一昨日、2005年に竣工した「HAKKO」という住宅が売りに出されたという件についてブログに書きました。
思いのほか反響も大きく驚いていますが、一方では私にとって初期の代表作であるにもかかわらず、サイトにも写真が少なく少し謎めいた住宅のようになっています。
私にとって約20年前の仕事…もうそんなになりますか。そんなことで、この機会に当時のことを振りかえってみたいと思います。
◇
HAKKOの設計依頼を頂いたのは、2004年の頃だったと思います。建て主のIさんは、もともと私が過去に設計したカフェmoi(荻窪にあった時代)の常連さんで、お店で紹介されてお話をしたことがあったという程度でした。
Iさんは北欧にも多くのつながりを持つ方で、美意識やデザインに対する感度が高く、ポストカードの制作や輸入雑貨なども扱ういわゆる”目利き”の方でした。
一方当時の私といえば、仕事は小さなカフェの設計やリフォーム仕事ばかりで、戸建てはようやくはじめての住宅(ILMA)を友人から依頼されて設計していたくらいで、実績を作品としてお見せできるようなものはほとんどないという状況。
そんな”どこの馬の骨かわからないヤツ”によくも設計を依頼してくださったものだと、今思ってもその勇気に敬意を表したくなります。思えばそういう建て主に支えられて今があるわけですが、このことについては、Iさんには今でもとても感謝しています。
ただご予算は厳しかった!
でも若いってすごいことですね。そして怖い。経験がないので、それがどれだけ厳しい予算かというのがわからないんです。やればできるのかな、みたいな。結果として出来ましたが、今思うと奇跡以外のなにものでもありませんでした。工務店さんのご協力や努力にも心から感謝です。
今でもこの住宅を下回るローコストはありません。金額は書きませんが、たぶんこれを読んでいる方が想像する額の、たぶん”半分”くらいじゃないでしょうか笑。今なら絶対できないし、やりません。
敷地は山中湖の管理別荘地の傾斜地。最初にこんな感じのシンプルなボリュームを提案しました。というか、これしか思い浮かびませんでした。
これしかないと思い込んでいたので、建て主に他にも案を出して欲しいと言われても全然浮かばなくて困りました。私は「コレッ」って思うとそれしか考えられないので、良くも悪くもオンリーワンプランなんですよね。これは今にもつながっているスタイルでもあります。
ここからの設計プロセスは、小さな家なのでプランが二転三転することこそありませんでしたが、建て主さん側も色のテイストや金物の選定、ちょっとしたディテールにも強いこだわりを示されたので、トントン拍子というわけでもありませんでした。
たとえば、内部について私は「もっと木質感を見せるべき」、建て主さんは「見せない方が良い」など、そのデザインを巡って意見が食い違って議論になったこともありました。化粧のヒノキの柱をペンキで塗りつぶすと言われたときは、必死に説得して、せめてオイルステイン塗装にさせて頂いたことも笑。
当時は経験不足から完成形がイメージできず不安もありましたが、出来上がってみると大いに納得!私の拙い感覚ではとても到達できなかった領域に、建て主さんに引き上げて頂いた感覚がありました。
この仕事ではじめてだったことがあります。それは「木造」です。
今では『木造住宅のできるまで』なんて本も出していますが、考えられません。独立前の前職ではRCの集合住宅や鉄骨造の医院などの担当がほとんどで、床伏図や軸組図はもちろん、プレカット打合せすらしたことはありませんでした。
そのため、いつも『建築知識』をひっくり返して「今さら聞けない木造」なんていう特集号を取り寄せて、隅々まで眺め回していました。人のディテールも片っ端から盗みまくって、自分らしく構成したりなど、この時期の仕事がのちの私の基礎をつくりあげたようにも思います。
今でも私は、構造は木造でも建築の発想はRCのように考えるクセがあります。最近は出しますけど、過去はあまり軒も出さなかったのはそういうキャリアの原点があったからかもしれません。
完成して、オープンハウスには友人知人など多くの方が駆けつけてくださいました。私も若いですね!当時33才です。
前職の事務所の所長(棚橋廣夫さん)も愛車のモーガンを飛ばしてやって来て下さいました。息子の写真もありました。ちっちゃい!時の流れを感じますね。
憧れの専門誌「新建築住宅特集」にも掲載して頂きました。私にとってはじめての掲載でした。これは嬉しかったですね!
結果的に、これがきっかけで母校の非常勤講師にも呼んで頂くことができました。だからこの仕事は文字通り、私にとっての出世作になったわけです。
にも関わらず、当時のデジカメ性能の問題や、あまり後先のことを考えていなかったので、まともな写真があまり残っていないんですよね。これが残念でなりません。
無理をしてでも、ちゃんとプロに竣工写真を撮って頂くべきだったと思います。でも当時の私は、本当にそれどころじゃないというか、、写真を頼むお金もなかったんですよね。思い出はすべて心の中にという感じです。初代スタッフ、二宮一平と高速を飛ばして通った現場も懐かしいです。
そんなHAKKOが竣工して18年、これが子どもなら大学に入学して独り立ちの時期ということですかね。どうか良い新しいオーナーさんが見つかりますように!そして更に手を入れながら末永く維持して頂けますことを願っております。
Iさま、あらためてこの度の出会いとご縁に心より感謝しております。
ありがとうございました!
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