志木市で現在計画進行中の住宅「deco」の敷地は文化財保護地区にかかっているため、工事にかかる前には市の教育委員会による試掘調査が義務づけられています。
よく遺跡が出てくると工事が止まってしまうなどという話を聞きますが、それはこういう試掘を怠った場合(あるいはたまたま出てきてしまった場合)であって、このように計画的に試掘を行えば工事工程への影響はありません。
現地に行くと教育委員会による試掘調査がはじまっていました。するとさっそくお宝が!もとい土器が発掘されていました。縄文式土器だそうです。
さすが教育委員会、質問をするとその場でなんでも答えてくれます。古代の住居形式までいろいろと教えてくださいました。
ご存じかと思いますが、縄文式土器は縄を使って土器の表面に”縄目”の模様を付けているところから由来しています。現場の土器片にもくっきりと縄目が見えますね。
また大陸文化が入り込み洗練された弥生式土器とは異なり、荒々しくプリミティブな縄文式土器の造形は、岡本太郎をはじめとした芸術家も魅了し、日本文化の源流であるとも言われています。
ところで土器は縄文式ですが、敷地は古墳時代の住居跡に位置しています。
古墳時代といえば縄文や弥生よりも新しい時代になるわけですが、どうして同じ敷地から異なる時代の遺構から出てくるのかというと、新しい時代になっても掘り起こされなかったり、掘り起こされてもそのまま放置されていたのではないかとのこと。
つまり、我々が新しい家を建てるとき、敷地から前の住宅の解体片(いわゆるガラ)が出てくることがありますが、要は同じようなことで、縄文式土器といえども当時の住人にとっては、庭先から茶碗の欠片が出てきたような感覚でしかなく、また出てきやがった「チッ!」とかやっていたのかもしれません。あくまで推測ですが。
ところで縄文時代といえば今から2300年前まで、そして古墳時代といえば今から1500年前までの時代を差します。敷地のある志木市の柳瀬川周辺は昔の海岸線に面しており、貝塚なども多くあることから、古代から人が住むのに適していた土地だったのでしょうね。
大昔は今のように電気があればどこでも住める時代とは違いますから、外敵や天災から逃れるため、土地探しには吟味を重ね、経験的に最も安全で利便性の高い場所に集落を築いたのでしょう。そして一度集落を形成すれば、そこは何百年と(この地の場合は何千年と)人が離れることはなかったと想像できます。
今回の敷地はもともと畑や駐車場だった場所を宅地開発されて売り出されました。クライアントから依頼を受け設計をはじめた頃はこんな感じでした。なかなかの大型分譲地ですね。
それが数ヶ月前からポツポツと工事が始まり、
今ではこんな感じです。
この風景の変化はあっという間で、わずか半年もないかもしれません。
1500年前の遺構の上に、わずか半年でできあがる街並み…。
なんだか考えさせられる光景です。我々の仕事もまたそんな営みの中にあるとすれば、この地に建てる建築は人類の歴史にも恥じないものにしなくてはならないという…なんだか大げさかもしれませんが、そんな思いにも囚われるこの年の瀬でした。
deco| 2017年8月末竣工予定
16. 12 / 19
WEBサイト拝見
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sekimoto
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> メディア
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ディテール連載でお世話になっています建築知識さんの「WEBサイト拝見!」というコーナーに、リオタデザインのサイトを取り上げて頂きました。
今のサイトはデザイナーの石曽根昭仁さんに5年ほど前に作って頂いたものですが、とても気に入っていて、石曽根さんにコントロールしていただく部分と、私が適宜手を入れられる部分が分かれているので、このように日々の更新もスムーズです。今回専門誌にも取り上げて頂きとても嬉しく思っています。
◇
設計事務所の敷居の高さはずっと言われ続けていることですが、やっぱり設計事務所にアポイントを取って会いに行くというのはとても勇気のいることだと思うんですね。また忙しくて心に余裕のない状態だと、やはり大きな決断は後回しになりがちです。
なので、通勤の合間や時間ができたときに自分の都合で検索して眺められるサイトというのはとても便利だし、今どきの家づくりの取っかかりとしては外せないツールであるように思います。
なんといってもオーダメイドの家づくりを標榜する設計事務所ですから、どの事務所も主宰者自らサイトの内容を吟味しているはず。そこには設計者のセンスや美意識、仕事に対する考え方や進め方のようなものも色濃く反映されていると考えるのが自然でしょう。
美しい作品につい引き込まれるもの、スタイリッシュで謎めいたもの、シンプルすぎて知りたい情報が書かれていないもの、サイト更新が半年以上止まっているもの…。
自分がそう見られたいという願望の表れから、無自覚にもその人の性格をさらしてしまっているものまでいろいろありますが、私が考える理想のサイトというのは、完璧で非の打ち所のないものや、常識的で当たり障りのないことしか書かれていないものよりは、自然体でむしろちょっと欠点(愛嬌)も見えるくらいの方がちょうど良いと思っています。
家づくりは相性。そんな自分でも設計をお願いしようと思ってくれる人が来てくれたら、きっとその家づくりはお互いにとってハッピーなものになるだろうと思うからです。
建築知識(エクスナレッジ) 2017年1月号
http://amzn.asia/2nrtQJo
ちなみに今月はなんと”ネコ特集”
エクスナレッジ、今月も攻めています笑。うちの事務所からも実例提供しているほか、私のディテール連載もお楽しみください。
16. 12 / 18
ROGUE ONE
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sekimoto
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> はまりもの
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スターウォーズシリーズのスピンオフ、「ローグ・ワン」が公開されましたね。シーンは約40年前最初に公開された「エピソード4」の直前の物語を描いています。スターウォーズ好きの我が家は早速行ってきました。
スピンオフといって侮るなかれ。スターウォーズ神話にまたずっしりと厚みが加わりました。監督がテレビで語っていましたが、正しい鑑賞法は
1.DVDにエピソード4をセットする
2.映画館に足を運ぶ
3.帰ってきて再生ボタンを押す
これです。
特にラストシーンは必見!感動のあまり思わず息子と拍手しちゃいました。再生ボタンを押さずにはおれないという意味がわかると思います。
スターウォーズを見たことがないという方は、このローグ・ワン(位置付けはエピソード3.9)を見てからエピソード4に話をつなげ、その流れで5→6→7(去年公開)→1→2→3と見れば完璧です。
いまさら話題には入れないという方、今からでもまだ遅くありませんよ!
16. 12 / 17
路地の家・上棟!
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sekimoto
category
> 仕事
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金曜日は都内で上棟がありました。4月に新卒で入ったスタッフにとって初めての担当案件。いきなりウルトラC級の住宅でしたが、先輩スタッフにも助けられて無事現場入りです。
今日の上棟もすごく楽しみにしていたようです。初めての上棟、返ってくる反応がいちいち初々しくて、こちらもほっこりしてしまいます。
自分の初めての現場はどんなだったかなあ?
最近、若い頃のように雑誌などで建築をビジュアルとして熱心に眺めることがなくなった。あまり参考にならないことが分かってきたからかもしれない。
好きだし勉強にはなるけれど、参考にはならない。極論になってしまうけれど、鎖国政策が江戸文化を生み出したように、知識はある程度溜め込んだら閉鎖系にして熟成させた方が良いと思う。なぜなら、ほとんどの建築の問題は応用問題であり、公式を覚えるより解き方を覚えた方が遙かに効率が良いからだ。
ひとが導き出した答えは、その敷地、クライアントといった諸条件が絡み合って奇跡的に生み出されたものであって、その結果だけを拾って自分の設計に当てはめることなどできない。できそうで、できない。
だから部分部分を見るとため息が出たり、よく考えられているなぁと感心することはあっても、それらを集めてベストアルバムみたいなものを作ったらそれは最高傑作になるかと言ったら、そうではない。野球ですべて4番バッターを集めたら優勝できるかという問いに似ている。そこには広島カープのようなドラマは生まれない。
つまるところ、建築は完璧じゃない方が魅力的なんだと思う。手を抜いたり、失敗するという意味の「完璧じゃない」ではなく、「にんげんだもの」のほう。がんばりすぎないディテールは潔く美しい。でも一方では「やればできる」のがんばりが同じくらいあって欲しい。人が必死に努力を重ねる姿は尊く、そしてやはり美しい。
魅力ある建築というのは魅力ある人と同じなんだと思う。志は立派なんだけど、完璧じゃなくて、ちょっとだらしなくて、でもユーモアがあってきっちり約束は守るみたいな。
ここから先に進むには、もっと人間を磨かないといけないんだろうなと思います。
好きだし勉強にはなるけれど、参考にはならない。極論になってしまうけれど、鎖国政策が江戸文化を生み出したように、知識はある程度溜め込んだら閉鎖系にして熟成させた方が良いと思う。なぜなら、ほとんどの建築の問題は応用問題であり、公式を覚えるより解き方を覚えた方が遙かに効率が良いからだ。
ひとが導き出した答えは、その敷地、クライアントといった諸条件が絡み合って奇跡的に生み出されたものであって、その結果だけを拾って自分の設計に当てはめることなどできない。できそうで、できない。
だから部分部分を見るとため息が出たり、よく考えられているなぁと感心することはあっても、それらを集めてベストアルバムみたいなものを作ったらそれは最高傑作になるかと言ったら、そうではない。野球ですべて4番バッターを集めたら優勝できるかという問いに似ている。そこには広島カープのようなドラマは生まれない。
つまるところ、建築は完璧じゃない方が魅力的なんだと思う。手を抜いたり、失敗するという意味の「完璧じゃない」ではなく、「にんげんだもの」のほう。がんばりすぎないディテールは潔く美しい。でも一方では「やればできる」のがんばりが同じくらいあって欲しい。人が必死に努力を重ねる姿は尊く、そしてやはり美しい。
魅力ある建築というのは魅力ある人と同じなんだと思う。志は立派なんだけど、完璧じゃなくて、ちょっとだらしなくて、でもユーモアがあってきっちり約束は守るみたいな。
ここから先に進むには、もっと人間を磨かないといけないんだろうなと思います。
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