が見れてほんとうに良かった。