観葉植物は床に置くと邪魔になるし、何より部屋が狭くなってしまいます。必然とハンギングに行き着くのですが、後から石膏ボードの天井にフックをつけるのは、跡も残るし天井下地の野縁を狙う必要もあって、一般の人にはなかなかハードルがあります。
と思っていたらこんなのがありました。Jフックセミトライアングル。天井に取り付けられるボードフックです。壁のボードフックはありましたが、天井用は画期的!早速取り付けてみました。
耐荷重が2.7kgとのことですが、写真の大きなネフロレピスが約2kgくらいなので、これより小ぶりのものなら余裕で下げられそうです。
外しても跡がほとんど目立たないので、クロス天井なら賃貸の方でも使えそうです。我が家も今後は天井にも植物がどんどん侵蝕しそう、、!
この夏、二人目のオープンデスクは千葉工業大学3年の大河原雄友くん。大河原くんは実は建築学科ではなく、いわゆる土木系の学科に所属している学生さん。それでも建築の設計をやってみたいと、うちのオープンデスクに応募してくれました。
ただ実家が千葉の木更津とのことで、さすがに遠すぎるということで最初はお断りしたのですが、松戸の友人宅に泊まって通うので!との熱意に負けて受け容れさせてもらいました。
土木系学科でも、住宅の設計課題などは経験したそうですが、いわゆる図面の描きかたのような初歩的な指導のみだったようで。「建築をつくるとはどういうことか?」というところに踏みこんだ指導ではなかったようです。
いつものように住宅の設計課題を出したのですが、持参したエスキース帳も一般的なスケッチブックだったため、私が愛用するエスキース帳を一冊渡して「一週間でこれを使い切るくらい描くこと!」と伝えたら、最終日には使い切ることはありませんでしたが、2/3以上はびっしりとエスキースで埋めてくれました。
私は学生にもスタッフにも区別なく厳しいので、さながら1000本ノックのような日々だったかと思いますが、毎日指導を重ねるごとにどんどん線がクリアになっていき、最後には実際に建てられるレベルの素晴らしいプランになりました。高い集中力と吸収力で、日々ぐんぐん実力が伸びていってなかなか教え甲斐がありました。
建築学科で学んでいないことを気にしているようでしたが、雄友くんもこの経験はきっと自信になったことと思います!一週間お疲れさまでした。来週以降は、千葉の建築を見て回るという、もうひとつの”宿題”も是非がんばって下さいね。
近著「すごい建築士になる!」の中で、「仕事はある時にはあって、ないときにはない」と書きました。
これは本当にその通りで、うちの事務所の場合は去年から今年の前半辺りまでは、閑古鳥が鳴きまくりの状態。事務所のキャッシュもどんどんなくなるし、この時間があったらどんどんプレゼンをして仕事を取りたいのに、こういう時に限って誰も頼んでくれないんですよね。
そんな時は、この仕事は取りたい!と思ってアプローチしてもことごとくスベったり、建て主さんの土地もなかなか決まらなかったり。本当に仕事というのは思い通りにならないものです。
ところが何かの拍子にそんな周期が底を打つと、今度はお断りしなくてはならないほどの仕事の波がやってきたりします。うちの事務所の場合は、今がそんな時期と言えそうです。もちろん調子に乗ると一寸先は闇ですので、謙虚に謙虚にいかないといけませんが…。
ただこういうことを書くと風評被害も発生したりもします。過去にも何度か痛い経験があって、「リオタデザインは忙しいらしい」「○年待ちらしい」という噂が立ちはじめると、相談にも至らずにスルーされてしまうことも何度かありました。そういうときに限って事務所は閑古鳥が鳴いていたりするんですよね。皮肉なものです。
今現在の状況は、今ご依頼頂くとお引渡しが約2年後くらいになるイメージです。設計の着手までには少しお待ち頂くかもしれません。ただうちの場合、順調に進めても1年半くらいはかかるので、長く住む家ですし、もうちょっとだけでもお待ち頂けたら、、ともおこがましくも思っちゃうのですが。
ここのところご相談の方にも、ご予算のこと以上にこのスケジュール感を確認することが多くなってきているので、この場でもそんなことに触れてみました。
ただうちはどんなに忙しくても一軒あたりにかける設計の時間は変えませんし、図面密度も仕事の流れも変わりません。設計品質は我々の生命線だと思っているからです。(だからお待たせしちゃうのですが、、すみません)
そんな我々の状況にもお付き合い頂ける寛大な方は、どうか引続きご相談下さいませ!よろしくお願いします。
これは本当にその通りで、うちの事務所の場合は去年から今年の前半辺りまでは、閑古鳥が鳴きまくりの状態。事務所のキャッシュもどんどんなくなるし、この時間があったらどんどんプレゼンをして仕事を取りたいのに、こういう時に限って誰も頼んでくれないんですよね。
そんな時は、この仕事は取りたい!と思ってアプローチしてもことごとくスベったり、建て主さんの土地もなかなか決まらなかったり。本当に仕事というのは思い通りにならないものです。
ところが何かの拍子にそんな周期が底を打つと、今度はお断りしなくてはならないほどの仕事の波がやってきたりします。うちの事務所の場合は、今がそんな時期と言えそうです。もちろん調子に乗ると一寸先は闇ですので、謙虚に謙虚にいかないといけませんが…。
ただこういうことを書くと風評被害も発生したりもします。過去にも何度か痛い経験があって、「リオタデザインは忙しいらしい」「○年待ちらしい」という噂が立ちはじめると、相談にも至らずにスルーされてしまうことも何度かありました。そういうときに限って事務所は閑古鳥が鳴いていたりするんですよね。皮肉なものです。
今現在の状況は、今ご依頼頂くとお引渡しが約2年後くらいになるイメージです。設計の着手までには少しお待ち頂くかもしれません。ただうちの場合、順調に進めても1年半くらいはかかるので、長く住む家ですし、もうちょっとだけでもお待ち頂けたら、、ともおこがましくも思っちゃうのですが。
ここのところご相談の方にも、ご予算のこと以上にこのスケジュール感を確認することが多くなってきているので、この場でもそんなことに触れてみました。
ただうちはどんなに忙しくても一軒あたりにかける設計の時間は変えませんし、図面密度も仕事の流れも変わりません。設計品質は我々の生命線だと思っているからです。(だからお待たせしちゃうのですが、、すみません)
そんな我々の状況にもお付き合い頂ける寛大な方は、どうか引続きご相談下さいませ!よろしくお願いします。
この夏もオープンデスクの学生さんがやってきました。この夏のトップバッターは中央工学校2年の山脇銀史郎くんです!
銀史郎くんの中央工学校では、夏休みのオープンデスクを推奨しているそうで、学校に提出する受入れ証を発行してもらうために、オープンデスク前にも一度挨拶にやってきました。大きな声でハキハキ話す子でとても好感を持ちました。
年齢も私の息子と同じ歳!とうとうオープンデスクも息子世代になってきました。感慨深いです。
いつものように設計課題を出して一週間設計エスキースに励んでもらいましたが、銀史郎くんはとても手が早くて、その日に考えたことをすぐに図面に表現することが出来るという能力を持っていました。
これって四年制大学に通う学生でも(いやプロの設計士でも?)なかなかできないこと。これはセンス以外のなにものでもないと思います。
図面の詳細に目を凝らせば、もちろんツッコミどころはいろいろあるのですが、それらを指摘するとすぐに理解し、翌日にはそれをリカバーする案を考えてきたりと、こちらも指導しながら楽しかったことです。
研修中は進行中の現場にも何度か連れて行きました。
学校の設計課題もそうですが、設計だけでは絵に描いた餅のようなものです。現場でどうやって作っているのか、またリアルな空間の骨格を体験できたことで、事務所に戻ってからの設計エスキースも、それらをフィードバックしてより筆が走るようになったようです。
最後には恒例のスタッフへのプレゼン!銀史郎くんは断面図に細かい家具なども描き込んで、より生活のリアリティを追求してくれました。これも住宅を設計する上で、とても大切なことですね。
短かった5日間の研修ですが、多くのことを吸収してくれたようで、そのあと熱い思いのこもったメッセージを送ってくれました。どうもありがとう!
見学に行った現場が竣工した際には、是非実際の空間を見に来てくださいね。
一昨日、2005年に竣工した「HAKKO」という住宅が売りに出されたという件についてブログに書きました。
思いのほか反響も大きく驚いていますが、一方では私にとって初期の代表作であるにもかかわらず、サイトにも写真が少なく少し謎めいた住宅のようになっています。
私にとって約20年前の仕事…もうそんなになりますか。そんなことで、この機会に当時のことを振りかえってみたいと思います。
◇
HAKKOの設計依頼を頂いたのは、2004年の頃だったと思います。建て主のIさんは、もともと私が過去に設計したカフェmoi(荻窪にあった時代)の常連さんで、お店で紹介されてお話をしたことがあったという程度でした。
Iさんは北欧にも多くのつながりを持つ方で、美意識やデザインに対する感度が高く、ポストカードの制作や輸入雑貨なども扱ういわゆる”目利き”の方でした。
一方当時の私といえば、仕事は小さなカフェの設計やリフォーム仕事ばかりで、戸建てはようやくはじめての住宅(ILMA)を友人から依頼されて設計していたくらいで、実績を作品としてお見せできるようなものはほとんどないという状況。
そんな”どこの馬の骨かわからないヤツ”によくも設計を依頼してくださったものだと、今思ってもその勇気に敬意を表したくなります。思えばそういう建て主に支えられて今があるわけですが、このことについては、Iさんには今でもとても感謝しています。
ただご予算は厳しかった!
でも若いってすごいことですね。そして怖い。経験がないので、それがどれだけ厳しい予算かというのがわからないんです。やればできるのかな、みたいな。結果として出来ましたが、今思うと奇跡以外のなにものでもありませんでした。工務店さんのご協力や努力にも心から感謝です。
今でもこの住宅を下回るローコストはありません。金額は書きませんが、たぶんこれを読んでいる方が想像する額の、たぶん”半分”くらいじゃないでしょうか笑。今なら絶対できないし、やりません。
敷地は山中湖の管理別荘地の傾斜地。最初にこんな感じのシンプルなボリュームを提案しました。というか、これしか思い浮かびませんでした。
これしかないと思い込んでいたので、建て主に他にも案を出して欲しいと言われても全然浮かばなくて困りました。私は「コレッ」って思うとそれしか考えられないので、良くも悪くもオンリーワンプランなんですよね。これは今にもつながっているスタイルでもあります。
ここからの設計プロセスは、小さな家なのでプランが二転三転することこそありませんでしたが、建て主さん側も色のテイストや金物の選定、ちょっとしたディテールにも強いこだわりを示されたので、トントン拍子というわけでもありませんでした。
たとえば、内部について私は「もっと木質感を見せるべき」、建て主さんは「見せない方が良い」など、そのデザインを巡って意見が食い違って議論になったこともありました。化粧のヒノキの柱をペンキで塗りつぶすと言われたときは、必死に説得して、せめてオイルステイン塗装にさせて頂いたことも笑。
当時は経験不足から完成形がイメージできず不安もありましたが、出来上がってみると大いに納得!私の拙い感覚ではとても到達できなかった領域に、建て主さんに引き上げて頂いた感覚がありました。
この仕事ではじめてだったことがあります。それは「木造」です。
今では『木造住宅のできるまで』なんて本も出していますが、考えられません。独立前の前職ではRCの集合住宅や鉄骨造の医院などの担当がほとんどで、床伏図や軸組図はもちろん、プレカット打合せすらしたことはありませんでした。
そのため、いつも『建築知識』をひっくり返して「今さら聞けない木造」なんていう特集号を取り寄せて、隅々まで眺め回していました。人のディテールも片っ端から盗みまくって、自分らしく構成したりなど、この時期の仕事がのちの私の基礎をつくりあげたようにも思います。
今でも私は、構造は木造でも建築の発想はRCのように考えるクセがあります。最近は出しますけど、過去はあまり軒も出さなかったのはそういうキャリアの原点があったからかもしれません。
完成して、オープンハウスには友人知人など多くの方が駆けつけてくださいました。私も若いですね!当時33才です。
前職の事務所の所長(棚橋廣夫さん)も愛車のモーガンを飛ばしてやって来て下さいました。息子の写真もありました。ちっちゃい!時の流れを感じますね。
憧れの専門誌「新建築住宅特集」にも掲載して頂きました。私にとってはじめての掲載でした。これは嬉しかったですね!
結果的に、これがきっかけで母校の非常勤講師にも呼んで頂くことができました。だからこの仕事は文字通り、私にとっての出世作になったわけです。
にも関わらず、当時のデジカメ性能の問題や、あまり後先のことを考えていなかったので、まともな写真があまり残っていないんですよね。これが残念でなりません。
無理をしてでも、ちゃんとプロに竣工写真を撮って頂くべきだったと思います。でも当時の私は、本当にそれどころじゃないというか、、写真を頼むお金もなかったんですよね。思い出はすべて心の中にという感じです。初代スタッフ、二宮一平と高速を飛ばして通った現場も懐かしいです。
そんなHAKKOが竣工して18年、これが子どもなら大学に入学して独り立ちの時期ということですかね。どうか良い新しいオーナーさんが見つかりますように!そして更に手を入れながら末永く維持して頂けますことを願っております。
Iさま、あらためてこの度の出会いとご縁に心より感謝しております。
ありがとうございました!
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