昨日のブログで書いた建築家・中村拓志氏による「狭山の森礼拝堂」について。その鈍く光る外壁(いや屋根というべきか)は無垢のアルミ板によるシングル葺となっている。

厚み4mmのアルミ鋳物は、鋳物の街川口市内の工場ですべて特注製作されたものらしい。細かい注文に応えたそれは20枚に1枚しか成功しないほど難しいもので、工場をフル稼働しても一日に70枚しか作れないという。その総数2万1000枚。製作には1年半もの時間を費やしたそうだ。

1年半…輸入タイルの納期が2ヶ月だといって騒いでいるどころの話ではない。建物の工期は13ヶ月なので、着工より先にアルミ板製作がはじまったことになる。6種類のサイズがあり、中村事務所ですべての割付図が製作されている。気が遠くなる話だ。

架構は251本すべて角度が異なり、あらかじめV字型に組まれたものがベースプレートの4本の丸鋼にドリフトピンで固定されている。上棟における許容誤差はわずか1mm。気が遠くなる。卒倒しそうだ。施工にあたった清水建設も「もう二度とできない」という。

このわずか33坪の平屋の礼拝堂に、一体いくらの工事費が投入されたのか想像もつかない。そもそも礼拝堂とは祈りの空間であり、神とつながる空間だ。ピラミッドを見ろ。お金のことを言うなんて野暮も良いところだ。

とにかく人智を極めたところにできた建築というものを久しぶりに見て鳥肌が立った。おそろしい。ただただ、おそろしい。関わりたくはないが、とても感動した。それが建築というものかもしれない。


グラフィックデザイン事務所tobufuneの事務所計画は、ただ本棚が沢山あるというだけではありません。スタッフの増減にフレキシブルに対応できる可変デスクシステムや、窓の開閉、階段上部の本をどのように取り出すかなど細部に至るまで手を抜かずに解決しています。

この小さなスペースに、知恵を絞りきるとここまでできるのだということを、わかりやすく動画にまとめましたのでご紹介したいと思います。


[高所足場パネル]

デスク脇の腰壁パネルを外すと、階段上部に渡す足場板にすることができます。もちろん人が乗れるよう強度を担保しています。上部に上がるための脚立はキッチン下にすっぽり納まります。

またこの脚立を使えば、高所の本も女性スタッフであっても容易に取り出すことができるというスグレモノです。



[可変デスクシステム]

スタッフの増減に合わせてデスクを増設、あるいは減らすことができます。デスクを取り外した後は元通り本棚に戻すことが可能です。



ちなみに、取り外した棚板やカウンターは、奥の水回りに設えた専用の棚に収納することができます。ちなみにこの下は既存の浴槽です。賃貸のため浴槽を外すことができず、浴槽をすっぽりシナランバーで囲って棺桶状態にしてます。もちろん蓋をあけて浴槽内にも収納することができます。



ギミックのように見えるかもしれませんが、全力で解決した結果そうなったということで、本人はいたって真面目です。今回は事務所の計画でしたが、これらのいくつかは、住宅でもそのまま応用できそうです。

たとえば可変デスクは、ライブラリが勉強部屋になったり書斎になったり、家族の変化にも追従してくれそうですね。


この状態ではまだ肝心の本が入っていませんので、まだ完成とは言えません。本がまたびっしり入った状態で、また再撮影させて頂こうと思っています。またその時期を楽しみにしていて下さい。

tobufuneさんの、益々のご発展をお祈りしております!

tobufune
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昨晩は名古屋の木愛の会にて、『アアルトのディテール』というテーマにて講演をさせて頂きました。中でも学生さんの参加が多かったのが印象的で、時代は変わったなと思いました。

ディテールと聞くとマニアックな難しい話と思われそうですが、むしろその逆で、漠然としていてどう見れば良いかよくわからないアアルト建築の鑑賞ポイントをピンポイントで示すことで、実際に見ると「こういうことか」という発見が多くあると思うのです。アアルト建築は伏線が無数にある、長編のミステリー小説のようなものなので。

ここでは書けない際どい話も色々と。アアルトは都市伝説を含めて、オフレコな話が特に面白いのです。アアルトと日本の関係についてもお話ししましたが、こちらは3月に開かれるアアルトの国際シンポジウムでも和田さんがお話しするのと、展覧会の図録にも書かれているので是非読んでみてください。

アアルトはなにがどうすごいのか、どこをどう見れば良いのか。知りたい方は企画してください。いつでもお話しします。

名古屋の木愛の会の皆様、大史さん、呼んで下さりありがとうございました。イロナにも会えて嬉しかった!Kiitos.



アールトの建築の魅力のひとつに緑との関係がある。ツタや木が住宅と絡み合い渾然一体となった姿は、モダンな外壁ラインを周囲に溶かし、異物としての建築すらも自然の風景の一部としている。それこそがアールト建築の真骨頂だとでも言わんばかりに。

例えばル・コルビュジェの建築は、ピロティによって大地から切り離され、同じモダニズム建築であっても、アールトとは対極の自然観を示しているように思える。コルビュジェは建築の純粋性を追求し、空間に流れる時間を止めたのに対して、アールトは空間に時間を刻んでいる。


マイレア邸のリビングの開口部の上部には、ルーバー状のキャノピーが付いている。雨を凌ぐものではないし、陽射しを防いでいるようにも見えない。長年なんだろうと思っていたのだけれど、ふと開口の両脇に目を向けると、キャノピーの高さにまで伸びた鬱蒼としたツタがあった。
アールトはこのツタでぶどう棚のように開口を覆いたかったのではないか。まさかの”ツタ庇”?。真偽の程は未確認だけれど、アールト自邸の窓先にツタが覆うように自生している様を見ると、想像に余りあることだ。





そしてアールト自邸。白い外壁にびっしり絡まったツタは圧巻だが、仔細に見ると、外壁には細いバーが細かいピッチで取り付けられている。ツタは自然に生えたのではなく、明らかにアールトは強い意志を持ってツタを外壁に絡ませたのだということがわかる。





スタジオ・アールトでは曲面を描く壁の突き当たりに、あたかもアールトのスケッチラインのように自由な曲線を描いてツタが壁を這う。しかしこれもよく見ると、曲線に曲げたパイプを壁に取り付けていることがわかる。なんとツタが這うラインすらもアールトが”デザイン”しているのだ。




アールトが空間に持ち込んだ時間軸には、「移ろう自然」はなくてはならない存在だったのではないか。アールトが切り拓いた北欧モダニズムの本質は、まさに自然と建築との関係性にあるのかもしれない。


まず最初の2枚はアールト自邸(1936)のダイニング家具。デザインはアイノ・アールト。細部を仔細に見ても、アイノの家具デザイナーとしての確かな手腕を感じることができる。

そしてこの扉。これを見たときは衝撃だった。あたかも日本人の建築家がデザインしたかのよう。実際私も同じようなデザインの引戸をよく設えるが、80年以上も昔にアイノが既に試したものだったとは思わなかった。

アールト夫妻が当時いかに日本から影響を受けていたかは、こうした部分からも窺い知ることができる。自邸を構えたムンキニエミには当時日本領事館があり、アールト夫妻は日本大使と懇意となり、彼を通じて日本文化を吸収したとも言われている。ちなみにアールトは来日したことはない。




次の3枚は、のちに完成したスタジオ・アールト(1955)のもの。残念ながらこの時には既にアイノは他界していたが、職員ダイニングのキッチンからは強くアイノのアイコンを感じることができる。自邸でアイノがデザインしたものを、20年の時を隔てて復刻したかのようだ。

自邸にもキッチンの手前と奥、両方で使える貫通型の引き出しを設えている部分があるが、スタジオにもそれはある。でもこちらの引手形状は控えめなアイノのそれというより、主張の強いアールトのそれに近い。

引戸も自邸ではレールを下部に設けているが、スタジオでは上吊りとしている。20年分の進化と洗練がここには見られる。