建築を生業にしている人なら多分知らない人はいない。なぜなら大学の近代建築史では必ず出てくるし、建築士試験にもたびたび登場するからだ。今回たまたまオープンデーに当たっていることがわかり、この機会にと訪れた。
見れて良かった。そのあまりに神々しい姿に、私の中では歴史的建築物のカテゴリに入っていて、失礼ながらもう実在していないと勝手に思っていた。現役バリバリ。京都議定書の会議もここで開かれたことを知った。
ほぼ神殿。会議場というより出雲大社を見ているような気分だった。いま目の前にあることが信じられない。
1963年にひらかれたコンペは戦後もっとも注目されたコンペだった。195案の中から芦原義信、菊竹清訓、大谷正人らを抑えて選ばれたのは、丹下健三氏の事務所から独立し、当時まだ39歳だった大谷幸夫氏だったという。以来、1998年竣工の第4期計画まで30年以上も一貫して大谷氏が計画に関わっている。
その構成と象徴性。プロポーションやエレメント、そこから導かれた空間性や合理性。世の中にこんなに完璧な建築があるとは思わなかった。鳥肌がたった。やはりこれは神殿に違いない。
全体に貫かれた台形の構成原理は、民家の合掌づくりにも、大社の千木にも見えるけれど、大谷氏はそうした説明をしていないという。「山肌に迫っていた議場の壁面を内側に傾けることで、建物を山肌から離し山を圧迫することを緩和しようとした」ためとのこと。
格好いいな。私なら絶対たまたまそうなったことであっても、日本の伝統に従ったのだとか、それが国際会議の場に相応しいのだとか言っちゃうだろうな。あくまで機能、以上!はぁ、大谷さん。やっぱり神。
剣持勇氏の手がけた家具も素晴らしくて、この硬質な空間に柔らかさと人々の集う居場所を与えていた。こうした外部の美術家やデザイナーとの協働のために、全体予算の2%を充てることが最初から明記されていたという。これも素晴らしい。
やっぱり私は日本の60年代の建築が好きだ。全体を覆う執拗な小叩き仕上げにもあらわれているように、今では多分絶対に作れない建築だ。桂離宮、修学院離宮とあわせて300年残して欲しいと思う。
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